7話 商祭(1)
赤い夕日が沈みかけた頃。
メーデンはお土産に埋もれながらアビーのノロケ話をひたすらに聞いていると、何故かクレアが部屋に飛び込んできた。
何故こんな平民の寮に王族がやって来るのかと、2人は雑談を中断し固まる。
彼女は驚いているメーデンらに構わず、ニコリと人の良い笑みを浮かべた。
「突然ごめんなさいね。お邪魔だったかしら」
「い、いいえ、どうぞ座ってください」
アビーはカチコチになりながらクレアに席を勧める。
クレアは茶色の長い髪を揺らし、上品に座ってメーデンの方を向いた。
「実は貴女達にお願いがあるの」
「え、あたしも?」
「ええ、もちろんよ、アビー」
メーデンとアビーは顔を見合わせる。
しかしいきなり話には入らず、クレアは包帯の巻かれたメーデンの腕に気づいて声をかける。
「ところで、メーデン、その腕どうしたの?
とっても痛そう」
「あ、本当!まさか何かあったの!?」
大げさに騒ぎ立てるアビーに、メーデンは苦笑して答えた。
「資料室から帰る途中に、女狐に引っかかれたのよ」
女狐、イコール、アダムのファンの方程式はクレアもアビーもすぐにわかり憤慨する。
「なんてこと!
やっぱりメーデンを一人置いて行くんじゃなかったわ!」
「下劣な人もいるものね、嫌だわ。
それにアダムの良さが私にはわからない」
「それは私も・・・」
クレアとメーデンはクスクス笑う。
ところで、とメーデンが話を切り出した。
「クレアはどうしてここに?
お願いって何なの?」
「そうそう、頼みがあってね。
来月の商祭なんだけど、私たちと一緒に回ってくれないかしら」
商祭とは、カーマルゲートで年に一度行われるイベントのことである。
卒業まで外に出られない生徒たちのために、カーマルゲートへ商人たちがやってきて品物を売ってくれる。それは日用品から嗜好品まで様々。
カーマルゲートからこの日のためにお小遣いが支給されるので、お金に困ることもない。
つまり、要約するとカーマルゲートの買い物大会、といったところだ。
「私はもちろんいいけれど・・・」
メーデンは控えめに語尾を濁してアビーを見る。
もちろんアビーは恋人と回りたいだろう。
すかさずにクレアが口を開いた。
「大丈夫よ、ハリスにも許可を取ってあるの。
もしアビーがオーケー出したら、彼も一緒に回ることになってるから」
「それなら、あたしもぜひ」
メーデンにアビーにハリスにクレアたち。
まさか王族と一緒に商祭を回ることになるとは思わなかったが、人数が多ければきっと楽しいであろう。
しかし次の瞬間、クレアはとんでもないことを口にする。
「あ、弟のサムはもちろん、ディーンもユークも一緒だからね」
「「ええ!?」」
メーデンとアビーの声が重なった。
驚く2人にクレアは澄ました表情のまま説明する。
「そもそも、このこと言い出したのはディーンなのよ。“メーデンと一緒に商祭回りたい”ってさ。
それで私が誘ってくれって頼まれたのよね。
気に入られちゃったみたいね、メーデン」
メーデンとアビーは苦笑いを溢した。
ディーン王子と言えば、女たらしで有名。メーデンも数多くの女性の中の一人なのだろう、と。
「悪い人ではないんだけど、女癖は悪いのよねぇ。
でもま、ディーンに好きなだけ貢がせるといいわ」
ウインクするクレアにメーデンはクスリと笑う。
「心配しなくてもディーンと2人きりになんてさせないから。
ね、アビー」
「ええ、もちろん」
アビーも胸を張って、自信満々に答えた。
アダムのファンからの嫌がらせは地味に続いていた。それは教科書を隠されたり悪い噂を広められたりと精神的に追い詰めるものであったが、生活に支障はないので特に問題はない。
一番困らせられるのは、皆に注目されるということである。
素性を知られるわけにはいかないので、今までずっと地味に目立たないように生きてきたメーデン。注目を集めるのも問題を起こすこともできるだけ避けたい。
だからこそ5学年の3人組とは関わりたくなかったのだ。
今まさに、一緒にいる最中なのだけれども。
「メーデンメーデン!いろんな店があるよ!
