第二十一話
教室の窓から見える風景は暗い。
鈍色に濁った空から溢れ落ちる雫はその暗い風景をさらに深く彩っている。
アスファルトの地平線があるなら境界線は無くなってしまうだろうか…
…………
「…ぶほぉぁあぁ…」
ため息…これため息…
今は授業中…
有紗と連絡が途絶えてから一週間が経ってしまった。
もう何をするのも無気力な俺…
バカな事を考えてはため息をつくを繰り返していた。
9月になって降り続いている雨も一週間が経ってしまっている。
8月に降らなかった遅れを取り戻す様に分厚い雲は晴れない。
晴れ間を見せない空は俺の心を写している様だった。
昼休み…
「藤村さぁ…振られたらしいよ…」
「えー…藤村に彼女居たっけ?由ちゃんじゃなくて?」
「違う違う、何か見た人居るらしいよ〜、すんごい美人と腕組んで歩いてたんだって」
「ウソ〜、あの藤村が〜?」
「本当らしいよ、でも振られちゃったらしいけどね…藤村あの様子だし…」
「ふ〜ん、じゃあ三角関係復活?」
「三角関係って?」
「ほらほら、今も三角は形成されてるよ」
「えー!じゃあ由ちゃんを巡る修羅場三角?」
「違うって〜、藤村を巡る修羅場三角ってヤツよ」
「うわぁ、それいい!何か藤村とつっちーあやしいもんね!」
「…………」
聴こえてますよ…
まる聴こえですよ…
「恭介…気にしない気にしない」
「そうだよ〜、そろそろいつものバカ恭介に戻ってよ〜」
昔から変わらない三人での昼食風景…
いつもの…か…
夏休みの前…有紗に出逢う前はこれが普通だった。
学校で適当やって…
こいつらと三人でつるんで…
俺は夜の手伝いの事ばかり考えてて…
店手伝って…
疲れて寝て…
日常が帰ってきただけなんだよな……
有紗と一週間会っていない…
毎日の様に屋敷に掛け合っているが、毎日叩き出されて終わり…
電話も駄目…
もう無理なのか……
左腕が嫌に軽い……
彼女の定位置はここじゃなかったのだろうか………
店は相変わらずだ。
工場は雨が降ろうが夏休みが終わろうが関係無いし、港も船が出てない訳じゃないらしい。
「恭ちゃん、おかわり」
「あいよ〜」
ダッシュで大盛りおかわりを配達する。
親父とお袋、常連のみんなは有紗の事をあまり訊いてこない…
俺に気を遣ってくれてるんだろう、助かる。
「恭介〜、トンカツ定上がったよ〜」
「あいよ〜」
これまたダッシュでテーブルに配達する。
彼女が居なくなった負担はあった…
でも夏休み前は一人でやっていた事だ、一日で慣れた…
ここにも日常が帰ってきている…
慣れてきている自分が嫌になりそうだ。
「恭ちゃん、ビールおかわり〜」
「………あいよ〜」
冷蔵庫からビールを持って高速で配達する。
彼女に会いたい…
でも彼女の家は凄すぎる…
俺みたいな一般人の一高校生にはどうしようも無い…
俺と有紗は……終わったんだ……
「恭ちゃ〜ん、こっちウーロンハイおかわり〜」
「……はあぁぁ…おちおち物思いにも耽れやしねぇ……」
「だあ〜〜〜!めんどくさい男だねぇ!」
ひゅっ
コンッ
「痛」
お椀が飛んできた、地味に痛い!
「お疲れさん……じゃあ俺は先に休むから……おやすみ〜」
「恭介……」
「………何?」
「どうにもならないのかい?」
「…………」
お袋も心配してくれてるみたいだ…
初めて見るお袋の哀憐の表情…
「…………ああ、いろいろやったけど無理だよ…彼女は住む世界が違うんだよ…」
「……だったら…忘れちゃいな…あんた…見てらんないよ…」
「ああ…」
自分の部屋の布団に飛び込む…
疲れはあまり無い…
忘れる…
…………
いつもの日常に戻ったんだ……
終わったんだ……
忘れる………
…………
忘れられる訳無い……
忘れられる訳無い!
俺にすがって…泣いて…
泣いて…
助けを求めていたんだ!!
