8話 商祭(2)
怪我を負ってしまい、保健室へ向かったディーンとメーデン。
しかし今日は休日であるため、保健室には鍵がかかっていた。
ディーンはドアノブを捻りながら、すっかり忘れていたとため息を吐く。
「どうしよう。
他の先生たちも出かけてるだろうなぁ」
「ディーン、手当てしなくても平気よ?」
「ダメダメ。ちゃんと消毒しないと、化膿したら大変だよ」
いつになく真剣な様子の彼に、メーデンは人知れず微笑んだその時。
ちょうど保健室の前の廊下を、サイラス史の担当教師・リトラバーが通りかかった。
「君たち、どうしたんだい?」
「先生、彼女が怪我をしてしまって」
「ああ、本当、痛そうだね」
メーデンの二の腕に出来た爪痕を見て、リトラバーは同情の声を上げた。
そして2人の顔を見てニコリと笑う。
「よかったら私の部屋においで。
救急箱があるよ」
「助かります!
よかったね、メーデン」
「ええ」
「場所はコストナーが知っているだろう。
私はこれから少し用事があるので、君たちで勝手に使ってくれ。
ああ、救急箱は一番右奥の棚に置いてあるから」
「わかりました」
さっそく2人はリトラバーと別れて研究塔へ向かい、7階へ上り終えたころディーンは汗だくになっていた。
気温が高くなってきた今日この頃、階段をひたすら昇るのはかなりの運動量だ。
「なんでメーデンはそんなに平気なんだい?」
「平気なわけないでしょ?」
「汗一つかいてないじゃないか」
「きっとディーンが汗っかきなのよ。
私寒がりだから」
ニコリと愛想のよい笑みを浮かべると、ディーンもつられてニコリと笑う。
そして話題はあやふやになったまま、リトラバーの部屋へたどり着き中へ入った。
相変わらず見事に本が散乱している。
「たしか右奥の棚だったね。
メーデンは適当に座ってて」
「ありがとう」
救急箱を探しに行ったディーンにお礼を言うと、メーデンは以前座った場所に着き辺りを見回した。
本棚に勉強机、まさに教師らしい部屋だが、ベットや衣類などの日用品がまったくない。
入口とは別の扉があるから、おそらく寝室は奥にあるのだろう。
「なんで本ばっかりなんだろう・・・」
うんうん唸りながら探しているディーンはまだ救急箱を見つけられない様子。
暇を持て余し、メーデンは本棚に並ぶ本を手に取って開いたが、歴史書ばかりで全く面白くない。
すぐに本を戻し、今度は歴史に関係のない本を探し始めた。
そして見つけた一冊の本。緑のハードカバーには一切文字が書かれておらず、背表紙にもタイトルはない。
手に取ってみると分厚い割には重く、メーデンは最初の1ページ目を開く。
「メーデン、何してるの?
救急箱見つけたよ」
「すぐに行くわ」
メーデンは本を手に持ったままテーブルに座り、ディーンは興味本位でその本を覗き込んだ。
「何を見てるんだい?」
「さあ、私にはさっぱり」
書いてあるのは、見たこともない文字や記号。
ディーンの眉間に皺が寄る。
「うわぁ、なんじゃこりゃ」
「すごいわね」
「それより手当!」
「はいはい」
メーデンは笑って腕を差し出す。一応洗い流しておいたため、そのまま消毒して包帯を巻き始めた。
いっとき静かに時が流れたが、ディーンがいつもより小さな声で話しかける。
「それで、何かあった?」
メーデンは患部から目を離して、ディーンの茶色の瞳を見つめ返した。
「何って?」
「中庭に一人でいただろう?
