第二十九話
貴重なご意見を頂く事が出来ましたので、エピローグも執筆したいと思います。
よって最終回は次回になります。
「……お母さん……お母様……」
「えっ?」
「千鶴は私を産んでくれた人……美和子は私を育ててくれた人です……」
感慨に耽る様に呟く有紗……
「千鶴の好きだったこの町を……美和子が作ろうとしたこの町を……有紗の為に住みやすい町にしたかっただけなんだ……」
有紗と同じ様に感慨に耽る様に呟く有紗の父親……
先ほどまでの貫禄は消え去り、情けない様にも見えたがとても優しい表情に思えた。
この人は間違っていない。
ただすれ違ってしまっただけ……
その優しげな表情を見て……
そう思った………
「恭介…一度落ち着いた方がいい…テーブルを一つ使っていいから後は座って話せ…」
落胆し押し黙る有紗の父親を見て親父が提案した。
もちろん俺は賛成した。
そしてテーブルにみんなで座る。
俺と有紗が並び、有紗の父親と黒服じじいが並んで座る事になった。
親父とお袋は厨房に引っ込み、由と義人とレオナは後ろのテーブルに座って見守っている。
常連達には感謝の言葉を預けて仕事に戻ってもらった…
時計を見ると午後三時前…
閑散としてしまった店内は寂しい沈黙で覆われていた。
座ってからしばらく経つが口を開く者は居なかった。
俺もさっき聴いた有紗の父親の言葉に対しての言葉を探しているが、はっきり言って解らなかった。
有紗の二人の母親には面識も無いし、ずれてはいたが父親の優しさにも触れた。
話を訊きたかった。
しかし質問するのも躊躇われた。
長い沈黙の中で繰り返される俺の思考は堂々巡りを繰り返していた。
……………
「……お嬢様は……心臓に疾患を持っておられます……」
長い沈黙を破ったのは黒服じじいだった。
沈黙の中に響いたその言葉に全員が息を飲む。
「…アルベルト…」
苦渋の表情をじじいに向ける有紗の父親。
じじいも申し訳なさそうな暗い表情で応える。
「…有紗…本当なのか?」
「…いえ…わかりません…初めて……聴きました…」
さっき見た感慨しい表情のままの有紗、父親の事を考えているのか、母親達の事を考えているのか……
自分の事を言われたのにどこか上の空だ、それにつられてしまって俺も事の重大さに気付けなかった。
「旦那様……申し訳ありません……しかしこの事を話さなければ、旦那様や亡くなられた奥様が余りにもお可哀想です……」
???
どういう事だ?
「……アルベルト……すまん……私の口からは言えん……貴様が話してやってくれ……」
苦渋の表情のままうつ向いてしまう有紗の父親…
「かしこまりました……お嬢様……これはとても大切なお話です……心してお訊き下さい……恭ちゃん様もどうかお訊き願います……」
ジェントルな態度は相変わらずだが、少し躊躇いがちで寂しげだった。
「……恭ちゃん……私……怖いです……」
「有紗…大丈夫だ……俺も一緒に訊いてやる……」
膝の上に置かれた有紗の手を握る。
「…はい…」
「では、お話します……有紗お嬢様は先天性の心臓疾患を患っておられます………お嬢様の実のお母様の千鶴様から受け継がれたご病気です……」
「……そんな…」
有紗の口から悲しげな声が洩れる。
「……千鶴様は…そのご病気が原因でお亡くなりになりました……」
「――おい!ちょっと待て!有紗は大丈夫なのかよ!」
先天性だか疾患だか何だかよく解らないけど、尋常じゃないじじいの話に声を荒げてしまった。
「いえ、現在は医学の進歩に伴い、移植の必要も無く、投薬のみでの治療が可能です…」
「………なん……だよ……びっくりさせんなよ……」
俺の後ろからも安堵のため息が聞こえてくる。
「……その新薬ですが開発されたのはごく最近でして、お嬢様が小学生の時にはいつ発作が来るかと毎日毎日が心配の尽きない日々でした………当時この町には大きな病院も無く…一番近い大病院に向かうにあたる時間も膨大でした……」
目を伏せ言葉を切るじじい…
