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第二十五話

静かだった。



店の中は静まり反っていた。



いつもならお昼時である今は賑わっている筈だった。



親父もお袋も、ただ昼飯食べに来ただけのお客達も、静かに俺達を見守ってくれていた。



俺の名前を呼んでくれた有紗…



ずっとずっと待っていた女の子……





ふと、思い出した様に蝉の声が聞こえた。



連日の雨の影響からか、その声を聞くのは酷く久しく感じた。



煩わしいだけだった筈のその鳴き声は、待ちわびた夏の到来を告げる様に、少しだけ心を軽くしてくれた。




酷く大きく聞こえた。






雨は上がっていた……








「……寂しかったんです……」


静かに口を開く有紗。


「有紗?」


「大丈夫です…恭ちゃん…」


弱々しくだが微笑む有紗。


「今ならちゃんと話せると思います……訊いて下さい」


俺を映す綺麗な瞳、虚ろだった瞳は光を取り戻していた。


「……ああ…もちろんだ…」


「まずは…」


ガラララー


「恭介恭介恭介〜!」


有紗の話を遮る様に勢いよく店の扉が開き由が来店した。

義人とレオナも居る。


「由!みんな!」


「恭介恭す……あっ!有紗さん!……有紗さん!」


有紗を見付けてすぐに有紗に飛び付く由。


「か、桂さん?!」


「有紗さん……良かった…良かった…」


有紗の胸で泣く由…

ほとんど事情を知らない筈なのに心から心配していたんだろう…

純粋な由らしいと思った。


「……桂さん……」


泣き出した由につられて…

いや……違うか…

泣いてくれた由が嬉しいんだろう……有紗も瞳に涙を溜めている。


「…お嬢様……」


レオナも泣いていた。


「レオナさん…たくさんご迷惑を掛けてしまいました…」


由を胸に抱いたままレオナに申し訳無さそうな顔を向ける。


「……迷惑なんて仰ってはいけません……私が好きでやった事なんですから……」


泣き出しそうな表情で答えるレオナ…


感謝と感涙の表情でそれに応える有紗…


「恭介」


安心させてくれる様な笑顔を向けてくれる義人。


「ああ…ありがとな義人…」



三者三様の反応だが、みんな俺と有紗を心から気遣ってくれたと解る。




「では、恭ちゃん…お話ししますね……」


由を抱いたまま俺に向き直る有紗。


「…いいのか?」


はっきりとは言わなかったが、三人に外してもらわなくていいのか訊く。


「いいんです…皆さんに訊いて頂きたいんです……」


俺達の心情を察してくれたのか、みんな黙って有紗を見つめる。


「…わかった…」


「はい、ありがとうございます」


いつもの笑顔だった。


………安心した。





「…私が品川の名字に変わったのは小学校三年生に上がった時でした……父の再婚が理由でした…」


事情を知らない由と義人は少し驚いている。


「前の名字は七瀬でした…私……その名字の時は…ここのすぐ側に住んでいたんです……」


「えぇっ?」


驚く由と義人、俺も少し驚いた。


「生まれてすぐにお母様を亡くした私はお父様と二人きりで小さなアパートに住んでいたんです……」


淡々と……でもはっきりと喋る有紗…

話の内容には驚かされるが誰も口を挟めない……

由も…義人も…レオナも…もちろん俺も……

店内に居るお客やお袋達も同じだった。


「お父様はお料理が苦手で作ってくれた事はありませんでした、加えて私は体が弱くて出来合いの物をあまり食べられなかったんです…」


有紗が俺の顔を真っ直ぐに見つめる。


「……そして…困り果てたお父様は私をここに連れて来てくれたんです………私がまだ保育園に行っていた頃です……」


「……ゆーちゃん……だったのかい?」


お袋だった…酷く驚いた表情で有紗に歩み寄る。


「…はい…お久しぶりです……有紗の名前を上手く言えなかった私………ゆーちゃん…です…」


ぽろぽろと涙を溢す有紗…


「……どうして言ってくれなかったんだい…」


「……怖かったんです……忘れてしまっているだろうと……私の事なんて覚えていないだろうと…………ここは……私にとって……最後の大切な場所だったから……」


次から次へと溢れる有紗の涙、体を震わし必死に堪えている…


「……有紗…」


居た堪れなくて呼ぶ。


「…恭ちゃん!」


由から体を離し俺の胸に飛ひ込んでくる。


「……たったひとりだった友達に……忘れていてほしくなかったんです!!」


俺の胸で泣きじゃくる有紗、優しく抱き締める。


「当時店で遊んでいた俺の…一番の友達だったんだ……ゆーちゃん…有紗は……」


