⑥死神
佳久さんが死んだと聞かされたのは、彼女と会った翌々日の月曜日だった。朝登校するなり、担任教師から彼女の死を知らされた。
伊達眼鏡の奥にある俺の瞳から、涙は出なかった。
現実味がなかったし、悲しむ暇もなかった。
夜、クラス全員で葬儀会館を訪れ通夜を終え帰宅すると、警察が家に来た。俺は正直に「土曜日は10時30分から19時40分まで彼女の家で二人で遊んでいました」と証言した。すると彼らは俺を近くの喫茶店に誘った。俺はそこで当日の様子を話さなければならなかった。30分程度、彼らと話す。疲れ果てて寝て、翌日はやはりクラス全員で葬式に参加し、その帰り道にまた警察に呼ばれて今度はさらに詳しく当日の自分の行動、彼女の行動、その他諸々の状況を説明した。警察と話してもあちら側の情報は何も教えてもらえなかった。ただ彼女が死んだのは俺と会った日の夜で、死体を発見したのは、夜遅くに帰ってきた彼女の両親らしいことは分かった。やはり疲れ果てた俺はまた眠った。
彼女の死んだ夜から、四日後。
彼女は何者かに殺されたらしい、とクラス中で噂になった。しかも腕が切断されていて、これは殺人狂のしわざだと騒ぎだてるクラスメイトもいた。
彼女を侮辱されたようで腹を立てた俺は、そのクラスメイト、牛嶋数田を叱った。
「ごめんよ純一。俺も面白がってたわけじゃなくて。ただ衝撃的だったから、誰かに言わずにはいられなかったんだよ」
「どうせただの噂だ。この田舎で殺人事件が起きるはずもない」
だったらなぜ警察はあんなに熱心に俺の話を聞きに来たのだろう。と、自分で言いながら違和感を意識する。
「いやそれがさ、本当らしいんだよ。佳久さんの母親と俺の母さんは昔から仲が良くてさ。昨日の夜、葬儀が終わったらわざわざ俺の家へ挨拶に来たんだけど」
葬儀で疲れていただろうに、まだやるべきことが大量にあるだろうに、牛嶋の母と佳久さんの母はよほど仲が良いらしい。
「そこで聞いちゃったんだよ。娘は誰かに殺されて、しかも腕が切断されていたんだって」
彼女の死因は伏せられている。それが両親の意向なのか警察の意向なのかは分からないが、牛嶋の話が真実なら、伏せるのも無理のないことだと思う。
「まさかこんな田舎で、そんな事件が起きるなんて、俺も浮き足立っちゃってさ。ごめん、お前の気持ちも知らないで」
「いや俺の気持ちどうこうより、不確定情報で他人の死を面白がるのは不謹慎だ」
「……そうだな。でもさ」
そこで昼休み終了5分前のチャイムが鳴った。
「でも純一さ、なんかドライだよな。好きな人が死んだのに」
「別に。付き合っていたわけでもないから」
「無関心と言うか薄情だよ、お前の態度は…駄目だ、ごめん。俺も昔からの友人が亡くなっておかしくなってるんだ。忘れてくれ」
牛嶋にも友人の死を悼む心があるのだな、と俺は変に感心した。
そして俺は内心ほくそ笑んだ。そうか、牛嶋の目にも、俺は薄情な友人に映るのか。
ならこの態度で正解なのだ。犯人に、そして警察に、この復讐に燃える心を隠すために。
殺人ではないかと、俺は最初から疑っていた。俺の知る限り、彼女は特殊な病気があったわけでもないし、自殺もなさそうだ。事故死の可能性はあるが、ならば担任教師が彼女の死をクラスに伝えた時「事故で亡くなった」と言うはずだ。死因を伏せる意味がない。
そして今の牛嶋の言葉。もはや、彼女は殺されたと断定できるだろう。
今の日本は、人一人を殺しても罪人は殺されない。死ぬまで監獄ですらない。一人殺した程度の罪は償える。ある程度の罰を受ければ許される。それが現状のシステムだ。
俺は許さない。
彼女を殺した何者かを、俺は許さない。俺は普通の高校生ではない。俺には『能力』がある。犯人さえ特定できれば、長々とした裁判やそこに至るまでの警察の必死の捜査すら必要なく、直ちに罰を与えられる。
死という罰を。自分の手すら汚さず。
「佳久治華を殺した犯人を、殺せ」
その日の夜、俺は風呂場で、湯に写る自分自身の瞳を見ながら、そう命令した。鏡は人工物なので無効だが、水ならば反射できる。
彼女を殺した犯人が分からない現状、まだ『能力』の効果は発揮されないが、その者を見つけたとき、俺は確実に犯人を殺せるだろう。
―怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない―ニーチェの言葉が頭をよぎった。
しかし犯人を特定した瞬間、俺は犯人に命じるのだ。
―死ねと。
次の日の朝、俺は学校を休み朝早く佳久家を訪問した。突然の訪問に、彼女の両親は困惑していたが、佳久さんとの関係を説明した上で伊達眼鏡をはずし「親切にしてくれ」と『能力』を発動。話をしてくれることとなった。とはいえ父親は仕事で通勤してしまい、専業主婦の母親、佳久綾さんだけが家に残った。
居間に通された俺は、用意された座布団に座る。木製の大きな机を挟んで反対側に、綾さんが座った。
この度はお悔やみ申し上げますとかご愁傷様ですとかなんとか挨拶を済ませると、俺は早速事件についての質問に移った。
「治華さんの事件について教えてください。
まず、亡くなったときの、綾さんたちの行動から教えてください」
綾さんは佳久さん…以下治華さんほど痩せてはおらず、また肌もそれほど白くはないが、すらっとした印象で長い黒髪が綺麗な婦人だった。
「はい。私と夫の友生は土曜日の朝から二人で隣町のフラワーフェスティバルに行っておりました。レストランで夕食を終え、それから主人の趣味のカラオケに付き合って、この家に帰ってきたのは25時5分ぐらい、つまり、翌日の朝1時ぐらいだったと思います」
俺が彼女の家を出てから5時間25分後だ。
「玄関を入って『ただいま』と中に声をかけたんですけど、返事はありませんでした。あの子は夜が苦手で、21時ぐらいになったら寝てしまうことも間々あるので、もう寝たんだな、と思いました。
ただ夜遊びしていたら困りますから、念のため、あの子の部屋に行ってみると…ああ、あんな、あんな」
綾さんは両手で顔を覆った。
「大量の血が絨毯や布団にしみこんでいました。あ、あの子の右腕から流れた血なのです。あの子の右腕の、切断面から流れた血が、大量に…お、おそろしい、おぞましい光景でした。それで、私と夫は救急車と警察に連絡を」
牛嶋の情報は真実だったらしい。彼女は右腕を切断されていた。
「右腕はどこから切断されていましたか?」
「私は怖くて詳細には見られませんでしたが。警察の話を聞くと、肘から先がなかったようです」
「その右腕はどこに行ったのでしょうか?」
「わ、分かりませんそんなこと。まだ警察も見つけていないようですから、犯人が持ち去ったのでしょう!なんと残酷な…」
「どうやって切断したか、分かりますか?」
「…あの子の部屋に、血だらけの鋸が落ちていたそうです。主人が日曜大工で使う鋸で、縁側の辺りに立てかけておいたはずですが。犯人はそれを切断に使用した、と警察は見ているのでしょう」
俺はあの日の縁側を思い出そうと努力した。確かに、縁側の端にそんな道具が置かれていた記憶がある。
「では死因、というか死の原因は、右腕切断によるものですか?」
「それが、違うんです!警察の方に教えてもらったのですが、どうやら毒殺のようなのです!」
「毒殺?何の毒ですか?」
「それは教えてもらえませんでしたが、ただ警察もまだ、誰が、どうやってあの子を毒殺したのか、分かっていないそうです。
ただ私としては、睡眠薬ぐらいしか疑う点がないと…」
「彼女は睡眠薬を服用していたんですか?」
「はい。あの子は元々神経質な性格で、二ヶ月前に奨励会を退会したこともあってか、凄くストレスを貯めていたそうです。だから、お医者さんに言って、睡眠薬を処方してもらっていました」
「睡眠薬を毒に入れ替え、飲ませた。と綾さんは考えておられるのですね?」
「はい。毒を盛ることができるのは、そこぐらいかと。あの子は食が細くて、夜はほとんど食べませんし、そもそも食事や食器に何か毒が仕込まれていたら、食堂で倒れているはずでしょう?でもあの子は布団を敷いて寝ておりました。また警察によると、あの子の部屋のどこからも毒を検出できなかったそうですし」
「食堂で殺してから、死体を彼女の部屋に移動させ、布団を敷いて寝かせた、という方法もあるのでは?」
俺の意見に、綾さんは俯いてしまった。反論が出てこないのではなく、何か言いにくいことを我慢しているような様子だ。
「実は、それは考えにくいんですよ」
「なぜですか?」