「亡くなる前の奥様はひどく気をもんでおられました……町に病院が無い事に…既存する病院への交通手段の無さに………奥様は病院のある町への転居も考えた程です…しかし…」
「…千鶴の遺した最後の願いが有紗をこの町で育てる事だったんだ……」
うつ向いたまま語る有紗の父親…
……………
……俺はもう解ってしまった……
この人の大きすぎる優しさも……
既に居ない母親達の優しさも……
「……奥様は千鶴様の遺された言葉を受け止め、この町に残る決意をし、有紗お嬢様の為の町を作る決意をなされたのです……心臓疾患の事を語る訳にもいかずがむしゃらだったのでしょう……町には無かった大病院を作り……専門の大学病院へ通じる高速道路の計画を発案し………逝かれてしまうまで…有紗お嬢様の安心して暮らせる町を夢見ていました……」
話を再び切るじじい。
なんて事だ……
…新都市化計画……
全て有紗の為の母親の愛だったんだ………
有紗の膝の上の手に重ねられた俺の手に雫が落ちる。
「……うぅ…う……お母様…お母様ぁ……うぁぅ……」
話を終えたじじいの代わりに有紗の泣き声が響く…
「…有紗…すまん…千鶴と美和子の遺した願いを想う余り…一番大切なお前の事を見失ってしまった様だ…私はこの町を変える事がお前の為になると思い違えてしまったのかもしれない……」
父親の言葉に激しく首を振る有紗…
きっと……
父親にとって千鶴さんの遺した言葉はかけがえの無いものだったんだろう……
有紗が十年前の思い出を大切に想う様に……
そして美和子さんも心から有紗を愛していたんだろう……
厳しく接していたのも、病気の事を隠し教育していくのには仕方がなかったのかもしれない……
そしてその優しさを絶やさぬ様に父親は必死だったに違いない……
「…ぅあああああぁぁぁぁぁぁ!」
俺の胸に飛び込んでくる有紗…
座ったまま抱き締める……
情けないけどそれしかできなかった。
掛けてあげる言葉を知らなかった。
「……すまなかった…恭介君……」
「えっ?」
「……目が覚めた想いだよ………私では無く君に抱かれて泣く有紗を見て………自分で想うだけで無く、アルベルトの口から聞いて……私は間違いに気が付いたよ……」
憑き物が取れた様に穏やかな表情の有紗の父親。
「…十年前の記憶もそうだよ……有紗が病気で苦しんでいた辛い記憶だった……でもそれも間違い……辛い中にも優しい幸せはあった筈だ………」
違う…
「……間違いだったんでしょうか?……俺には間違いには思えません……すれ違ってしまっただけだと思います……すれ違ってしまったその優しさが有紗に直接届いてほしかった……」
心から思う……
そんなに優しい人達に囲まれて居たのに……
悲しくすれ違っていただけなんて余りにも悲し過ぎる……
「ありがとう…恭介君……有紗が君に出会えて…本当に良かった…」
…………
「……そうなんでしょうか………俺は優しい人達を疑ってばかりいました……有紗を追い詰めた連中を片っ端から修正してやろう…とか思っていました……」
そうだ……
有紗の為とはいえ、いろんな人達を巻き込んで、傷つけたりもした。
「……品川の人達はみんな間違ってるって…最初の頃はレオナすら疑ってた………でも違った……みんな本当に……本当に優しい人ばかりだったじゃないかぁ……!」
その優しい人達に向けてしまった疑いが申し訳なくて辛い……
涙が溢れてきた。
「俺に有紗をこうしてあげる資格は無いんじゃないすかね……!」
自分の胸で泣く有紗を見ながら問う。
「…馬鹿を言うんじゃない………君しか出来ない事だよ……」
懐かしく思える優しい表情で言ってくれる有紗の父親…
「そうですぞ…恭ちゃん様が居られなければ…お嬢様はどうなってしまった事か……」
やはりジェントルに微笑みながら言ってくれる黒服じじい…
「……藤村様だけがお嬢様の苦しみに気付いてあげられたのです……」
もう優しいお姉さんにしか見えないレオナが言ってくれる…