元気ないし、何かあったんじゃないかって」
「あら、目聡いのね。
ちょっとアビーとケンカしただけよ。私が悪いんだけど・・・」
「きっとすぐに仲直りできるよ。
君たち仲がいいし、お互いに特別なんだって見てて感じるよ」
「そうね、特別。
少なくとも私にとっては」
初めてできた友人。例え偽りの自分の友人であったとしても、思い入れは深く、大切なものだ。
ディーンはその言葉を聞いて嬉しそうに微笑む。
「僕とアダムみたいだね」
「ディーンはアダムにべったりだものね」
「でも最近アダムが相手にしてくれないんだ。
つまんない」
唇を尖らせるディーン。無邪気に笑んだり拗ねたりと表情がコロコロ変わり、まるで子供のようだとメーデンは笑う。
不意にチラリと時計を見ると、すでに待ち合わせの時刻を過ぎていた。
「ディーン、待ち合わせの時間過ぎちゃったわ・・・」
「あああああああ!!本当だ!!!」
「先に行って皆に事情を説明してもらえないかしら。
私は後から行くから」
お願いね、と頼むとディーンはあっさり承諾し、手を振りながらリトラバーの部屋を去って行った。
1人残ったところで、メーデンは先ほどの緑色の本をもう一度開く。
見覚えのある文字・記号。
「よくできてるじゃない」
「何をしている」
ボソリと独り言を呟いたとき、ちょうどリトラバーが部屋へ戻って来た。
メーデンは血色の良い唇で弧を描き、リトラバーを無視したまま本を読み続ける。
そして彼が気づく。緑色の本に。
顔色を真っ青にして大声を張り上げた。
「何をしている!」
「何って・・・少し読んでるだけよ?」
「わかるのか・・・それが・・・」
錬金術だということを。
錬金術は非常に難解で、一般人が見ても錬金術関連の書物は全くわからないという。現に、さきほどディーンが覗き込んでも本の内容はわからなかったようだ。
しかし当然ながらメーデンには分かる。
それがリトラバーには理解できない。
「生徒ではないと思ってたのよね。
錬金術を使いこなすにはあまりにも時間がかかり過ぎる。2・30年で理解できるなんてあり得ないから」
ピクリ、と彼の身体が動く。
「でも殺衝動を抑えられないところをみると、失敗作のようね」
メーデンのような完全な成功作であれば、殺衝動は理性で押しとどめることができる。
しかし、一連の事件を起こした犯人であろう彼―――――リトラバーは殺衝動を抑えられずに人を殺している。つまり、失敗作なのだ。
リトラバーは下唇を噛みしめて拳を握った。どうやら図星らしい。
みるみるうちに醜く歪んていく彼の顔。
そして聞こえてきたのは、低くて擦れたおぞましい声あった。
「殺してやるっ!」
殺気を剥き出しにして飛びかかるリトラバーに、メーデンは彼の頭を片手で掴んで簡単に静止した。
メーデンの細く白い指がリトラバーの皮膚に食い込みギリギリと音を立てる。
「ぎゃあああああ!!」
絶叫があまりにもうるさく、頭を片手で持ったまま放り投げ、リトラバーはその勢いで壁に叩きつけられた。
さっさとドアまで歩いて扉に右手をつくメーデンは、最後に振り返ってリトラバーを見据える。その紫瞳は黄色に変わり、瞳孔が細く鋭くなっていた。
出てきたのは言葉ではなく、低い「シャー」という威嚇。
大きく開かれた口からは尖った牙が現れ、リトラバーは恐怖で怯んでしまう。
そんな彼の様子にメーデンは高らかに笑うと、そのまま部屋を去って行った。
左手に、緑色の本を携えて。
待ち合わせ場所として指定していた東中道の噴水広場。
しかし約束の時刻を過ぎてもメーデンとディーンが来ず、皆は頭を抱えた。
ユークは申し訳なさそうに話しだす。
「すみません、ディーンに関しては僕の責任です。
ちゃんと見張っておかなかったから・・・」
ハリスとサムは温かい眼差しで彼の肩にポンと手を置いた。
