59話 片翼
轟音を立てて崩れゆく建物に、レジーナは大きく息を吐きながら走ってその場を離れた。
角を曲がったところで、彼女の腰にアダムの腕が回る。
「だめ、ハズレだわ」
「外の始末は終わった、戻るぞ」
空間がぐにゃりと歪み、景色が町から部屋へと一瞬で変わった。
レジーナはすぐにボスンとソファに身体を鎮める。
アダムがカーマルゲートを去ってから早4か月。
思わぬ事態に灰色の鳥とアダムの噂が国内外へと広まり騒然となった。またジーン聖教団の活動が活発になり、各地で被害が相次いでいる。
アダムとレジーナはもちろんジーン聖教団の壊滅に全力を尽くしていた。今日襲ったアジトも、これで7つ目。
しかしトップの人間は相変わらず正体不明のままだ。
壊しても壊しても彼らは蟻のごとく沸き上がり、新たな巣を作るだけ。
トップの人間と対峙する機会があれば絶対に勝つ自信があるのにと、レジーナは大きくため息を吐く。
「女王蟻はどこかしら?
このまま虱潰しに働き蟻と戦い続けるなんてまっぴらよ。
ただでさえこっちは自分の正体がバレそうで神経質になってるってのに」
「まだ時間はある。焦らなくていい」
アダムがローブを壁にかけて無表情のまま言うと、レジーナは上半身を起して首を傾げた。
「アダムはディーンに追われてるものね。
どうするの?あの子たちと協力するの?」
「ああ」
短い肯定、しかしそれだけで十分だった。
蟻の棲みかを虱潰しに襲撃するならば、彼らの人脈が必要なのも確かだ。
グレーマンが調べた情報とディーン一行が保持している権力を合わせればかなり早い段階での解決が望める。
レジーナは立ち上がるとアダムの背中に抱きついて頬を寄せた。
「大丈夫よ、私が守ってあげる。
国からも、聖教団からも・・・」
「レジーナ」
「・・・ん」
わかってる、とレジーナは背に抱きついたまま静かに目を閉じた。
研究が始まるとあまり校舎へ行く機会はない。
しかし昼食のためにカフェテラスを利用することが多く、周りの噂話がすぐに耳に入ってくる。
この4か月間、話題のほとんどはアダム・ジーン聖教団・そして灰色の鳥について。
またアダムが魔物だと判明したことから、ディーンやレジーナたちも錬金術の片棒を担いでいるのではと疑惑を持っている生徒も少なくはなかった。
疑われている、この事実に一番胸を痛めているのはクレアだ。
「仕方ないとは思うけど・・・ね」
サンドイッチを手に持ったまま大きなため息を吐く。
噂話を全く意に介していないディーンはともかく、その他のメンバーは周りの視線に居心地の悪さを感じていた。
「皆怖いんだよ。
今誰が味方で誰が敵かわからないんだもん」
「う・・・ん、そうだね」
サムの言葉にハリスは顔色を悪くして頷く。
カップを傾けて紅茶を飲んでいるレジーナはチラチラとこちらに向かっている視線から2種類の感情を感じ取った。
一つは好意、もう一つは懐疑。
「にしても、噂って怖いよね。
聞いた?アダムの恋人の話」
「何々?なにそれ?」
ハリスの話に食いつくディーンやクレア。
「知らないの?結構前から噂が流れてたけど・・・」
皆は顔を見合せて一斉に首を横に振る。
ハリスはしまった、と一瞬だけ罰の悪そうな顔になった。
これはジーン聖教団の間でのみ噂されていることで、生徒たちはまだ知らない話なのだから。
しかしそんな事情を知る由もない皆に今更引っ込めるわけにはいかず、ハリスは仕方なく話すことに。
周りに訊かれないよう、頭を寄せ合って小声で話し始める。
「灰色の鳥ってアダムの他にもう一人いるでしょ?
その女の人がジーン・ベルンハルトの娘だって・・・」
え、と一斉に表情が固まる一同。
「・・・それってジーン聖教団の頭じゃないの?」
レジーナは首を傾げてそれらしく質問した。
ジーンの血縁者なら灰色の鳥よりもジーン聖教団だと考えた方が自然だ。
もし灰色の鳥の女で間違いないならば、ジーンを尊敬している集団と彼の娘が敵対していることになる。
「考えにくいよ、アダムの恋人がジーンの娘だなんて」
訝しげに言うディーンに、少し考え込んでいるユークが静かに反論する。
「いいえ、これで辻褄が合いますよ。
何故アダムが、わざわざ義賊などという回りくどいやり方をしなければならなかったのか。
何故闇に足を踏み入れなければならなかったのか」
「恋人に足並みを揃えたってこと?」
ユークは重々しくゆっくりと頷いた。
はあ、と感嘆のため息を吐くのはクレアだ。
「なるほど、そういうことなのね。
アダムって意外と愛に生きる人だったのねえ」
「さすが僕のアダムだ!」
「声が大きいわよ、バカ!」
ボカッと殴られたディーンはえへへと笑いながら頭を摩った。
しかし殴られた個所には見事なタンコブが。
「あの・・・・さ・・・」
何かを言いかけたハリスにどうしたの?とサムが問う。
しかしハリスはなんでもない、と首を横に振った。
「早くアダムが見つかるといいね」
「そうね。
大規模な内戦になる前に、なんとか片付けられればいいんだけど」
レジーナは紅茶を飲みほしてソーサーの上に置き、皆は一様に首を縦に大きく振った。
隠し部屋にて会議をしている途中、突然現れたアダムに一同は跳ね上がる。
「で、でででで出た~!!!」
「幽霊か、俺は」
オーバーリアクションなディーンに眉間にしわを寄せたアダム。
ディーンはすぐにすっ飛んでアダムに抱きついた。
「よかったよかった!
