9話 深浅の虚
真っ暗な洞窟。散乱した本。背を向けて机に向かう父。
そして彼はフラリとどこかへ出かけたと思うと、2週間くらいの期間を空けて帰ってくる。
「――――、決して外へ出てはいけないよ」
朧気な父の姿。もう顔すら覚えていない。
「どうして?」
「外は怖いものがたくさんあるんだ。
――――は特別だから、外へ出たら怖いものに殺されてしまうんだよ」
「怖いもの・・・って?」
「・・・・この世界、そのもの」
「聞いたかい?ジーン・ベルンハルトが処刑されるって」
父親が帰って来ず、洞窟を飛び出して最初に着いた村はとても活気づいていた。
遠くから覗き見た彼らは、とても安堵した表情で話を交わす。
「本当に安心したよ。やっと平和になるかね、この国も」
「そうだね。
・・・それにしても、長かったね」
「内戦が始まって200年か。あまりにも犠牲が多すぎた」
「国軍相手によく200年続いたもんだ」
「そりゃ、錬金術なんて使われちゃねぇ」
錬金術・・・・・、錬金術ってなんだろう。
首を傾げながら、木の陰からこっそりと話を盗み聞きしてみた。
「よくもまあ、あんな恐ろしいことを・・・」
「ところで錬金術ってなんなんだ?」
「さあ・・・・」
全てが珍しい外の世界。
初めて会う、父以外の人間。
―――――声をかけてみようか。
もしかしたら、仲間に入れてくれるかもしれない。
でも思い浮かんだのは、あの時の父の言葉。
“外へ出たら殺される”
でも、父は処刑されると彼らは言っている。だったら、このままじゃ私はずっと1人だ。
そんなのは耐えられないと、ゆっくり歩を進めて歩み寄ろうとした時。聞こえてきた声に、ピタリと足を止めた。
「それにしても、できることなら俺があの男を殺したかったな」
「処刑って公開されるんだろう?見に行こうよ」
「そうか!それは見に行かねば」
父の死を喜んでいる彼ら。醜い感情を露わにした言葉。
きっと彼らは、父を憎んでいる。
そして唐突に、父の言葉が頭の中に浮かんできた。
“この世界そのものが敵”
その言葉が呪文のように頭に張り付き、離れてくれない。
私の味方になってくれる人はどこへ行ってもいないのだと、父以外の人と関われば死が待っているのだと、暗にその教えは示しているのだと理解できた。
その証拠に彼らは父のことを憎んでいる。だから私も・・・・。
世界が敵ならば、私はどこへ向かえばいいのだろう。
どこへ行けば――――。
隠れていた場所は森の中。もちろん人は居ない。
静かで何もないけれど、自然すら私に容赦なく襲いかかった。
嵐、雪、照りつけるような日差し。
魔物なので食事を取らなくても獣に襲われても平気だったのは不幸中の幸い。それでもやはり子供が一人で森の中で暮らすのは大変だった。
火の炊き方も知らず、ご飯の調達の仕方もわからない。父は、何も教えてくれなかったから。
それでもどうしても寂しくなった時は、村に降りてそっと人を眺めていた。
楽しそうに遊ぶ子供たち。あんな風に暮らせたらどんなに幸せかと思い、何度か素性を隠して村で暮らそうとしたこともあった。
もちろん、上手くいくことはなかったけれど。
暗く深い森の中。ずっとずっと独りで。
それでも恐怖が薄れることはなかった。人々はしきりに、ジーン・ベルンハルトの悪夢を語り継いでいたのだから。
「貴女、誰?」
「旅のものよ。カーマルゲートへ行くの?」
「ええ、そうよ。もしかして貴女も?」
霧が深く細道が続いている山の中。
本物のメーデン・コストナーは、背が低く赤毛の女の子だった。
これからカーマルゲートへ向かう15歳。私の年齢は覚えてない。自分の名前すらも、覚えていない。
「ええ、これからカーマルゲートへ行くのよ。
貴女のお名前は?」
「私メーデン・コストナーって言うの!平民出身よ。
貴女も・・・・平民よね?」
彼女はボロボロの服を纏った私の姿を見て尋ねる。
「ええ、そうよ。
よかったら途中まで一緒に行かない?
