比較的長い夜のひととき
姫様サイドのお話
別に百合百合な話というわけではないです、一応。
やはり、と言えばいいのか、侍女のネリーが戻って来ると、
やれ、顔が赤い、熱がある。
と言われて鎮静効果のある香を焚かれてさっさと寝るように言われた。
付き合いが長いのも良し悪し。
そう思いはしても、身体が弱いのは十分過ぎるほどに知っている自身を思えば仕方ない。
最後の我が儘にと、カーテンを開けておいて貰えたのは、この身の行く末を知らされていたからだろうか。
早すぎた就寝時間によって、夜空に星が出た頃に起きたのは、結局は体調が悪くはなかった証左であるが、いらぬ心配をかけるよりは良い。
水差しからコップに注いだ甘味入りの水をちみちみと舐めて、取り置きしてあったサンドイッチを一口つまみ、スリッパにつっかけるように足を通して窓辺に腰掛け───ようとして、夜風の冷たさに慌てて羽織るものを持ってきた。
下町の喧騒が微かに響くのをちらりとみやってから星空に目線を上げると、澄んだ夜空に瞬く星たちが、静かに見下ろしてきた。
つ、と知らぬ内に頬を伝う雫に意識を止めないままにしばらくそのままでいると、
「──月姫様」
囁く声に気付いて室内に振り返った。
「月姫様におかれましては、昼間の発熱など日常の一環なのでしょうが、周りにおります者から言わせて頂けるならば、余計な世話を焼かせやがって……おっと、可愛らしい月姫様に何かあったらと心配で心配で、皆に不要な心労、ではなく、気遣いをさせないで下さいませ」
「………………もぅ、貴女は本当に」
「何か反論でもおありで?」
腰に手をやって呆れた表情を隠しもせずに、ずけずけといってのける側付きの侍女に笑みを溢してからツンと視線を逸らして
「二人きりの時には月姫様呼ばわりは止めて、と言った事を忘れているみたいですから」
と拗ねて見せると
「夜中とはいえ、誰の目があるかもしれませんので、せめてベッドにお戻りになって頂けましたら、外に声も漏れませんでしょうし、月姫様などと恥ずかしい御尊名を口にしなくてよくなりますが?」
私が言い出した事でもないのに、言われる敬称がむず痒いのは本人である私なのに。
※ ※ ※ ※
ベッドに戻らされたものの、起きたばかりでやはり眠くはならないなと考えていると、おしゃべりに付き合ってくれると思っていたネリーが、そのまま部屋の外に向かった。
「ネリー?」
「失礼しました」
そのまま本当に外に出ていってしまった侍女に、訳もなく心がざわついた。
もしかして、私が嫌いになったとか?
もうすぐいなくなる私に付き合う必要がなくなった?
チリリン
鈴を鳴らしてみる───
も、誰も来ない。
警備する人員はいるので、誰にも気付かれないと言う事はないはずなのに。
不安
イヤ
焦燥
イヤ
こど──
「月姫様?」
「……っ、あ、ネリー……?」
「はい、ネリーですよ?」
「よ、よかった……」
零れた涙を指の背でぬぐってほっと一息ついた。
「……どこに行っていたの?」
ほっとしたら、何も告げずに去った侍女に不満が募って咎める様に聞いていた。
「温かいお飲物をご用意しておりましたが、月姫様が窓辺にいらっしゃったので、ついウッカリして外にワゴンを置いて来てしまいましたので」
「……なんで、すぐに戻って来なかったの?」
「それは、折角温かいお飲物をご用意したつもりでしたが、まさかぬるまってやしないかと思いまして、温度を確かめておりましたので。猫舌の月姫様」
「……猫舌なら、ぬるくていいわよね?」
「もちろんで御座います」
いけしゃあしゃあと澄まし顔でのたまって、お茶の用意を淀みなくこなす侍女に脱力した。
「今日は、いつになく意地悪なのね、ネリー」
「……申し訳ありません」
責めれば、殊勝に謝ってみせるが、父王に対しても平然と嘘を付けるこの侍女が口から出した謝罪の真実は闇の中だ。
そう思っていたのに──
「ティアが、ここからいなくなる事を喜んでいたみたいなので、嫉妬したんですよ」
「……嫉妬?」
「えぇ、外に出られる事に興奮してらしたのを私が気付かないとでも?」
さっきまでの澄ました顔はどこへやら、むすっとした顔を見せつつカップにお茶を2つ注ぐと、自身もベッドに上がり込んでサイドテーブルを引き寄せてから、一つを渡してきた。
「有難う」
「……なんで、かを一応分かってるつもりですが、聞いていいでしょうか?」
カップに口を付けながら、伏せる顔は目線を合わせたくないかのようで、普段は大人っぽい友人の酷く子供っぽい仕草に笑みが浮かぶ。
「……外に出られる事は単純に嬉しいわ。私はあまり外出出来なかったから」
「………………」
「それに、私でも役に立てることがある。何かを期待される事なんてないと思っていたから、それが、私は嬉しくて──」
「生け贄なんですよ!?」
ザックリと差し込まれたナイフが心臓を止めるかのように、言葉が止まった。
それでも、血を吐くかのような苦鳴に抗うように
「私が生きているから、他の誰かが犠牲にならなくて済んだの。それが、僅かな時であっても」
微笑んで、隣にいる友人の頭を撫でた。
栗色の少し硬い髪は、張りがあって好きだ。
私の髪も、身体も、もう少しでも力強くあれたらと憧れもする。
「貴女の泣いた顔を見るのは、これで2回目ね」
「っ……!」
バッと上げられた顔が、泣いて赤くなった瞳が、それでも力強さをもって射抜くように、こちらを見据える。
「私がっ、私がティアの代わりに……っ!」
「ダメよ、貴女が居なくなったら、私はここで生きていけないもの。貴女が居てくれたから、私は日々頑張れてきたのよ。ネリー、私に死んで欲しいって、そう希むの?」
喘ぐように、口を開いて、言葉を、願いを、祈りを、嘆きを、望みを、痛みを、全てを出せずに、噛み締めた唇から、なお漏れる嗚咽が、
いとおしい。
抱き締めて、抱き返されて、手から落ちたカップがベッドを濡らした事も忘れて、朝になるまで涙を流した。
泣き疲れてそのまま寝て、起きたらまた熱が出ていた。
ネリーも、月姫様のベッドで寝るなど、何を考えているのか、と侍女頭にカンカンに怒られた。
「月姫様が、泣いて放して下さらなかったもので、申し訳ありませんでした」
『事情を知ってる侍女頭をその一言で黙らせたから、口裏合わせておいてください』
知らない内に私が悪いみたいな話になっていた。