会いたい…
会いたい!
自分の情けなさと、どうにもならないもどかしさと、彼女に会いたいと思う切なさが入り乱れて苦しい…
苦しい……
「有紗……」
……………
?
店を手伝う前に放り投げた携帯…
俺の携帯に電話を掛けて来るヤツは稀だ…
義人と由は電話するより直接言いに来る。
お知らせランプ…
点灯している!
バッと携帯を掴む!開く!
着信あり…
知らない番号…
「…有紗」
そのまま通話ボタンを押す!
もどかしい、一回のコール音が何分にも感じる。
『はい』
「――有紗!!」
『…ふ、藤村様…私です、御陵です』
危うく携帯を落としそうになる…
「…………レオナ…」
レオナには悪いがひどく落胆してしまう。
…レオナ…レオナ?
『藤村様……ご無沙汰しておりま』
「――レオナ!!」
『――はいぃぃ!』
「レオナ!有紗は!有紗はどうした!!」
この一週間、散々試みた有紗への接触。
無機質な対応の使用人、問答無用のSP…
レオナは違う。
一緒に居た時間は短いけどレオナは違う。
俺は確信していた。
『藤村様、落ち着いて下さい!もちろんお嬢様の事でご連絡させて頂きま』
「――だから!有紗はどうしたって言ってんだよ!!」
『話します話します話しますから!怒鳴らないで下さいぃ…藤村様…恐ろしいですぅ…』
…………
猛省した。
レオナの脅える声を聴いて自分を恥じた。
「……ごめん…レオナ…でも早く教えてくれ、有紗は…どうした?」
『藤村様……はい……では藤村様…夜分遅くになりますが、お時間を頂けますか?』
「…直接って事か?」
『はい、よろしければお迎えに上がります』
「大丈夫だ、どこだ?」
レオナの指定した待ち合わせ場所は駅前のファミレスだった。
家から10分…走って来たので5分掛らなかった。
レオナは先に着いていた様だ、目立つ銀髪…メイド服…
ファミレスの店内に居る全員が奇異の視線をレオナに固定していた。
「はぁはぁ…レオナ…お待たせ…」
ここまで走って来たお陰で息を切らせながら声を掛ける。
瞬間。
バババッ
立ち上がって俺を一瞥、そのままレオナの頭が下がる…
下がる下がる下がる…
「藤村様!申し訳ありませんでした!!」
うわぁぁ何ですかぁ?
「うわぁぁ何ですかぁ?」
散々レオナに奇異の視線を投げ掛けていた店内の客や店員…
その視線が集まる集まる…
俺に!!
「ちょちょちょちょっと!レオナ!何やってんの!!」
90度以上頭を下げたままのレオナに訊いてみる。
「私が!私が!あの夜に!あの夜にぃ!」
訳わからんレオナ。
「なななな何?あの夜って?」
泣いている訳ではないが悲痛な面持ちのレオナ(頭を下げているので多分)にちょっと退きながら訊いてみる。
「私の…私の…全てを…全てをぉ…藤村様にぃ……!!」
「ええぇぇぇーー!!」
店内の客や店員の視線が奇異の視線から激怒の視線に変わっている。
「藤村様!藤村恭介様!申し訳ありませんでした!」
フルネーム言うなよ。
結局レオナは夏休み最後の日の夜に、俺に余計な事を話してしまったせいで俺が倒れてしまったと思っていたらしい……
「…えーとレオナ…?落ち着いた?」
状況確認終了、レオナは悪くないと説明終了、コーヒーも注文終了。
「…はい…私とした事が取り乱してしまいました…申し訳ありません……」
ちなみに店内の客や店員の誤解は解いていないので、激怒の視線は俺に突き刺さったまま。
「……それはもういいから……有紗の話を訊かせてくれ……」
再確認したがやっぱり俺はレオナが苦手らしい……早く本題に入りたかった。
「…はい…藤村様……では順を追ってお話しします……」
ようやく落ち着いたレオナ……
いつでも凛としたレオナが伏し目がちに語りだした話……
有紗と……
藤村食堂と…
俺の話だった……
時刻は深夜……もうすぐ日付も変わる……
どうでもいいが、明日は学校……
外にはやっぱり雨が降っていた……