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旅路の果て  作者: K.T
2/5

 有坂がほとんど実の無い事情聴取を終え、奥まった喫煙室に来たのは二時をまわったところだった。日中は紫煙漂うそこも、この時間だと人がいない。


 一服しようとした有坂だが、背広の胸ポケットに入れていた煙草が空だったことを思い出した。


「ザカさん、どうっしたか?」


 代わりに自販機でコーヒーを買っていたところで第三取調室から野崎がひょっこり現れた。


 野崎が黒と黄色のラベルが目立つ缶コーヒーを買いながら尋ねるのへ、

「だーめだ」

 先に買い物を済ませ、傍の長いすへ腰を下ろした有坂は肩をすくめて返した。


「資料どおり。奴さん、今のところ喋る気はないな」


「あー。お疲れさまっす」


 野崎も対面の長いすにどかりと腰を下ろした。


「お前の方はどうだ」


 野崎はというと、トラックの運転手に話を聞いていたのだ。


「そうっすね」


 胸元からシステム手帳を取り出しぱらぱらとめくり始める。表紙は本革の良い品のようだ。


「名前は富田源治、五十二歳。原宿駅に向かう途中だったそうです。交差点で二人が踏み出したのでクラクションを鳴らしたが二人はは引っ込まなかった。どころか容疑者が被害者を車道へ突き飛ばし、あっと思ったときには轢いていた…と」


 有坂はうなずく。その辺は高柳の証言とも一致するようだ。


「ブレーキは間に合わなかったのか?」


「そうなんすよ」


 一旦区切り、他のページを捲る。


「途中で仮眠とっていたら、三十分ほど寝過ごしたせいでやや速度を上げていたそうです。何せ遅れると給料に響くからだとか」


「はぁ…大変だねぇ」


 こういうところにも昨今の市場を覆う低価格低コスト化の影響が波及してるのか…有坂は他人事のように思った。


「ま、その後のことは交通課の連中に任せることとして。肝心なのは」


「実際に故意だったかどうか、っすよね?」


「そうだ」


 なにぶん時間が時間なので、他の目撃証言は無いに等しい。畢竟ひっきょう、富田の証言が重要になる。


「それがですね…」


 野崎は困ったように頭を掻いた。


「富田の話じゃ、“突き飛ばしたようにも見えなくもない”程度の話なんですよねこれが」


「おいおい、随分曖昧じゃないか」


 そう言われ、野崎は肩を大仰にすくめた。


「僕に言われてもしょうがないっすよ。何しろ富田の奴、急いでいたし、まさかそんなことになるとは思ってなかったから、街灯があるとはいえそこまでしっかり注意してなかったそうなんです」


「ふむ…」


 まあ、判らんでもない話だ。


 教習所での建前はすべての歩行者に配慮しろというが、実際にはよほどの田舎でもない限り誰もが一々飛び込むという前提で車を走らせる奴はいない。遅刻しそうなぎりぎりの心情ならなお更だろう。


「あ、あと一つ妙なこと言ってましたね」


「なんだ?」


「一瞬のことだったが、被害者が、自分に向かって笑いかけたように見えた…と」


「ふぅん?」


 有坂は首をひねった。


 殺人者が鬼のような顔をしている…という表現ならまだ理解できる。しかし、何故被害者がトラックの運転手に笑いかけるのか。


 …もしかしたら、襲われて引きつっていた顔が笑顔に見えた?


 うん、それならありえそうだ。なにぶん暗い中、ヘッドランプで照らされれば表情も変わって見える可能性もあるだろう。


 ぼんやりそんなことを考えている間に、野崎は残った缶コーヒーを呷り飲み干した。無造作に屑篭に放り込んだところで思考を中断された有坂は、ちらと見て呆れ声をあげた。


「お前、もうそれ飲んだのか。滅茶苦茶甘い奴だろそれ」


 そういうのも、以前有坂も飲んでみたことがあったが、あまりの甘さに半分以上残して捨てたからだ。あの後しばらく胸焼けがひどかったのは、今でも記憶にはっきりと残っている。


