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旅路の果て  作者: K.T
4/5

 片山の住まいは、高田馬場から外れた先。ハイツ高見という名前だけは立派な築三十年を越える木造おんぼろアパートだった。


「片山さんの部屋はね、ここの二階の一番奥、東南の角部屋なんですよ」


 そう言って今、錆びの浮いた鉄階段をぎしぎしと軋ませながら有坂たちの前を先導している遠見という老人はその家主だ。あまり店子と接しない人のようで、有坂から片山の死を告げられても「はぁん、片山さんがねぇ…」としか答えなかったものだ。


「ほう、そりゃあいい所ですな」


 有坂がお世辞を言うと。


「いやいや、そんないいもんじゃあないですよ」


 そう答える遠見だが、それが謙遜ではないことは直ぐにわかった。


「うへ、すっげえぼろっちぃな…うわっ?!」


 最後尾にいる野崎が、階段を昇りきるときに思わず手を触れた壁がぼろりと崩れたのだ。そのせいで、親指大の穴が出来て壁の向こう側が見えてしまっている。


「おい野崎、何してんだ! 壊すなよ!!」


「あ、その…すみません」


「ええですええです。わしと同じで、コイツももう良い年だしねぇ」


 そう答える遠見が確かにあまり気にしてないようなのを見て、有坂はほっと胸をなでおろした。


 しかし、まさかちょっと触っただけで穴が開くとは…こんなんで人が住めるのか? そう思った有坂は早速聞いてみることにした。


「あの、住人は?」

「二階にいるだけですな」


 そういって視線を巡らす。


 二階には計三部屋、よくドラマで見るおんぼろアパートの光景を切り取ってきたかのようなたたずまいをしている。


「昔はまだ人がいたんですけどねぇ。この二軒」


 手前の二部屋の扉を細く節くれだった手で指差す。


「外人さんが入ってからは、ね」


「そうなんですか」


 遠見がこくりとうなずく。


「こう言っちゃあなんですが、十数年でこの辺は外人さんが増えてねぇ。それだけならまだいいんだけど、あの人たちはあたしらと生活パターンが違うっていうのかな。夜中に大声で騒いだり、変な匂いをさせたり、大量の人を連れ込んだり…郷に入っては、ということをせんのですよ。おかげできちんと支払ってくれる日本人が入りにくくなってしまってねぇ」


 はぁ、と嘆息する。


「それじゃあ片山さんも大変だったでしょう」


「まあ、大変でしたでしょうな」


 あまり大変じゃ無さそうに遠見は返す。ここまでの反応から察するに、どうも片山に対しこの人は良い印象を持っていなさそうだ…有坂はそう感じた。


「あの…もしかして、あまり片山さんって良い店子じゃなかったりとか?」


 同様に感じたのだろう、野崎が恐る恐る訪ねると。


「ええ、まぁ。他の、外国の人たちとは違いますけどね。けど、はっきり言っちまえば五十歩百歩です」


 遠見ははっきりそう答えた。


「何せ、家賃をよく遅らせるんでね。まあここ最近はそんなことも無かったんですが、前はとにかく一月二月遅らせることがざらでして。他が埋まってたなら、もうとっくに出て行ってもらっていたところです」


「は、はぁ…」


 片山の環境にちょっとでも踏み込んでしまった今、有坂はなんと答えて良いかわからなかった。


「さて、それじゃあ開けますよ」


「お願いします」


 合鍵が、がちゃりと音を立てて扉を開く。

 入り口からざっと見た感じ、部屋の中は思っていたより片付いていた。


「それじゃ、調べさせていただきます」


「はいはい。それじゃあわしは家に戻ってますので、調査が終わったらお手数ですが鍵を返しにきてください」


「判りました」


 鍵を受け取った有坂は早速靴を脱ぎ、部屋の中へと足を踏み入れた。


 入り口傍に小さな和式便所が付いており、その隣に薄い壁を隔ててこれまたこじんまりとした二畳ほどの流しが付いている。


 そこを突っ切り奥の部屋に入ると、流しの裏に唯一の家具大きめの作業机がおかれていた。どうやらここで食事なども摂っていたのだろう、零れて着いたと思しき染みがうっすら伺える。


 部屋の隅には安酒の空き瓶が並び、その対面には無造作に脱ぎ捨てられた服の山が襖の前まで陣取り異臭を放っている。


 バルコニーなんて洒落たものは無く、唯一正面に存在する東側の小さな窓には群青色の布切れが画鋲で無造作に止められており、照らし出して来た陽光をさえぎっている。


 そして、漏れ出た光に照らされる、部屋の中央に鎮座している煎餅布団。他にテレビやクーラーといった物は、一切無い。


 この六畳一間が、片山のすべてだった。


「あれ?」


 周囲を見渡した野崎が、しばらくしてそう呟いた。


「どうした? 家族の連絡先でもあったか?」


「あ、いえ。そういう訳じゃないんですが…」


「じゃあなんだ」


 促され、野崎は続けた。


「本が無いんですよ」


 言われて周囲を見渡してみる…確かに、本が一冊も見当たらない。


「確かに無いが…本を余り持たん奴もいるだろう? 片山もそういうタイプだったんじゃないか?」


 そういう有坂へ、野崎は頭を振って答えた。


「ありえませんよ」


「何故そう断言できる」


「漫画家だからです」


 野崎は間髪いれず答えた。


「漫画家に限らず創作活動っていうのは、色んな本が必要になるもんなんです。ポーズや風景を描く際の資料となる写真集や、物語の資料…それが一切無いなんて、まず考えられません。それに…」


