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②将棋

 将棋道場に入ると、昔なじみの席主のオヤジに軽く挨拶して、道場右奥の扉を開いた。

 ほこりっぽい臭いが広がるその部屋には会議で使うような長机とパイプ椅子がずらりと並べてあり、机の上には将棋盤が置かれている。

 パイプ椅子は10脚用意されているが、今使われているのは部屋の奥にある長机を挟んで向かい合ったニ脚だけであり、客もまたその二人しかいなかった。

「おいにーちゃん。スケットが来たみたいやで」

 二人のうち、丸々太り禿げた中年男性が、入室した俺に気付いた。中年男性の声に反応して、向かい合って座っている若者も俺の方を振り向いた。

 若者の表情は曇りに曇っており、顔中からだらだらと汗を流している。

 俺は彼らに近付いて、その二人の間に挟まれた将棋盤の盤面を確認した。

「金は?」

「10万や」

 中年がにやつきながら答える。若者は座ったまま不安を抑えられない様子で、俺と盤と中年をきょろきょろと盗み見ている。

「じゃあまず、多島さん、だったかな」

「…はい」

 俺は若者の肩に、ぽんと手を置いた。

「依頼料一万でどうだ?」

 俺の提案に、若者は目を輝かせ、急いで鞄から財布を出し一万円を引っ張り出すと、こちらへ突き出した。受け取ると、彼は逃げるようにこの部屋から出て行く。

 その様子を、中年は怪しげに眺めていた。

「おい兄ちゃん。途中から対局者交代なんて、本来ならルール違反や。10万のまま引き継ぐなんて許されへんど。

 とはいえ局面は終盤や。兄ちゃん若うてかわいそうやから二倍にまけたるわ」

「似非関西弁はしらけるから止めないか?」

 俺は右手を広げて中年に示す。

「本来の賭け金の5倍でいいだろう。不満か?」

「5倍言うたら…いや5倍って言ったら、おい兄ちゃん。50万になっちまうぜ?」

「こちらはそれでかまわないよ。お前が勝ったら50万。俺は10万」

 中年は笑い出した。

「兄ちゃん…兄ちゃんそれは馬鹿だぜ!代指しって云うからどんな化物がやってくるかと思ったら、現局面でどっちが勝ちかも分からん奴が来るとは…しかもどっちが手番かも聞かずに自信満々に…お前本当に玄人か?こりゃボロイぜ」

 笑い続ける中年。俺もまた微笑みながら、スマートフォンを取り出しある人物に連絡を取ると、先程まで若者が座っていたパイプ椅子に腰を下ろし、中年と向かい合った。

「で、その条件でいいんだな?ならさっそく指そうか?手番はこちらみたいだが」

「それがなあ兄ちゃん。この後手勝勢の局面で、しかも手番はこっちだ。酷いだろ?でももう戻れねえからな」

 中年は自信満々に盤上の駒を掴み、駒音高くそれを盤に叩きつけた。


 ここ日本では当然ながら賭博は禁止されている。しかし将棋と賭けとは切っても切れない縁で、賭け将棋を仕掛ける客…いわゆる真剣師はいまだに存在する。

 特にこの道場では賭け将棋が半ば公認されており、道場奥の扉から入室できるこの部屋は、賭け将棋専用の対局場となっている。田舎だから許されているのかもしれない。

 俺は高校生ながらこの道場に入り浸り、賭け将棋を繰り返すばかりか、賭け将棋を途中から引き継ぐ、代指し行為も行っている。道場主公認で賭け将棋を行える場所などほとんどないから、興味本位で訪れる人も多く、そして歴戦の真剣師にカモられるのだ。

 俺はその真剣師をまたカモる。賭け将棋を指す者にとって、最も煩わしく面倒なのが対局相手を見つけることなのだが、代指しはそこを気にしなくていいから好みだ。

 とはいえ、確かに現局面は酷かった。俺の実力はアマ名人に勝率3割といったところだが、現局面の形勢は後手勝勢=中年勝勢。後手の角行(かくぎょう)による玉将(ぎょくしょう)のコビン(玉の左右斜め上のこと)攻めが既に受からない。「これなら飛車落ちで初手から指し直した方がマシ」な形勢である。

