第十八話
深夜3時頃。
〜♪〜♪
陽気な着信音が響く、由が勝手に設定した何やら流行っている歌だ。
もぞもぞと布団から這い出し、滅多に鳴る事の無い携帯を取る。
「……もしもし…」
『………恭介様…』
有紗だった。
電話の相手が有紗だというのはわかっていた。
通知を見た訳ではない。
「……どうしたの?」
この質問の答えもわかっていた。
『…ごめんなさい…声が聴きたくて…』
彼女と話したのは30分前…
ついさっきも同じ内容の電話があった。
その少し前にも似た様な電話…今日だけでもう何度目の電話かわからなくなっていた。
「……有紗…大丈夫?」
『……一人だと……不安なんです…恭介様…』
「…大丈夫だよ…すぐに会えるよ?安心して?」
『…恭介様…』
彼女と付き合いだして一週間…
最近は毎晩こんな感じだった。
彼女は…異常だった。
「ふああぁ…」
…営業中…
俺は仕事をしながらも欠伸を連発していた。
「何だい、恭ちゃん、眠そうだね?大丈夫かい?」
常連の宮田さんが心配してくれる。
「大丈夫だよ…ありがと…」
そう言いながら、どうしても有紗を見てしまう…
彼女は別のテーブルで注文を訊いていた。
「あっ!恭ちゃん…まさか…」
「えっ?何?」
「有紗ちゃんが寝かせてくれないとか?」
「「「なぁにぃーー!!」」」
店内の漢達が一斉に俺を凝視した。
実際その通りなのだが、彼等が思っている様な事実は無い。
「有紗ちゃん、本当なのかい?」
「どうして恭ちゃんなんだぁ!」
「だいたいそのふざけたピンクエプロンはなんなんだ!」
「しかし恭ちゃんと有紗ちゃんが付き合う事になるとはねぇ…」
やんややんやと騒がしくなる店内。
俺は冷やかしの声に恥ずかしくなってしまう。
有紗は少し嬉しそうに照れていた。
「恭ちゃんのどこがいいの?」
お、これは俺も気になる…
「あ、その……全部です…素敵で…優しくて…暖かくて…」
…有紗……
「じゃあさ、ちゅーはしたの?」
な、何訊いてやがるんだ、このオッサンは…
「…あ、いや、その…」
オロオロと俺に助けを求める様な視線を送ってくる。
「…ったく…はい、しゅーりょー!有紗が困ってるから終わり!」
俺も恥ずかしくなってきたので無理矢理終わりにしてやる。
逃げる様に俺の側に来る有紗。
はしっと受け止める俺。
…………
うるんだ瞳で見上げてくる…
「………」
「………」
なんとなく見つめ合ってしまう俺達…
「…有紗……」
「…恭介様……」
口を開けて愕然とする常連達に囲まれて、俺達は……
ぶぉん
ドゴッ
「―――――!!」
ず…寸胴(デカい煮込み鍋)が飛んできた…もちろん俺だけに。
あまりの衝撃に声が出ない…
「店の中でイチャついてんじゃないよ!このバカップル」
なんて物を投げやがる!下手したら死ぬわ!
「恭介様!」
俺を気遣ってくれる有紗…
やせ我慢して微笑み掛けようとしたが…
笑えなかった。
化粧で誤魔化していた様だが、よく見ると彼女の目の下には異常な程の隈があった。
どうにか気力で混雑時を乗り切った。
もうお客も数人…気を抜いて椅子に腰掛ける。
「はあ…」
疲れた…
毎日の仕事に加えて寝不足…
有紗の為とはいえ、体が悲鳴を上げ始めていた。
「恭介様…お隣…失礼します…」
有紗も疲れたのだろう、隣の椅子に腰掛ける。
「恭介様…」
体を預ける様にして肩に頭を乗せてくる。
俺も慣れてきたのだろうか…彼女に身を任せる。
いつのまにか、周りの視線にも気にならなくなっていた。
俺は有紗を笑わせると決めた。
でも…ここ数日…彼女の笑顔を見ていない…
いつでも一緒に居る…
病的なまでに俺を求めてくれる…
でも見せてくれるのは人形の様な笑顔だけ…
親密になればなるほど彼女との距離が開いて行く気がした…
自己嫌悪に陥りながらも思ってしまう…
俺は彼女がわからなかった……
「こんにちはー」
お客が来た、武藤さんだ。
「ああ、武藤さん、久しぶりです」
有紗から体を離し、立ち上がる。
武藤さんは7月の終わり、有紗がバイトし始めた頃に来たきり随分久しぶりだ。
「いやぁ、忙しくてねぇ…お嬢さんも久しぶりだね」
相変わらず忙しいらしい。
「…………さい…」
「えっ?」
有紗がぼそぼそと呟いている。
「…帰って下さい!」
「えっ?えっ?あ、有紗…何言ってんだよ」
「な、何?どうしたの?有紗お嬢さん?」
「帰って下さい!!」
大声で叫ぶ有紗、明らかに様子がおかしい…こわばった表情で目は血走り、涙を溜めている。
「ちょっとちょっと、どうしたの?」
奥からお袋達も出てきて驚いている。
のんびり食べていた他の客も唖然としている。
結局…武藤さんはひどく落胆して、帰って行った。
「…で…どうしたの?武藤さんに何かされたの?」
俺が事情を訊く事になった。
店は暇な時間帯なので、俺の部屋に連れて来ていた。
「いえ…私には…何も…」
???
「私にはって…ん?わかんないよ…どういう事?」
さっぱりわからなかった…
はっきり言って武藤さんはいい人だ、俺には彼女が彼を嫌う理由がわからなかった。
「ち、違うんです!このままじゃ、お店が…お店が!」
ひどく取り乱す有紗…俺にしがみ付いて必死に訴えている。
「ち、ちょっと…有紗!店って…ここか?」
「私の…私の……ここしか無いんですぅ…恭介様…うぅ…」
俺にしがみ付いたまま泣きだす有紗…
狂った様に俺を抱き締めてくる。
何も言えなかった…
彼女が何に脅えているのか気になった、でもひどく取り乱す彼女に追求はできなかった。
「…わかったよ…ごめん…」
しばらく泣いていた彼女…いつのまにか俺の胸で眠っていた。
「はああ…」
一際大きなため息をつきながら布団に飛び込む…
ひどく疲れていた、布団が気持ち良かった。
目を覚ました彼女を家に送り、夕方からの配膳を一人でやった。
後は寝るだけ…
体は疲れ果てている筈なのに…
眠りたくなかった…
「有紗…」
自分の口から溢れ落ちた名前に胸が苦しくなってしまう。
無造作に放り投げた携帯を見る…
今夜も眠れないと思いながら……