第十七話
午前11時、久住ヶ丘駅南口。
水曜の定休日、俺は駅前にある何やら訳のわからんオブジェの前で佇んでいた。
高級住宅街側である南口、無駄に広い駅前…レンガ造りの歩道や統一された建物は、よくわからんがお洒落っぽい。
ちなみに俺ん家側…北口にはロータリーすら無い。
脇には駅と合体したオープンカフェ…セレブなおばさんがティータイム中だ。
デカい帽子被って扇子で優雅にぱたぱたやってる。
暑いんだったら中行けよ!席空いてんじゃん!
…………
嗚呼…暇潰しに人間観察してたら余計に暑くなってきた…
暑い…額からはだらだらと汗が吹き出てくる。
「今年の太陽は攻撃的だぜ!ふははははははは!」
…………
思わず訳のわからん事を叫んでしまった…さっきのおばさんがイタい目をしている…
いかん…暑さにやられたか…
どうしてこのクソ暑い中…しかもせっかくの定休日に…佇んでいるかというと……
「恭介様…」
消え入りそうな声と共に俺のTシャツがくいくい引っ張られる。
「……有紗…」
振り返ると有紗が居た。
そうだなのだ、今日はデートなのだ。
「…ごめんなさい…遅刻してしまいました…家を出るのに…手間取りまして…」
心底申し訳なさそうに謝ってくれる有紗。
待ち合わせは11時、今は11時15分…
別に遅刻くらい全然構わない。
そんな事よりも有紗の気持ちが沈んでいる事の方が重要だ…
「いいよ、俺も今来たところだから」
すごい棒読み…
実は一度言ってみたかった。
「…恭介様……」
ホッとした様な顔をする有紗。
……嬉しくなった。
俺の緩い頭の中で考えた言葉に安心してくれる彼女…
浅はかに言ってしまった自分を少し恥じたが、彼女が喜んでくれるなら良しとしよう。
とりあえず昼食という事になった。
「あのぅ…有紗…」
なったんだけど…
「はい、恭介様」
目の前の見慣れた建物を見やる。
「なんで家なの?」
彼女が行きたいと、ねだってきたのは藤村食堂だった。
「あ…その…私…」
もじもじしながらチラチラ俺に目配せする有紗。
「恭介様のご飯が食べたい…です…」
「…………」
こ、こいつめぇ…
どうしてそう俺の琴線をくすぐるんだ。
「駄目でしょうか…?」
不安そうに俺を窺う。
「……駄目じゃないよ、さあ入ろう」
「…はい、恭介様」
俺が了承して笑い掛けると、すぐにまた安心してくれる。
この笑顔が見れるならどんな事でも了承してしまいそうだ。
「ただいまー」
家の正面玄関も兼ねている店の入り口を開く。
「おかえりー…って恭介?」
家の台所も兼ねた厨房からお袋が顔を出して驚いている。
「何だい…あんた、いきなり振られてご帰宅かい?」
なぜかデートの事を知ってるっぽいお袋は失礼な事を言う。
「私がわがままを言ってお店での昼食を希望したのです…申し訳ありません…お母様…」
「――――」
お母様絶句。
俺もつられて絶句。
有紗…いきなりお母様って…
「ただいまーっと」
親父が呑気に現れた、どこかに行っていたらしい。
「お父様、お邪魔しております」
「――――」
藤村家全滅。
「あ、あれっ?恭介様?」
ちなみにこの『恭介様』だが、流石にそれはやめてくれって言っても…
『大切な方を軽々しくお呼びする事なんてできません』
との事だ。
「お母様、お父様…どうぞ」
テーブルに料理を並べる彼女。
結局、昼食は四人で食べる事になった。しかし作ったのは俺で配膳は有紗、お袋達はお客状態だ。
せっかくのデートなのに、いつも通りだった。
「悪いね…有紗ちゃん」
「いえ、いつもお世話になっておりますし…恭介様のご両親様ですし…」
「………恭介…あんた弱味でも握ってんのかい?」
「んな訳あるか!とにかく食べようよ!ほら親父!いつまで感動してんの!」
「お、おお…すまん…では頂くとしよう」
『いただきます』でみんな食べ始める。
いつもは俺が作ると駄目出しばかりされるが有紗の手前もあり、今日は無いらしい。
お袋も親父も黙って食べている。
幸せそうに食べてくれている有紗…
ふと思う。
夏休みが始まった頃…
彼女がアルバイトとして初日の日…
こうして四人で賄いを囲んだ事があった。
有紗はあの時と変わらずお嬢様だし、あの時俺が洩らした言葉の通り美人だ。
でもあの時感じていた違和感は無くなっていた…
理由は簡単だった。
彼女が笑ってくれているから。
午後。俺達は駅前に戻って来ていた。
でも南口では無く北口だ。
北口は駅前はショボいが、駅から続くアーケードは活気がある、港が近いせいもあるのだろう。
別に何をする訳でもない、ぷらぷらしてるだけ…
さっき昼食を食べた後、有紗が…
『恭介様の部屋に行きたいです』
なんて言い出して、部屋に連れて行ったが…
「うおおおおおおお!!3,14159265358979323846…」
…と理性の崩壊の危機に陥った為、外に脱出してきた。
アーケード街を行き交う人々の視線が痛い、奇異の視線。
そりゃそうだろう…
冴えない男に高級そうな美人がへばりついてるんだから…
すでに定位置とばかりに、俺の左腕に密着している有紗…
彼女は一緒に居ると必ず俺に触れてくる、嬉しいんだがちょっと暑い。
アーケード街を出た俺達は海浜公園に来ていた。
途中、洋品店で新しいエプロンを買った。
彼女の見立てで買ったのだが、レースのひらひらが付いたピンクのエプロンだ。
………俺用だ…
「…………」
「…………」
日陰のベンチに座り、二人で黙って海を見ていた。
彼女の希望だった。
かれこれ2時間は経つ…
相変わらず彼女は俺の左腕に収まっている。
「時間…大丈夫?」
まだ太陽は高いが訊いてみた。
「大丈夫です…」
何も言えなくなってしまう…
ここに来て2時間…最初はお喋りをしていたが、話すネタが尽きるのは意外に早かった。
除々に行き交う人達が少なくなってくる。
太陽も傾き始めていた。
「…有紗?夜になっちゃうよ?」
「…恭介様は…夜にご予定が?」
「い、いや…無いよ」
「では…このままで…お願いします…」
「…あ……ああ…」
公園の街灯が着き…
蝉もおとなしくなり…
まばらだった通行人も無くなり…
波の音がやけにうるさかった…
もう何時間も掴まれている腕は感覚が曖昧になってしまっている…
会話の無い空間は彼女の存在も曖昧にしてしまっている。
取り憑かれた様に俺に体を預ける彼女は糸の切れた人形の様だった…
彼女を送り届けたのは、日付が変わってからだった。