「…そう…だったのかい…それでお父さんが再婚した三年生から店に来れなくなったんだね……」


「……はい…」


俺の胸に埋まったまま答える有紗。


「…品川の娘になった私に……自由は無かったんです…ここに来たくても…恭ちゃんに会いたくても…屋敷を出る事は許されませんでした………新しいお母様は優しく綺麗な方でしたが厳しい人でした…マナー…言葉遣い…振る舞いなど……品川に必要な全てを身に付けるまで学校すら通わせてもらえませんでした……」


みんな黙っている。


悲痛な心持ちの有紗に掛ける言葉が見当たらない。



「早くに亡くなってしまったお母様が居なくなる頃には……私が私で無くなってしまいました……通える様になった学校では私じゃない私が見下す様に挨拶をし、屋敷では私じゃない私が使用人達を見下ろしていました……」


「……お嬢様……」


堪りかねた様なレオナが声を掛ける…


「…中学生になった頃に雇われたレオナ……優しくて他の人達と違うな…って思いました…でも………手遅れでした…」


俺の胸で震える有紗…制服を強く握り締めてくる。


「友達になってほしかったのに!お姉さんみたいになってほしかったのに!……わからなかったんです……!どうすればいいかわからなかったんです……!」


「……お嬢様…私はずっとお嬢様を大切な妹の様に思っていました……」


涙を溜めながらも慈愛に満ちた優しい笑顔で微笑むレオナ。


「…レオナさん!」


俺の胸に顔を伏せる有紗…


「…有紗……もういい…わかったから…辛い事は話さなくていいから…」


もう見ていられなかった…


「…恭ちゃん…ありがとうございます…でも…話します…最後まで……話します…」


見守っていた。


店内に居るみんなが見守っていた。


由も義人もレオナもお袋も親父も…

既に昼休みが終わっている筈のお客達も…



「……ああ…わかった…」


「…はい……」






高校生になった私…


周りは何も変わりませんでした。


いえ、違いますね……

その時既に私はおかしくなってしまっていました。


学校でも……屋敷でも……自室で一人きりでいる時でさえも……


私じゃない私を演じていました……



怖かったんです……



誰も本当の私に気付いてくれない……


誰も本当の私を知らない……



私は誰にも会いたくなくなってしまいました。


学校に行くのが怖くなってしまいました。


自室に引き込もる毎日が始まりました……


お父様や亡くなったお母様の教えを必死に守ってきたもう一人の私も限界でした。


私は病気になってしまいました。


お医者様に見て頂いても治りませんでした。


環境がもたらした病気は改善された環境でしか治す術は無いと…お医者様は言いました。


どうでもいい……と…思いました……



そしてこの夏……私の単位不足からの退学が決定したんです。



お父様は私に最後の期限を設けました。



私の好きな様に過ごしていい…そうすれば病気が治るかもしれない……


薄氷の様に薄い望みは私にとって……もう一人の私にとって……最初で最後のの自由でした。


私の一番深い所に隠れていた、本当の私が少しだけ顔を出しました。


思い出の場所を探しました……



お父様と住んでいたアパートは無くなっていました……


小学校……体が弱くて通った事の無いそこには大切な思い出はありませんでした……



途方に暮れました……


私が私であった時の思い出は……こんな物だったのか……



でも……私のかすれた思い出の中に……


確かにあったんです……


私が私であった時に……確かに笑っていた場所が……




気が付いたらここに居ました……



無意識に開いた扉の向こうは何も変わっていなかったんです……



『ごめんなさいね……営業は11時からだよ』


『…あ…その……』


『……?お嬢ちゃん?どうしたの?』


変わっていなかった思い出の場所は私に少しだけ勇気をくれました。


『ここに居させて下さい!』


『はあ?』


『あ……いえ……その……私を……』


『ああ、アルバイト希望の人かい?……参ったね…ウチは募集してないんだけどねぇ…』


……恭ちゃんのお母様の言葉が私の意識を大きく揺さぶりました。


『………お願いします!!』


すがる想いでした……


ご迷惑なのは解っていましたが私は夢中でした…



本当の私にとって……この食堂だけが遺された最後の希望だったから……



暗くて……寂しくて……怖くて………


右も左も解らなくて………


自分自身すら曖昧になってしまった……




「私がすがった最後の希望だったんです……」




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