第三話
夏休み最初の土曜日、開店前の店内。
俺は固まっていた。
目の前には今日からバイトに入る事になったひとが立っている。
整った綺麗な顔に背中を覆い尽すサラサラの長い髪。
真っ白のワンピースが少し高めの身長でスラッとした彼女にすごく良く似合っている。
……お嬢様だ。
誰がどう見ても第一印象はお嬢様だ。
とてもこんな場末の定食屋には似つかわしくないお嬢様だ。
「品川有紗です、よろしくお願いします」
俺に向き合って、ぺこりと頭を下げてくれる彼女、長い髪が遅れてサラサラっと降りて行く。
ほのかに香ってくるいい匂いにクラっときた。
「はひ、こ、こちらこそ、ここの長男の恭介でです」
「はい、恭介さん」
顔を上げ、にこっと微笑んでくれる。
おお?
彼女の背後に青空が!
草原が!
花園が!
湖畔が!
アフタヌーンティーが!
セバスチャンが!
ぺしぺし
「お〜い、馬鹿息子、帰って来〜い」
お袋が俺の頬をはたきながら覗きこんでいた、なんかとっても可哀想な物を見た様な顔をしてる。
「うわあ〜、何だよ、お袋〜」
「うわあ〜じゃないよ、開店準備するから教えてあげな」
お袋はそう言って厨房に行ってしまった、まだ下拵え中らしい。
品川さんを見てみると、じっと待っていてくれている。
綺麗だ…まさに掃き溜めに鶴だ。
「品川さん、学生?」
テーブルを並べ直しながら話し掛けてみる。
「はい、清海の三年生です」
俺の並べたテーブルを拭きながら答えてくれる品川さん。
「一つ年上かあ…って清海女子?」
はい、とあっさり言われてしまう。
隣町の清海女子学園。
進学率99%のブルジョワお嬢様学校だ。俺の行ってるクズ校(久住ヶ丘高校)も一応進学校だが遠く及ばない。
「…じゃあ受験生じゃないの?」
「いえ、進学は予定していないんです」
これまた、あっけらかんと言ってのける品川さん。
成績いいだろうに実にもったいない。
まあ色々事情があるのかも知れん。
「ふ〜ん、あとさ、年下だし、俺には敬語要らないよ?」
「あ、いえ、失礼ですし…私、砕けて話す事が出来ないんです」
今、『わたし』じゃなくて『わたくし』って言った!
しかも丁寧な言葉しか話せないってよ?
正真正銘のお嬢様確定!
「いらっしゃいませ」
「…………」
開店して少しした頃、来店して来た常連の永井さん、入るなり品川さんの挨拶で絶句してる。
一度外に出て店の看板を確認する永井さん。
「…ここ、藤村食堂だよね?」
何やら自信無さそうに言う永井さん。
当たり前である。
さっきから来店する度に永井さんと同じ様な反応をする常連客。
今も食べながら横目でちらちらと品川さんを見ている常連客。
いつもなら馬鹿騒ぎしながら食べてる筈の常連客。
まあ無理も無い。
狭っ苦しく古くさい定食屋に昨日までは居なかった美人が居るんだ。
誰だって驚くよ。
「恭ちゃん、あの子…どうしたの?」
常連の宮田さんが話し掛けてきた、彼は年もまだ十代で俺とよく話す人だ。
「あ、ああ、今日から入ったバイトのひとだよ」
「へ、へぇー…」
ぼお〜っと彼女を見ながら食事を再開する宮田さん。
俺も一緒になって彼女を見てみる。
だが最初に感じたお嬢様オーラは少しも衰えていない。
既にランチ時に入った店内を走り回る姿はすごーい違和感だ。
言われた事を丁寧にそして一生懸命にこなしている、かなり優秀だ。
俺と宮田さんを含め、店内全員の男共が恍惚の表情で品川さんに釘付けになっている。
ひゅん
カーン
「いで」
厨房からフライパンが飛んできた。
「さぼってんじゃないよ馬鹿息子!品川さん一人じゃ大変じゃないかい!」
厨房からお袋が鬼の形相で睨んでいた。
俺も宮田さんもガクブルだ。
午後二時過ぎ。
混雑時を過ぎたので一度のれんをしまう。
藤村食堂では平日、休憩無しで開店しっぱなしだかが土日は二時〜五時まで休憩に入る。
常連のほとんどが工場や港の労働者の藤村食堂は土日の方が忙しくないのだ。
「いただきま〜す」
遅めの昼食を摂る俺達、品川さんも一緒だ。
「口に合うか分かんないけど、賄いだから遠慮は要らないよ」
明らかに余計な事も言ってるお袋。
「いえ、私、和食派なので嬉しいです、いただきますね」
四人揃って昼食を摂り始める。
「…………」
ぼお〜っと品川さんを見ながら焼き魚をぱくつく俺。
丁寧に同じものを食べてる品川さん。
「…………」
何だこの光景は…
恰幅良すぎでオバサンパーマのお袋、角刈りにこだわり続けてる親父、その息子の俺。
その中にとっても場違いなお嬢様品川さん。
とってもシュールだ…
どうしてウチなんかでバイトしようと思ったんだろう?
お袋の話だと、どうしてもと熱心に頼み込まれたらしい…
お嬢のたしなみとして下々の生活を体感しましょうって事かな?
…………
とてもそんな下らない事をする人には見えない…
「あのぅ…恭介さん?」
「えっ?」
「私…何かおかしいでしょうか?」
不安そうに俺を見る品川さん。
ヤバイ、あまりにもガン見しすぎた。
「い、いやぁ、美人だなあ…って…はは…は…は」
恥ずかしいのと申し訳ないので引きつった笑顔を返してしまう。
しかもすごい返答してるし。
お袋がすごい怪訝な顔で見てくる。
親父はうんうんと目を細めて頷いている。
品川さんは少し照れ笑いを浮かべている様な気がする。
結局その日は品川さんを意識しすぎて、まともに仕事が出来なかった。
覚えたての仕事を必死にこなす品川さんをしり目に、お袋に計五回のフライパンを食らった。