8. 隠し事とその夜の話
大神殿カリエスは、一見すると五階ぐらいしかなさそうな大きさだ。 背の高さで言えばそこらの近代そのもののビルの方が高いし、広さだってあんまりない。 色だって大理石っぽい白をベースに深緑色と黒、たまに金色でまとめられてるシンプルな飾り付けだ。 正面玄関の真上に八片の花が彫られてるぐらいかな、持主様の物だと示しているのは。 外からはどう見ても摩天楼の最中の美術館とかそんな雰囲気しかない。 実際、ここのどこかには小規模ながら美術品を集めた部屋があると聞いているし、一部だけど一階の一室で一般公開もされている。 リリーさんが必要だとごり押しした上彼女が一切を決めているらしいので、多分これは彼女の趣味だ。
とにかく、実際のここは十階まである。 なんとエレベーターもある。 広さに至ってはどこまであるのか私にもわからない。 メインの通路はわかりやすいし親切に誰が付けたか案内板までちらほらあるから、そこだけ使ってれば迷う事はない。 知っていれば近道になる事もあるけど、入り組んだ細い裏道や横道に入る必要はまったく無い。 先が袋小路だった場合はまだいいけど、たまに子供やこの事を知らない人が迷ってしまって持主様が道を繋げてやったりしている。 ならどうして無くさないのか? 持主様曰く、必要だからある。 だそうだ。 意味は分からない。
ジェーンはそのカリエス内の七階の一室を与えられている。 そして私は今、命令されてそのドアの前に立っている。 心が重いけど、言われたからにはやるしかない。 それが人形の哀しい性ってやつ……ではなく、いや広義的には合っているけれど、普通の人でも上司に命令されればやるしかないでしょう。 あんまり酷いのじゃない限りね。
意を決してノックした。
扉の向こうで息を呑まれた。
「ジェーン、入っていい?」
「あ、あの、あのね、ヨル、その」
「入るよー」
持主様に鍵を開けてもらって入る。 不自然な胸元の膨らみと共に、ジェーンが部屋の奥に逃げて行った。
「違うの」
ふむ。
「これは、その、違くて」
ふむむ。
ジェーンのやけに膨らんだ服の中からちらっと小さな鼻先が覗いた。 ぴすぴす言っている。
「あああ、あの、あのね」
「……まあ、うん、持主様にバレてるのはわかるよね?」
「……はい」
だから私が来たんだしね。
そもそも眷属なのに隠し事しようとする方が間違っているんだよね。 特にカリエス内とか本体がある処なんだし、全部監視してるに決まってるじゃない?
「とりあえず、出しておやりよ」
そっと目の前に置かれたのは、真っ黒な子犬。 目しか見えないレベルでまっくろくろすけさん。 一人で排泄できるぐらいには育っているっぽいけど、まあまだまだ小っちゃい。 毛並みも良いし、逃げない。 噛みつかない。 うーっって言わない。 手を出せばすり寄ってくるし、お腹触っても嫌がらない。 見た目はラブラドールレトリバー(黒)だな。
「随分と人慣れしてるね」 まさか攫ってきた訳ではないでしょう。
「……友達が隠れて餌やってた野良の子が産んだ子なの。 その子の家じゃ飼えなくて、たまにご飯上げるだけだったんだけど」
ほう。
「でもね、この間、お母さんが死んじゃってて。 車、挽かれてて、この子お母さんの横でずーっと鳴いててね。 私にどうしようって相談してきて」
あーそうきたかぁ。 グスグス泣き始めちゃったから、撫でてやる。
「うん」
「友達はおうち連れて帰れないし、もう寒いし、独りぼっちで置いときたくなくてね」
「連れて帰ってきちゃったと」
「うん」 抱き着いてきたので受け止めてやった。 子犬はといえば、心配そうに彼女の服の裾を引っ張っている。
持主様にヘルプ要請を送った。 ぶん投げたとも言う。 私には正直どうにもできません。 というか、決める権利はあの方以外には無い。
『……』
あら、悩んでらっしゃる。 珍しい。
でもまー悩む気持ちもわからんではない。 動物は素直だから、こんな強い力場に放置してたらどんな影響が出るかわかったもんじゃない。 良くて魔獣化、悪くて緩やかな死。 あまりに相性が悪すぎたら体が生きながらにして腐り落ちる事だってある。 でも、この子は小さいから人間と違ってゆっくり慣らしてく猶予はほぼ無い。 一番良いのは今すぐ保健所またはシェルターに連れていく事だ。
でも、ジェーンが泣くのは見たくないのだろう。 私も見たくない。 それに、守る者が居るのは良い刺激になる。
『ヨル』 何か思いついたようだ。
「はい」
『育つまでお前の物にしろ』 この場合、私と仮契約させて使い魔にしろという意味だ。
「はい?」 ジェーンではなくて?