「…そうだよ、いつでもやる気の無かった恭介が好きになった人なんでしょ?自信を持ちなよ」
いつでも一緒に居た一番の友達の義人はいつもの口調で言ってくれる…
「…まったく…鈍感もここまで来ると才能だね…有紗さんには恭介しか居ないんだからね?……恭介しか……居ないんだよ……」
涙でいっぱいだけど精一杯の笑顔で言ってくれる由…
「……ぅぅ…ごめん……ありがとう……みんな……うぅ……」
嬉しさと申し訳なさの混ざった涙が胸で泣く有紗に溢れる。
「…グスッ…うぅ…」
「……きょーちゃん?」
「えっ?」
「きょーちゃん……泣かないで……?」
全然人の事を言えない表情の有紗が顔を上げて、俺の涙を掬ってくれた。
「……ゆーちゃん…」
「「…………」」
お互いの顔を見て、二人してきょとんとしてしまう。
「ふふ」
「はは」
「「ふはははははは」」
二人して泣きながら笑い合ってしまった……
みんな唖然としている。
「ほら!さっきまでびーびー泣いてた癖になに大爆笑してんだい!」
「えっ?」
お袋がいつのまにか隣で仁王立ちしていた。
そう言うお袋の目にも涙の跡があった。
後ろの方からは親父のすすり泣く声が聞こえる…ちょっときもい。
どうやら話を聞いて感動したらしい…
「店が混む前にみんなで夕飯にしちゃいな!」
「はあ?」
何言ってんだ?
お袋が妙な事を言っている。
「だああ!とにかくみんなで夕飯にしようって言ってんだよ!ほら!出来てるから配膳手伝いな!」
「えっ?あ…ああ…」
ごしごし涙を拭いながら厨房に行こうとすると有紗と目が合う。
…………
「有紗、一緒にやろう」
「――はい!」
目の前には物凄い量のおかず……
宴会状態にテーブルを合体させて全員で向き合っている。
「私達もご一緒してしまってよろしかったのでしょうか?」
じじいが遠慮がちに問掛けてくる。
隣にはもちろん有紗の父親も居る、かなり恐縮気味だ。
「アルベルトさん…食事はみんなでとるものです、ここのご飯を冷ましてしまうのは許されませんよ?」
にこやかに微笑みながら何処かで聞いた様な文句を言うレオナ。
「こんなに作ってしまいましたから、遠慮しないでください」
作った当人の親父、目は涙で腫れて真っ赤っかだ。
お袋と一緒に同じテーブルに着いている。
「……藤村さん…奥さんも……本当に感謝しています……」
「いいんですよ、息子が勝手にやった事だし、もう一人の従業員も困ってましたから…」
「……はい…ありがとうございます…武藤にも後で感謝の言葉を送ります……」
「も〜どうでもいいけど早く食べよ〜?まだ時間早いけど見てたらお腹空いてきちゃったよ〜」
言うまでもないが由だ。
「よーし、じゃあいただきますだよ?」
可哀想な義人…これが最後の台詞だ。
「「「いただきま〜す」」」
何やらすごい人数での夕食になってしまった。
見回して思う。
小汚くて狭っ苦しい定食屋…
面倒くさかっただけの手伝いの日々が何処か優しい…
理由は簡単だ。
訪れる人がみんな優しいんだ。
ここに居るみんなも…
常連達も……
ありがとう………
「きょーちゃん」
「ん?」
隣の有紗に呼ばれて、そっちを向く。
「―――!!」
ひどく驚いた、でも驚きの声は出なかった。
口が塞がってたから……
「ちちちちちちちちちょっとああああ有紗ちちちちちちちゅー……」
いつか徳さんが言ってた恥ずかしい発言を俺までしてしまった。
「…十年前にずっとしたかった事です…ふふ…」
恥ずかしそうに照れる有紗……
みんな唖然としている。
全員固まって目が点になっている。
「ち、ちょっと〜!恭介!こんな時に何やってくれちゃってんの!きーー!」
バシッバシッ
途端に半泣きになった由が手近にあったお盆でぶってくる。
「痛!痛!ちょっと!今のは俺がした訳じゃない!痛いってば!」
「有紗さん!」
「ふふ、ごめんなさい、懐かしくて…嬉しくて…気が付いたらしちゃってました」
笑顔で謝る有紗。
つられた様にみんなも笑いだす。
幸せそうな笑顔だった。