5話 目撃
メーデンはカフェテラスでサンドイッチを頬張りながら唸っていた。
目の前にあるのは来年の選択授業のリストである。
「どれもこれも全部難しそう。
アビーはもう決めた?」
「ううん、全く。
そんなに悩まなくても提出はまだ先じゃない」
「でも単位かかってるから、できるだけ簡単な授業を選びたいの」
「そりゃメーデンはね」
苦笑いをするアビー。
メーデンと違って、アビーは成績が良い。特に実技においては学年の中でもトップクラスの実力の持ち主だ。日頃の態度はあまり好まれないが、高い身長から繰り出される剣術は先生も手放しで褒めている。
一方メーデンは筆記のみならず実技においても成績はよろしくない。
背は高い方だが腕は細いし動きも遅く、弓を引けば明後日の方向へ飛んで行くという悲惨っぷりであった。
少しでも多くの単位を獲得するため、何の授業を選ぶかはメーデンにとってとても重要なことなのだ。
「医学みたいな学問系は避けたほうがいいかしら」
「でもあたしたち卒業後は軍に入るんだから、看護・救急の授業は必要でしょう?」
「うーん・・・」
そう言われてしまえば取った方がよい授業は多くある。軍隊に入る以上、看護・救急、斧戦術、槍戦術などは外せないだろう。
選択授業と言えば、見ただけではよくわからない名の授業もある。
「これって何かしら」
「どれ?」
「“蠱惑女学”って見るからに・・・」
怪しい。
何を習うのか全く見当がつかないわけでもないが、メーデンは眉をしかめてリストと睨めっこを続ける。
すると、メーデンとアビーの間にひょっこりとディーンが顔を出した。
「やぁ、レディーたち。何を見てるんだい?
ああ、選択授業ね!これ選ぶの困るよねぇ」
「ディーン様っ!」
アビーは目を丸くして後ろに仰け反り、2人は周りからの視線に冷や汗を流す。
しかしそんなメーデンらの様子に気づくことなく、ディーンはニコニコ顔で選択授業のリストを手に取った。
「僕らが知ってる分なら教えてあげられるよ。
ね?ユーク」
「・・・そうですね」
付き合わされているユークはやや諦めた表情で機械的に返事を返す。
ちなみにアダムの姿はない。おそらくこの間の件で忙しいのだろう。
メーデンはここぞとばかりに聞きたい事を尋ねた。
先輩の意見は非常に貴重なのだ。
「できるだけ簡単な授業を取りたいんだけど・・・」
「そうだねぇ・・・暗記が得意ならサイラス史と大陸史と地理学・・・・え?苦手?
じゃあ実技の斧と槍戦術かなぁ――――――え?実技もダメなの?
数学系の医学なんてどうかな?計算も苦手?
レポートで単位がもらえるのは研究史とか・・・やっぱダメ?
出席だけで単位もらえるのは蠱惑女術と暗殺技術しかないよ?」
次々に首を横に振るメーデン。
出席だけで単位が貰える、という言葉に飛びついたのはアビーの方だった。
「出席だけで!?」
「まあね。
内容はあまりオススメできないんだけど、単位は確実に取れるよ」
「メーデンにはぴったりだわ!」
「ええ」
今度は縦を首に振るメーデン。単位がもらえるなら授業内容はあまり重要ではない。
ディーンは上機嫌で話を続ける。
「2人とも卒業後は軍に入るんでしょ?
