辛さと寂しさと
この物語は完全なフィクションです。
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その日の夜8時頃に謙治は帰って来た。
その手には小さな白い箱を持っていた。その箱の中にはチョコレートケーキと桃のショートケーキが入っていた。朝に約束したことを覚えていて買ってきてくれたみたいだ。
「ご飯食べたあと一緒に食べよう。」
そう言って謙治は微笑んでいた。
晩御飯を一緒に食べてその日は少し早めに寝れた。
その日から私は少しずつに良くなり出した。
病院に行くと「今日は調子がいいですね。」と言ってもらえる事が少しずつだが増えてきていた。 体の調子も徐々に楽になってきていると思う。
前の時よりだいぶよくなった。もう一度会社に出てみよう。そう私は決心した。
会社に出るのは3ヶ月ぶりになるんだろうか。会社に行くと上司から部署の移動を言い渡された。その場所は前にいってた部署での仕事よりももっと簡単な仕事になっていたし、終わる時間も少し早く終われるようにしてもらえた。
帰ったらあいつのご飯も食べられる。あいつもいてくれる。前に比べたらだいぶ落ち着いてやっていけるとそう思った。
会社に出るようになって2週間がたとうとしていた日、私はお昼が少し遅くなって一人食堂へと向かっていた。その道中の角にある喫煙所で話し声が聞こえてきた。
「あの最近こっちに移動になった人いるじゃないですか。」
私の事…?
「いいですよねあの人。遅くに入ることもできて早く帰れるし、最近までずっと休んでたんですよね?なんかの病気かなんかだったんですか?」
「なんか鬱とかだったらしいよ。それでこっちの方に移動になったんだって。」
「鬱って心の病気ってやつですよね。それ精神が弱いからそんな事なるんじゃないんですか?そういう人ってなんか自分が一番辛いとか思ってそう。」
それはよく助けてくれる先輩と後輩の2人だった。
「本人の前で絶対に言っちゃダメよ。また鬱になって私たちのせいになっちゃうから」
「でも私達も辛いのは一緒なのになんなんでしょうね。」
「きっと発散する相手とかいなかったんでしょ。ほら、あの人一人でいること多いし。」
「でも仕事も休めて早く帰れてっていいですよね~私もそんな風になってみたいですよ。みんなからもちやほやされるし。」
「確かにね。」
二人はそのまま私に気付かないまま喫煙所を後にする。
つい1時間前位にはにこにこしながら私の事を助けてくれた人が私の知らないところであんな風に言っているのを知ってしまった。
それは私の心を砕くには十分すぎるものだった。
なんにも知らないくせに…私の辛さなんてなんにもわかんないくせに…
私は会社から逃げるように走り出た。
その日の午後の仕事を無断で投げ出したのだ。
頑張って働いてもその裏であんなことを言われている。逃げ出したいまでも何か言われるだろう。もうどうしていいかわからない。
あそこにいる人で私の事を理解してくれている人なんていなかった。
誰に頼ればいい。辞めたいけど辞めたときにも何か言われるかもしれない。
辛い。辛い。辛い。
気が付くと家の玄関についていた。
勢いよく扉を開き自室に飛び込もうとした時、リビングから驚いた顔をした謙治がこちらに歩いてきた。
「急にどうしたんだよ。そんなに大きな音たてて。」
「うるさい‼どうせお前だってあいつらみたいにずっと休んでばっかだとか精神が弱いとか自己中だって思ってるんだろ‼」
それは紛れもない八つ当たりだった。ただ、1度出たものを止める事は出来なかった。
「表ではにこにこしててもどうせ私がいないときにはめんどくさい女だって言ってるんだろ‼なんとか言ったらどうなんだよ‼」
口調は荒く、ほとんど叫び声だった。
謙治は静かに私に近づいてくる。
「来んなよ‼近寄るな‼お前だってお前だって…」
謙治の胸元を叩きながら言っているのがだんだん辛くなってくる。
「う…うぅぅ………」
