監視者
次の休みまでの平日は瞬く間に過ぎていった。
僕自身が面白みのない平凡な日常を送っていたということもあるのだろうが、それに加えて来る日のことを思うと一日一日がとても短く感じられたのだった。
休日、それも3連休の初日などと言ったら普通であれば昼過ぎまで寝ていてもおかしくない僕でだったがその日は朝日が昇るころには目が覚めていた。
“何かある”と思っているのは僕の勘違いではないと思う。
その真意まではわからないがわざわざ埜亜を外してまで苗間が僕を呼び出す理由、それがただの食事とはこの一週間改めて考えてみてもそうは思えなかった。
居間に行くと姉はもう起きてテレビを見ていた。
姉もどこかへ遊びに行くと言っていたのでもう出かけるのだろう。
「あれ、早起きだね」
僕が休日の午前中にこうして起きてくることなど滅多にないことなので少し驚いた様子だった。
「僕も今日出かけるから、夕飯食べて来るよ」
朝食を作っていた母にそう告げる。
「えーどこ行くのよ?」
なるべく素っ気なく言ったつもりだったが姉がにやけた顔で僕に尋ねてきた。
苗間と会う、何てことは言わないほうがいいだろう。
関係性を説明するのも面倒だし、年上の女性とどこかに行くなど家族の心配と興味を買うだけだ。
「学校の友達とご飯に行くだけだよ。やっぱり休日は外に出ないとね」
「そんなこと思ってないくせに」
ふざけた様にそう言ったが姉の関心は逸らせたようで、またテレビに目を移した。
苗間との約束は夕方だったのでこれほど早く起きる必要はなかったのだが、目が覚めてしまったことと、少し気になることがあり、ベッドから出てしまったのだ。
朝食に出てきたトーストを齧りながらテレビに目を向けると朝の番組が流れている。
“3連休におすすめのお出かけスポット!”などという連休の度に目にするようなテロップと共にアナウンサーらしき人がいろいろと話をしている。
毎度毎度よくそんなに紹介するところがあるな、とぼんやりと見ながら感心していると画面が特集ということで切り替わる。
『3連休は天気が良いのでお出かけ日和です。流星群もよく見れそうなのでご家族ご友人と見に行かれてはどうでしょうか』
と、笑顔のアナウンサーが何やら天体の絵が描かれたフリップを指しながらそんな話が始めた。
やはり、というか予報通りこの3連休は天候に恵まれているらしい。
そして予報では明日の夜、流星群が見れるらしい。
テレビではコメンテーター達が何やら話をしていたが僕の耳には入ってこなかった。
困惑はしていない。
きっとこの話を今日苗間はするつもりなのだろう、と僕は確信に近い思いを持っていた。
姉が出かけてしばらくしてから母に夜戻ると告げ僕も家を出た。
間違ってもどこかで姉には会いたくなかったので少し時間を空けた。
苗間との集合までにはまだ数時間ある。
それまでに僕はどうしても知りたいことがあり、こうしてバスに乗っていた。
この数週間でもう3度このバスには乗ったことになる。
1度目は何も考えずに、ただ言われるがままに乗った。
2度目は何かを伝えたくて、思いのままに乗った。
3度目は・・・何のためなのだろう。
それでもバスは僕を目的の場所へと連れていく。
あの研究所が少し遠くに見えた。
*
研究所の前に着くと僕は入り口には向かわず、そのままフェンス沿いに歩きだす。
研究所は一面をぐるりと背の高いフェンスで囲われている。
こうして周辺を歩いたことは初めてだったが緑が多い施設内は外からでは木が目隠しとなりはっきりとは中の様子が見れない。
断っておくと、別にここから中を覗こうだとか、こっそりと侵入をしようというわけではない。
フェンスに沿ってしばらく歩く。
――いうなればこれは釣りだ。
埜亜と僕を繋ぐ線はもうあいつしか思い当たらない。
それに何の意味があるかなんてわからないが、僕が知らないことを知っているというのなら、それを聞かねばならない。
だから
「いるなら出て来いよ」
静かに告げる。
独り言というには大きな声である。
もし街中でこんなことを言っていたら少し周りから距離を置かれてしまうだろう。
しかし、今は周りには誰もない。
いや、正確には――いないように見えるがきっといる、と思い僕はそう言ってみた。
「気づいていたわけではあるまいが、くだらん駆け引きだな」
――やはり、いた。
どこから僕の背後にいたのか。
僕の後を追ってきたのか、それとも最初から“ここ”にいたのか、それはわからない。
しかしここでならば必ずこの男に会えると、僕はそう思い行動に移したのだ。
「顔を見せたらどうだ。もう隠れる必要もないんじゃないか?」
振り向かず背後に向かって語りかける。
声は震えてはいないだろうか。
単純な筋力でも、それ以外のあらゆる部分でも僕はこの男には敵わないだろう。
しかしそれでもなるべく対等の立場でいたいと思い、強い口調で振舞う。
「・・・」
沈黙が続く中、背後でざっ、と足音がした。
自分が思っているよりも緊張状態の中にいたのか、その小さな音に僕は小動物のようにびくっと震え反射的に振り返った。
すると、というよりもやはり、そこには大きな影が1つ立っていた。
晴天の下だというのに暑苦しい黒いコートに身を包んだ石像のそうな男が僕をじっと見据えていた。
「貴様と話すことはないが、その意見には同意しよう。貴様に対してもう隠れる必要はない」
「・・・」
ぐっと息をのむ。
正面に見るとやはり少し委縮してしまう。
男の持つ威圧感も当然のこと、ここまで数回にわたり襲われたこと、あまつさえ銃撃までされた記憶は嫌でも蘇り心に恐怖の感情がわく。
「・・・お前、いったい何なんだよ。僕に何の用があるんだ」
それでもその感情に蓋をしながら問う。
それは今までも何度も繰り返した問いであり、
「・・・」
それに答えが返ってこないことは何となく予想がついていた。
「この前、僕の力を知っているって、そう言っていたよな。あれはどういうことなんだ」
それでも問う。
腹立たしいことこの上ないがこの男が僕について僕よりも知っている可能性があるのだ。
となれば、僕はそれを知らなければならない。
「・・・」
それでも僕と話すことはない、と言うのか男は目を逸らすわけでもないが決して言葉を発そうとはしない。
「お前は僕の後をつけているのか?それともあの子を狙っているのか?
3度目の問いにまた沈黙が返ってくるかと思っていると、
ざっ、と男は一歩僕に近づいた。
男は沈黙したままだがその反応は予想外ではあった。
それはこの男が唯一見せた感情のようにも思えた。
やはりこいつの狙いは埜亜なのだろうか。
「あの子に何かするつもりなのか?それなら・・・」
そう言いかけて言葉が止まる。
“埜亜に手を出すなら僕が相手だ!”とは言えなかった。
そうしたい、という気持ちは嘘ではないと頭では思っているのだがこの男と対峙することを考えると体が止まってしまった。
「榛名埜亜は危険だ。あれは適切に対処されるべき存在である」
しかしその沈黙を破ったのは男の方だった。
淡々と告げられたその言葉には、しかしあまりにも不穏な意味合いが込められていた。
「危険・・・対処って、何だよそれ」
それが保護や監視、などという意味ではないことはこの男の持つ気配から察することが出来た。
対処とはつまり――
「貴様の問いに答えよう。私は監視者。監視者D4。榛名埜亜は世界を滅ぼすものである。その時が来る前に私はあれを殺す」
何も言えないでいる僕に男はそう言い放った。
それは決意表明や計画なんてものではなく、ただ決定されたことを告げるような冷たい言葉であった。




