63話 最期と真実
アダムとハリスが北の森へ飛んだとき、そこは既に血の海だった。
ハリスはあまりの光景と匂いに胃の中の物を吐きだす。
「お・・・おえっ・・・!」
血と肉だらけのその場に座り込んでいる、男と血まみれの女。
アダムが無言で近づけば、彼らの視線の先にあったのはひとつの死体。
黒髪の女は黄色鋭い瞳孔の瞳を大きく開き、口から大量の血を流したまま事切れている。
「レジーナ」
「アダム?」
レジーナは後ろに立っているアダムに気づき、小さく振りかえって再び死体に視線を戻した。
そして自嘲の混じったような口調で話す。
「この女ね―――――私の母親なんですって」
「・・・・」
アダムは返事をしない代わりに、眉間に皺を寄せた。
レジーナの傍らにいる男、フォールは死体の手を握っている。
「殺した後に言われたって困るわ・・・、だって私、顔も名前も知らなかったのよ・・・?」
例え生きていたとしても父親と同様、最初から母親に期待など抱いていなかった。けれども殺してしまったら何もできない。
逆に殺した後で知って正解かもしれなかった。知らなかったからこそ、躊躇せず殺すことができたのだから。
母親がジーンの崇拝者であり自分の娘のことなど気にかけていないことくらい、ジーン聖教団の頭だとわかった時点で明らかだったのに・・・。
彼女はやはり心の中にどこかで、母親に対する希望を捨てきれずに居ただろう。ジーン聖教団の頭が自分の母親だと分かり、レジーナは混乱していた。
「め、メーデン!?」
胃の物を全て吐き出し終えたハリスが顔を上げ、そこで初めてレジーナの姿に気づく。
しかしレジーナはハリスを歯牙にもかけず、俯いたまま静かに目を閉じた。
「この人の死体は自分に弔わせてくれ。
俺の母親でもある」
立ち上がったフォールに、レジーナは目を開いて彼を見上げる。
最期に彼はポンとレジーナの頭の上に手を置き、死体を抱えて背を向けた。
母は貴族の出身だ。
しかしその家が没落し、婚約者との縁談は破談になり、彼女は生まれたばかりの俺を抱えたまま途方に暮れた。
大好きな婚約者との間に生まれた俺。
しかし家が没落した途端に裏切られた彼女は、悲しみと憎しみのあまり心を病んだ。
病んで病んで病んで、そして恋をした。純粋にただ一人の人を愛した。
ただ、その男は―――――犯罪者だった。
周りに見放された境遇に自分と似通ったものを感じたのだろうか。
「フォール、お母さんにはあの人の気持ちがわかるわ。
誰にも理解できないかもしれないけれど、でも私は愛してあげられる、理解できるの。
あの人には私が必要なのよ」
まるで少女のように純粋に微笑む母は、幸せそうだった。
・・・・そして母は、愛した男との子を産んだ。
珍しい紫色の瞳に、信じられないほどの小さな身体。
赤子というものを生まれて初めて見た俺は、彼女を抱くのにかなり抵抗した。最後は無理やり預けられてしまったが。
「見て、“レジーナ”よ。素敵な名前でしょ?
あの人の面影があると思わない?」
母親とあの男との間に愛が芽生えるのは構わない。けれど、“この赤子”は?
何の罪もない彼女が、なぜ生まれながらに罪を背負わなければならないのだろう。
ちゃんと・・・生きていけるだろうか。
俺は心配になって母を説得した。
「母さん、この子は俺が育てる」
「何を言ってるの!レジーナはあの人に差し上げるのよ!」
「母さんこそ何を言ってるんだ。
あの男に娘がいると知られたら、彼女に何が起こるかわかってるのか?
