49話 ハリスの憎悪
その人に会えたのは、偶然だった。
「お前の名は?」
「ハリス・オーディン・・・です」
怖い―――――何故身体がガクガクと震えている。
暗がりの中、王座のように高い場所に座っている女性の姿は見えない。
けれどもひしひしと肌で感じる圧迫感。
そのオーラに、声に、存在に圧倒されてしまう。
周りに居る人たちの視線も厳しく、当然ながら俺は委縮しながらできるだけ身体を小さくするしかない。
俺みたいな普通の人間が彼らと関わるようになったのは理由がある。
恋人であるアビーを失ってから漠然とした悲しみと不安を抱えるようになった俺は、友達に相談にするのも気が引けるので、よく王城の神殿に入り浸るようになった。
不思議と心が落ち着くし、周りに気兼ねなくアビーのことを思い出せるから。
何か月も通い詰めて、昨年の今の時期のこと。
すっかり顔馴染みになった神官が、急に俺の隣に腰を下ろし、彼はまっすぐ前を向いたまま静かな声で話し始めた。
「毎日、御苦労だね」
「え、ええ、まあ」
「けれど、神に祈りを捧げに来たわけじゃなさそうだね」
「・・・・すみません」
そう、祈りに神殿へ来ているわけじゃない。
俯いて拳を固く握りしめた。
俺はいったい、何をやってるんだろう。
こんなところに毎日毎日来て、こんなことしてもアビーが浮かばれるわけじゃないのに。
「憎いのですね」
神官は俺の方を向いて、ただ笑った。
「そう、ですね。
そうかもしれません」
大切な人が死んだというのに、まるで何もなかったかのように時間が進んでいく。
いつの間にかアビーが居ないのが当たり前になって、少しづつ、少しづつ、アビーの記憶が薄れていく。
決してあの時の悲しみを、悔しさを、忘れたわけではないのに。
それでも時が経つにつれて薄れていくのだ。それが俺は許せなかった。
だから、アビーを忘れないために、憎しみを心の中で育てていたんだ。
アビーを、生徒たちを、見殺しにした国を憎んでいたんだ。
憎んで憎んで憎んで、その憎しみでアビーを鮮明に心の中に焼きつけている自分。
恥ずかしかった。とても皆に相談できるようなことじゃなかった。
大切な人を失ったのは皆同じなのに、俺だけ弱い人間みたいじゃないか。
だから―――――――。
「いいのですよ、憎んでも。
恨んでもいいのですよ。
大切なのは、行動するか、否かなのです」
「行動?」
憎しみを何の行動に変えると言うのだろう。
まさか、国を相手に戦えるわけもない。
仇打ちすらできない自分に、できることはなにもないのに。
「憎しみを内に抱えたまま、何も行動しない。
それではいつか限界が来てしまいます。
だから、時には、心のままに動くことも大切なのですよ」
「でも、俺にはなにも・・・」
神官は、確信に満ちた顔で言った。
「大丈夫、です。
いずれその機会は訪れますよ」
そして、その機会は向こうからやって来た。
「外に?」
「ああ、お前も行くだろう?」
知らない人に突然話しかけられて、外へ出かけないかと誘われた。
ワケがわからない。なぜ知らない人と一緒に行かなければならないんだ。
「悪いけど・・・」
「集会があるんだ」
断る言葉を遮って、見たこともない大きな体躯をした男は言う。
「集会、って、どんな?」
「今、自分に何ができるかを考える集会だ」
ほんの出来心だった。
カーマルゲートから出て、この束縛から一時でも解放されたい。
そう思って頷いた俺。
もちろん外出許可は下りないので、神官の格好をして門を堂々と通り抜けた。
あっさりと、誰にも止められることなく。
神官という特殊な身分を装うことで、こんなにも簡単に騙せるものなのかと驚いたものだ。
そしてその後に辿り着いたのは、まるで何十年も放ったらかしにされていたようなボロ家。
蔦が好き勝手に壁を伝い、手入れされている気配はまるでない。
しかも住宅街の中にあるそのおんボロ屋敷は、どことなく周りの平和的な雰囲気からかけ離れているような・・・・。
「おい、こいつ新人だ」
「「おおー!!」」
中へ入ってみればまさかの人だかり。
アルコール片手に床やイスに座っているのは、そのほとんどが男であった。
「お前、名前は?」
「ハリスです」
「ここがどこだか・・・分かってないようだな」
好き勝手に飲んでいる男達の中から、静かに近寄って来た一人の男が俺に話しかけてくる。
「ここは国に反旗を翻した連中の溜まり場のようなものだ」
「国に・・・反旗・・・。
・・・革命軍?」
「そう思ってもらっても構わない。
まあ、そうは言っても下っ端だが」
「どうしてそんなことを・・・」
素直な疑問が口から出てしまい、慌てて口を塞いだが遅かった。
チラリと彼を見てみると、特に気分を害した様子はない。
「・・・国によって殺される人間もいる。
それだけだ」
「・・・・・」
俺と、同じなんだ。
ここに居るたくさんの人が国を憎み、そして行動を起こそうとしている人々。
でも、こんなのバカげてる。
「いくら国を憎んだって、どうしようもないだろ・・・」
「勝算ならある」
俺は目を見開いて彼を見た。
国を相手に・・・“勝算”?
