51話 アダムの罪
アジトで何やら書類を片付けているアダムの目の前には、茶髪碧眼の美青年がアダムをじーーーっと見つめていた。
肩には白い猫がぶらんと腹を預けてぶら下がっており、どことなく凡人にはないオーラを纏っている。
「せっかく会いにきた友達を無視して仕事か、アダム」
「邪魔をしないという約束で乗り込んで来たのはどこのどいつだ」
アダムはいつもより低い声を出して不機嫌さを露わにしたが、茶髪の青年はなんのその、まったく動じずに再び口を開いた。
「・・・にしてもねぇ、ここ数百年の間にあーんなに難解な錬金術を使える奴が何人も現れるなんて。
さすが研究バカの国」
「・・・・・」
アダムは無視してペンを動かす。
一方茶髪の青年はペラペラと口が止まらない。
「ああ、アダムの恋人見たかったなー。
美人か?美人なのか?やっぱ美人だよな」
「・・・うるさい」
アダムが睨むと、彼は怖い怖いと笑いながら肩にぶら下がった猫を撫でる。
「怖い顔するなよー。
ミーが怖がってるじゃないか」
「にゃー」
返事をするかのように可愛らしく鳴く白猫。
アダムは諦めたのか大きなため息を吐いてペンを置いた。
「ちゃんと調べて来たんだろうな」
「あったり前だっつーの。
そのために来たんだからさ」
「それで、返事は?」
「おう。
中心の国が灰色の鳥に対して目を瞑る条件は2つだ。
1つは国際問題にならないこと。
2つは魔女―――――お前の女が中心の国の要請に従うことだ」
「解った。もう帰っていいぞ」
「えー?せっかく来たのに!
まだ噂の彼女の顔を拝んでない!」
アダムは遠くを見ながらため息を吐いた。
なんだかんだで彼はレジーナの姿を見なければ本当に帰る気がなさそうだ、と。
「見たいよな?ミー。
魔物で魔女なんだぜ?」
「にゃー」
猫に話しかける青年はテーブルに肘をついてアダムに尋ねる。
「でもさ、よりによって何で歴史に名を残すような重罪人の娘を好きになるかねー。
しかも魔物、しかも魔女。
好きにならなきゃよかった、とか思わないのか?」
ふんっ、とアダムは鼻で嗤う。
「まさか。
レジーナを取り囲む一連の環境は俺が最も望んだものだ」
「はあ?」
「俺にとってこれほどまでに都合のいい世界はない」
珍しいことにアダムは目を細め、薄く笑っていた。
青年はどことなく恐ろしく感じて身震いすると、猫も続いてブルブルと小さな身体を震えさせた。
知性とは素晴らしいものだ。
知識とは尊いものだ。
書物は文化的な宝物だ。
本は大好きだ。何でも教えてくれる。何でも知ることができる。
だけどどうしてもひとつだけ意味不明なジャンルがある。
―――――それが“恋愛”。
何度甘ったるい小説を読んでも、男女に関する論文を読んでも、僕には到底理解できないものだった。
空は虹色のオーロラが昼と夜を真っ二つに分けている。
道には薄く水が張ってあり、建物はすべて白色。
暖かく過ごしやすい空間、そしてここに居るものは皆が不思議な力を持っている。
ここは“世界の中心”と呼ばれる場所。
神々の住まう神聖な土地だ。
「おーい、アスカーク!
お前また本ばっかり読んでるのか?」
うるさい奴が来た。
僕は思わず舌打ちをして、他人の家に勝手に入り込んで来た男を睨む。
「いくら英知の神つったって、引きこもりはよくないぜ?
