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湖の妖精と扇風機

作者: ミスターT

 私には付き合って半年の恋人がいる。名前は絵里名。今年で30になるOLである。私は真剣に、付き合っているつもりでいる。勿論、結婚を前提にと考えており、彼女もそのことを承知しているはずだ。二人の結婚の最大の障害になっているのが、彼女の父である。彼女の母親は22年前に病気で亡くなっており、父親一人で育てられてきたのだ。厳格な人らしく、彼女自身も厳しく躾けられ、育てられたそうである。何度か、彼氏を紹介したいので会って欲しいと伝えているそうだが、そのたびに断られているらしい。私自身も早く、彼女の父親に挨拶をしたいと思っていた。

 ある夏の暑い日、いつものように、いつものカフェで、何気ない会話をしていたときである。

「あのね、実家の扇風機が壊れたんだって。父は頑固で未だに冷房は体に悪いと思っているのよ。笑っちゃうでしょ。」

私は、それを聞いてチャンス到来と思った。なぜなら、私は家電に強いからだ。父上様に取り入ってもらえる、絶好のチャンス。逃す手はない。

「絵里名ちゃん、この暑さだから扇風機なしでは心配だよ。俺が、適当な扇風機を見繕ってあげようか。」

「ほんとに?でも大丈夫?うちの父、頑固だから、気に入らないと突き返すかも。」

「平気さ。明日の午前中に買って、夕方にでも、ご実家にお届けするよ。でも、緊張するなあ。」

「分かったわ。そしたら、私も実家で待ってるね。」

彼女は屈託のない笑顔で、私を見ていた。


 翌日、家電量販店に出向いた。すでに買うべき商品の目星はついている。ダイソンの羽のない扇風機だ。スタイルッシュで、どんな部屋にも合う。持ち運ぶことも容易なので、リビングでも寝室でも使ってもらえるはずだ。目的の商品は、すぐに見つかった。私は、迷わず購入して、一度、自宅に戻った。初めて、父上様に会うのである。きちんとした格好でないと、門前払いになりかねない。髭を剃り、髪を整え、スーツに着替えた。少し早いが、出かけることにした。

 私の自宅は横浜のマンション。彼女の実家は群馬県の高崎だ、車で2、3時間はかかる。あらかじめ聞いていた住所をナビに入力した。約束の時間より、少し早く到着できそうだ。私は、寄り道をすることにした。


 そこは、埼玉県内にある湖。名もない小さな湖だ。しかし、私には特別な所なのだ。絵里名と初めて会った場所であり、絵里名に告白した場所でもある。私は、彼女の父に会う前に、なんとなくこの湖で、気持ちを落ち着かせたいと考えたのだ。

 湖に着くと、そこには誰も人はいなかった。車を降りて、湖のほとりにあるベンチまで歩くことにした。途中で、あることを思いつた。ダイソンの箱の中に、メッセージでも入れたらいいかもと考えた。私は、車に引換し、ダイソンを運びながら再びベンチに向かった。湖には小さな橋があり、その先にベンチがある。私は景色を楽しみながら、橋を渡っていた。すると、急に強風が吹き、私は体がよろけてしまい、あろうことに新品のダイソンを湖に落としてしまった。何て日だ。父上様に会うなという啓示なのか。今から、もう一度買う時間などない。絵里名が悲しむ顔が浮かんできた。くよくよしても仕方ない。正直に話すしかすべはないか。涙が出そうになった。いや、声を上げて泣きたいと思った。悲しいというより、情けないという気持ちの方が強かった。私がベンチで落ち込んでいると、湖に異変が起きた。


 湖から音がする。私は顔をあげて、湖を見た。音はだんだんと大きくなり、ぶくぶくと泡と波も大きくなってきた。

ザバーン。

水の中から、大きな球体が現れた。私は、驚きで体を動かすことができないでいる。球体が水面をゆっくりと移動し、私の方に近づいてきた。そして、ほとりの直前で止まると、球体が二つに割れて、中から白い衣装をまっとた女性が出てきた。

