47話 女の戦
翌朝、レジーナの機嫌は決して悪くはなかった。
アダムが再び遺跡へ向かうのを見送った後、ルーシーに出会うまでは。
わざわざ部屋の前で待ち伏せをしたのだろうか、ぽつんと立っているルーシーはレジーナの姿を見て口を開いた。
「・・・メーデン」
「あら、おはようルーシー。
ずいぶん早いのね」
「ちょっと、お話があるんだけど」
「いいわよ」
思いつめたように話すルーシーにレジーナはすぐに了承し、人目が気になるからと言われて庭へ出る。
そこは庭というよりは森に近い。
鬱蒼と生い茂る春の木々は、若々しく生命力に溢れている。
時折聞こえる鳥の声を聞きながら木漏れ日の中を進むと、やがて朝日が反射して細かく煌めく泉へと辿りついた。
近づくだけで新しい水の匂いが鼻につく。
「それでお話って何かしら?」
「あの・・・アダムのことでお願いがあるの」
口調はとても拙かったが、目に迷いはなくはっきりとレジーナを捉えていた。
レジーナはあまりいい予感がしなかったが、できるだけ優しい笑顔を作って頷く。
「ええ、なあに?」
「アダムを私に譲ってほしいの」
一瞬崩れた笑顔を立て直すレジーナ。
まさか昨日見られたわけではなさそうだが、何故アダムの件で自分に話をするのかが分からずレジーナは困惑する。
「どういう意味?」
「だって・・・アダムはメーデンのことが好きなんでしょう?」
「どうしてそう思ったの」
「だって、アダムは何があっても私には会いに来てくれなかったから・・・」
深刻そうな表情で言うルーシーは本気で言っているらしい。
まさか物でもあるまいし、アダム本人の意思なしにやり取りできるワケがない。
レジーナはにっこりと笑って首を横に振る。
「私のことを好きだなんて、絶対にあり得ないわ。
きっと何かの勘違いよ」
「勘違いじゃないわ!
私は幼い頃からアダムをずっと見てきたわ!だから分かるの!
お願い!譲って?
私はずっと努力してきたわ!
アダムの隣に立てるように、アダムに相応しい人間になれるように頑張ったわ!
聖女の私なら釣り合うもの!貴女平民でなんでしょう?」
レジーナに肩にしがみ付いて離れないルーシーは声を大きくして訴えた。
しかしレジーナの同情を誘うことはなく、むしろこれが大きな逆効果となる。
「何を言ってるのか分からないわ。
選ぶのは貴女じゃなくてアダムなのよ?」
「大丈夫よ、私は聖女。アダムを手に入れるのに理由はいくらでも作れるわ。
逆に・・・貴女をどうすることもできるの。
ね?アダムと貴女は結ばれるべきではないわ。
解ってくれるでしょう?」
キッと視線を鋭くして言うルーシー。
レジーナは襟に絡みついたルーシーの手を無理やり解いて距離を取る。
レジーナはこういったタイプが大嫌いだ。
まるで自分があたかも被害者かのように勘違いして、不幸な自分に陶酔する甘ったれ。
無いものねだりの我儘は、他人のことなどお構いなし。
ルーシーは好きな人が手に入らない自分を可哀そうに思っている。
そして健気にもずっと片思いをし続け、努力してきた自分を可愛いと思っている。
そしてアダムが好いているらしい平民の女に懇願する健気な自分が、たまらなく好きなのだ。
くそったれが。
レジーナは汚い言葉で心の中で罵った。
「アダムを手に入れるために聖女になったの?
ただの水を高値で売り付けて。
その上に好きな人を手に入れるために他人を脅すなんて、とんだ聖女ね」
言い方はとても優しいのに、その声色は恐ろしいほど低い。
レジーナの紫の瞳がチラリチラリと黄色の炎を燃やす。瞳孔は細く、八重歯は鋭く。
ルーシーは言い知れない恐怖を抱えて小さく肩を震わせる。
「そ・・・そんな・・・・。
私はただ、聖女になりたかっただけで・・・」
「そして皆を騙したのね。
聖水がただの水だと分かっていて、自分が何の力もない人間だと知っていて、それでも皆を騙し続けたんだわ」
「騙したなんて・・・!!