しかも得体の知れない連中に、生まれたばかりの子を預けるなんてあり得ない」
錬金術、それがどんな白物かは知らないがロクなものじゃないことくらいわかる。
人体実験を繰り返している彼らに、彼女を渡すわけにはいかない。
しかし、母はがんとして譲らなかった。
泣きながら赤子を抱き締めて何度も首を横に振る。
「嫌!嫌よ!絶対に渡さないからっ!!」
その時に無理やり取り上げるべきだった。
次の日にはもう赤子は母親の腕の中にはなかった。
彼女が生まれてから5年後のことだ。
あの男が処刑されたのだと噂で聞いた。
国民は泣いて喜んだが、母は泣いて悲しんだ。そして国を憎んだ。
再び心を深く病んだのは悲しみからだったのだろうか。それとも、あの男に身を捧げて実験台にされた所為だったのだろうか。
魔物を身体に入れ込まれた母は、どうやら失敗作だったらしい。
たまに暴れ出したり、昔の記憶が曖昧になっているようだった。
そしていつしか、俺のことも自分の息子だと認識できなくなっていた。
「愛してる・・・愛してるわ、ジーン」
相変わらず少女のように微笑む母。
国を憎み、復讐を企てるのは自然の流れ。
やがてその組織はジーン聖教団と呼ばれるようになり、国を脅かす一大組織と変わっていく。
―――――そして、再び彼女と出会ったんだ。
檻の中で目を覚ました彼女の紫の瞳。
見ただけですぐにわかった、“レジーナ”であると。
生きていた。それだけで十分だった。
しかし自分が血を分けた兄であると言えなかったのは、心の奥底で彼女に対する罪悪感があったからだろう。
何故母から奪わなかったのだと、身を呈してまで助けなかったのかと、ずっと後悔していたから。
彼女に男がいるとわかったときは酷くほっとしたものだ。
独りじゃなくてよかったと、孤独ではなかったのだと何度も安堵のため息を吐いた。
そして“レジーナ”は、何も知らないままにジーン聖教団の主に勝負を挑んだ。
彼女に親殺しをさせるべきか迷ったが、あえて俺は何も言わなかった。
きっとこれでよかったんだと思う。
母親は、あるべき姿に戻るのだ。
彼と血を分けた自分の娘によって在るべき姿になり・・・彼女が愛した男と同じ場所へ行くのだから。
「貴女がジーン聖教団の頭?」
北の森へたどり着けば、武器を持って戦いの準備をしている男たちの姿。
その中でも異彩な空気を放つ母に、彼女は訝し気な視線を寄こす。
母は彼女に気づいて顔を上げる。
「おや、アンタが灰色の鳥のレジーナだね」
やはり“レジーナ”が自分の娘だと気づいていない。
当然か、俺が息子だということも忘れてしまっているのだから。
今の彼女は、ただの憎しみの塊。
「そうよ、悪いけど死んでもらうわ。
ここにいる全員よ」
錬金術だろうか、突風が吹き荒れ、まるでかまいたちのように男達の肉を切り刻んでいく風。
魔物である母にはあまり効いていないようだったが、他の者たちはあっという間に細切れになってしまった。
一瞬で手下を奪われギリギリと歯ぎしりする母の瞳は黄色。魔物の色だ。
「この女・・・っ」
「貴女も死んで頂戴。
これでもう全て終わらせましょう。
死んだ父親の存在に振り回されるなんて、もううんざり」
母は悔しそうな顔からは一変、今にも泣きだすのを我慢しているような表情に変わった。
“父親”という言葉でレジーナが自分の娘だと気づいたのだろうか。
母はもう抵抗しなかった。
貫かれた心臓に目を見開いたまま死んだ彼女。
家が没落し、恋人に捨てられ、愛した人に実験台にされて普通の身体を失い、しかし愛した人もすぐに殺された。なんて不幸な人だろう・・・・。
自分の腕に刺さった母を捨てて見下ろす血まみれのレジーナ。
物影から出て母親の死体を見れば、彼女は大量の血を口から吐き出したまま事切れていた。
「彼女の名前はマイラ・シシー、・・・お前の母親だ」
レジーナは紫の目をこれでもかと言うほど見開いて俺の顔を見る。
その表情には困惑の色がありありと見て取れた。
産んで捨てた、それだけの母。母親失格の、母親。
ジーン・ベルンハルトという男にとり憑かれた、悲しい人。
アダム・クラークとハリスが瞬間移動で現れ、アダムはレジーナの後ろに立って声をかけた。
「レジーナ」
「アダム?」
レジーナは彼の存在に気付きながらも母の死体から目が離せない。
「この女ね―――――私の母親なんですって。
殺した後に言われたって困るわ・・・、だって私、顔も名前も知らなかったのよ・・・?」
アダムはただ無言で彼女の傍にいる。
「め、メーデン!?」
吐き気を催していたハリスが素っ頓狂な声を上げると同時に俺は立ち上がった。
「この人の死体は自分に弔わせてくれ。
俺の母親でもある」
俺は背に視線を感じながら、母親の死体を抱き上げてその場を去る。
息子として、兄として、俺は何もできなかった。
だからせめて余生は祈り続けよう。
母が愛した男のもとへ行けるよう、そしてレジーナが幸せになれるよう。