だったら自然考察は取らないとだめだよ。サバイバル演習だから、受けておかないと後で困る人多いんだ」
「ありがとう、助かるわ、本当に」
「いやあ、お役に立てたのなら嬉しいよ」
メーデンにお礼を言われディーンはデレデレと嬉しそうに顔を緩めた。
ディーンは剣を振り回しながらも顔はだらしないほどタレきっていた。頬は赤く染まり、満面の笑み。
隣で素振りをしていたユークは眉間に皺を寄せ、横目で彼を見る。
「気持ち悪いですよ、ディーン」
「ユーク、酷いっ!」
「事実ですから」
きっぱりと言われて落ち込むところであるが、それでも彼の顔は緩んでいた。
授業中だというのに剣は明後日の方向へ振り回されている。それでも先生が注意しないのは、一重に彼が王族という身分だからだ。
むしろディーンに限っては注意してほしい、追い払ってほしい、鬱陶しいから、とユークは心の中で強く思った。
「・・・ずいぶんご機嫌ですね。
何かあったんですか?」
「わかるかい!?」
待ってましたと言わんばかりに食らいつくディーン。
剣を放り捨て、拳を天に突き上げて叫んだ。
「恋をしたんだ!」
「またですか・・・」
「また、じゃない!今度は本気なんだよ!」
言わずと知れた遊び人であるディーン。恋人の数は両手では足りない。
その彼が恋を謳うとしても、あんまり説得力がない。
ユークは呆れた表情のまま、半ば義務的にお約束の質問をする。
「それで、お相手の方は?」
「メーデン・コストナーさ!」
「へぇ」
「他に言うことないのかい!?」
ディーンはユークの肩を掴んで前後に激しく揺すった。
ユークは揺られながら仕方なくコメントを付け加える。
「まあ、確かに彼女は美しいですけど・・・」
「だろう!?
あんなに美しい女性、どこを探しても見つからないよ!
蜂蜜色のサラサラな髪!宝石のような紫色の瞳!完璧じゃないか!」
「・・・中心の国の第一王妃とか」
「魔女じゃん、しかも人妻じゃん。
僕はメーデンがいいんだ!」
「へぇ・・・、まあ・・・がんばってください」
「もちろんさ!もっと仲良くなって告白するんだ!
そしてメーデンがカーマルゲートを卒業したら・・・結婚!」
「無事に卒業できるんですかね、彼女」
なんと言ってもあの破滅的な成績である。
ディーンは自信ありげに拳で胸をドンッと叩いた。
「大丈夫、そこは僕に任せて!先生に圧力をかけたら一発さ!」
「・・・・ディーンが勉強を教えて差し上げた方が健全では?」
「ふむ、それもそうだ。
そして結婚したら最初は男の子、次に女の子!僕とメーデンの子なら絶対に可愛いだろうなぁ・・・」
ポッと頬を染めてニヤけるディーン。重症である。
「こうしちゃいられない!
彼女の騎士になるためにも、常に傍にいなければ!」
そう言い残し、ディーンは風の如く競技場から去って行った。
残されたユークは立ちつくしたまま、肩をすくめて大きなため息を吐いた。
メーデンは3階の廊下を急いで歩いていた。
腕時計に視線を落とせば既に授業開始時刻を過ぎている。
教科書を取りに宿舎へ戻ったのがいけなかったのだろう。怒られること覚悟しながらひたすらに長い廊下を進んだ。
そして曲がり角に差し掛かった時のことである。
奇妙な音が聞こえて来てメーデンの足が止まる。
例えるならばネチャッとした粘着音。低く深くゆっくりとした呼吸音。
メーデンは言い表せない感覚に目を細めて奥歯を噛みしめた。嫌な予感が脳裏によぎる。
意を決して歩を進めると角を曲がった先に、何か巨大なモノが人に覆いかぶさっていた。
―――――魔物の中でも5本の指に入るほど凶暴な“カンダランテ”である。
7人分の背丈もあろうこの魔物が、神殿で生徒を襲った犯人であろう。サソリの形を模した緑色の身体、体液も全て緑色。カンダランテの持つ毒は魔物の中で最も強いと言われている。
もし狙われでもしたら一溜まりもない。
現に襲われたらしい人間はピクリとも動かなくなっていた。
カンダランテの正体も気になるが、ここで事件に関わるのはまずい。