連れまわされ付き合わされ散々面倒を見た挙句の逃走。ユークに責任はなく、むしろ彼は被害者だ。
「ところで」とまだ来ていないもう一人を話題に上げるのはハリス。
「メーデンはどうしんだ?アビー」
「うっ・・・・」
言葉を詰まらせるアビーに、男性陣は小首を傾げた。
アビーの代わりにクレアが説明を始める。
「実はメーデンとアビーがケンカして・・・」
「あちゃー」
苦笑するサムと絶句するハリス。
「・・・2人がケンカするなんて初めてなんじゃ・・・」
アビーはコクリと首を縦に振る。
「そうよ、初めてよ。
メーデンはとても気が優しいから、誰かに文句言ったりする子じゃないもの。
あたしが悪いの。これ以上問題を起こせば、メーデンが卒業できなくなるかもしれないのに・・・!」
くぅっと悔しさに語尾を強める。
一同はメーデンの破滅的成績を思い出し、空笑いを溢した。
「きっとすぐに仲直りできるよ」
アビーの頭の上にハリスの手が置かれる。
「うー・・・」
「大丈夫よ、メーデンも後悔してたし」
「君たち仲良いしね」
クレアとサムも加わって慰めていたとき、少し離れたところからディーンの声が聞こえてきた。
彼は手を大きく振りながら、こちらへ一直線に走ってくる。
「やっほーーー!!皆!遅れて悪かったね!!」
「それよりディーン、メーデン知らない?」
「それよりって酷いよ、ハリス!
メーデンなら怪我しちゃって手当て中だよ!もうすぐ来ると思うよ!」
「怪我ですってー!?」
アビーがその言葉に掴みかかり、ディーンは一歩退いた。
必死に笑顔を作って説明する。
「いやいやいや、大したことないから!
大丈夫だからね!」
「まさか彼女に何かしたわけじゃないですよね・・・」
ぼそりと呟かれたユークの声に、皆は一斉に鋭い視線でディーンを睨んだ。
彼の額には冷や汗が浮かび、誤解を解こうと両手を顔の前で横に振る。
「違う違う!!
本当に!断じて!絶対!」
「「「怪しい・・」」」
「うわーん、メーデーン!!助けてー!!」
「何をやってるんだ、お前達は・・・」
「アダム!!」
今のディーンにとっては救いの神が参上。
振り返るなり抱きついてきたディーンを、アダムは方腕で押さえて制止した。
「聞いてくれよアダム!
メーデンの遅刻が怪我で僕が何かしたって皆が言うんだ!!」
「・・・もう少しわかりやすく説明しろ」
「アダム、貴方が何故ここに?」
「ディーンが商祭について来いとうるさくてな。
行かなかったら行かなかったでうるさいから」
「御苦労さまです」
「お前もな」
「うわーん!!ユークと話してないで聞いてくれよ、アダムー!!」
ディーンが再びアダムに泣き付き出す。
するとひょっこりとメーデンが現れて、気づいたアビーが一目散に飛びついた。メーデンはその反動でよろめく。
「うわっ、アビー?」
「メーデン、ごめんなさい!あたしが悪かったわ!!」
抱きついたまま大きな声で必死に謝る姿に、メーデンは眉を八の字にした。
「私もごめんなさい。アビーにあんな言い方するなんて・・・どうかしてたわ」
「メーデン―――!!」
抱きしめ合う2人の姿にホッと胸を撫で下ろす皆。
問題が片付いたところで仕切り直しだと、ディーンは明るく大きな声を上げる。
「さ!仲直りしたしアダムも来たし、さっそく皆で商祭回ろうよ!!」
「そうね、行きましょう」
クレアも頷き、ゾロゾロと露店へ向かい始めた。
アビーとメーデンは隣合わせで歩を進める。
「そう言えばメーデン、怪我したんですって?
大丈夫なの?」
「大したことないわよ。ちょっとしたひっかき傷だし、ちゃんと手当てしたから」
しかしアビーは顔を覗き込んで眉をしかめる。
「でも貴女顔色が悪いわ」
「平気だってば。本当よ」
メーデンはにっこりと笑った。