「何せ僕は頭脳派なもんで、このくらい甘い方が好みにあってるんですよ」


「頭脳派、ねぇ」


 単に舌がお子様だからだろう、有坂はそう確信している。


「ま、それはともかく。こんだけ状況証拠も揃ってるんですから、自白で送検しちゃいましょうよ」


「アホぬかせ。裁判で奴が証言を翻したらどうすんだ。お前が責任取ってくれるのか?」


「いやぁ、それは無理っすけど…」


 野崎は慌てて両手を打ち振った。


「昨今の世論はただでさえ警察に厳しいんだ。下手うったら」


 そう言い、有坂は自分の首筋をとんとんと叩いて見せた。


馘首クビじゃ済まんぞ」


「わ、別ってますよ」


 空き缶をゴミ籠に放り込んだ野崎は亀のように首をすくめた。


「ま、それにちょっと色々と気に掛かることはある。まだ釈放までは時間があるんだ、しっかり調べてからでも遅くはあるまい」


「はぁ…気に掛かることって何ですか?」


 とんとん、と数回缶コーヒーで己の厚い唇を叩き、有坂は答えた。


「動機だ」


「動機、ですか?」


「そうだ。夜にわざわざ会い、しかも歩いて帰れる距離でもないのに駅から離れてしばらく歩いている。ということは怨恨の線は薄いと思う」


「んー…アリバイ工作の線は?」


「それなら、もっと他人を想定して動くだろう。日付が変わる前後に深夜の通路だと、人が見ている可能性がほとんどあるまい。一方で人がいてほしくないならわざわざトラックに突っ込ませる意味が無い」


「なるほど…確かに、そうですね」


「元々殺す気があったにせよ、わざわざそんな手間隙を掛けて行う理由がわからん」


「もしかしたら、あのトラック運転手と容疑者、或いは被害者と関係があるのかも?」


 どうだろう、と有坂は思う。


 富田の証言を信用するなら、遅刻したためたまたま遭遇したことになる。まあ予めどちからと連絡を取っていたとするなら可能性は無いとはいえないだろうが、片山が一言も触れていない点でそれは薄いと踏んでいる。


「いずれにせよ、そのあたりも含めて調査が必要だな。それに、ガイシャの方もだ」


「そうっすね」


 コーヒーを飲み干し、有坂も屑篭へ空き缶を放る。


「さて…行くか。思ったほど簡単な事件じゃなさそうだぞこれは」


 その言葉を象徴するように、投げた缶は上手く屑篭へ入らず、入り口に弾かれて転がり落ちた。



 ………

 ………………

 ………………………



 署を出た二人はパトカーに乗り込み、まずは現場へ向かうことにした。


「ああ、そういえばどうなった。家族の方は」


 車中でシートベルトを着けながら、有坂が尋ねる。


 野坂は公道に出る前に左右を確認しながら、はいと答えた。


 有坂は聴取にてこずると考えていたため、野崎が富山の聴取を行う前に高柳と片山両者の家族へ連絡をとっておかせたのだ。実際には、有坂の想定より遥かに難物でこちらが先に終わることになってしまったが…


「所持品にあった携帯から、見つけた片山の番号に掛けてみましたが誰も出ませんでした。親兄弟の連絡先はちょっと判らないです」


 恐らくは当人の家電だろうから、配偶者がいない場合誰も出ないのは仕方ない。


「これが済んだら次は片山の家を調べてみよう。高柳の方はどうだ?」


 野崎の顔が曇る。


「…こちらもある意味でひどいです」


「何があった?」


「奥さんなんですが、とにかく『自分はあいつとはもう関係ない』と耳を貸してくれないんですよ」


 普段から快活な野崎にしては珍しく苦々しげな顔になっているところを見ると、相手はよほどエキセントリックな人なのだろうか。なんにせよ、高柳の格好と併せて鑑みるに夫婦仲が上手くいっていないのは確かなようだ。