「それに?」


「自分が描いた作品を、一作も残さないという作家はまずいません! …あいたっ!」


 そう言い放ち、決まったと言わんばかりの顔をする野崎に、思わず有坂は彼の額を叩いていた。


「何するんですかザカさん! ひどいですよ」


「ああいや、何。なんか無性に叩きたくなって…すまん」


 まあ野崎の主張はともかく、確かに自分の作品をまったく手元に残さないというのは考えにくいかも知れんと有坂も考え直した。


 別に作品を作るのに必要だからという考えからではない。販売された商品は見本にも使えるから、幾つかを手元に残しておくのが普通だろうと考えてのことだ。特に売れていない漫画家からすれば、ガバッチョくんのような全国紙で人気が出た作品があるなら尚のことのはず。


 そのつもりで机を調べてみたが、結局あったのは引き出しの奥に仕舞いこまれていた一冊のみだった。


「結局、机にあったのはこれだけか」


 有坂が手に持っているのは、机の上に乱雑に散らばっていた原稿用紙の底に眠っていた漫画本だった。幾度も手に取り読まれたのだろう、擦り切れてぼろぼろになっているカバーからは「片山しょう短編集『夕焼けこやけ』というタイトルが見える。


「しっかしぼろぼろだな。よほど思い入れがあるようだ」


 覗きこんだ野崎が頷いた。


「そりゃあそうでしょうね。これ、片山先生の初の単行本ですから」


「へぇ?」


「その装丁を見ると初版ですねそれ。一応僕も持ってますけど、二版なんだよなぁ」


 そういう野崎は心底残念そうだ。


「そんな、変わらんだろ」


 興味なさげに言うと、野崎は口を尖らせた。


「そりゃあ興味ない人からすればそうでしょうけどね。ファンとしては、やはり第一版のが欲しくなるんですよ」


「そういうもんかね」


「そういうもんですよ。何せ、第二版では修正された作品もあるそうですからねぇ」


「ほう? 何でまた? 元々載ってたのならそのままにしとけばいいじゃないか」


 そういう有坂に、野崎は肩をすくめて見せた。


「さぁ、そこまでは…何分、人気作家ではないのでそれ以降増刷もされてないですし、漫画業界の実情もそうそう表に出ることじゃないんで僕もそこまで詳しいことは知らないんです。あ、そうだ」


 そこまで言った野崎は、不意に声量を落とした。


「せっかくだし、ここで読んでみません?」


「あ?」


 仕事中だというにこの馬鹿は…思わず出た低い声に、慌てて野崎は両手を打ち振って弁明する。


「あ、いや、別に修正内容に興味があるからというわけじゃないですよ! ただ、片山先生のことを知る一助になるかなぁと思いまして…ここでぱーっと読んじゃいますんで、どうでしょう?」


 なるほど、小ざかしいことを考える。しばし考えて、有坂はよかろうと答え本を差し出した。


「…俺が調べている間だけだ」


 昨日本を貸してもらったこともあるし、それくらいなら良いだろうと判断してのことだ。


「やった! ありがとうございます、ザカさん!」


 野崎は満面の笑顔で本を受け取ると、時間が惜しいとばかりにそそくさと椅子へ腰掛け読みはじめた。


「さて…」


 調べるなら、まだ手をつけていない衣服の山が先決だろう。これをどかさないことには収納の中も調べられない。一先ず一番上にあるTシャツを持ち上げると、中年男性の体臭がむわっと鼻をついた。


「どうも奴さん、まとめて洗濯するタイプだったようだな」


 下着などは流しで洗っていたようだが、大きいのは近所のコインランドリーにでも持ち込んでいるのだろう。


 有坂は小さく溜息を吐くと、衣服を煎餅布団の上へ移していく。


「む」


 そうしてくしゃくしゃになった白のワイシャツを取ったとき、かさりという微かな音が鳴ったのを有坂は聞き逃さなかった。


「これは…胸ポケットか?」


 音の発生源は、胸ポケットに無造作に突っ込まれた二枚の紙だった。しわくちゃになっているそれらを取り出し、広げてみせる。


 小さい方は本やら家具やらを売ったことを示す領収書。


 そして大きい方の発行元は大東寺綜合警備保障…警備員の雇用契約書のようだ。


「…二月ほど前からか」


 もしかしたら保証人という形で登録しているだろう実家の連絡先が聞けるかもしれない。有坂は紙を丁寧に折り畳むと、背広のポケットにしまった。


「これで収納は見れる、が…どうも役に立つ物は見つからなさそうだな」


 収納の中にはいくつかの空き箱が詰まれ、埃が積もっている。どうやら数年の間空けていないようだ。襖を閉めながら、有坂は振り返る。


「おい野崎、もうそろそろ引き上げるぞ。ここにはもう、何も無さそうだ…何だそれ」


 野崎は単行本を読み終え、一枚の紙と睨めっこしていたところだった。


「あ、ザカさん。これ、本に挟まってたんすよ。なんなんでしょうね?」


 そういって渡されたのには、あちこち乱雑な文字で二桁、或いは三桁の数字が書かれている。しかもその大半は棒線が乱雑に引かれていた。それらの数字もただ乱雑に並んでいるのではなく先頭の前にちょっとスペースがあり、その前に幾つか漢字が描かれているのがうっすら見て取れた。


