40話 グレーマンと賢者の石
いつの間にかいつものメンバーにシュシュとマリウスが加わるようになって久しい。
集まる場所もディーンの宿舎ではなく、王家の住まう塔にある隠し部屋になっていた。
よって、いつも門を通るレジーナの顔は兵士たちにも覚えられたらしく、今ではディーンやクレアたちが同伴していなくても顔パスで通れるように。
そして隠し部屋に向かう箪笥の中も最初は違和感を覚えたものの、躊躇なく入って行けるようになってしまったのだった。
もうすぐ夏休みが始まる。
麻薬事件はカーマルゲートの中では既に終息し、飛び交い始めた新たな噂。
灰色の鳥について、である。
噂によれば、灰色の鳥とは新しい犯罪組織の一つで他の犯罪組織と争い、今では裏社会のボス的存在になっている・・・らしい。
そしてジーン聖教団と灰色の鳥の2極で抗争が続いている。たったの男女2人組だが、錬金術を操りその力は未知数・・・とのこと。
さすがはカーマルゲートと言ったところか、どこよりも早く噂が出回っているようだ。
そしてそのどれも、決して的外れではないのだ。
「お疲れ様でございます、レジーナ様」
脱いだ上着を受け取った男は恭しく頭を下げてレジーナを出迎える。
ロウソクの光が灯された暗い洞窟の中。
居るのは数人で、その誰もが黒いローブに白い仮面をつけていた。
この人たちは“グレーマン”。アダムとレジーナの―――――灰色の鳥の手先として動いている僕たちである。
そう、灰色の鳥とはまぎれもなくアダムとレジーナのことを指した名称。
アダムの広い人脈によって集められたグレーマンたちは、名のある才人や権力をもつ大物ばかりであった。
一方でグレーマンたちはレジーナの詳細を知らされておらず、レジーナの存在は謎に包まれている。
彼らの認識の中では、良くて恋人。悪くてもアダムを垂らしこんだ娼婦か愛人だろう。
グレーマンたちはレジーナの存在に気づくと、すぐに立ち上がって頭を下げた。
「アダムはまだ?」
「はい。
イーベル嬢に用があるので遅れる、との伝言です」
「そう。
・・・・あら?」
レジーナはすぐに部屋の中央に置かれた石に気づいて近づいた。
血を連想させる深い赤の宝石。
そのあまりの美しさにレジーナはほう、とため息を吐いた。
「凄いわ、本当に作ったのね」
「先日、アダム様がこれを完成されたようです」
禍々しいほどの多くの魔力が込められた錬金術の最高傑作、賢者の石。
魔女が万能薬として密かに重宝するこの石は、錬金術のみで作るのは非常に骨が折れるものであった。
その効果は絶大で、身につけるだけで時には死をも免れる大きな力を手にすることができる。
世の人は錬金術と聞いても、それが何なのか理解できる人はほとんどいない。
しかし何故か賢者の石だけは有名で、昔話にもよく登場している。ただし、どの話も賢者の石を持った者が破滅へ向かうバットストーリーであるが。
賢者の石が目の前にある今、その意味がよく解った。
「常人に扱うのは無理そうね」
「そのようで・・・」
なにしろ、魔力が大き過ぎる。
普通の人間ならば持つだけで魔力の暴走と戦わなければならず、とてもコントロールできるものではない。
昔話の主人公たちも、この大き過ぎる魔力に中てられてしまったに違いない。
「せっかく作ったけど廃棄かしら」
どよめきが室内に沸き起こる。
この石を完成させるまでアダムはかなりの苦労を重ねてきたはずだ。しかしレジーナはあっさりと『捨てる』発言。
「あら、アダム」
無表情で室内へ入って来たアダムに、グレーマンは一斉に頭を下げた。
レジーナは片眉を上げて賢者の石をまじまじと眺める。
「昨夜出来たばかりだ」
「綺麗よね。
でも使い道がないわ」
「お前が見たいといったから作ったんだろう・・・。
好きにすればいい」
「アクセサリーにでも加工するかしら」
