62話 天秤
買い物に夢中になっていた生徒達は総じて気づくのが遅れた。
砂ぼこりを舞上げながら近づいてくるそれが物騒な連中だと分かったのは、もう既に敵の人の形がくっきりと見える頃だった。
「逃げろ!!」
誰かの怒号が響く。
レジーナとクレアは服を掴んでいた手を止め、何事かと顔を上げれば恐怖に逃げ惑う人々、そして遠くの方に武器を持って一斉に押し掛けてくる男達の姿が見えた。
クレアは飛びあがって真っ青になる。
「逃げなきゃ!メーデン!」
「ええ」
2人は流れにそって駆け出したが、そちら側からも敵が攻めて来ているのを知り立ち止まった。
人が多すぎて辺りを見回すことができないが、おそらく生徒たちの流れが停滞していることから囲まれていると考えられる。
逃げられない。
敵がここに来るのをただ待つだけの状態になり、武器すら所持していない生徒達はパニック状態。
泣き出す者や気絶する者まで現れ、それはまるで一年前のパーティー会場へ16山鉱が攻めてきた時のよう。
「嫌あ!」
「兵士は、見張りの兵士はいないのか!?」
「どうすればいいの!?」
様々な声が飛び交い、クレアは状況を把握して真っ青になり冷や汗をかく。今にも気絶してしまいそうだ。
彼女は震える自分の身体を抱きしめて俯く。
「メーデン・・・」
「・・・・」
レジーナは返事をすることなく、無言で視線を鋭くした。気配を注意深く読めばやはり露店に居た生徒達は見事に囲まれてしまっている。
敵の数自体は多くないが、武器を持っていない生徒たちが逃げる方向はないようだ。
助けにくる様子もほとんどない。門の警備兵が数人、たったそれだけ。
このままでは無抵抗のまま皆殺しにされるのも時間の問題だ。
クレアがふと顔を上げればそこにレジーナの姿はなく・・・。
目を丸くして辺りを見回す。
「メーデン!?メーデン!?」
敵が目の前まで迫って来たとき、地がビキビキと轟音を立て始め生徒達は息を飲んだ。
そして周りを取り囲むように現れた氷の塊に、皆は自身の身に危険が晒されていることも忘れて唖然とした。
「なにこれ」
「囲まれ・・・・た?」
何事か把握できないが、とにかくこれでは襲撃を受けることはないだろう。
氷が行く手を阻んてくれている間に援軍が来れば助かる。
「アダム?」
クレアは一人呟いて目の前に広がる巨大な氷を見つめた。
ビキビキと割れるような硬質な音を立て、生徒の周りを囲むように巨大な氷が現れた。
ジーン聖教団の団員たちは目をパチクリとさせてその場に立ちつくす。
「なんだぁ?これは」
「氷・・・・だよな」
それは向こう側が透けて見えないほどに分厚く、試しに1人が剣を振りかざしてみたがビクともしなかった。
襲撃に血の気を多くしていた彼らは突然のアクシデントに困惑する。
視線が集まったのはリーダーの男。
彼は困惑しているようだが言葉に迷いはない。
「とにかく我々の使命は敵兵を引きつけることだ。慌てるな」
「そう、他にも仲間がいるの」
地面から吸いあがるかのように水が女の形を成し、やがて人の姿に変わり声を発した。
男達は慌てて武器を構える。
そして今自分たちの身に何が起こっているのかを悟った。
「なるほど、これが錬金術とやらか。
お前が片翼だな」
「怖くないの?今から死ぬというのに」
レジーナは腕を組んだまま敵を眺める。数はあまり多くないが一人一人相手にすると時間がかかりそうだ。
他にも仲間がいるなら早く始末するに越したことはない。
「動じるな、ただの女一人だ!!やれ!」
リーダーの男が叫ぶと同時にレジーナは蛇の魔物、ジュナーに姿を変えて尻尾を叩きつけた。
巨大な体躯から叩きこまれて一気に十数人が潰され、団員達は瞬時にひるんで動けなくなる。
噛みつき、巻きつき、薙ぎ払い、逃げ惑う彼らを追い込んでいく。
中には果敢に剣を振り下ろした者もいたが、当然魔物の身体に刃物が通用することはない。