「メモ…か?」


「多分。ここ見てください」


 そういって野崎が指差したところには、消しゴムで消した跡だろうか、うっすらと高の字が見える。野崎が気づいたのは、その周囲だけ突出して棒線で引かれた数字が幾つも書かれているからだ。


「ふぅむ…」


 しばらく睨めっこしていた有坂だが、あることに気づいた。数字はいくつかのグループに別れており、その左端には決まって漢字が付いている。佐、田、大、新……それらに付随する数字は周囲に比べていずれも大きく、三桁はまずひかれていない。


「棒線がひかれていない数字が幾つかあるな」


 しばらく見つめていて、有坂ははたと閃いた。


「そうか。もしかしたらこれ、借金の額かも知れん」


「借金ですか?」


 そう判断したのは、漢字がいずれも苗字として使われることが多い物ばかりだからだ。


「ああ。多分、友達にでも金を借りていて、それを書き付けていたんじゃなかろうか」


「ていうことは…打ち消しされてるのは、返したってことでしょうか?」


「或いは連絡が取れなくなったりしたとかいう可能性もある。何にせよ、もし借金だとしたら高柳にこれを見せてみよう」


「何でですか?」


 野崎の問いに、有坂が一点を指差した。そこは最も煩雑に数字郡が書き込まれている場所で、唯一354と書かれた数字にだけ二重線が引かれていた。左側には高という字が見える。


「これがもし、俺の推測どおりだとしたら…片山は高柳に対し三百万以上の金を借りていたことになる」


 それを聞き、野崎が目をひん剥いた。


「さ、三百万?! だとしたら結構な額じゃないですか!」


「ああ。そして、それが事実だとしたら…高柳が殺害する理由の裏づけにもなるだろうな」


「え、何でですか?」


 野崎が首を傾げる。


「片山はどうやら他の奴にも金を借りていたらしい。それだけ困窮していた中で、高柳は最後の拠り所のようなものだったろう。だが、逆に高柳の立場からしてみればどうだ?」


「そうですね…何度も金を借りに来る、と考えるとあまりいい気はしませんね」


「だろう。それでも貸しつづける理由は何だ? しかも数百万単位でだ」


 野崎は腕組みして考え込んだ。


「うーん…度の過ぎた心配性、とかでしょうか」


「それもあるだろう。だが、俺は投資の意味もあったんじゃないかと思う」


「投資ですか?」


「ああ。何せ相手は一度とはいえメジャーな雑誌に載れた漫画家なんだ。ひょんなことで売れたとなったら…」


「ああ、なるほど!」


 得心したように野崎がうなずいた。


「自慢できますね!」


「…まあ、自慢もできるだろうが、それよりしっかりしたリターンがあると考えた方が自然だろう。ともかく、最初のうちは勝ち目のある賭けだと考えた。しかし…」


 そういって有坂は机上に置かれた単行本に目を向ける。


「賭けは負け続けた。そして、ついに片山自身が勝負から降りることを決めた。これを見ろ」


 胸元から雇用契約書を取り出して見せる。


「恐らく、資料の本が無くなっているのもそういうことだろう。片山は…ペンを折ったんだ」


「そんな!」


 野崎がショックを受けたようにあえいだ。


「高柳もそう考えたのかも知れん。いずれにせよ、借金の満額ではないにせよ、いくらか返したんじゃないかと思う。そして、もう描かないことを伝えた。高柳はそれを聞いてどう思う?」


「幻滅…金の返ってくる当てのない相手に殺意を抱き、殺してしまった…」


 これが高柳の自供の理由だとしたら、一応筋は通るのではないだろうか。


 しばらくの沈黙を置き、口を開いたのは野崎だった。


「ザカさんはじゃあ、やはり今回は殺人だったと」


 しかし、有坂はゆっくり首を振り言った。


「判らん」


「え? だけど今…」


「今のはこれまでに判った情報を結び付けて生み出した推測に過ぎん。確かに一見すると筋の通ったように見える…な」


 しかし、有坂自身は今の推理が部分的にあっているというだけで絶対的に正しいようには思えなかった。どうもまだ何か見落としているような気がする。


 その違和感が何なのかしばらく思索を巡らしていた有坂だったが。


「ザカさん、そろそろ…」


 野崎に促されて時計を見ると、すでに夕刻に差し掛かっている。さすがに今日はもう、ここで得られる情報は無さそうだ――有坂はそう判断した。

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