泣きながらその場に座り込んだ私に謙治は優しく抱き寄せながら何も言わずに背中をさすってくれた。そのまま少しの時間がたったとき私の携帯に電話がかかってきた。
会社の上司からだった。
何を言われるんだろう。もう向こうに戻りたくない。いっそ関わらないでほしい。
携帯をきるボタンを押そうとしたとき、謙治が私の携帯を横から取って電話に出た。
「もしもし、静浦さんの携帯電話でしょうか?お昼以降こちらにいられないみたいなのですがいまどちらにいますか?」
私は手で耳を塞いでうずくまる。
「今家に帰ってきてますが」
「失礼ですが静浦さんに変わっていただけますか?」
「彩希が今どういった状態なのか理解していますか?」
「理解はしているつもりです。しかしそれでも急にいなくなるのではなく理由を言っていただかないと」
「病気の事をいってるんじゃない‼今‼彩希は泣いてここまで戻ってきてるんだよ‼その状態を分かってるのかって聞いてんだ‼」
激しい怒りに満ちた怒声が響き渡った。
「そっちで何があったかは分からない。ただ理解しているって言ってたがどうしてこんなになって帰って来た?その理由が分かってるのか?」
「それは…」
「彩希はなちょっとでも前に進むため色々頑張ろうと努力してるんだよ‼病気と、自分自身と戦いながら‼理解してやってるなら貴方だけでも支えてやってくれよ‼」
怒声は徐々に悲痛な願いへと変わっていく。
「…申し訳ありません。こちらでもなあにがあったか調べさせていただきます。」
「こちらこそすみませんでした…。」
「遅くなって失礼ですが静浦さんのご家族の方でしょうか?」
「俺は彩希のーーー」
そうして会話の全てを聞いたわけではないがその日の午後は休むことになった。
私自身ももうあそこに戻るのが怖くなり実家に帰る事になった。
その後日、上司からの謝罪文とお詫びの品のようなものが送られてきた。その謝罪文の中にもし退職することになるならばその旨を郵送で知らせてほしいと書いてあった。上司の気遣いなんだろう。
帰省の準備には2日かかった。準備には謙治も手伝ってくれ、ある程度早く終わったがそれでも夜までかかってしまった。
「明日から私こっちにいないけど、謙治は…」
どうするの?そう聞いてしまいそうになるのを無意識に止める。
「俺も帰るよ。もともと実家に帰ってあっちで働くって母さんと話して決まってたから。ただ俺が帰るのは1ヶ月位先になるけどな。」
1ヶ月…
今までなんにも思わなかったけどそう聞くと長く感じてしまう。
「そんな顔すんなよ。1ヶ月位すぐだ。そっちに戻っても連絡するし俺が戻ったら色々話してやるよ。」
私の頭を撫でながら謙治は笑いながら言ってきた。
「別に寂しくないし、お母さんだっているし…」
精一杯の強がり。たぶんあいつはそれも分かってるんだろう。
「約束は…守ってよ。」
「無茶せずしっかり寝る、だよな。覚えてるから安心しろ。」
「ん…」
「じゃあそろそろ寝るか。明日出発だしちゃんと寝とけよ。」
今日で当分会えなくなる。そっか…会えないんだ…。
私の部屋まで一緒に来てくれた謙治の背中が離れていく。一歩、また一歩と。
気が付くと私は謙治の服を握っていた。
完全な無意識。
振り返った謙治の「どした?」と言う声で我にかえる。
どうしよう。どうしたい。今日で会えなくなる。もっと一緒にいたい。
数秒間沈黙したあと、
「今日は………側に…いて」
かすれた声で謙治に言った。恥ずかしさからどうにかなってしまいそうになる。言わなきゃ良かった。茶化される。
ぐっと覚悟を決めて身構える。
しかし、帰って来た返答は茶化すこともなく、落ち着いた声で「いいよ。側にいてやる。」と言ってきた。
なんだよ…余計に恥ずかしいじゃんか…
真っ赤な顔を髪の毛で必死に隠そうとしながらその日初めて一緒の部屋で夜を過ごした。
その日は今までで一番落ち着いて寝れたと思う。こんなことならもっと前から一緒にいたら良かったな。
ほんとにもっと前から…