第二十二話
誰もが寝静まっているであろう深夜。
聴こえてくるのは陳腐な有線、それと雨音。
深夜のファミレスは閑散としている、雨宿りに来たカップル、終電を逃したサラリーマン…
怠惰な時間を過ごす人達は皆舟を漕ぎ、持て余すだけの時間が過ぎるのを待っている様だ。
「お待たせしました」
店員が注文しておいたコーヒーを持って来た。
一瞬その女性店員と目が合った。
『…うわぁ…冴えねえ顔してらぁ…よくこんな顔してこんな美人たぶらかしたもんだねぇ…しかもコスプレまでさせてるし……恭介様〜…じゃねぇよ!キモいわ!この女の敵がぁ!』
なんとなく目がそう言ってた気がする……
「…はぁ…」
どっとため息…
「…あの……よろしいでしょうか?続きをお話ししたいのですが……」
レオナが怪訝な面持ちで首を傾げていた。
続きと言っても先ほど話を始めたばかりだった。
内容は…そう、有紗の……『期限』に関する事…
『7月22日から8月31日…この期間のみ最後の自由を与えられたのです…』
俺の予想通りだった………
「藤村様?」
「……ああ、いいよ、続けてくれ…」
とにかく今はレオナの話を聴こう…
「はい…8月が明け…約束通り…9月に入りお嬢様は屋敷にて養生される事になりました」
「……養生?」
「………は…い…お嬢様は…学校に通われなくなられてから……」
言葉を切るレオナ…
悲しそうに顔を歪め、目を伏せる。
「精神に異常をきたしてしまわれた…と…思われます…」
「――はあ!?」
思わず身を乗り出してしまう、レオナは今にも泣きそうだ。
「お嬢様は1年以上前から精神科のお医者様に掛っておられます…………診断結果は………鬱病…で…す…」
「―――ま、まじ…か…よ………」
有紗の最後の方の行動…
品川家の重圧に耐えられなくて、俺にぶつけている物だと思っていた…いや、実際そうだった筈だ。
……でも有紗は俺に出会うずっと前から……?
「…鬱病って……どういう病気なんだよ……?」
俺には精神の病気……くらいしか知識が無かった。
「心の病気です……鬱病と言っても様々な症状があるらしく……お嬢様の場合は極度の自閉症…です…」
それなら知ってる……確か他人とのコミュニケーションが困難になってしまう事だった筈だ……
……有紗……
「…旦那様は…この夏休みに最後の期限を与え…お嬢様の意思を尊重し…委ねられたのです…」
「………?」
「お嬢様の好きな様に過ごして頂き……お嬢様の心が回復してくれる事を願っておられました……期限内に回復が見られない様なら屋敷にて精神科医の治療に専念すると約束の元で…ですが…」
「――な!」
俺の考えていた事と違う。
有紗の親父は…品川家の立場として、有紗に期限を与え、縛るつもりだと思っていた……
「しかし…期限を過ぎてもお嬢様は…変わらず……いえ、異常は悪化してしまわれたのです…」
「レオナ、はっきり言ってくれ」
胸がざわつく。
「――藤村様!お嬢様をお助け下さい!9月に入ってから、お嬢様は自室に籠られるばかりで……以前にも増して心を閉ざしてしまわれているのです!精神科医でもサジを投げてしまう状態なのです!」
レオナが泣いている。
酷く取り乱し、泣いている。
他の使用人達とは違うとは思っていたが、レオナもあくまで仕事として、もっと無感情に有紗に付いていると思っていた。
違う…
これは…
「……有紗を助けるのは当然だ…」
胸がざわつく…イライラする。
「レオナ…お前…有紗をどう思っている?」
「……お嬢様を…?……もちろん大切な方です」
「有紗がお前の事を姉の様に思っていたらどう思う?」
「この上無い誉れです……いえ…恐れ多いですが…私はお嬢様を妹の様に思っております…」
そうか……
おかしいのは品川家じゃない……
有紗だったんだ……
「…とにかく有紗に会わせてくれよ……」
有紗がそうなってしまった原因……
今の状態……
気になる事は他にもたくさんある…
とにかく有紗に会いたかった。
「藤村様…その前に訊いて頂きたいお話が他にもあります」
「…話?」
「以前藤村様が仰っていた武藤氏……いや、品川建設に関するお話です」
「ああ、何かわかったのか?」
「はい、品川建設では近々、隣接する市町村と協力して高速道路計画を立案中らしいのです」
「……ふーん…えっ?それで?何か関係あんの?」
高速道路?
