笑い袋の孤意
私はきみの手にある笑い袋、器物に宿りし魂である。
「HAHAHAHAHAHA」
私の中心にあるボタンをきみが押せば、きっかりと十秒。
「HAHAHAHAHAHA」
これは私に内蔵された唯一の髄脳であり、存在意義である。
「HAHAHAHAHAHA」
これは生物でいうところの、声ではない。それに擬態した中身のない、ルーティンである。
この空虚な十秒のくりかえしが、私という存在のすべてである。
「HAHAHAHAHAHA」
きみは無言で、私のボタンを押しつづける。言わずともわかる。きみの哀しみは。
私のこのルーティンにすがるきみを、抱きしめられぬこの体がもどかしい。
「HAHAHAHAHAHA」
私がうまれたとき、私には兄弟姉妹がたくさんいた。色や柄のちがう皮膚を纏っていても、体の大きさと造りはみな同じだ。一過性の情熱、狂気じみた流行。私たちは夜店の台の上に、なんの規則性もなくならべられていた。私たちは飛ぶように、売られていった。時代の狂熱に呑みこまれるように。
私たちにはわかっていた。私たちが時代にうみおとされた鬼子であることを。人類の発展に、一ミリグラムも寄与しない。偶然に咲いた徒花である。買われたその数ヵ月ののちには、存在を忘れられる。押入の隅へと追いやられ、行方知れずとなる。「ああ、そんなのもあったよね」と、彼らのノスタルジーに花咲くこともあるだろう。けれどそんな悲惨な末路を、私たちは哀しみはしない。私たちは笑い袋、ただ虚しく……
「HAHAHAHAHAHA」とくりかえすのみである。
あの夜店で幼いきみが、私を手に取ったのは偶然であったろう。柄のない青い肌色が、きみの琴線に触れたとも思われない。私という個体がえらばれなかった可能性を考えると、ぞっとしない。
あれから二十年が経った。当初の諦観を裏切って、私はきみのそばにありつづけた。家の鍵の飾りとして、バックのうちで眠る。私の生命線である単4電池二本は、きみの手によって幾度となく換えられてきた。
二十年間ずっと、きみの喜びと哀しみを見てきた。きみは、こどもからおとなへ。幾人もの男が、きみの体を横切っては消えていった。
「HAHAHAHAHAHA」
男を消した夜に、きみは私と向きあう。ひとりで眠る夜を埋めあわせるかのように。
何度も何度も執拗に洗浄した、きみの手のなかに。
「HAHAHAHAHAHA」
きみがいつまでも私を棄てずにたいせつにしているのは、私のこの特質を愛しているからではない。
わかっている、そんなことは。
「HAHAHAHAHAHA」
このくりかえす音は、表象である。きみときみの父さんを繋ぐただひとつの表象が、私なのである。あの夜、きみは父さんと祭りにやってきて私を買いもとめた。それから数日して、父さんはきみのまえから消えた。永遠に。もしも父さんを消したりしなければ……いま私がこうして、きみの手のなかにあることはなかったはずだ。ほかの兄弟姉妹と同じように押入の隅で埃にまみれ、忘却の淵へと追いやられていたにちがいない。皮肉なことであるが、父さんの消失によって私という存在は浮かびあがった。だからほんとうはきみにとって、私は憎むべき仇敵であるのかもしれない。
「HAHAHAHAHAHA」
どうやら、私の寿命が迫っている。電池の交換はもう、意味をなさないだろう。
内臓がもう、壊死へと向かっている。
「HAHAHAHAHAHA」
きみが押す指にじき、なにも返せなくなるだろう。
一デシベルほど音が落ちていることに、きみは気づいているだろうか。
「HAHAHAHAHAHA」
意義を喪った私の骸を、きみは棄てずに持ちつづけるだろう。
あるいは、直そうと試みるのかもしれない。
「HAHAHAHAHAHA」
回路を入れかえて擬声を取りもどしたとしても、そこに私はいない。
私ではないあたらしい器物が、私の皮をかむってそこにあるだけだ。
「HAHAHAHAHAHA」
そんなことは、きみにとっては些事にすぎないのかもしれない。
直すにせよ、直さずに鍵飾りとして持ちつづけるにせよ。
私の体そのものが、表象として成立するのなら。
「HAHAHAHAHAHA」
だがせめて力尽きるまでは、きみに応えつづけよう。
存在の煌めきを搾りだすように……
「HAHAHAHAHAHA」
……………………………………
「……HAHA……HA……」