そうして気がついたこと
男は立っていた。
無表情で、何かを待っているような期待もなく、つまらないと不満を抱えているわけでもなくただ立つその顔には石像のように表情というものがない。
それは感情の起伏が乏しいというよりもそうした考えるということすらも余計なものとして排除しているだけのことだ。
黒いコートに身を包む石の如き男はおよそ一般人というには違和感も威圧感もありすぎた。
明らかに昼間の日常風景の中においては異端な存在ではある。
しかし元より人通りの多い場所ではないとはいえ男は左右に立ち並ぶ木々に身を隠すこともせず、ただ道の只中に立ち、じっと一点、少し離れた先にある建物を見ている。
だが、仮に誰かがここを通ったとしても男の存在には気が付くことはないのだ。
この男はそういう存在であった。
ふと、男は懐に手を伸ばすと小さな機械を取り出し耳に近づけた。
「D4だ」
短くそれだけを告げる男。
小型の通信機のようではあるが携帯電話のような画面はない、端からはただの黒い鉄の塊としか思えない。
「監視は続けている。ああ、あれ以降もだ」
淡々とただ問いにだけ答える。
その口調には友人との会話のような気楽さも、仕事の報告をするような気真面目さといったものもない。
文字通り、事実をただ述べているだけの機械の如くである。
「監視を続けろというのが指示だ。生き延びた理由など知らん。・・・下らん。それについても私は知らない。お前はお前の為すべきを為せ、S19」
そうして会話は終わったのか、男はその機械らしきものを懐に戻すとまた視線を前方の建物に向ける。
別に建物で何が起きているでもないが、男はそれを見続けている。
ただ監視せよと指示を受けたからそれを続けているだけであり彼自身それに疑問も不満もない。
為すべきを為す、それだけが男の行動目的であった。
しかし
生き延びた理由など知らん
これは先ほどの会話においてこの石の男が唯一語らなかった彼だけが知ることだ。
否、まだ男自身確信があるわけではなく報告をするのはその事実関係を確かめてからでも遅くはない
と、そう考えていた。
頭を握りつぶそうとして、そうできなかった己の右手の感触を思い出しながら男は一人静かに思考を巡らせていた。
*
家には誰もいなかった。
時刻は昼を少し回ったところ。
研究所に行って、色々なことがあったが予定よりもかなり早く帰ってきてしまった。
姉は休日はどこかで占いの仕事をしているのでいないことはわかっていたが母は買い物だろうか。
静かな居間で僕は沈み込むようにソファーに寝転がりぼんやりと何を考えるでもなく天井を見上げる
苗間は僕を家の前まで送るとそのまま戻っていった。
“じゃあ、また”と最後に向けてくれた笑顔と言葉には彼女の優しさを感じた。
頭に触れる。
謎の男によって締め付けられた頭だが特に血も出ていない。
大した怪我もなかったのは幸いであるが、まだ僅かに鈍い痛みが残る。
その痛みが先ほどまでの出来事が現実であったことを嫌でも思い出させる。
数時間の間に起きた出来事が多すぎて、頭と体に力が入らない。
しかしそれが何に由来することなのか自分でもわからない。
語られた事実と、
告げられた別れと、
突然の襲撃と、
一体どれが僕の心に衝撃を与えたのだろうか。
「・・・」
僕を襲った男の正体も、その目的も分からない。
しかし苗間はもう心配はないと言っていた。
埜亜と苗間はもう会わないほうがいいと言っていた。
しかしそれは僕を巻き込まないためだ。
埜亜は星を落とすという自身の力が制御できないと言っていた。
「・・・」
明確に語られた「死」の可能性。
彼女はそれを否定しなかった。
しかし絶望に嘆くことも、無気力に諦観していたわけでもない。
そんな人間は他人を巻き込むかなど心配したりはしないのだ。
きっとその姿が、
僕の中に最も深く残っているのだ。
しかし思考は堂々巡りだ。
何とかしたい、と思っていないわけではないが、僕にできることなどありはしない。
だとすればこの感情はただの安っぽい同情のような気がして、自己嫌悪に陥りそうになるが、そうした自分を責める感情すらも自己中心的なもののようでそれが嫌になる。
自分にできないとわかっていることに頭を悩ませているふりをしているのを自分自身で気づいているのだ。
「くそっ」
肉体も精神も疲れてしまったのか、
僕の意識は少しずつ微睡へと落ちていった。
*
夢を見た
空を流れていく星を見る夢を見た
*
物音に意識が呼び戻される。
寝ぼけた眼にいつの間にかついていたテレビの映像を飛びこむ
「あっ起きた?」
同じくまだ寝ぼけている耳が声を捉える。
「あれ、姉さん?」
僕の目線の高さに姉の頭がある。
ソファーに横になったまま眠りにつき、姉は床に座っているのだと理解するのに少し時間がかかった。
「おはよ、もういつから寝てたの?」
姉はまだ寝ぼけている僕の足をぐっと折りたたみソファーにスペースを作るとそこに座る。
もぞもぞと体を起こす。
姉がいるということは
「あれ?」
時計を見るともう夕方という時刻となっていた。
どうやらかなり眠っていたらしい。
夕食を作っている母の気配もするがまったく気が付かなかった。
「若いのに一日中寝ちゃってもう」
「一日中じゃないよ」
朝は先に姉が出かけていたので僕がどうしていたかは知らないのだろう。
しかし別に今日のことを話そうという気にはなれない。
というよりも出かける度に怪我をしたり襲われたりなどと話をしたら大騒ぎになるだろう。
なのであえて何も言わないでいたのだが、
「ひょっとして研究所でも行ってたの?」
「え?」
姉のその言葉に思わずドキリとする。
「また変な顔してるよ。この前もこんなことあったじゃない」
姉の言う変な顔、というのはよくわからない。
姉の視線はテレビに向いていて、僕のことをまじまじと見ていたとは思わなかったがそれでも僕の様子が変だとわかるような顔をしていたのだろうか。
それとも姉の勘の鋭さの為せることか。
姉の言葉に僕は何も返せない。
言われてみれば確かについこの前もこんなことがあった気がする。
あの場所へ行って、彼女と出会って、帰って、姉と話をして
一週間ほどの前のことだがまるで変わらずに同じことを繰り返しているようで何だがおかしかった。
しかし今日違うのはもう夜になっても彼女と出会うことはないということだ。
そう思うと胸が少し締め付けられるようでもあり、頭のモヤが少し晴れたようでもあった。
ああ、簡単なことだ。
僕を悩ませていたことはこんなにも簡単なことだった。
結局のところ僕はもう2度と埜亜と会えないということが寂しかっただけなのだ。