 そして目の前に座る中年の棋力はおそらくアマ五段程度。最低でも四段。下手したら六段、アマ名人クラスの可能性もあるだろう。「局面を見れば誰が指したか分かります」というのは実は半分お伽話なのだが、それでも局面から指し手の実力を測ることは可能だ(と言いながら、対局者名を伏せたトッププロの棋譜を見て「これは奨励会員の棋譜ですか?」と発言したプロ棋士もいるのだが。それは置いておこう)。そもそも10万もの大金を賭ける将棋指しが弱いはずがない。

 しかし俺には秘策があった。

 俺は一手指すと、軽さに拘った伊達眼鏡を外して盤の脇に置き、中年の目を見た。

「すまん。この賭け将棋、負けてくれ」

 言ってから、ボイスレコーダーのスイッチを入れる。

 中年は、一瞬戸惑った後、素直に頭を垂れた。

「分かったよ。負けました」

 そして中年は自らの敗北の証しとしてポケットから現金10万円を取り出し、俺はそれを素早く引ったくった。

「ありがとうございました」

「ああまた…ん?あれ?」

 中年は我に返ったようにはっとして、自分のポケットを探る。そこに用意されていた10万円は既に俺がいただいた。

「お、おい!お前、俺の金をすりやがったな!将棋で決着つけねえで」

「ふん。ちゃんと賭け金を用意していたのは褒めてやろう。

 しかし卑怯者呼ばわりは心外だな。こちらは既にお前の敗北を聞いた」

 俺はボイスレコーダーを操作し、数秒前中年が言った『負けました』を再生した。

「ほら。お前は敗北を認め、そして俺が金をいただいた。何もおかしい点はない」

「ば、馬鹿な。だいたい、この局面を見ろ!ここで俺が投了しただって?そんなことはありえない!角行(かく)歩兵()のコビン攻めに駒割りはこっちの金将(きん)桂馬(けー)(どく)王将(おーさま)も鉄壁!後手勝勢だろうが!」

「知るか。将棋というゲームは、投了が全てにおいて優先される。実際、勝勢の局面で投了したプロ棋士もいるし。

  後、駒の呼び方はきちんとな。俺も直したんだから」

「うるせえうるせえ!とにかくこんな局面で俺が投了するわけねえんだよ!」

「文句は受け付けない。このボイスレコーダーの声は確かにお前のものだ。覚えがないなら、道場主のオヤジに言って監視カメラを確かめてみるか?お前が頭を下げて投了の意思表示をし、さらに自分から俺に金を差し出す姿が見られるぞ」

「…インチキだ!これはインチキだ!催眠術か何か使いやがったな?」

「催眠術は心を許した人でないと使えないよ。そのためには予備催眠を」

「しらばっくれるな!このガキが!」

 中年は俺に掴みかかってきた。が、そこでこの道場の主=オヤジが扉を開けて飛んできた。

 トラブルが予想されたので、あらかしめ対局前にオヤジへ連絡を取っておいたのだ。おそらく対局場の扉の前で様子を伺っていたであろう彼は、中年と俺の間に割って入り、そのたくましい肉体をもって、俺にしがみつく中年を引き剥がした。

「止めないか。あんた負けたんだろう?みっともない。

 まあ10万は可哀想だから。純一、5万にまけてやれ」

 昔馴染みのオヤジにそう頼まれては断れない。俺はしぶしぶ五枚の福沢諭吉を中年に投げつけた。が、中年の怒りは収まるどころかますます加速したらしく、顔面が茹蛸のように赤く赤く染まる。しかしたくましいオヤジに立ち向かっては返り討ちにあうと予想できたのだろう。手は出せずにいた。

 俺たちが数秒睨み合っていると、不意に、対局場の扉が開いた。

 身を屈めながら入室してきたのは、2mはあろうかという金髪サングラスの外国人だった。でかい。とにかくでかい。オヤジは「たくましい肉体」だが、この外国人は「筋骨隆々」。

「よしっギャラードよく来た!こういう場合に備えてお前を呼んでおいた甲斐があったぜ!

