そして鳥籠の外へ
約束の期日は、思ったより早かったのか、遅かったのか。
私には分からない。
父王に呼ばれて、普段の謁見用の広い部屋ではなく少し私的な小さな部屋に来た。
「お初に御目にかかる。俺が、魔王だ」
「初めまして、私はソルヴィエール第三皇女のアルティア、と申します」
魔王、と呼ばれる方は、一体どんな方なのだろうか。
そう考えてはいた。
実際に会ってみるまでは猛々しい粗野な方なのだろうと、思ってもいた。
何せ、軍を皆殺しにして、お城の天井を無くしてしまう様な方だと聞いていたから。
紅の御髪は、確かに鮮血と言えなくもない。
でも、私は見た目に反して柔らかそうな髪が情熱的に見えた。
見下ろす漆黒の瞳は、粗野とは反対に黒いのに透き通る澄んだ泉の様に私を正面に捉えて、放してくれない。
暴れだした心臓を抑え込むようにそっと視線を落とせば、艶のある黒地に銀の刺繍を施された品のよい衣服に包まれた体躯が、武人のように鍛えられているわけではないのが分かる。
魔王と言うよりは、悪ぶっている貴族のお坊っちゃまみたいだな、と思えた。
「あの、“魔王”と言うのは、貴方の御名前ではなく尊称だと聞いております。差し支えなければ、私にお教え下さいませんか?」
そう思ったら、つるりと言葉が滑り出した。
出した言葉が引っ込められるわけもなくて、伺う様にちらと見上げたら、少し驚いた様な顔をして、それから苦いものでも食べたみたいにしかめ面になってから、ボソリと名乗った。
「…………」
聞き間違いかと思った。
でも、そっぽを向いて不貞腐れた顔をしている魔王と呼ばれる方を見て、間違いではないのだと。
「…………何を笑う月姫」
「いえ、すみません。魔王様……ふふ」
抑えきれない笑みが溢れてしまった。
「貴国では、人の名前をわざわざ聞いておきながら笑うのがマナーなのか?」
「そのようなことはありませんが……そうですね、私は、自身を月姫だと名乗った事はないですよ?」
少し熱が出ているだろうか。
ふらつきそうな身体をそっと跪かせて、畏まって言葉を紡ぐ。
「大変失礼しました。
今日、この時より、私の身命を持ちまして、両国の安寧の礎となりますよう、努めさせて頂きます」
「……互いに有益であるよう切に願おう」
これで、受け渡しは簡略化ながら終わりだ。
「娘を宜しく頼む」
宣誓の邪魔にならぬようにと沈黙を保っていた父王からはその一言のみ、私も向き直り、一礼をすると、魔王の側に。
「丁重に預かろう」
※ ※ ※ ※
人質交換などの際には、公に出立は出来ない。
国民感情があるから。
だから、普段ならこのような時は、何かの祭事の騒ぎに紛れて行われる。
でも、今回は魔王の力で誰にも気付かれずに移動出来るとのことで、このまますぐに出立となる。
私自身と、小さな鞄一つ。
それだけが、私の持ち物だ。
「では、行こうか、月姫」
「はい」
差し出された手に私の手がそっと重ねられた。
グラリ
視界が歪んで、気持ちの悪い未知の感覚に目をぎゅっと閉じて身を強張らせる。
ガクガクと震える両足が身体を支えられずに、へたりと腰を落としてしまう。
「─ぃ───ぅ──」
耳鳴りでもしたかのように頭の中が真っ白になって回りの状況が感じられない中で、左手に感じる確かな力強さに、すがる様に力を込めて握り締めた。
「……大丈夫か?」
「……ぁ……」
薄く浮いた涙に滲む視界に、心配だと訴える顔が見えて、その事に安堵する自身を自覚した。
ポンポンと優しく叩かれた左手から、氷が溶けるように力が抜けて、そのままするりと掴んでいた右手が抜かれた。
「ここが、俺の居城だ」
「……?」
すっと立ち上がった魔王に、戸惑うように目線を上げると、そこは室内ではなく屋外で、そうと意識した瞬間、吹き付ける風を感じて回りに意識が向いた。
「──わ……すごい……」
お城から眺めたのと同じ、同じような小さな街並みが、視界いっぱいに広がって、目を見張った。
「そちらの帝都ほどの規模ではないが、なかなかのものだろう?」
「………………」
見とれたままこくこくと頷いて、もっとよく見ようと、立ち上がって、一歩踏み出した足が宙を踏んだ。
「……えっ!?」
「!……っの、バカ!」
粟立った身体がすくんで、硬直してると、おなかに腕が回されて後ろに引き戻された。
「なな、なん、なんで、こんな、危ない……っ」
慌てて回りをよく見れば、おそらく塔の上の平らな一角で、当然手摺も柵も何もない。
「こっちの方がよく見えると思ったんだがな」
「お部屋からで十分で……っつ!」
早鐘を打ったような心臓が悲鳴を上げる。
バチっと火花が散った様に視界が霞んで、不味いと思ったがもう遅い。
意識が、消し飛ぶのだけが判った。
不安感を煽る引きですみません(((^_^;)
大事には至りませんのでご安心をー
その為には次を早く書かねばw