1人で心細かったの。こんな場所だし・・・」
「もちろんっ!」
素直で明るくて単純な子だった。
そして歩きながら身の上話をして、粗方の情報を得ると魔物に化けて―――――喰い殺した。
彼女は私の姿を見て、泣き叫びながらもがく。
「いや・・・いやああああああ!!」
「私は・・・誰にも受け入れてもらえないから・・・・だから私を捨てるのよ・・・!!」
新しい人間に生まれ変わって、新しい人生を送るの。
悔しくて悲しかったけれど、全く違う生活が始まると思うと嬉しくもあった。
・・・・人間は、あっけなく死んでいった。
そしてメーデン・コストナーとしてカーマルゲートに乗り込み、あっさりと生徒として紛れ込むことができた。
入る時が大きな関門だと思っていたが、怪しまれることさえ無く。
飛び起きて時計を見るとまだ短い針は3を指していた。
手で額の汗を拭うと、肌寒さを覚えて窓を閉める。
―――――嫌な夢。
久しぶりに錬金術の文字を見た所為か、昔の記憶が一気になだれ込むように入って来た。
例え新しい暮らしが始まっても、見つかればそれまでの苦労は泡と化す。
バレてしまえばそれまで。人生のゲームオーバーなのだ。
ジーン・ベルンハルトの血族は彼が国に反旗を翻したその瞬間に全員殺された。だから親族もいない。
生き残ったのは、私1人。
これからもずっと1人で生きていくのだろう。誰にも話さず、誰にも心を許さず、ずっと死の恐怖を抱えながら。
諦める気はない。死ぬ最後の最後まで。
今起こっている事件も、リトラバーの本を公にすればすぐに解決する。
彼が父とどういう関係なのかは知らないが、それはどうでもいいことだ。リトラバーが罪を被り捕まれば全てが終わる。
アダムに怪しまれているから、このまま放置していては素性がばれるのも時間の問題。
しかし手元には、リトラバーの錬金術の書があった。
これをアダムにさりげなく見せれば、きっと彼なら気づくはず。
机のペンを乱暴に取ると、それを握って緑色の本の表紙に大きく書きなぐった。
“マイリース・リトラバー”
もう、恐れなくてもいい。
この事件が解決すれば、メーデン・コストナーとしての生活に徹することができる。
友達とバカやったり、教師に怒られたり、そんな当たり前の生活に。
今日は木曜日。アダムとの勉強会がある日だ。
メーデンは鞄の中にリトラバーの本を入れて授業に臨んだ。
研究室にこれを置き、アダムに気づかせるためである。
しかし―――――
「メーデーン!!」
突然の来訪者にメーデンは一瞬だけ眉を寄せる。
ディーンだ。
彼は相変わらずのニコニコ顔で嬉しそうにメーデンの方へ駆けて来た。
教室中からの好奇の目にさらされながらも、彼は平然としている。
「どうしたの?ディーン」
「アダムからの伝言だよ。
今日の放課後は急用ができたから、月曜日に変更してくれってさ」
「そう・・・」
心の中で舌打ちしたなどディーンは知る由もなく、メーデンの左腕にある痣を見て目を見開いた。
青く痛々しいその患部は、商祭で手当てした時にはなかったものだ。つまり、昨日の夜か今日の午前中に作った痣ということ。
「メーデン、その痣は・・・」
「ああ、これはさっきやられたのよ」
「そんな・・・!
一体誰に!?」
「アダムのファンじゃないかしら。たぶんね」
ディーンは唇を噛んで考え込んだ。
知らない間に起こっていた醜悪な出来事に、どうして今まで気づいてやれなかったのだろうと自分を責める。
そして。
ディーンはメーデンの両肩をガシッと掴み、真剣な顔で言った。
「メーデン!」
「は、はい」
「僕と付き合おう!!」
「「「えええええええええ!?」」」
公衆の面前での告白に、2人の会話を盗み聞きしていた生徒らは大きな声を上げる。
アビーに至っては口から魂が抜けているようだった。
メーデンは少し驚いた後、困惑した様子で首を傾ける。
「ディ・・・ディーン!?
どうしたのよ、急に・・・」
「僕と付き合えばアダムのファンからの嫌がらせはなくなるよ!
僕が保証する!」
確かにアダムとの噂がなくなれば、彼女たちもメーデンに嫉妬することはなくなるだろう。
ディーンは女遊びで有名な人物。おそらく片手では足りないくらいの恋人がいるはずだ。
よって女生徒たちの間では、ディーンとの交際は暗黙の了解となっていた。
皆が平等にチャンスを与えられるという意味で、ディーンの女遊びには干渉して来ない。嫌がらせも受けないであろう。
「もうこれ以上メーデンが傷ついてるのを見てられないんだ」
「ディーン・・・」
メーデンは俯いて考え込んだ。
ディーンはこれでもサイラス王国の第2王子。国と深く関係を持つのは危険だろう。
しかしアダムとの噂で目を付けられるより、よほど安全かもしれない。
いざとなれば、彼に逃亡の手助けをしてもらうことができるしれない。
彼自身もあまり人の事情に深入りするような人物ではないらしいから、上手く利用すればきっとプラスになる。
メーデンは下げていた視線を上げ、僅かに微笑んだ。
「いいわよ。
その代り、遊びならね」
「普通逆じゃないのかい?」
「本気の恋は性に合わないの」
「いいよ」
にっこり笑うディーンにつられてメーデンもにっこりと笑う。
「ちょっと待って、ちょっと待って!!」
そこでアビーが割り込んでメーデンを引っ張り、ディーンに聞こえないように小さな声で耳うちした。
「メーデン!本当にいいの?
遊びだなんて・・・」
「どうして?」
「一世一代のチャンスなのよ!?
相手は王子様なのよ!?」
「わかってるわよ。
いいじゃない、恋愛する気にはなれないんだもん」
アビーは脱力して項垂れる。
アビーの言い分もわかるのだが、もしメーデンの素性がバレたときディーンの立たされる立場を考えたら本気になるべきではないだろう。
生憎、メーデンには人を傷つける趣味などない。
「まあ・・・貴女がいいならいいけど・・・。
どうもメーデンは人と感覚がずれてる気がするのよね」
アビーの小言に、メーデンはクスクスと笑ってアビーを抱き締めた。