 いいかギャラード。このひょろい学生と席主はな、俺を嵌めやがったんだ。だから多少手荒でも構わん。この二人をぶっ飛ばして金を巻き上げろ!」

 中年の言葉に、ギャラードと呼ばれた外国人は特に反応を示さずポカンと突っ立っている。その様子に、中年は地団太を踏んだ。

「ああ面倒クセエ!お前日本語からっきしだったな…えーっとだから、こうか。××××××」

 中年の言葉にやっと外国人は反応して。

「×××××…××××!×××!」

 と言葉を返した。英語を話しているということは分かるのだが、俺及び筆者は英語が駄目なのでこういう表現になってしまうごめんなさい。

 とにかく、外国人は中年の言葉を理解したらしく、肩を怒らせながらずんずんと俺達の方へ近付いてきた。でかい。それにシャツを押し上げる筋肉も力強い。俺は勿論オヤジですら、戦う前から勝てる気がしなかった。

 だが、俺には切り札がある。

 俺は隙を見て外国人に突っ込んだ。当然非力な俺は片手で軽々と弾き飛ばされ、尻餅をついてしまう。

 しかし彼のサングラスを取ることに成功した。

 俺は彼の瞳を睨んだ。

「このデブハゲチビ中年を連れて県外へ出て行け」

 俺の言葉を聞いて、外国人はピタリと立ち止まった。

 そして再びこちらに向かって歩き出したが、俺とオヤジには目もくれず中年の腕を取ると、その腕を強引に引っ張って、対局場の出口へと向かった。

「おい馬鹿!俺を連れてってどうする!あいつらをぶっ殺すんだよ。おいっ×××!」

 中年が何を言っても外国人は一切言うことを聞かず、また中年の抵抗にも一切構わず、彼らは対局場を出て、また道場も出ていった。俺とオヤジは彼らの行き先を見届けようと、彼らの後から道場の玄関を通り外の歩道へ出た。外国人は中年を引っ張りながら、道場前の歩道を延々歩き続け、そしてここからでは見えないほど、どこか遠くへ行ってしまった。

 もう戻って来ないであろうことを確認した俺とオヤジは、道場へ入り奥の対局場へ戻って、出しっぱなしになっている盤と駒を片付け始めた。

「相変わらずヤバイな。お前の催眠術は」

 片付けながら、オヤジは呆れたように言った。

「でも、こんな騒動は止めてくれよ。代指しはいいが、変な術はなるべく使うな」

「分かったよ」

 俺もオヤジの横に並び、駒を駒箱へ戻す。

「しかしそんな催眠術が使えるなら、世の中楽勝だろうな。金も女もやりたい放題」

 オヤジは俺を覗き込みながら言う。俺はその小さい目を見ながら、悪戯っぽく微笑んだ。

「そうでもないさ。色々苦労もある」

「苦労ねえ。ああ、お前まだ、あの子に告白してないんだってな。馬鹿だなあ。さっさとその催眠術でオトせばいいのに」

「黙れ。俺の勝手だろ」

「あーあ。そんな能力があれば、こんなアングラ商売やらなくてもいいのにな」

「そんなこと思ってないくせに。賭け将棋ほど楽しい遊戯はない、そうだろ?」

 オヤジは、そうだなと言って俺の手の中にある1万円札をじろじろと見た。俺は苦笑して、その内の二枚をオヤジに渡す。これで今日の稼ぎは1+10-5-2=4万。しかし良い退屈しのぎになったと思い、俺は再び伊達眼鏡をかけて道場を去った。

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