「何かを成すには何かを犠牲にしなければならない。
俺達は人としての道徳を犠牲にしたんだ」
「どういうこと?」
――――――ここは、ジーン聖教団のアジトの一つなのさ。
あれから俺は焦りと恐怖と、そして期待の狭間で揺れ動いていた。
ジーン・ベルンハルト、錬金術というものを使って国と戦った人間。
彼の犯した罪の数々は子どもの頃から何度も聞かされてきた。
その犯罪者の名を語る集団。麻薬を売買していることから考えても、ロクな奴らじゃないことは十分に承知している。
けれど、アジトの男が言っていたように、その組織はとても強力なもの。
戦争には人数・お金・情報が必要だと授業で習ったが、そのすべてをジーン聖教団は持っている。
ジーン聖教団に入れば、国と戦うことができる。
一方で、それは皆を裏切るということだ。
裏切りという言葉だけがどうしてもひっかかって、俺は何も行動できずに毎日をただなんとなく過ごしていた。
そしてそんな時、ディーンの言い出した作戦で、以前訪れた廃屋の場所がバレしまう。
俺は皆が捕まえようとしているその横で、俺は―――――逃げた。
逃げた・・・はずだったのに、気づいたらいつの間にか立ちすくんでいた。
廃屋の、ジーン聖教団のアジトに。
息を切らして駆けて来た俺を、男達は不審そうな目で見る。
「逃げて・・・ください。
ここがバレました」
どうしてこんなに、うまくいかないんだろう。
友達も恋人も故郷も学校も、全部全部大切にしたいだけなのに。
憎しみに任せて失うものが増えた結果になるなら、それは本当に俺の自業自得だ。
俺はこの度、思い知ることになった。
一度踏み入れた闇から抜け出すことはできないのだ、と。
「この度の働き、ようやった」
「・・・ありがとうございます」
そして俺はジーン聖教団の中で“主”と呼ばれているトップの女性に、たまたま彼女が近くを通りかかったということで会うことができた。
本当に運がいいと他の人たちは喜んでいるけれど、俺は喜べるはずもない。
ジーン聖教団と灰色の鳥を捕まえようと一致団結して頑張っている皆の・・・・一人一人の顔が思い出されて・・・・。
サム、メーデン、クレア、ディーン、アダム、ユーク、マリウス、シュシュ。
どうして・・・俺はこんなことに・・・。
どうして・・・どうして・・・。
「どうして・・・・」
思わず言葉が漏れてしまい、慌てて口を噤んだ。
なんとなく気まずい空気が流れる中、王者の如く鎮座した彼女がゆっくりと話し始める。
「・・・・そうだな。
いわば、これは復讐だ。
大義名分を抱えてあたかも正義かのようにふるまう国家によって、大切な人を失った我々が辿るべき正当な道」
女性にしては低く艶のある声が暗闇に響く。
「正当な・・・道?」
「そう、正当で当然の行い。
仇討ちもせずに黙って引き下がれるわけがなかろう。
これから犠牲になるであろう、多くの人のためにも」
彼女は一息吐いて立ちあがった。
その姿は一枚の薄い布に遮られてよく見えないけれども、感じるオーラに大きな組織をまとめる実力のようなものを感じた。
「この国は、一度滅ぶべきだ」
この人なら、できるかもしれない。
この人なら、本当に仇を討つことができるかもしれない。
そうだ、この人になら――――――。