違うわ、私は皆のためを思って!」
「そう・・・・・いいのよ別に認めても。
元々私は聖女なんて興味がないんだし」
怒りからか顔を真っ赤にするルーシー。
一方レジーナは今まで自分を覆い隠していたものが一枚一枚剥がれるかのように、どんどん言葉も口調も本来のものに変ってゆく。
「アダムを想うのも勝手にすればいいわ。
そうね、彼、モテるでしょうね。容姿も申し分ないし、地位も名誉も力もある。
イイ身体してるし、セックスも上手いしね」
「なっ・・・!!」
レジーナの首筋にあるキスマークに気づいたルーシーは、怒りからか羞恥からか真っ赤になって大きく震えた。
「勝手に片思いでも聖女様ごっこでもすればいいわ。
でもね、私からアダムを奪うつもりなら、許さないから」
「う、うるさい!!
アンタなんかいらない!いらないのよ!!」
化けの皮が剥がれる。今のルーシーを表すならその一言に尽きる。
怒りに顔を歪めて、普段の彼女なら考えられないような怒鳴り声が泉のほとりに響き渡った。
ルーシーは怒りに任せてレジーナの首を両手で絞め上げるが、魔物である彼女に細腕で殺せるはずもなく。
レジーナはふふ、と不敵に笑った。
顔を近づければその迫力からか美しさからか、ルーシーは眉間にしわを寄せて目を見開く。
「そうよ、私は要らない存在なのよ。
だけどアダムだけは私を欲しいと言ってくれたわ。だから・・・・」
「・・・・・っ黙れ!!!」
「いいじゃない。
貴女にはお家にお優しいパパもママもいるわ。一緒に居てくれる友達も、尊敬してくれる人々も。
それなのに何も持っていない私から、唯一の存在を奪うつもりなんでしょう?
ねえ・・・・貴女、酷い人ね。
私の全てを奪おうとしながらお綺麗でいられる貴女は、本当に本当に酷い人」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!」
「そんなに彼が好きなら、頼んでみたら?
『抱いてくれ』・・・って。もしかしたらお情けで相手してくれるかもしれないわよ?」
火に油を注ぎ続けるレジーナにルーシーの怒りは最高潮に達する。
「死ねばいい!!アンタなんか死ねばいいっ!!」
「何をっ―――――」
一瞬の出来事だった。
いつの間にかレジーナの足首に巻きついていたツルのようなものが、レジーナを凄い力で泉の中に引っ張り込んだのだ。
バシャンッ!!と音を立てて水の中に消えて行ったレジーナを、ルーシーは肩で息をしながら見つめる。
コポリコポリと空気を含んだ泡が立つ。
そしてそれから、再びレジーナが水面へ顔を出すことはなかった。
「アダムを私に譲ってほしいの」
身体中の血が煮えたぎるのを感じた。
「私は幼い頃からアダムをずっと見てきたわ!だから分かるの!
お願い!譲って?
私はずっと努力してきたわ!
アダムの隣に立てるように、アダムに相応しい人間になれるように頑張ったわ!
聖女の私なら釣り合うもの!貴女平民でなんでしょう?」
「何を言ってるのか分からないわ。
選ぶのは貴女じゃなくてアダムなのよ?」
「大丈夫よ、私は聖女。アダムを手に入れるのに理由はいくらでも作れるわ。
逆に・・・貴女をどうすることもできるの。
ね?アダムと貴女は結ばれるべきではないわ。
解ってくれるでしょう?」
そう、貴女は聖女。
そして私は犯罪者。
どちらがアダムを幸せにできるかなんて、ハナから勝負が目に見えている。
けれど・・・・。
私は必死に平静を装いながら優しく話しかけた。
「アダムを手に入れるために聖女になったの?