「別居中ってことか?」


「みたいです。まあ、それでも来てくれと伝えてますが…相手するのやだなぁ」


「ま、諦めろ。それも仕事だ」


 苦々しげに顔を歪める野崎を、有坂はそっけなく突き放す。


「刑事を選んだのには、そういう付き合いがないと思ったからなんですけどね…」


「単に遭遇する確率が低いだけで、どんな仕事にだって可能性はあるさ。特に現代はな」


「うへぇ…あ、ここっすね」


 そんなやり取りをしていたところでちょうど現場に着いたようだ。交差点の手前で減速して先に有坂を下ろすと、野崎は適当なところへ車を停めるため再び発進させた。


「あー、確か松岡だったか? ご苦労さん」


 有坂はこんな時間にもかかわらず集まりだした野次馬の群れを抜けると、現場封鎖している顔見知りの警官に挨拶した。


「あれ、有坂さん? 今日は非番のはずでは?」


「のはずだったんだがな。他が軒並み風邪でダウンしてるから駆り出された」


 それを聞き、警官がああ、とうなずく。


「最近インフルエンザがひどいですからねぇ。ザカさんも気をつけてくださいよ?」


 現場へ案内されながらそう言われ、有坂は顔をゆがめた。


「今となっちゃ逆に風邪をひきたいくらいだ。そうすりゃ、ここまで出ずっぱりにならずにすんだんだ」


「あははは、それもそうですね。頑丈じゃなきゃやってられない仕事ですけど、物には程度が…あ、ここです」


  松岡に案内され、有坂は現場となった交差点に立つ。


「ふぅん。二車線で見通しは悪くないな。見た所周りに街路樹も無い」


 これなら、富田からもよく見えたことだろう…表情も。


「ブレーキ痕はあったかね?」


「はい、こちらから」


「ふぅむ。あっちから来た、そうだな?」


 地面を見ていた有坂が顔を上げた方角には、まっすぐ道路が伸びている。そちらも街路樹がまばらで、街灯が煌々と夜道を照らしていた。


「そうです。で、交差点に差し掛かった辺りから」


 つい、と手で指し示す。その先のブレーキ痕は信号の下辺りから黒々と伸びている。


「なるほど。確かにスピードはそこそこ出ていたようだな」


 富山の証言とも一致する。


「で、そこに倒れたと」


 視線を動かす先には、ドラマなどでお馴染みの人型を象った白線が描かれている。

 ひときわ大きな丸の先端部分のアスファルトに、黒々とした染みが広がっているのが見て取れた。


「他に目撃者はいたか?」


 松岡は首を振った。


「いえ。夜中でこの辺りは人通りが少なく、他にはいません」


「あの建物は?」


 そういって有坂は交差点の対角を指差す。


「あれは体育館で。中学校です」


「なるほどな」


 大きな建物があるから倉庫かも知れない…そう思ったが、中学校なら夜中に人がいるということはまずあるまい。


 どうやら第三者による証言を期待することは難しそうだ。


「車の方は?」


「はい、こちらに」


 案内され、路肩に止められたトラックの正面に回りこむ。


 いすゞのフォワードで、左正面にはべっこりくぼみが見える。ここに当たったのは間違い無さそうだ。


 いずれにせよ、今の段階ではこれ以上わかることは無さそうだ…有坂がそう考えていると、パトカーを止めた野崎がようやくやってきた。


「お待たせしました、ザカさん」


「おう。こちらは粗方聞きたいことは終わったぞ。そっちは何してた? 車を停めたにしては結構時間掛かったが」


 咎めるような言葉に、

「他に遺留品が無かったか聞いてたんですよ」


 むくれたように野崎は答えた。が、有坂は一々そんなことに構わない。


「ガイシャは?」


「死体はすでに運ばれています。写真ならあります、どうぞ」


 尋ねられた松岡から封筒を受け取り、中身を取り出す。中には貧相な男が倒れているのが写った写真が数点、納められていた。


「…あれ?」


 と、それを有坂の肩越しに覗き込んでいた有坂がすっ頓狂な声をあげた。


「急になんだいったい?」


「え、ええ…どうもこの人、見覚えがあるんですよね…」


「お前が?」


「はい。えぇと、どこで見たんだっけなぁ…」


 そういって野崎は眉間にしわを寄せて考え込む。どうせ近所のおっさんとでも勘違いしているんじゃないのか、そう思った有坂だがそれを口にすることなく写真に集中した。


「ふぅむ…」


 最初に目に付いたのは、その格好だ。


 高柳もかなり所帯じみていたが、こちらは更に輪を掛けている。


 よれよれのジャケットに、これまた皺だらけのTシャツ。膝や股間部に穴の開いたGパンという出で立ちは、とても高柳と同年代とは思えない。


 顔も、やけに青白くヒゲがまばらに生えているのが写真越しにでもよくわかる。


 どう贔屓目に見ても、まっとうな仕事に就いているようには思えない。いったいこの男は何を生業にしていたのだろう?


 その疑問に答えたのは、野崎だった。


「思い出した!」


 そう言った野崎は、目をまん丸に見開いて未だ有坂の手中にある写真を凝視していた。


「何をだ?」


「この人! そうだ、この人だ!! 『勇者! ガバッチョくん!!』!!!」


 …何を言ってるんだこいつは?

 有坂は思わず松岡と顔を見合わせる。


 だが、野崎は興奮を隠そうとせずそのままつづけた。


「この人、漫画家なんですよ。漫画家の、『片山しょう』なんですよ!」

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