「私は、この湖の妖精。そこの男、何を悲しんでいる?」

その妖精と名乗った女性が、私に話しかけてきた。私は素直に答えた。

「湖に大切なものを落としてしまい、落ち込んでました。」

妖精は優しく微笑み、また話し始めた。

「あなたが落としたのは、ダイソンですか?」

「はい。ダイソンを落としました。」

「それは、この金のダイソンですか?銀のダイソンですか?」

「いいえ、私の落としたダイソンは黒の樹脂でできているスタイリシュな新型です。」

「正直者の若者よ。こちらを持って行きなさい」

妖精はそういうと、再び球体に戻り、湖の中に消えていった。ほとりには、ダイソンが置かれていた。金のダイソンだ。私は、夢でも見ているのかと思い、頬をつねった。夢ではない。これは、父上様に堂々と会って来いという妖精の声だと思うことにした。私は金のダイソンを車に運んだ。正直、重かった。どうやら、純金製のようだ。まじ重い。


 予定の時間ちょうどに、絵里名の実家に到着した。私は、心臓の鼓動が聞こえるのではと思うくらいドキドキした。玄関のチャイムを鳴らした。

ピンポーン。

中から、絵里名が出てきた。

「いらしゃい。どうぞ、中に入って。」

私は、ドキドキのピークに達している。廊下が長く、長く感じた。廊下の先のドアの向こうに居間があった。

「こんばんわ。お邪魔します。」

私は、絵里名の後について、部屋に入った。ソファーに初老の男が、私を睨みつけるように座っている。この方が絵里名の父上様か。よく見ると目や口が絵里名に似ている。

「榊原正樹と申します。本日は、お招きいただき、あ、ありがとうございます。」

のどが渇く。

「ぶっ、まー君、緊張している。お父さん、そんな怖い顔してたら、まー君死んじゃうよ。」

「そっか。君はまー君と呼ばれているのか。それなら、わしは明だから、あー君だな。」

絵里名の一言で、場が和んだ。自分の勝手な想像で、頑固イコール怖い人と決めつけていたようだ。父上様の絵里名を見る目は、あくまで優しい目であることが分かり、私は嬉しくなった。絵里名が優しいのは、父上様の優しさを受け継いでいるからだと確信した。もっと、早くくるべきだったと反省した。

「まー君、もう一人紹介したい人がいるの。こっちに来て。」

絵里名はリビングに続いている和室に私を引っ張るように、連れて行った。和室の一番奥に、仏壇が置かれていた。そっか、亡くなったお母さんを紹介したいんだと、すぐに察した。絵里名は仏壇の前で、正座をし、写真に向かって話した。

「お母さん、今日は私の大切な人を紹介するね。」

私も、絵里名の横に座り、挨拶をしようと思った。しかし、言葉が出なかった。出なかったのではない、出せなかった。溢れる涙で、声がでなかったのである。仏壇の写真を見て、涙があふれたのである。

「どうしたの、まー君。」

「お、お、俺、この人に会ったことある。ここに来る前に会ってきた。」

「えっ、そんなことあるはずないよ。似た人よ。」

「いいや、間違いない。この女性に会い、話もした。絵里名も知ってる場所で。」

そう、写真の女性は紛れもなく湖で遭遇した「妖精」であった。私は、湖で起きた不思議な出来事の一部始終を絵里名に話した。

「あの湖で、君に出会い。君のことが好きになり、そして、今日は勇気をもらってきた。君との出会いは偶然ではなく、君の、絵里名のお母さんが引き合わせてくれたんだと思う。」

「私も会えるかな。私も、お母さんに会いたいよ。」

絵里名の目から大粒の涙がぽろぽろと落ちてきた。私は、絵里名を強く抱きしめ、そしてキスをした。

後ろで、父上様が笑顔でみていた。その笑顔は、全てを知っているかのような笑顔であった。


「そうだ。証拠の品がある。」

私は、車に戻り、扇風機を運んだ。金のダイソン。

「お父さん、これ、使って下さい。」

私は、金のダイソンを、父上に渡した。

「この扇風機は、重いな。凄く重い。晴子、この扇風機は重いぞ。実に重い。おまえと、絵里名と、まー君の気持ちが入っている。だから重い。ああ、実に重い。」

父上は笑顔に、絵里名はまた涙した。金のダイソン、彼女の父上への最高の贈り物になった。

俺は思った、今年の夏は暑くなるだろう。


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