「純一さんもご存知の通り、この家の周辺の道は、いずれもアスファルトで塗装されておりません。
だから、何者かが近付いたら足跡やそれに類する跡が残るはずだ、と警察は言うのです。
しかし、現場周辺の人の足跡は、私たち夫婦、娘の治華に、そしてもう一人のものしかなかったのです。純一さんの話を聞く限り、その『もう一人の足跡』はおそらく純一さんの足跡なのでしょう。
つまりあの夜、佳久家に忍び込めたのは、今言った四人しかいないのです!」
昨日、警察に俺の靴を貸したことを思い出した。そんな事実があるならば、もしかしたら俺はかなり有力な容疑者と見られているのかもしれない。
事件当夜、現場に近付いた人は四人しかいなかった。毒を仕込むだけなら数日前に忍び込んで薬の袋の束に毒薬の袋を紛れこませればいいが、遺体の移動は、事件当夜に忍び込まなくては不可能だ。
「ですが綾さん。仮に睡眠薬に毒を仕込み、彼女を殺害したとします。ここまでは分かりますが。
犯人は腕を切断して持ち去ったのでしょう?ならば結局、犯人は佳久家に侵入しなくてはなりません」
「それはそうですが…例えば何か機械を使用して、遠距離から腕を切断した、と考えればどうでしょう?鋸は、その、ただのフェイクで」
綾さんの説はあり得るだろうか?そもそも強力な機械を操れるのなら、遺体の移動もその機械でやればいい理屈になるが。いやそもそもを言うなら、遠隔操作で人の腕を切断して自力で現場から逃げられる便利な機械があるのなら、毒殺する意味もないだろう。この可能性は消していい。
しかし当然ながら、俺は彼女を毒殺なんてしていないはずだし、彼女の両親も考えにくい。両親は常に二人で行動していただろうから、両親二人が協力して娘を殺す必要があるが、佳久家に詳しい両親なら、例えば事故を装うとか、二人で協力してアリバイを作るとか、もっと気の利いたトリックを使用できそうだ。
毒殺だけを考えるなら自殺の可能性もある。しかし自分の腕を切断。そして持ち去るなんて。まさかできるとは思えない。
その後、俺は事件現場である治華さんの自室へ案内してもらった。彼女の自室は俺と対局を繰り広げた和室の隣にある六畳ほどの部屋だった。ここは畳ではなく絨毯が引いてあり、そこにはべったりと濃い血の跡が残っていた。
「布団を敷いて、その上で亡くなっていたんですね?」
「はい。北に枕を向けて(あの子は北枕は気にしませんから)、入り口から見て横向き。仰向けで寝かされていました。また、あの子は暑がりで、最近はタオルケットもかけませんから…」
ということは、扉を入ってすぐ、肘から先が存在しない血染めの右腕が目に入ることとなる。さぞや恐ろしかったろう。
「ところで、綾さんと友生さんが帰ったとき、玄関の鍵はかかっていましたか?」
「はい。かかっていました。だから玄関から忍び込んだ可能性はないのですが。
ただ、田舎ですから。玄関は閉めてありましたが、あの子の部屋には鍵はかかりません。それどころかあの子は閉所恐怖症気味でして。いつも自室の扉と縁側の窓を少し開けて寝てしまうんです。それが、いけなかったのかもしれません」
綾さんは後悔を隠しきれずに、涙をこぼした。
犯人候補は限られている。足跡の問題から、現場に近付いた人は被害者を含めて四人。その誰もが、おそらくは彼女を殺すはずのない者。
それに足跡の問題はひとまず棚上げするにしても、動機はどうなる。
彼女と俺はクラスメイトの関係でしかない。しかしながら、少なくとも学内で、彼女を殺したいほど憎んでいる奴に心あたりはない。学校以外、例えば将棋関係は知らないが、しかし彼女は奨励会を退会している。つまりプロ棋士になるのを諦めたわけだから、ライバルを減らすため、なんて動機はおかしいし、そもそもわざわざこんな田舎まで追いかけて殺すなんて・・・そうだ、ここは田舎。例えば「太陽がまぶしかったから」なんて理由で犯罪を犯すやつがこの田舎に存在するだろうか?狂った殺人鬼が彼女を狙った可能性は、ほぼゼロと考えて差し支えないだろう。
誰が、なぜ、彼女を殺したのか。
俺は疑問を解消できないまま帰路についた。
自宅に帰り、食事を終え自室のベッドに腰掛け、延々事件の検討をするも何も進展せず、そろそろ寝るかと伊達眼鏡に手をかけた瞬間。
悪夢の如き可能性が頭に浮かんだ。