たまには外に出ろよ、根暗」
「うるさい出て行ってもらえますか。
貴方は精霊でしょう、身分低い癖に偉そうに言わないでください」
「そーいうところ頭固いっつってんのー。
貴重な友達だろー、大事にしろよー」
「誰が友達ですか」
ボソリと呟いたが聞こえたらしい。
「ぷんぷんっ」と口で言って頬を膨らましながら彼は家から出て行った。
はあ、と大きなため息が漏れる。
『英知の神』――――それが僕に与えられた二つ名だ。
家に籠ってひたすらに書物を漁る日々。そして僕はそんな生活に何の不満もない。
本は本当に素晴らしいものだ。
まさに知の宝庫。読むだけで心が躍る、恋愛関連の本を除いては。
空気の入れ替えをしようと窓を開けると、外で話している男たちの会話が聞こえてきた。
「あれ、ジュリヴァじゃないか?」
「本当だ」
彼らの視線の先には申し訳程度に布を纏い肌を存分に晒した金髪の女。
―――――なんてバカバカしい。
「いいなぁ、ジュリヴァ。
もう一度相手してくんないかな」
「無理無理。
ジュリヴァはよっぽどの男じゃなきゃ、何度も相手はしないんだとよ」
「お前下手そうだしな」
「なんだとー!?」
ああ、やっぱりバカバカしい会話だ。聞いて損した。
僕は再び読みかけの本を手に取って目で文字を追い始める。
引きこもりで何が悪い。根が暗くて誰に迷惑をかける。
見てくれを気にしなくても、ボサボサの頭でも、僕はこれで幸せだったんだ。
あの日までは。
「ねえ、何読んでるの?」
「わあ!!」
後ろからひょっこりと現れた金髪の女に、僕は驚き飛び退いた。
グラマラスで色気を振りまく彼女は、にっこり笑ってもう一度尋ねる。
「あなた、英知の神アスカークよね?
私のこと知ってる?」
もちろん知っている。
僕と同じ16神のひとり、愛欲の女神ジュリヴァ。
性を司る男女の仲の神で、恋愛だけでなく母性・安産、ひいては生命をも司る慈悲と慈愛の女神。
眩いほど輝く金髪の巻き毛と緑の瞳。布から零れおちそうなほどの胸、腰のクビレの曲線美。
彼女に会えば男なら誰でも鼻の下を伸ばす人気者だが、僕に言わせたら男共を垂らしこむ綺麗な顔した悪魔だ。
「・・・淫乱の神ジュリヴァ」
「あははっ、それって否定できなーい!」
嫌がらせのつもりで言ったのに腹を抱えて笑うこの女。
・・・早く出て行ってくれないだろうか。
「読書の邪魔なので僕の家から出て行ってもらえますか」
「本当に引きこもりなのね。
ずっと家の中じゃつまらなくないの?」
「つまらなくないです。
出て行って下さい」
「眼鏡も外したほうがいいわよ、ほら」
「ちょ・・・なっ・・・」
眼鏡を奪われて視界がうっすらとぼやける。
彼女は全く僕の話を聞こうとはせず、慌てる僕を見て笑った。
「ね?眼鏡がない方が素敵よ。
外に出たらきっと女神たちがアスカークに夢中になるわ」
「生憎僕は恋愛に興味無いので」
「どうして?」
「どうしてって・・・貴女と違って理性的なので」
「あはは、確かにそうかもー」
嫌味を笑いで返すジュリヴァ。
なかなかの強敵である。
僕は乱暴に彼女の手から眼鏡を奪い取ってかけた。
「とにかく、僕に構わないで貴女はそこらへんの男と遊べばいいでしょう?
恋愛に興味はないんです!全く!」
「どうして?人を愛するって素敵なことよ?
外にも出た方がいいわ」
「えっ!」
「ほら、早く!」
無理矢理腕を掴んで僕を家の外へ出そうとする彼女のアグレッシブさに、僕はぐったりと項垂れてされるがままになった。
ジュリヴァに連れてこられたのは、なんの変哲もない森の中だった。
陽と月の明かりに照らされたこの幻想的な光景は美しいが、本のように心揺さ振られることはない。
金色の巻き毛を揺らして歩く彼女の背中を見ながら、僕はため息を吐きながら後をつけた。
面倒だ、帰りたい、本が読みたい。
僕は至極つまらなそうにしているというのに、彼女は楽しそうに鼻歌を歌っている。
「ねえ、アスカーク、これ見て」
そう言って彼女が指したのは道端に咲いたただの花。
小ぶりな紫色の花弁を幾重にも重ねた、少し変わった花である。
「この花、なんて名前か知ってる?」
「・・・ラジーア、ですね」
まさかいちいち僕に花の名前を解説させるために連れて来たのか!?
