星の少女ーLast Nightー
椅子に腰かけ男は一人沈黙している。
―珍しいわねD4、貴方の方からここへ来るなんて―
孤独なはずの空間に女の声が響く。
D4と呼ばれた男はじっと瞑想に浸るかのように目を閉じたまま何も答えない。
―知っていると思うけど以前の指令から変更はないわよ―
そう問う女の声は事実を確認するというよりも、男の何かを試しているかのような口ぶりでもあった。
―それとも、何か進展の報告でもするつもり?あの少年にも会っていたようだけど―
声は前後左右上下どこからでも聞こえてくるようである。
まるでこの部屋そのものが喋っているかのような空間の中、男はそれでも静かに目を閉じたままだ。
そうして長い沈黙が続いた後、
「動く」
男は短く、しかしはっきりとそう告げた。
―動く、とは?―
女の声はそう尋ねる。
無論その言葉の意味は女にもわかってはいた。
しかしそう尋ねることで、その真意を男の口から語らせたかったのだ。
「榛名埜亜は今日始末する」
それは冷たく、残酷な宣告でもあるはずだが男にはそういった感情は一切ない。
ただ、そう結論付けたというだけの言葉であった。
―その指示はまだ出ていないはずよ―
「いずれ下るのならば今日でも変わりはない」
―独断であるのならば貴方にも然るべき処罰が下ると思うのだけれど―
「だろうな」
女の問いに男は淀みなく答える。
そこに迷いや心の揺れといったものは感じさせない。
男にはそもそもそう言った感情はないのだった。
―そう―
ため息ともいえない吐息と共に女はそう短く返す。
しかしそれは落胆や非難といったものではない。
どこかでこういう事態が起きるのではないかと、女は予感すらしていた。
「・・・」
最後の言葉には何も答えることなく、男は立ち上がると出口へと向かう。
―動くというのならば私には止めることはできないわ。貴方なら何ら問題なく“あれ”の始末もできるでしょう―
激励とも違う女の言葉を聞きながら男は部屋を出ていった。
そうして誰もいなくなった部屋だが、しかしまだかすかに空気は振動していた。
―“あれ”の始末なんて貴方には造作もないことでしょう。けれど、気をつけなさいD4。貴方は危険とは判断していないのでしょうけど、考慮していない可能性ほど厄介なものはないのだから―
その言葉に応えるものはいない。
独り言を呟くように残すと女の声ももう聞こえなくなった。
*
時間はあっけないほどに早く過ぎていった。
僕が何もせずに部屋でただ過ごしていた、ということもあるのだろうが先ほど朝目が覚めたと思っていたら気が付くと日はゆっくりと沈み空は赤く染まっていた。
その夕日を、終わりゆく一日をじっと見つめる。
昼間の終わりと共に夜の始まりを告げるような赤い空。
これまで何てことはなく過ごしていたはずの時間をこうしてじっと過ごしながら思考を巡らせる。
夕日が沈み切るその前に部屋を出なければならない。
夜になってしまったら外に出る勇気はなくなってしまいそうだった。
しかし、一度外へ出てしまったらもう途中では戻れない、そんな気がずっとしていた。
明りも付けていない部屋は少しずつ暗くなっていく。
そんな部屋に一人でいると色々と余計なことまでが頭に浮かんでくる。
しかしこれまでのことは、もうそれ程重要ではない。
大切なことはこれから訪れることに僕がどう向き合うかだ。
このままじっと時間が経つのを待つこともできたのかもしれないが、そうはできなかった。
ゆっくりと立ち上がる。
処刑台に上る人間とはこんな気持ちなのかもしれないとそんなことを思ったがあながち間違ってもいないのかもしれない。
などとくだらないことを考えられているのならば意外と自分は大丈夫なのかもしれない。
そんなことを思いながら部屋を出る。
帰ってこないつもりはないが、帰ってこれないかもしれないと思いながらあけるドアはいつもより少しだけ重く感じられた。
*
空が黒に染まりきるその少し前に、小さな明りが一つ灯った。
それが今宵の一番星。
夜の風を浴びながら、その星を見上げる。
それは一見いつもと変わらないようであるが、そうではない。。
今日の空がいつもと違うことがわかる。
それはいつかの日、あの公園で過ごしたあの夜と同じ。
そんなことを思いながらただ空を見上げる。
自分にはそれしかできない。
どこか遠く誰もいないところへ行ってもよかったのかもしれないが自分の力だけではそれも叶わない。
だからこうして、人気の少ない河原ぐらいにしか来ることはできなかった。
「あんまり川に近づくと危ないよ」
水辺にぼんやりと立っていると後ろからそう声をかけられた。
夜風だと少し寒いだろうにいつもの白衣姿でこちらを見ている彼女に頷いて返す。
「けど晴れてよかったねぇ」
空を見上げる彼女の言葉につられて顔を上に向ける。
「うん、そうだね」
気が付くと空には数えきれないほどの星が煌めいていた。
暗かったはずの空間も既に明りで埋め尽くされていた。
そして目を少し下に向けると、穏やかに流れる川に上空の景色が反射され大きな星空が足元にも広がっていた。
それが見慣れたはずの空の違う姿のように見え、思わずじっと見つめていると
――すぅ、と
足元に小さな光の筋が一つ流れたのが見えた。
あぁ、とその目を再び空に向ける。
1つ、2つと光の線が空に引かれている。
それは驚くこともない、知っていた空の姿。
許されないことなのかもしれないが、それはとても
とても綺麗な空だと思った。
特別な何かが起きるわけでもなく、いつもの通りに時間は流れ
星の流れる夜がやってきた。




