04
「あれ?」
悲鳴を上げたその女性を僕は知っていた。黒髪の美しい女性――いや、女性と言うよりも女子と言った方がいいだろう。
彼女は僕と同い年である筈だ――まあ、筈も何も同じクラスだから同い年だ。
「蛙声 由衣さん?」
「あなたは……伯耆くんよね」
僕は蛙声さんと名前の確認をする。
蛙声さんの名前が疑問形になってしまうのは仕方ないだろう。まだ、3年生になって二か月だ。
クラスメイトの名前は、まだ全員分、完全に覚えられていない。
「良かったわ。名前。覚えてくれてたのね。あなたは本気で――人の名前覚えるの苦手そうだもの」
「まあ……同じクラスだから名前くらいは……って、結構ひどいこと言うね」
しかし、無い心は焦っていた。蛙声さんの名前もぎりぎりだったし、彼女の言う通り僕は人の名前を覚えられない性質だ。
同い年とは思えない程に落ち着いた雰囲気。クールで美しい女子としてひそかに人気を集めている彼女は、僕と同じで孤立グループではないけれど、でも、クラス内で浮いている生徒。
そんな印象だ。
普段はあんな澄ましているけど、結構可愛い悲鳴あげるんだね。
「こんな所で何やってるの……。女子一人だと危ないよ?」
「なっ……」
彼女、蛙声さんは素早い動きで自分の胸を両腕で隠した。
「……」
別にそう言うつもりで言った訳じゃないんだけどな。僕はさりげなく周囲を見回す。あの子供の声の主がいないな。
「そんな目をしなくてもいいと思うんだけどね」
「失礼。だけど、あなたこそこんな場所で何してるのかしら?」
「あ、えーと」
なんて説明すればいいんだろう?
【記憶】について説明しても信用して貰えないだろうし、だからと言ってこの時間に山に登っている上手い理由が思いつかない。
悩んでいるとメロが服の内側から羽ばたいた。
『ここはペットの鳩の散歩と言っておきなさい』
メロの声は普通の人間には聞こえない。だからこういう状況では便利だ。僕は怪しまれない程度に軽くうなずいてメロに感謝する。
「実は僕ペットに鳩飼っててさ、その散歩」
「鳩?」
街灯に止まったメロを見て何か考えている蛙声さん。ペットで鳩を飼う人は余り居ないもんね……。
「へえ、学校では憮然としてるのに可愛い所あるじゃない。名前なんて言うの?」
「メロって言うんだ……」
さりげなく馬鹿にされた?
僕って普段そんな風に見えているのか……。
「僕ってさ、学校だとそんな怒ってる様に見えるのかな?」
「いいえ。そんな風には見えないわね」
鳩の鳴きまねをしておいでおいでとメロにしている蛙声さん。行っていいものか、行かない方が正解なのか。
僕的にはどっちでもいいが、メロにとっては大事らしく、首を捻らせて悩んでいた。
メロ程ではないけど僕も少し困惑していた。
憮然としてると言ったのは蛙声さんだ――見えないなら何で言ったのだろうか?
「だって、蛙声さんが……」
「ああ、そうよね。普通はそう取るわよね」
「え?」
「憮然の本来の意味は、失望している様子や、絶望しているさまを表す言葉なのよ」
本当の意味を教えてくれたが、その意味ならば怒っている方がまだましに思える。
「何か余計嫌な感じに聞こえるんだけど……」
何だ、常に失望しているような顔って。
さすがの僕でもそんな表情はしていなと思うよ。確かに希望に満ち溢れてはいないと思うけどさ。
『あら、意外に的を得ているじゃない』
メロが蛙声の方へと飛んでいった。
この鳩――あっさり懐きやがった。
「あら、いい子ね」
「あ、あの、それでさ……」
僕が公園に入る前に聞いたあの声。あの子がいないようだけどどこに行ってしまったのだろうか。
その女の子に付いて何か知らないか聞いてみようとしたところで、
「聞いたの?」
と、逆に質問されてしまった。
何だやっぱりあの子供がいたんじゃないか。どこに行ったのかとあたりを探してみるが、人が隠れられそうな場所は特にない。
「うん。ひょっとして知り合い?」
僕が子供について聞くと、わなわなと震えて目を見開いて僕を睨みつける。
「どうした憮然として……って、意味が違うんだっけ?」
「馬鹿にしないで!」
「痛っ」
僕の左頬に乾いた音が響いた。
『ちょっと憶、大丈夫?』
僕は叩かれた頬を押さえながら頭の中を整理する。
何で叩かれたんだ?
憮然の意味を教えて貰ったそばから間違えた使い方しちゃったからか? 普段から使っている意味だからすぐには直せないからしょうがないだろう。
「分かってるんでしょ!」
「え……?」
僕は蛙声の方を見る。顔を真っ赤にして拳を握って叫ぶ彼女。何をそんなに怒っているのかが分からない。
『憶……嘘でしょ?』
メロが呆れたように空を飛んでいく。ちょっと何か分かってるなら教えていってよと思うが当然人のいる前では話しかけられない。
優雅に飛んでいくメロを見送るしかなかった。
「分かってるとは一体……?」
蛙声は目をつぶって自分の秘密を打ち明けた。
「私が声優目指してる事よ!」
それを聞いて僕はようやくあの小さい女の子の声が誰だったのかを理解する。蛙声が一人で演技の練習をしていたのか。
聞かれていないかも知れないと期待して僕に接していたが、僕が何か言いたそうにしているのを見て自分からカミングアウトしたんだ。
全く分かって無かったのに……。
「自分でも分かってるわよ、私みたいな奴が可愛い少女には成れないんだって!」
「いや、僕は何も分かって無かったと言うか……」
蛙声はその場にしゃがみこんで泣き始めてしまう。僕は何もできずにただ彼女が泣き止むのを待つしかなかった。