始まりの朝
目が覚める。
まだ時計は見ていないが、何となく朝日は既に少し高いところまで昇っているような感覚がする。
布団の中でまだ寝ぼけている目をこすりながら起き上がる。
見慣れた自分の部屋。
少し散らかった床に漫画が積まれた机。
ここは間違いなくいつもの自分の日常だ。
まだ目覚めて間もないが、何だがこうしているとたった数時間前のことでもまるで遠い昔のことのように思える。
昨日の夜、苗間とはあのまますぐに分かれた。
僕の涙が終わる頃には、もうお互いに話すべきことはなくそれ以上の時間には意味はないともわかっていた。
今度は埜亜も一緒にね、と別れ際にいった苗間の言葉には頷きで返した。
苗間の言葉には嘘はないと思ったし、僕の気持にも嘘はなかった。
そうして家に帰ると僕には何かをしようとする体力も残っておらずそのまま倒れるようにベッドで眠ってしまったのだ。
改めて昨日という日のことを思い出す。
昨日僕は僕自身のことを知り、埜亜のことを知った。
そんな風に言ってしまうと何かとても重要な日だったような気もする。
しかしだからといって今目覚めた僕の中で何かが変わったわけでもない。
全てを――何から見て全てかはわからないが――知ったとしても、結局僕に示された結論はやはり“別れ”というものだった。
埜亜も苗間もきっとこれまでの間に多くのことを受け入れ、それでも自分たちの意志で選んだ道を生きていくと決めたのだ。
そしてそこに僕は着いていく必要はない。
始まりはたった数週間前のことだが知ってしまったことに悩んで、自分のすべきことを探した。
そうして随分と遠回りをして、結局同じところに帰ってきてしまった気がする。
それでいいと、今はそう思えた。
抗った、何て言葉は相応しくないが何とかしようともがいていたつもりだ。
そうして行きついた結果はひょっとすれば恥ずべきものなのかもしれない。
それでも今は満足をしている。
ゆっくりとベッドから出る。
時計を見ると電子の文字で今の時刻と日付が表示されている。
“今日”が何の日かはよくわかっていた。
僕は僕にできることをするだけだ。
*
日の光に目が覚める。
うっすらと目を開けるとカーテンの隙間から明るい光が差し込んでいるのが見えた。
上半身だけを起こす。
見慣れた部屋は本に囲まれベッド以外にはほとんどスペースもないが、しかしここのことは気に入っていた。
落ち着いた雰囲気が好きだったし、何より彼女がこの部屋を分けてくれたことが嬉しかった。
とりあえずこのまま部屋にいても仕方がない。
ベッドから出てドアを開けると隣の部屋はカーテンが全開になっているのか、光に満たされていて目に飛び込んでくる眩しさに思わず目が眩む。
「やあ、お目覚めかな」
「おはよう」
いつも通りの白衣を着た苗間栞里がデスクに向かって何か作業をしていた。
昨日彼女が帰ってきてから自分は直ぐに眠ってしまったが彼女は家に帰ったのだろうか。
自宅に帰ったり、この研究室で寝泊まりしたりと夜の過ごし方はその時々だが大抵いつも自分が起きる前には先にここにいる。
自分の研究室の一角を寝室にまでしたのだから私に寝させずに自分がそこで寝ればいいのに、とたまに思いもするがそういうことを言ってもいつもはぐらかされてしまう。
「何か食べるかい?」
その問いには首を横に振る。
そっか、とそれだけ言うと彼女は水を一杯入れてくれた。
時計を見てみると時刻はもう間もなく12時になるというところだった。
朝はそもそも早起きでもなく、いつも朝食は食べる気になれない。
「でも朝はちゃんと食べないと体が大きくならないぞぉ」
グラスを渡すついでという感じに頭をがしがしと撫でられる。
ちらりと鏡を見ると寝ぐせなのか、今の行為のせいなのか、随分と頭がぼさぼさになっていた。
「今日は天気がいいね」
窓の外に目を向けながらそう呟く。
部屋の中からでも雲一つない空がよく見えた。
「そうだね、出かけるかい?」
「いや・・・後で考えるよ」
「そう」
はねた髪を手櫛で直しながらそういう彼女の声はとても優しかった。
私はいつも優しい彼女のことが好きだった。
だから、昨日の夜のことは話さなかった。
あの男が何者であるかはわからないがそれは大した問題ではない。
重要なことはあの男は私を殺そうとしていたということ。
そしてその理由は私の危険性にあるということ。
私のことはもちろん彼女も知っていて、それでも一緒にいてくれている。
それは決して諦めだとか私に対する哀れみなどではない。
彼女は彼女の意志でどこかに私を助ける道はないのかと探してくれているのだ。
それを知っているからこそ、昨日のことは話さなかった。
きっと彼女の心を傷つけてしまうから。
彼女の力でもどうにもならないことがあるのだと知らせることはできなかった。
それでも、日が昇りそして夜が来て一日が巡るように。
いつかはその時はやってくるのだ。
カレンダーに目をやる。
“今日”がどんな日なのかはずっと前からよく知っていた。