『お前の属性は俺の正反対だろう。 クッションになる』
「あー」 確かに影響は軽減されるだろうね。 陽と陽だから相性良いし、まずは力を持つ事自体に慣れさせろと。 「わかりました。 お任せください」
「ヨル……」 まだ泣いてる。
「おっきくなるまで私の使い魔にしとけってさ。 そしたら大丈夫だろって」
今泣いたカラスがもう笑った。
「ヨル! 大好き、ありがとう!」
「礼なら持主様に言いなねー」 この子に本気でぎゅーってされるの割と痛いのよね。 私の防御すら貫いてくる腕力。 将来が結構怖い。
さて、ジェーンの興味が持主様に移ってる間にさっさと済ませちまうか。
「へいへいベイビーこっちおーいで」
チチチチチ、と手を動かしつつ呼ぶ。
タックルされた。 ジェーンに似てるなぁ。 ふわふわもちもちで、子犬特有の体温。 良いなぁ子犬。 欲しくは無いけど、たまに遊ぶにはとても楽しい。
「ああ、いい子。 『こちらにおいで』
優しく撫でる。 腹を見せられたからさらに撫でてやる。 お前野生はどこにやったの?
『ねぇ、いぬ。 あの子の事は好き? あの子とずっと一緒に居たい?』
尻尾がブンブン振られている。 これは了承と取ろうか。
『じゃあいぬ、今は私と契約しよう。 君が育ちきるまで、私と共に歩もう。 自分の足であの子の隣に立てる時まで』
わん。
「君、賢いんだね。 良い子だ。 それじゃあ私の手に君の手を乗せて」
左手を目の前に置いてやる。 子犬がお手をした。 この肉球、ヤバすぎにつき。
『契約をしよう、貴方と私で。 貴方は私の庇護を得て、私は貴方の力を得る。 何もかもが移り変わり、契約が終わり、貴方が彼女の傍に行くその時まで、貴方は私の元で健やかに在れ。』 言葉に力を乗せて紡ぐ。 仮契約だから、これだけでいい。 本格的な契約時にする、魂を繋いだり血の交換をするなんて工程は必要ないというか、本当なら力ある言葉すらいらない。 双方の合意が成れば良いだけ。 そしてそれは、強くなった後にジェーンとやればいい。
わん! 元気の良い返事が来た。
『私の名はヨル。 このヨルが貴方に仮初の名を差し出そう。 ……クロ、今はそれで我慢してくれ。』
『わん』 もう真似してきたぞこの犬。 思った以上に賢い。
『ではクロ、ここに契約は成立した。 今この時より私達は二人。 時が我々を分かつまで、共に歩み学んでいこう。』
『くぅ。』
終わった。 疲れた。
ついでにジェーンも話が終わったようだ。 ……顔を見るに、少し怒られたっぽい。 抱き締めてあげたら、少し元気になった。
「クロ、君はこの子と一緒に居てあげてね」
クロは返事代わりにジェーンに突進した。 ジェーンに0.1のダメージ! ジェーンは5回復した!
「クロ? それがこの子の名前?」
「うん、とりあえずはね」
「安直ー」
「言うと思ったよ」 ノワールにしようとも思ったけど、言いにくいからやめた。 「契約に必要だっただけだし、どうせ後々は君の子になるんだ。 今の内に名前決めときなさいな」
「はーい!」 嬉しそうだね。 良い事だ。
さて、世話は基本ジェーンがやるだろうけど……学校の間は私がやるんだろうね。 いつもの事だ。
ぅわん、と子犬が鳴いた。
『その髪型、飽きたな』
「飽きましたか」
可もなく不可もない、セミロングのどこにでもある髪型。 伸びるに任せていたら飽きられたらしい。 ジェーンの犬騒動があったその夜に言われた。 こういう唐突な文句はたまにある事なのでもう慣れた。
『変えるか』
もちろん私の返事なんて待ってもらえずに泥に落とされた。 包み込まれてる感触はもう気にもしないけど、息する事を許してもらっているという感覚はいつまでたっても慣れないね。
『何にするかな』 わさわさと髪を梳かれる感触がする。
「いっそボーイッシュとか」 人形になる前までやらされていた髪型だから少しトラウマはあるけど、楽さは段違いだから嫌いではない。
『俺が嫌だ』
お嫌らしい。
「昇天ペガサスMIX盛りとか」
『それで寝られるのかお前は』
「無理ですね」 理解していただけた事の方にびっくりだよ。 変な知識持ってらっしゃるのね。
『ふぅむ、さらに伸ばしてみるかな』
「足首まで! おねがいします!」
『手入れを怠る未来しか見えんからダメだ』
さすが持主様、私の性格を良くわかってらっしゃる。
『……肩甲骨の所までにするか』
するする、するする、髪が梳かれて撫でられる。 少し待っていると軽く引っ張られる感覚がなくなったから確かめた。 うん、長くなってる。
「前髪はこのままで?」
『いや、少し切る』
毛を切る時特有の、あのざりざりした音が鳴り始める。 それも少しすると止んだ。
「おー、前が見やすいです」 中心から斜め下に切っていったのだろう、顔を縁取るような前髪に変わっていた。
『こんなものか』
ご満足いただけたらしい。 ……あ。
「持主様、持主様」
『うん?』
「見てください、三つ編みができます」 シンプルに嬉しい。 何年ぶりだろう、まともな三つ編みができるようになったのは。
『良かったな』
「はい!」 思わず笑顔が零れた。
カリエス内で泣き声や変な音がしたらほぼ迷子が原因です
3%ぐらいが無害な幽霊や精霊や妖精などの悪戯です
有害なものは生者死者物体無生者種類種族問わずアルーナの敷地内に入ったらお腐り様に食われます
だからアルーナは世界でもトップの安全性を誇っている都市になっています