地形を変えてしまうような暴れ様に、血と肉まみれになったその場。
既にレジーナに向かってくる者はおらず、彼女はジュナーから人の姿に戻った。
「少し逃げられたわね。
貴方も生徒を襲いに来たの?」
話しかけられたフォールは物影から姿を現す。
彼はその悲惨な場を見て視線を背けた。とても人間が見ていい光景じゃない。
「主のいる場所へ案内する」
「!」
レジーナは驚いて目を見開く。
ジーン聖教団の頭が、カーマルゲートに来ている。その事実を知ったレジーナは身体の奥底から沸々と沸き上がってくるものを感じた。
「・・・・居るのね」
「ああ」
「そして貴方は、ジーン聖教団が壊滅しても構わないと思ってる。
違う?」
問いかけにフォールは何も話さず黙り込む。
ジーン聖教団の団員でありながら、レジーナの手助けをする彼。その真意は一体何なのかレジーナには分からない。
「行くぞ」
フォールは結局答えることなく歩き始めた。
ちょうどそのとき近づいてくる兵士たちの気配を察したレジーナも、彼の後を追って歩き始めた。
ハリスは全力で隠し部屋までの道を走った。
早くしないと皆の命が危ない。その一心で。
北の森から南にある門を通り過ぎ塔の中へ。
すれ違う人々は血相を変えたハリスの様子に何事かと振り返るが、彼らに構っている暇はない。
物置の箪笥に入り暗い通路を通って、隠し部屋の扉を乱暴に開けた。
部屋の中ではマリウスとアダムがソファに座って、何やら雑談をしていた様子。
しかし青を通り越して土気色の顔色をしているハリスの登場に、2人は話すのを止めて扉の方を向く。
「あああ、アダム、大変、なんだ!!」
息も切れ切れに説明するハリス。
アダムは落ち着き払った様子で訊ねた。
「何があった」
「ジーン聖教団!!
ジーン聖教団が・・・カーマルゲートに!!」
「どこにいるのかわかるか?」
「えっと、たぶん、露店の方に向かってる!生徒を襲うって、襲って王城の兵士たちを引き付けるって・・・!
それから王城を襲うんだって言ってた!」
「言ってたって、誰がだい?」
マリウスが尋ねると、ハリスは固まって冷や汗を流す。
そう、今から自分が告白しなければならないのは、自分の恥ずかしい過ち。そして仲間を裏切った罪だ。
当然言いたくなんてない。けれども一刻も早く説明しなければ生徒たちの命が・・・・。
ハリスの心の中で天秤が揺れ動く。自分を守るか、仲間を助けるか。
「あ、あのっ・・・」
大きく息を吸って吐き出し、拳を強く握って奥歯を噛みしめる。
天秤にかけるまでもない、もう誰も傷つけたくない、傷つけられたくない。
「言ってたのは・・・ジーン聖教団の主で・・・、僕はっ・・・・」
マリウスはおやおやと驚き、アダムはハリスの話を途中で制止した。
「露店を襲ってるんだな?」
「た、たぶん、時間的に考えたら、もう・・・」
武器を持っていない生徒たちに時間稼ぎはできない。ならば、もう襲われていると推測できる。
早く助けに行かなくちゃと、ハリスの中で再び焦りが燻ぶりはじめた。
「露店の襲撃の他に聖教団はどこにいる」
「たぶん、まだ北の森の浄水場で待機してると思う。
それより早く助けに・・・!」
「いや、そちらは大丈夫だろう」
あっさり放ったアダムの言葉にハリスは目をまん丸にした。
何を根拠にアダムが大丈夫だと言ったのか、彼にはさっぱりわからない。
「生徒は武器を持ってないんだよ!?
兵士だって急な襲撃じゃ数が足りないはず!」
「そうじゃない。
・・・もう片付いているだろう」
「そんな・・・」
唖然とするハリスにふむ、と考え込むマリウス。
アダムは急にハリスの腕をがっちりと掴んだ。
「北の森へ飛ぶぞ」
「へ!?飛ぶって何!?―――――ぎゃあああ!!」
「いってらっしゃ~い」
慌ただしくその場から一瞬で消えたハリスに、マリウスは笑顔で手を振り見送った。