有紗と繋がるとはとても思えない。
「その高速道路計画…久住市新川町を横断する計画なのです…」
「――新川町って、俺ん家じゃん!」
「…はい、藤村様のご自宅…藤村食堂も買収予定地として挙げられている様です…」
「……ウソ…だろ…」
静かに首を振るレオナ。
「……お嬢様は…藤村食堂を守る為にアルバイトをしていたのかもしれません……」
「…………」
レオナの言葉に妙に納得してしまう。
武藤さんを執拗に嫌っていたのも、それならば納得できる。
有紗は藤村食堂を固執していた気がするし……
???
そういえば…どうして有紗は藤村食堂にあそこまで固執していたんだ?
何か無いとあんな古いだけの食堂に執着なんてしない筈だ。
「藤村様……お話はもう一つ……これは品川家に縁のある者でも一部の人間しか知らない機密事項なのですが……」
「えっ?」
「藤村様なら…お話しします……お嬢様はお母様を二度……亡くされている…らしいのです…」
「…………」
もう驚き過ぎて反応出来なかった…
有紗の悲しそうな顔がちらついてしまう…
「最初のお母様は生まれてすぐに…前党首様を亡くされたのも…まだ小学生の頃らしいのです…」
「最初…前党首?……ちょっと待て…党首って親父じゃないのか?」
「…そうです……有紗お嬢様は品川家の実の娘ではありません…現党首…旦那様の連れ子です……私はその辺りにお嬢様の心を蝕む痕跡があると…思っています…」
「………有紗…」
なんて複雑な環境にいるんだよ……
「藤村様……私はもうお嬢様のお力になる事ができません…お嬢様をお助け下さい…」
「有紗の力になれないって……どうしてだよ?」
「…先ほど話していたお話は私が独自に調べた品川家の特記です………それが…その…ばれてしまいまして……リストラされてしまいました……」
はははと苦笑しながら言うレオナ……
「レオナ……」
俺はレオナをかなりの偏見の目で見ていた様だ……
おかたいイメージ…
間違っていた…
本当に妹を想う姉の様に優しい人だったんだ……
「お嬢様は…うわ言の様にいつも藤村様のお名前を呼んでいます……恭ちゃん恭ちゃん…と……」
???
「えっ?……恭ちゃん?有紗がそう言ってたのか?」
恭ちゃん……有紗は俺をそうは呼ばない筈だ…
「はい…間違いありません…どういう事ですか?」
「いや、有紗が俺を呼ぶ時は……恭介…さ…ま…?…あれ……?」
自分で言っておいて、なぜか違和感を感じる……
……恭ちゃん…
店の常連達にいつもそう呼ばれている…
他にも…どこかで……
…………
…………
そう……か……
そうだったよな……
俺はバカだった……
どうして気付いてあげられなかったんだ……
「レオナ」
「はい?」
「昼になったら有紗を連れ出す、力になってくれ」
「えっ?は…はい」
「朝までは……そうだな、レオナの知ってる有紗の話を聴かせてくれ、レオナが眠くなるまででいい」
「はい…それは構いませんが…どうしてでしょうか?」
「レオナ、俺は忘れていたんだ、いや、自分の都合のいいように置き換えていたんだ、俺は自分が許せない、だからその気持ちが緩まない様に聴かせてほしい」
「は、はい」
朝7時頃…
一度レオナと別れて自宅に戻って来ていた。
自分の家である食堂の前で立ち尽くす。
降り続く雨に打たれ、全身ずぶ濡れになってしまっている。
有紗……
お前にはここしか無かったんだな……
…ごめんな……
自分に腹が立つ…
激しい自責の念が俺を覆い尽す…
「うあああああああ!!!」
咆哮した。
「……な〜に〜…恭介〜?」
「な、何?恭介!何かあったの!」
桂と土屋の家から由と義人が顔を出してびっくりしてる。
……………
そう……
俺は思い出したんだ…
儚く移ろいでしまった……
優しく懐かしい………
大切な時間を………