メーデンは気付かれないよう静かに一歩ずつ後ずさり始める。
しかしヒールの音は思った以上に廊下に響いた。
カツンと鳴る音に魔物は後ろを振り向く。
メーデンの紫色の瞳とカンダランテの黄色い瞳が交わった。
しかし一向に襲ってくる気配はなく、そのまま床を這いずりながら魔物はどこかへ消えて行った。
普通の魔物ならば殺衝動に身を任せて一心不乱に襲いかかってくるはずである。
しかしそれをしなかったということは・・・。
メーデンは転がっている死体の傍まで静かに歩み寄り、無表情のまま見下ろした。
抉れて紫に変色した2つの大きな穴。
流れているおびただしい血は床を伝ってじわりじわり広がってゆく。まだ温かそうなその血は、生と死の両方を思わせた。まだ襲われてから時間は経っていないらしい。
この事を知らせるべきか否か、メーデンはしばらく悩んだ。
もし知らせれば少なからず疑われてしまうだろう。知らせなかったとしても、万が一ここに居たことを誰かに見られていたとしたら一巻の終わり。
確実に小さなリスクを背負うか、賭けに出るか。
そんな悩みも、次の瞬間吹き飛ばされてしまう。
なぜなら人がやって来たからだ。
「メーデン、そんなところでどうしたんだい?」
ディーンだ。
振り返ったメーデンは無表情を崩し、怯えたように身体を震わせた。
「ディーン、・・・・これ見て」
すぐに死体に気づいたディーンは目を丸くして近寄る。
彼の口からは「うわっ」としか出てこなかった。
そして静かにメーデンが口を開く。
「私見たの。魔物がこの人を襲ってるところ」
「本当かい!?」
ディーンはメーデンの両肩を持って詰め寄る。
しっかりと頷くメーデンに、彼は顎を持ち考える仕草をした。
「そうか。
とにかく誰か先生に知らせないと」
「そこで何をしている」
低く響く声にメーデンとディーンは一斉に振り返った。
金髪に青い目、アダム・クラークだ。
その後ろから見たことのない人が次々とやって来てメーデンは人知れずため息を吐く。
アダムは鋭い眼光で死体を見遣ると、ディーンがすかさず言い出した。
「第一発見者はメーデンだよ!
魔物の姿を見たって!」
視線がメーデンへ移る。
冷や汗が出るほどの威圧感にメーデンは奥歯を噛みしめて拳を強く握る。
「何があったか説明しろ」
「カンダランテが居たの・・・私が見たのはそれだけ」
「カンダランテ?
サソリのバケモノか」
そう言ったのはアダムではなく死体をジロジロ見ていた男だった。
長い黒髪を無造作に後ろでひとつに束ね、メガネをかけた優男。アダムとは対照的に影の薄い人物だ。
この世界の人々は見た目が25歳で止まるため判断し辛かったが、どうやら彼は教師らしい。
「節があって非常に硬い緑色の身体を持つ。
猛毒は触っただけで死に至る。
生息するのは端の国だけだと思ってたんだけど・・・。
―――――ああ、死体には直接触らないように。そう、ビニールに包んで運んでください。それから身元の確認を・・・」
他の人々にてきぱきと指示を出す。
彼はメーデンに向き直ってニコリと笑った。
「申し遅れたね、私はマイリース・リトラバー。
カーマルゲートでサイラス史を担当している」
やはり教師かと、メーデンは慌てて頭を下げた。
「初めまして、メーデン・コストナーです」
「噂は聞いているよ。
クラークに勉強を見てもらっているそうだね」
どこもかしこもその話が広まっているらしく、メーデンは恥ずかしさに縮こまって小さく頷く。
「よかったらこれから話を聞かせてもらえないかな。
実は魔物の研究をしていてね。カンダランテの目撃者は非常に希少なんだ。
いや、こんな時に不謹慎なんだけども」
やはり見た目は若くとも、話し方や物腰で今まで重ねてきた年月の重みが感じられる。
柔らかそうな雰囲気とは対照的に、その眼鏡の奥にある瞳はメーデンをつぶさに観察しているようだ。
「いえ、大丈夫です」
「そうか、よかった。ではこちらへ・・・」
手を振るディーンに見送られて、メーデンは死体を一瞥するとリトラバーの後に続いた。