ただの水を高値で売り付けて。
その上に好きな人を手に入れるために他人を脅すなんて、とんだ聖女ね」
「そ・・・そんな・・・・。
私はただ、聖女になりたかっただけで・・・」
「そして皆を騙したのね。
聖水がただの水だと分かっていて、自分が何の力もない人間だと知っていて、それでも皆を騙し続けたんだわ」
「騙したなんて・・・!!
違うわ、私は皆のためを思って!」
この顔、この声、この態度、全てに腹が立つ。
まるで自分が被害者かのような表情をして瞳を潤ませるルーシーに、私は頭の中の線が一本切れるのを感じた。
酷いのは貴女。
私からアダムを奪おうとする貴女。
被害者は・・・この私。
「そう・・・・・いいのよ別に認めても。
元々私は聖女なんて興味がないんだし。
アダムを想うのも勝手にすればいいわ。
そうね、彼、モテるでしょうね。容姿も申し分ないし、地位も名誉も力もある。
イイ身体してるし、セックスも上手いしね」
「なっ・・・!!」
ルーシーは私の首筋にあるキスマークを見て真っ赤になった。
「勝手に片思いでも聖女様ごっこでもすればいいわ。
でもね、私からアダムを奪うつもりなら、許さないから」
許さない、許さない許さない。
「う、うるさい!!
アンタなんかいらない!いらないのよ!!」
アダムに愛されている証拠を見せ付けられたルーシーは、普段からは想像できないほど怒り狂っていた。
今の彼女を誰が見ても聖女という言葉は出てこない。
ルーシーの細い手が私の首を絞めつけたけれど、魔物の私には当然意味のないもの。
痛くもなければ苦しくもない。
「そうよ、私は要らない存在なのよ。
だけどアダムだけは私を欲しいと言ってくれたわ。だから・・・・」
世界中に憎まれたって気にしないわ。
アダムに望まれている私、それだけで自分の生きる価値を見いだせるのだから。
「・・・・・っ黙れ!!!」
「いいじゃない。
貴女にはお家にお優しいパパもママもいるわ。一緒に居てくれる友達も、尊敬してくれる人々も。
それなのに何も持っていない私から、唯一の存在を奪うつもりなんでしょう?
ねえ・・・・貴女、酷い人ね。
私の全てを奪おうとしながらお綺麗でいられる貴女は、本当に本当に酷い人」
家族もおらず、友達もおらず、お金も家も地位も名声もない私。
生まてすぐ完全な人間の姿すら失ってしまった。
そんな私が唯一手に入れたのはアダム。
アダムは私の世界のすべてなのよ。
なのに・・・・。
家族も友達もお金も名声もすべて持っているルーシーが、何も持っていない私からアダムを奪おうとしている。
なんて酷い人。
私から唯一のものを奪うなんて、絶対に許せない。
「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!」
「そんなに彼が好きなら、頼んでみたら?
『抱いてくれ』・・・って。もしかしたらお情けで相手してくれるかもしれないわよ?」
相手なんてされないでしょうけど。
だってアダムが愛しているのは私、私だけ。
「死ねばいい!!アンタなんか死ねばいいっ!!」
キャンキャンよく吠えるうざったい犬。
叫ぶルーシーを冷たい目でみながら、冷やかに嗤って見せた。
ただの人間の貴女に、魔女の私が殺せるものか、と。
――――――しかしそれは一瞬の出来事。
足に何かが巻きついていることに気づいたとき、私は地面からひっくり返って水に叩きつけられるのを感じた。
水に打ち付けられた身体の痛さと、岩のような固いようなもので打ったらしい頭に、どんどん意識がフェードアウトしていく。
アダム、・・・アダム。
貴方が来てくれるまで、私は泉の底で貴方を待っているから。
早く、私を迎えにきて――――――。




