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灰色の鳥  作者: 伊川有子
Ⅳ章
50/73

50話 16山鉱




レジーナは泣きながら道なき道を裸足で走った。

何度忘れようと努力してもアダムがルーシーとキスする場面が脳内に焼きつけられて、苛立ちや悔しさは消えてくれない。


晴れていた空も赤く染まり始めるころには雲で覆われ、激しい夕立がレジーナを襲った。

前が見えないほどに激しい雨に打たれ、泥だらけになりながらそれでもレジーナは走り続ける。


やがて辿りついたのは無人の小屋。


レジーナは怒りに任せて壁を殴った。

魔物の力で壁は木端微塵に吹き飛び、中に入ったレジーナはありとあらゆるものを壊す。


無我夢中で、何も考えずに、ただの破壊行動を繰り返した。

イスをたたき割り、テーブルを投げ飛ばし、家具を蹴って砕く。

全ての小物を地面へ叩きつけて、窓ガラスも残さず全て壊す。


やり場のない怒りを解消する術を知らないレジーナは、魔物の本能に身を任せるしか方法がなかった。



胸の中に渦巻く黒いモヤモヤ。

喉元に引っかかって言葉すら出てこない。


我に返れば小屋は見るに堪えない惨状で・・・。

レジーナは肩で大きく息をしながら、泥だらけの状態で一人佇んでいた。


足の踏み場もないほど荒らされたそこから、フラフラと外へ出て辺りを見回す。

そこは竜巻の後のように壊れた小屋以外、何もないただの森。


「アダム・・・」


レジーナは再び歩き始めた。

目的もなにもないまま、ただ足が赴く方へと。

いくら物を壊しても落ち着かない怒りと悲しみを抱えたまま、獣道とも呼べないようなところを歩き続けた。


夜になって辺りが暗くなっても、雨は止まない。


そしてレジーナはついに足を止めて、その場に正面から倒れこんだ。

雨水を吸った土が跳ねて、泥と雨に濡れていたレジーナの身体をさらに汚す。

睡眠を取らなくても激しい運動をしても疲れなかった身体が、今はまるで地面へと吸い込まれるかのように重たく感じられた。


―――――このままいっそのこと自然へ還ってしまいたい


レジーナは重力に逆らわずに瞼を閉じる。

ごちゃごちゃとした胸の中の感情を全て捨て去って、今はとにかく静かな眠りにつきたかった。


















レジーナが目を覚ますと、そこは森ではなかった。

いや、正確には、意識を前に見た景色ではなかった。


土ではない硬くて冷たい地面に身体を起こせば、自分に掛けられていた柔らかい布に気づく。

人に助けられたのだろうが、しかし家の中というわけではなさそうだ。


ポツポツとところどころに灯っている赤い光に気づき、レジーナは目を擦ってもう一度目を凝らす。


「おう、起きたか!」


威勢のいい男の声に、レジーナの中に緊張が走って声の主を見た。

背が高いわけではないが筋肉質でガタイのいい男が、陽気そうな表情で笑っている。


「どっかイテェところはねえか?

拾った時は血だらけだったから死んでるかと思ったぞ」


「・・・魔物に襲われて・・・。

でも大丈夫」


「そうかい!

そりゃ運が悪かったなぁ!

でも生きてるんだから儲けもんだな!」


がははは、と大口を開けて笑う男は、今までレジーナが会ったことのないタイプの人間。

彼女は少し戸惑いながら、一応助けてもらったので頭を下げてお礼を述べた。


「助けてくれてありがとう。

私はメーデン・コストナーよ」


「おう!

俺はロロっつーもんだ。

ここらで猟師をやってる。

えれー人間じゃねえから、そう畏まるこたねぇぞ」


よろしくな、と邪気のない笑顔で挨拶され、レジーナもつられて微笑んだ。

彼の人柄からも気配からも全く悪いものは感じられないので、信用しても大丈夫そうだとレジーナは安堵のため息を吐く。


初対面なのにとても親しみやすいロロは、何故だか分からないが傍に居るだけで安心できるような人だとレジーナは思った。


「ところでメーデン、お前さんえらく別嬪だがどっから来たんだい?」


「王都から研究のためにこちらに来ていたんだけど・・・」


「研究者かい!そりゃいいな!

いやな、家に連れて行ってもよかったんだが、もしワケアリだったらいけねーからこっちに連れて来たんだよ」


レジーナはふと今居る場所の奇怪さを思い出して辺りを見回す。

良く見れば床も壁も天井も全てが岩でできていた。


「ここは・・・洞窟かしら?」


「惜しいな。

洞窟じゃなくて“鉱山”だ」


「鉱山?どうしてこんなところに・・」


鉱山に猟師がランプや毛布を用意しているのはとても不自然に感じられる。

仕事場というよりも、食器や家具が揃っているのは人が住みついている証拠だ。


ロロは豪快に開けていた口を少し閉じて、少し気まずそうに頭を掻きながら話す。


「いやな、それはちょっとこっちの事情で言えねえんだわ。

お前さんもあんまり関わらない方がいいぞ、ロクなことじゃねえから」


「よかったら教えてくれない?

