第一話
「恭介ー、そろそろ手伝いに降りてきなー」
階下からお袋のでかい声が聞こえてきた。
「タイムアップだね、恭介」
「頑張って」
「はぁ…」
俺は二人の言葉にため息をつきながら階段を降りて行く。
エプロンを着けて土間に下りると、まだピーク前だというのにたくさんの常連客で賑わっていた。
俺は藤村恭介、ここ藤村食堂のひとり息子だ。
「おお、恭ちゃん、いつも感心だね」
「あぁ、まいどどうも」
常連に挨拶を済ませて厨房に入る、そこはすでに戦場だった。
親父とお袋、二人で様々な料理に取り掛かっていてかなり忙しそうだ。
「恭介、上がったのから出して行って、右から源さん、徳ちゃん、市原さん、永井くん、宮田くんだよ、全部大盛りね」
「はいよ」
言われた通りにご飯と味噌汁をよそって出来上がっていた料理と一緒にテーブルに運ぶ。
店での俺の役割はだいたいこれだった、料理は出来るがまだまだ両親には敵わずもっばら使いっぱしりだ。
「お待ちどうさん」
「ありがとう、恭ちゃん」
狭い店内にひしめきあう常連客、港と工業団地に挟まれたこの店は有難い事に連日大盛況だ。
俺はまだ高校二年だが毎日店を手伝っている、常連には恭ちゃんの愛称で親しまれる程だ。
大変なのは分かるが部活をしたり友達と遊んだり出来ない。
恋愛なんかはもっての他だ。
……………
「俺の青春を返せー!」
「なに店の中で恥ずかしいこと叫んでんのよ、バカ恭介」
つい口に出してしまっていた、きついツッコミをしてきたのはさっきまで一緒に俺の部屋に居た幼馴染み達だった。
「僕達は帰るよ、じゃあね」
コイツは隣に住んでる土屋義人、さっき俺をバカ呼ばわりしたのは桂由、コイツも逆隣に住んでる。
二人とも幼稚園の頃からの腐れ縁、今行ってる高校も同じだ。
「こんばんはー」
義人達と入れ替わりにまた常連が来店してきた。
「らっしゃい」
もはや条件反射である。
高校二年と言えば一番楽しい時期なのではないだろうか…
現に俺の幼馴染みsは遊びに部活に忙しそうだ。
「恭ちゃん、おかわり」
「あいよ〜」
ダッシュで大盛りおかわりを配達する。
由は友達に囲まれていつも忙しそうに遊びに出かけて行くし。
義人も水泳部に精を出して、いつも忙しく、それでも楽しそうな毎日を送っている様に見える。
「恭介〜、サバミソ定あがったよ〜」
「あいよ〜」
これまたダッシュでテーブルに配達する。
それにくらべて俺は学校以外は毎日家の手伝いだ。
中学の時にじいちゃんが引退して忙しくなったのは分かる。
でもそのお陰で遊びや部活…ほとんど無しやっちゅうねん…
「恭ちゃ〜ん、ビールおかわり〜」
「……あいよ〜」
冷蔵庫からビールを持って高速で配達する。
だいたいここの料金設定はおかしいんだ!
こだわりだからって、全部の定食が五百円以下なんて今時有り得ないだろ?
そりゃ客も来るわ!
バイトも雇えんわ!
俺の小遣いも上がらんわ!
「恭ちゃ〜ん、こっちウーロンハイおかわり〜」
「――だあ〜、おちおち考え事も出来やしねぇ!」
「お客さんに向かってなんて事言ってんだい!」
ひゅん
カーン
「いで」
厨房からフライパンが飛んできた?
「ありあした〜」
本日最後のお客を見送る、ちなみに今のは『ありがとうございました』の最上級と思って頂きたい。
現在10時半、のれんをしまうと俺達家族は遅い晩ご飯をとる。
「いただきます」
全身くたくたで腹ペコだ、ほぼ俺ひとりで配膳しているのだから当たり前だ。
「ねぇ、いい加減バイトを雇おうよ、俺ひとりは無理があるって」
もう挨拶のように何度も訊いた質問だ、返答はいつも『ウチはぎりぎりまで安くでやってるから無理』と言われてる。
「それなんだけどね…実は週末から来てもらう事になったのよ」
「だよね…別に無理にって訳じゃないんだけどさ……えっ?」
訊き間違えか?お袋が冗談を言う筈がない。
「本当だ恭介、週末からバイトを雇う事になった」
俺の心情を察してか、さっきから黙っていた親父が言う。
「募集した訳じゃないんだけど、どうしてもウチでバイトしたいってコが来てねぇ、大した時給は払えないよって言っても、是非って言われちゃってねぇ…」
「…………」
コ…子…娘…女の子…
「若いひと?」
「若い…お前と変わらんだろう…しかも中々かわいらしいお嬢さんだったぞ…」
なぜか親父がおかずのアジフライを構えながらかっこよくニヤリと言う。
「うほっ」
二重の嬉しさに妙な奇声を上げてしまう。
「変な気起こすんじゃないよ、いつでも厨房からフライパンぶん投げるかんね!あんたも余計な事言うんじゃないよ!」
くわっとお袋が激昂する、はっきり言ってものすごい怖い。
俺も親父も黙ってしまう。
さすがは男だらけのいかつい常連客を毎日相手にしているだけの事はある。
「とにかくそういう事だからよろしくね恭介」
「…あ…あぁ、わかったよ」
平静を装うが頭の中に拡がる妄想…もとい期待を抑える事が出来なかった。
そう、出会う前の彼女に馬鹿な下心を抱くだけだった。
顔も…
名前も…
彼女の心の傷痕も知らないくせに…