・・・・あり得なくはない。
「えへへ、そう、ラジーア。
当たりだよ」
「・・・まさかクイズを出すために・・・」
違う違う、と笑いながら彼女は首を横に振ると、もう一度ラジーアに視線を戻す。
「このラジーアはね、小さな花なのにとてもいい香りがするのよ」
その瞬間、緩やかな風に乗って優しくも甘い匂いがした。
小ぶりだが匂いが強いとは図鑑に載っていたが、こんなに甘い香りがするんだと感心する僕。
ジュリヴァはクルリと僕の方を向くと、笑顔を浮かべて話し始める。
「本はたくさんのことを教えてくれるわ。花の色も、形も。
確かに本でしか知ることができないこともある。
だけどいくら文字に没頭したって、その世界を想像したって、体験させてくれるわけじゃないわ。
―――――本じゃ花の匂いまでは教えてくれないの」
僕ははっと気づいた。
彼女の言いたいことがなんとなくわかってしまったのだ。
僕はなんだか恥ずかしくなって俯く。
「賢くて知識が多いことは素晴らしいわ。
だけど外に出なければ分からないこともきっとたくさんある。
外に出れば、アスカークの英知を生かす機会も増えるわ」
そう、閉じこもってばかりいた僕。
実際に経験したわけでもないのに、知ったつもりになっていた僕。
あんなにバカにしていた恋愛の書物も、恋したことすらない僕に理解できるわけがなかったんだ。
経験してわかる。
異性を愛することの素晴らしさも、辛さも。
きっと・・・。
「ジュリヴァ」
「なあに?」
「ひとつお願いがあります」
彼女はきょとんと目を見開いて僕を見上げる。
「僕には、恋愛の良し悪しがわかりません。
貴女が教えて下さいませんか」
「いいよ!」
そう言って笑った彼女は、今まで見た何よりも美しかった。
世界は君の所為で様変わりした。
僕を取り囲む環境も、それを見る僕の心も。
取り囲まれて、話しをして、以前の僕なら考えられない光景。
ボサボサの髪も切ったし、本を読むとき以外は眼鏡もかけない。
当然のように、あれから僕とジュリヴァは恋仲になった。
「とうとうアスカークも卒業かぁ・・・」
前からちょくちょく顔を出してた風の精霊が感慨深げに言う。
「変な言い方をしないでくれ」
「でもさ、ジュリヴァのお陰でせっかく興味持ったんだ。
これを機会にいろんな女と付き合ってみろよ」
「・・・・ハァ」
思わずため息が漏れる。
僕は彼女以外はてんで興味がないというのに、こうやって周りはしきりに他の女神たちを進めてくるのだ。
たしかに英知と愛情では相性がいいとは言えないだろう。
もっとも太陽と月・光と闇のように、交わること自体を禁じられてはいないが・・・。
「そう言えばあの噂聞いたか?アスカーク」
精霊の一人が口を開く。
「噂?」
「ああ、太陽神が月の女神に懸想してるって・・・」
「げえ!まじかあ!?」
「お前も知らなかったのかよ。
アスカークは太陽神に仕えてるから何か知ってるかと思って」
「いや、僕は何も・・・」
「そういや、ジュリヴァは月の女神に仕えてただろ。
彼女にも何か知ってるか聞いてみてくれよ」
太陽と月、交わってはならない者同士。
もし僕とジュリヴァが同じ立場ならどうしただろうか。
諦める・・・のか?
諦められるのだろうか。
「アスカーク!」
後ろから抱きついてきたジュリヴァ。
すりすりと頬を押しつけてくるので、柔らかい感覚を背に感じた。
彼女はかなりの甘えん坊で、よっぽど手が空かないとき以外は常にくっついてくる。
「もう儀式は終わったのか?」
「うん!