お世話になった人のことだもの、ちゃんと知っておきたいわ」


ロロは困ったように眉を八の字にしてあーとかうーと唸り始めた。


「・・・メーデン、お前は口が堅い方か?」


「ええ」


「ぜってえ誰にも口外しないと約束できるな?」


「もちろん」


「しょうがねえ、乗りかかった船だもんな、説明してやる。

っとその前に、泥だらけの身体を綺麗にしてもらえ。

リコリアー!!」


ロロが大きな声を出すと洞窟のようによく響き、やがて細くて青白い顔をしたピンクの髪の女性が現れる。

ロロはとっても幸せそうに笑って彼女を紹介した。


「こいつは俺の自慢の奥さんだ」


「リコリアです、よろしくね」


「メーデンです」


握手をしたリコリアの手はとても真白で細い。

まさに豪快なロロとは対照的に繊細そうな女性であった。


面白い夫婦もいたものだとレジーナは心の中でひとりごちる。


「リコリア、風呂を用意してやってくれ」


「わかりました。

さあ、こちらへどうぞ」


「俺はここで待ってるから、ゆっくり入ってこい」


「ありがとう」


レジーナは立ち上がると、リコリアに連れられてその場を後にした。




















髪を清潔なタオルで拭き終えると、温かいシチューを飲みながらレジーナはロロの話に聞き入った。

ロロの隣には静かに正座しているリコリアも居る。


「俺達はな、いわゆるよからぬ輩って奴だ」


「盗賊ってこと?」


「いや、そうじゃねえ。

普通の労働者さ。

ただ、ちょっとヤバいことを考えてるってことだ」


レジーナは首を傾げる。

ロロやリコリアを見る限り、どうやっても犯罪を犯すような人間には見えないからだ。


「メーデンはアンネモアを見たことがあるか?」


「アンネモア地方のこと?

・・・いいえ、私グリンディネに居たから」


「そうか。

ここはミラグロ州アンネモア、鉱山の多い土地でさ、前まではすごく豊かでいい所だったんだが・・・。

今から10年ほど前からか、だんだん貧困と治安の悪さに頭を抱えちまうような場所になってしまったんだ」


え?とレジーナは聞き返した。


中心の国の次に豊かと言われている研究大国のサイラス。

ここ4千年の間、政局が不安定で幾度も戦争が起こったが、それでも民が食糧不足や貧困に喘ぐようなことはほとんどなかった。


それほどに豊かな国で、この平和な時代に何故。


ロロは肩を落としてため息を吐く。


「アンネモアの税金は8割だ」


「8割・・・?違法じゃないの」


収入の3割では本当に食べるだけでカツカツだろう。

ロロは重々しく頷いた。


「ああ。

だがいくら抗議したって聞きゃしねぇ。

国に報告しても無視、だ」


「そんなことってあり得るのかしら・・・」


レジーナは明後日の方向を向いて考え込んだ。

いくら悪政を敷く人間が上に居たとしても、上層部によって監視され居たらすぐになんらかの処罰が下るはず。

人による人の支配を細かく敷いているサイラスならば、歪みはすぐに上の人間によって修正されるようなシステムが出来ているのだから。


「それがあるからこんなことになってんだ」


ロロは苛立ちを隠さず、拳を固く握りしめて声を絞り出す。


「アンネモアを束ねているノルエ・ホーバー、あいつは神官なんだ。

神官ってのは特殊な身分でな、例えどんな罪を犯しても裁けないんだっ!」


顔を覆ってしまったロロの背中を、リコリアは優しく撫でてレジーナの方を向いた。


「私たちは貴族の富の恩恵を受ける代わりとして、自分で仕事や済む場所を選ぶことができません。

どんなに苦しい生活でも、ここから逃げ出すことができないんです」


それはレジーナも身をもって知っていた。

カーマルゲートに入る前、どこかで生活拠点を置いて普通の暮らしができないかと試みたが、住む家も仕事も決まっている人々の中に自然に入るのは容易ではない。

移動が許されないということは、民はそれだけ結束が固く皆が皆顔馴染みになる。

よって知らない人の一人でも紛れ込めば、すぐにバレしまうのだ。


レジーナは眉間に皺をよせ、首を傾けて呟く。


「神職免罪・・・?」


「そうだ、神官はどんな罪を犯そうと罰を受けることはない。

いくら俺達が助けてくれと国に頼んだところで、上さん達は何もできねぇのさ。

でもだからと言ってこのまま野放しにすることが許されるってか?