待ってたんだよ僕たち!!」
「・・・・離れろ」
「なんだかんだで変わってないね」
「そうね」
鬱陶しいくらいに纏わりつくディーンと嫌そうなアダム。
全く前と変わりない姿に、皆は顔を見合わせると少し笑った。変わらないものがある、それだけで不思議と緊張はなくなり安心できる。
「アダム、協力協力!!協力だから!!」
「ディーン、それじゃ全然意味伝わらないよ」
協力を連呼するディーンに突っ込みを入れるのはマリウスだ。
シュシュはふむ、とアダムの前に立って彼を思いっきり見上げた。
「片翼はドコヨ」
「知る必要があるのか?」
ピリピリとした空気を放って睨み合う2人の間に、ディーンが身体ごと無理やり割り込んで笑う。
「今から仲間になるんだからそうやって腹の内探り合ったりしないの!」
「アタシは協力するなんて一言も言ってないヨ」
「シュシュお願いだから、揉め事を起こさないで頂戴!ね!?」
慌てるクレアに制止をかけられたシュシュの唇はかなり尖がっている。
せっかくまた会えてここから始めようとしているのに喧嘩にでもなれば大変だ。
ディーンはさあさあとアダムに席を進め、自分もその隣にぴったりとくっつくようにして座った。
ディーンのアダム大好きっぷりに呆れる一同。
しかしユークはどこか俯き加減にずっと下を向いており、それに気づいたレジーナが優しく彼の肩に手を乗せる。
「大丈夫?」
とても慈悲深い笑みだった。
ユークの立場を葛藤を理解しているような、そんな暖かな彼女の笑みにユークは頷く。
「ええ、大丈夫です」
レジーナはさらに笑みを深くしてアダムにべったり張り付いているディーンを見る。
「迷う必要なんてないわ。
私たちの進むべき道はもう決まっているもの」
「ジーン聖教団、撲滅・・・ですか?」
「さすがメーデン、いいこと言うわ!」
ぱっと笑顔になって嬉しそうに言うクレア。サムもうんうん、と頷いて賛同する。
「目標が一緒ならやっぱり協力するに限るよね」
「さてと、じゃあ観念していろいろ話してもらうわヨ」
パラソルを差したままどっかりと腰を下ろすシュシュ。隣にいたハリスはパラソルが顔に当たって痛そうだ。
アダムも向かい側に腰を下ろし、2人は正面に向き合う形になる。
「犯罪者のくせに、ずいぶんな御身分だネ。
灰色の鳥について洗いざらい吐いてもらうヨ」
「話すことは何もない。
それよりもジーン聖教団の頭についての情報が欲しい」
「ギブアンドテイク」
がんとして譲らないシュシュに、アダムは盛大な溜息を吐いて低い声を出した。
「・・・・何が知りたい」
「アンタの女のレジーナ・ベルンハルト、生きてるんでしょ?」
皆はハリスの話を聞いていたので驚くことはないが、注意深く2人の話に聞き入っている。
「だから何なんだ」
「否定しないのネ」
「結局誰なんだい?そのジーンの娘っての」
ピリピリした雰囲気をモノともせずにマリウスが口を挟んだ。
「戸籍によると生まれてすぐ死んでるヨ。もし生きてるとしたら今ちょうど23歳。
母親は没落貴族のマイラ・シシー、享年1014歳。
キーコスタ州の生まれで死因は出産後の衰弱死ヨ」
「へー、よく今まで生き延びられたね」
素直な感想を口にするサム。
逆に顔を険しくしたのはクレアとサムだ。
「やっぱりあの噂本当だったのね」
「うん・・・」
シュシュはむふぅ、と息をつくとアダムを見据えて口を開いた。
「その女差し出す気ないかネ?
まさかアダム・クラークともあろう者が女にうつつを抜かしてるなんてこと、ないよネ?」
「冗談を」
「むっきゃーーーーー!!!!」
突然立ち上がって大声を出すディーンに、一同は目を点にして彼を見る。
彼はぷんぷんと口で言いながらビシッとシュシュを指さして説教を始めた。
「そうやって何時までも話を前に進めない気!?
今はいがみ合ってる場合じゃないって分かってるでしょ!?」
「・・・ディーンってたまに本当のこと言うよね」
誰かがボソリと呟く。
「シュシュ!!さっさとアダムに情報渡してやるんだ!
アダム!!知ってること全部教えてあげて!
僕たちこれから協力するんだから!交渉してるんじゃないの!!」
「わかったヨ~」
「・・・・・」
シュシュは口を尖らせ、アダムはディーンに正論を言われたのが多少悔しかったのか黙り込む。
ディーンの言う通りこのままでは話しは前へ進まないのだ。
そう、“協力”しないことには。
「あの!!!」
急に大きな声を出したハリスに、またもやびっくりして皆は目を点にした。
「ごめん!!!」
さらに立ち上がっていきなり頭を下げたものだから、唖然とした視線がハリスに集中する。
一同は頭の上にハテナマークを作った。
「どうしたの?ハリス」
「ごめん・・・」
思いつめた顔をして再び謝るハリス。
「ごめん・・・・お手洗い」
ガクウッと皆はずっこけて苦笑いをした。
あれだけの勢いで謝られたためもっと深刻な話かと思えば、トイレに行きたかっただけらしい。
「いってらっしゃい」
「早く行っておいで」
「うん」
ハリスはパタパタと急いで部屋を出て行く。
「そんなに切羽詰まっていたのかな?」
からかうように言うディーンには、クレアの教科書が飛んできた。