何の本を読んでるの?」
「測量の話だよ」
「なにそれ」
わかんないとケラケラ笑うジュリヴァ。
彼女と出会って世界が変わった。
人を愛する喜びや幸せを知った。
―――――同時に、その苦しみも。
「なんで他の男のもとへ行くんだ!!」
初めてだったかもしれない、こんな怒鳴り声を上げたのは。
きっかけはジュリヴァの胸元にある赤い痕。
僕が付けたものじゃない。
別の男の・・・・。
「アスカーク?」
「近寄るな!!
近寄るなよ!!」
僕は彼女だけを愛し大切にしているというのに、彼女の男遊びは一行に変わらないまま。
ジュリヴァは困惑して立ちつくしている。
「どうして・・・!
どうして僕だけを愛してくれないんだ!」
「だ・・・だって、私・・・愛欲の女神で・・・」
「・・・・!!」
「アスカークは一冊の本だけで我慢できるの?」
無理、だ。
英知を司る僕が一冊の本だけを繰り返し読んだって我慢できるわけがない。
そう、彼女も同じく息をすることと同じくくらい当たり前に恋をする。
僕とだけではなく、いろんな男と。
憎い・・・・憎い憎い憎い、彼女が憎い。
けれど、愛してるんだ。
・・・・だから、僕はある罪を犯した。
「逢引を手伝った・・・?」
ジュリヴァは俯いたままこくりと頷く。
今世界の中心は事件の所為で大いに混乱していた。
交わることの許されない太陽神と月の女神が逢瀬をした、という事件で。
当然禁忌を犯した太陽神と月の女神は追放されることになる。
そして―――――逢瀬を手伝ったジュリヴァも同じく。
「だから、私ももうすぐ追放されるの。
後悔はしてないけど、アスカークのことだけが心残りだわ」
ジュリヴァは笑顔のまま涙を流していた。
「今まで、こんな私を愛してくれてありがとう」
2人は泣きながら抱きしめあった。
泣いて泣いて、まるで生まれたばかりの赤ん坊のように泣いた。
そして、愛欲の女神ジュリヴァは死んだ。
そう、彼女が世界の中心から追放されるように仕向けたのは―――――僕。
彼女は恋愛を司る者だから、もし太陽神と月の女神がお互いに恋い焦がれていることを知れば、手引きせずにはいられないだろうと知っていながら。
彼女に2人が惹かれあっていることを伝え、さりげなく唆したのは僕なんだ。
全ては、彼女を僕だけのものにするために―――――。
俺は彼女の後を追い、この世界に居る。
その罪深さからだろうか、前世の記憶がうっすらと残っているのは。
「レジーナは孤独だ。
誰にも受け入れられない異質な存在。
例え他の男のもとへ行こうと、彼女は俺のもとへ必ず帰ってくる。
俺以上にレジーナを愛し守れる人間などこの世界にはいないのだから」
なんて都合のいい世界。
彼女は前世のように、もう他の男に恋をすることは難しいだろう。
例え好きになったとしても、そいつはレジーナを受け入れることはできないだろうから。
世界を敵に回してまで彼女を守ることはできないだろうから。
レジーナをさりげなくカーマルゲートに導き、本物のメーデン・コストナーと入れ替わる機会を設けたのも。
完全に放任主義のカーマルゲートがいち生徒のために勉強などセッティングするはずがないのに、上手い
こと校長を唆して無理やり勉強会という出会いの場を設けさせたのも。
そして以前に錬金術を使い魔物を自分に宿した教師、マイリース・リトラバーを唆したのも――――――俺だ。
わざと間違った錬金術をそれとなく示し、わざと殺衝動を留めることのできない未完成な魔物と人間の融合体を作らせた。
そして思惑通りに暴れるマイリース・リトラバーに、レジーナに自分の存在の異質さを思い知らせたのだ。
お前は普通ではないのだと、この世界では受け入れられない存在なのだと、再確認させた。
父親の影に怯えているレジーナを口説くのは簡単だった。全ては計画通り。
この世界で最悪の犯罪者はジーン・ベルンハルトでもレジーナでもない、―――――俺なんだ。
好きな人を手に入れるために、手段を選ばずに行動したのは俺。
最も罪深いのは、俺。