何か欲しいものがあったら遠慮くなく言うんだよ!!」
興奮してテンションの高いディーンは初っ端から猛烈に元気である。
以前クレアとサムが“王子だけど王子と思わない方がいい”と言っていたのを思い出し、メーデンとアビーはだんだんその意味がわかってきた気がした。
―――――うざい。
今の彼はその一言に尽きる。
「見て、メーデン。
服がたくさんあるわっ」
しかし、やはりたくさんの品物が並べられると興奮するのは皆同じ。
ズラリと露店がどこまでも続いていて、カーマルゲートの生徒たちで溢れかえる商祭。商人たちは自慢の商品を揃えてやってくる。
生徒たちもしっかりとお小遣いをもらい、準備は万端。
メーデンとアビーとハリス、そしてクレアとサム、ディーンとユークの7人は、まずは服を見るために男女に分かれて行動した。
「メーデン、このワンピース貴女に似合いそうよ」
「アビー、それ少しサイズが大きいわ」
商祭は年に一度しかない。今日一日で一年分の買い物をしなくてはならず、大慌てで服を選んでも時間はあっという間に過ぎて行く。
男性陣と待ち合わせの時刻の一時間前に迫ったとき、コートを眺めているクレアがメーデンの目に止まった。
「クレア、無理に私たちに合わせなくてもいいのよ?」
「そうよ、ちゃんと遠慮なく言ってちょうだいね。
どこか行きたいところがあるなら・・・・」
なにせクレアは端くれと言えど王族。大金持ちなのだ。
平民出身のメーデンとアビーとは着るものも違うはず。
しかし先ほどから2人の買い物に付き合わされるばかり。クレアには退屈だろうと心配して声をかける。
「いいえ、とても楽しいわよ?
女の子同士で買い物できるなんて本当に久しぶりだから嬉しいの」
飾りのない言葉に3人は笑い合う。
そしてクレアは紺色のカーディガンを手に取って鏡の前に立つ。
「それに合わせてなんかいないわ。
王族も貴族も、着るものは大して平民と変わらないの。まさか普段からフリフリのドレスを着るわけないでしょ?」
「それもそうよね」
「でしょう?
ドレスばっかり着てたら重たくて肩こっちゃう。まだ19歳なのに」
クレアの冗談にクスクスと笑っていた時、後の女性5人組の邪な笑いが聞こえてきた。
「クレア様ったらお可哀そうに。
あんな平民の相手をさせられるなんて・・・」
「なんですってーー!?」
喧嘩っ早いアビーはドスの利いた声を上げて掴みかかる。メーデンは慌てて後ろからアビーの肩を掴んだ。
「アビー、落ち着いて!」
「やっちゃって、アビー!」
「クレアも煽ってないで止めて頂戴!」
発破をかけるクレアも既にケンカの準備万端で、メーデンはくらりと目眩を覚える。
どうやら女性5人組はアダムのファンで、いつも嫌がらせをしている常連の人たち。
ここで問題を起こすわけにはいかず、メーデンは必死で両者を宥めた。
「アビー落ち着いてちょうだい!」
「この人たちなんでしょう!?
メーデンの教科書隠したりしてる奴ら!!」
「まあ、そんなことされたの!?」
「クレアも落ち着いて!
アビー、誰が隠したかはわからないわ」
「そうよ、私たちそんなことはしないわ」
「ええ」
ニヤリ笑いで頷き合う様に、アビーは顔を赤くして胸倉を掴んだ。
「アビー!
お願いだから問題を起こさないで!!」
簡易に作られた露店はテントを張ってあるだけで野外。
メーデンの大きな声に周りの視線が集まった。
「でもメーデン!
あたしこんなの許せない!メーデンの所為じゃないのに!」
「もういいから!!
アビーには関係ないでしょ!?」
メーデンははっとして口を閉じたがもう既に遅く。
アビーは悔しそうに唇を噛みしめると、その場から走り去ってしまった。
明らかに言い過ぎだと、メーデンは両手で顔を覆って座り込む。
クレアは静かな声で言う。
「アビーは貴女のために怒ったのよ、メーデン」
「ええ、わかってる」
大きなため息を吐いて拳を握りしめた。
焦りと苛立ちが募っているといっても、アビーには何の非もないのだ。
半ば八つ当たりのようになってしまい、メーデンは深く反省する。
「きっとすぐに仲直りできるわよ」
「ええ」
メーデンは立ち上がると、5人組に向かって一瞥をくれた。あまりにも冷ややかな視線に、彼女たちの額に嫌や汗が流れる。
「アビーとやり合わなくてよかったわね。
あばら骨2・3本じゃ済まなかったわよ」
深く沈みこんでいく黒い感情。
それはあまりに重たくて大きくて、心の中を支配していく。
コントロールが利かない。言う事を聞いてくれない。
死にたくない。
失いたくない。
ずっと欲しかった居場所。自分が存在してもいいのだという証。
仮初めの居場所でも構わない。嘘の友人でも我慢する。
それで満足かと問われれば“否”。
しかしそれすら失えば、残るものは何もない空虚な世界。憎悪と恐怖に埋もれた日々。生きることさえ地獄。
その元凶は、犯罪者である父親。
そして、ただの人ではないメーデンの身体である。
「メーデン!何をしてるんだいこんなところで!」
焦った様子のディーンがメーデンの腕を掴み引き剥がす。
どうやらぼーっとしている間に、爪で腕を引っ掻いてしまったらしい。
傷跡を見たディーンの眉間に皺が寄った。
「あーあ、痛そう。
すぐに手当をしよう」
「・・・ええ」
「どうしたんだい?一人で。迷子になったの?
ここは中庭で、露店は門の前だよ?」
「ええ、ちょっとアビーを探してたの。
はぐれてしまったから」
メーデンの声に力はなく、傷口からは血が流れる。
「待ち合わせ場所に行けば会えるさ。
それより保健室保健室」
メーデンはディーンに連れられて校舎の中へ歩き出した。