――――――いいや、許せねぇ!

だから俺達が自分たちの力でノルエの野郎を追い出してやるのさ!」


ロロは顔を上げて熱く語った。


このまま貧困の生活を続けていれば、まず弱い者が死んでしまう。

病気になっても薬を買うことができず、寒くても布を買うことができず、ゆくゆくは食糧が買えずに餓死する者も出てくるだろう。


「革命軍ってこと?」


「まさか、革命だなんて俺達には無理だ。

ただ国に気づいてほしいのさ、どれだけ逼迫した生活をしてるかってことをな。

さしずめ反乱軍ってとこか」


レジーナは空になった皿を脇に置いて膝を立てる。


「それで、ここを拠点にしてるのね」


「そうだ。

この鉱山には16の入口があってな、自分たちのことを“16山鉱”って呼んでるんだ」


「16山鉱・・・」


ジーン聖教団に灰色の鳥、そして16山鉱。

色々な組織がそれぞれの思惑で動く。


一見して平和でも、実は激しく歴史の動く時代なのかもしれない。

レジーナはそう思った。


「でも、どうやって動くつもり?

数は?武器は?足りてるの?」


「足りる足りないの話じゃねぇ、俺達は持てる限りの力をぶつけるつもりだ。

志ある者を集めて直接王城を攻める。

落とすのは無理だろうさ。だけど国が気づけばそれでよし」


「あくまでも目を覚まさせるだけってことね」


「ああ。

早くしねえと犠牲者が出始めている。

今国はジーン聖教団とやらで忙しい・・・・好機だ」


レジーナは無言でリコリアを見つめた。

ロロが反乱に参加するなら、当然彼の命は助からないだろう。

勝てない戦争へ向かう夫に、きっと彼女は心を痛めているに違いない。


しかしなんと強いことか。

リコリアはふわりと笑って頷いた。

こんなに細くか弱そうな女性でも、しっかりと腹を括って立ち向かっている。


レジーナは僅かに微笑んだ。


この夫婦はとても強い絆を持っている。

それに比べて自分は・・・・とここへ来た経緯を思い出し、大きなため息を吐いた。


透視で見てしまったのはアダムとルーシーのキスシーン。

今思い出しても苛立ちが止まらないが、アダムを失って一体レジーナに何が残るというのか。


例え何があってもアダムを信じて待つことができれば、そばにいることができればそれでいいのに・・・・。

レジーナは結局、逃げだしてしまったのだ。

自分を殺そうとしたルーシーへの憎悪に、アダムを一瞬でも奪おうとした嫉妬に耐えきれずに。


「メーデン?」


「あ、ごめんなさい。

私にも何かできればいいのだけれど、今なにも持ってなくって。

これじゃ助けてもらったお礼もできないわ・・・」


我に返ったレジーナは苦笑しながら申し訳なさそうに謝る。

ロロは豪快に、リコリアはクスクスと笑って首を横に振った。


「そんなこたぁ気にしなくていいんだ。

ただな、悪いが、このことは絶対に誰にも言わないでくれ」


「もちろん、心得てるわ。

私も貴方達が成功することを祈ってるから」


悪いな、とロロは首の後ろを掻く。


「助けるつもりだったのに、なんだか巻き込むような形になっちまった」


「あら、気にしないで?

無理矢理私が聞き出したんだもの」


「そりゃそうか!」


がはははは、と大口を開けて笑うロロ。

レジーナは下半身についた土を払って立ち上がった。


「そろそろ帰らないと、・・・家族が、心配してるだろうから」


「だがもう少し養生した方がよくねえか?」


ロロはリコリアの方を向いて、彼女はしっかりと頷く。


「そうですよ、病み上がりなんだからゆっくりしていった方がいいと思います。

魔物に襲われたのだし、あまり無理しない方が・・・」


「アンネモアがこんな状態だから食事も大したものは出せねえが、メーデンさえよければ落ち着くまで居てもいいんだぞ?」


「ありがとう。

でももう十分元気になったから大丈夫。

気持ちだけ受け取っておくわ」


帰らなければ。アダムの下へ。


レジーナの決意を前に説得するのを諦めた2人。

仕方ないか、と肩を落として苦笑する。


「一文無しで大丈夫なのか?」


「平気よ、王都まで近いし、春だから食べ物もたくさんあるわ」


「そうか。

王都へはここから南東へ進めば辿りつく。

鉱山を抜ければ道があるからすぐに分かるだろ。

気を付けて帰れよ」


「ありがとう」


ロロは南東の方角を指し、レジーナは頷いてお礼を言うと歩き始める。

レジーナが去っていくのを見守るロロとリコリアは、後姿が完全に見えなくなるまで寄り添いながら見送った。






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