グレーマンは2人の会話を聞きながらヒヤヒヤと冷や汗を流した。
なんと、アダムが賢者の石を作ったのはレジーナの我儘かららしい。
賢者の石を“ただ見てみたいから”という理由でねだるレジーナも凄いが、それを実行に移してしまうアダムもアダムである。
「でもどうせなら砕いて配った方がいいわね」
「周りをそう巻き込むな」
「いいじゃない。
仮面を外すと誰がグレーマンなのか分からないもの。
目印よ、目印」
早速石に拳を振りおろして粉々に砕いたレジーナ。
細腕にも関わらず“ゴリッ”と音を立て、その手には傷一つついてなかった。
素手で石を砕く彼女にグレーマンはさらに冷や汗ダラダラである。
レジーナは米粒の大きさになった賢者の石を摘まんで持ち上げた。
「これだけ小さければただの宝石と変わらないわ。
ま、多少は効果あるんでしょうけど」
「加工しておく」
「ええ」
そう言うなり奥の部屋へと仲睦まじく消えて行ったアダムとレジーナ。
その日からグレーマンの間で、『レジーナ>アダム』の方程式が出来上がったのだった。
イーベルは胸の前で両手を組んでキラキラと目を輝かせていた。
普段から薄く色づく頬をさらに赤くして、今生の喜びの極みだとばかりに嬉しそうな顔をしている。
「レジーナ様、もう一度言ってくださいまし・・・」
「え、ええ・・・。
アダムから聞いたと思うけど、来年からイーベルの研究室に入るわ」
イーベルはすぐさま小さくガッツポーズを作った。少しキャラが崩れている。
「・・・イーベル、聞いてる?」
「ええ、もちろんですわ!」
飛びかからん勢いで上半身を乗り出すイーベルに、レジーナは苦笑するしかない。
2人が話しているのは来年から始まる研究のことだ。
ディーンは帝王学、ユークは神学、アダムは歴史考古学を研究している。
そしてレジーナは蠱惑女術でサンドラ・イーベルの研究室に入ることにしたのだった。
去年のテストで満点を取った蠱惑女術ならば履修するのは自然のことであり、またもう一つ大きな理由がある。
「それでイーベル、あの件だけど、よろしくね」
「お任せ下さいませ!
わたくしもレジーナ様のお力になれて嬉しゅうございますのよ」
蠱惑女術とは男を虜にする技術を学ぶものであり、スパイ技術の一種として分類されている。
よって蠱惑女術の“研修”と称し、イーベルがレジーナを研修生として暗躍部隊に推薦する手筈を整えていた。
つまりは、国の情報がレジーナに筒抜けになるということ。
暗躍部隊の隊長はシュシュ、彼女ならレジーナを拒むことはしないだろう。
シュシュとはできるだけ関わり合うのを避けたかったが、そうも言っていられない事態になってきた。
その上、プライベートでも付き合いができてしまったので、どうせ接触するなら・・・という話になり現在に至る。
「研修ならあまり危ないことはさせられないでしょう。
ただ、忙しいとは思いますけど・・・」
「今だって十分忙しいわ。
まあ、グレーマンのおかげで少し楽になったけど」
授業に友達付き合い、そして灰色の鳥としての活動。
全てをそつなくこなすにはかなりの労力がいる。
最も一番体力を使うのはアダムの相手であるが。
「ああ、そうそう。
これを渡そうと思って来たのよ」
思い出したようにレジーナはポケットから小さなピアスを取り出してイーベルに渡す。
小さな3ミリほどの赤い石でできたシンプルな造りで、片方しかない。
イーベルは食い入るように見つめてから顔を上げた。
「これは・・・」
「賢者の石の・・・・欠片、ね。
ほとんど効力はないわ。ただのお飾りよ。
貴女は左の耳につけるの」
イーベルはそそくさと付けていたピアスを外し、賢者の石を取り付ける。
途端に視界が広くなったような、不思議な感覚に囚われた。
「温かいわ・・・。
なんでしょう・・・世界が広がった気がしますわ」
「魔力の結晶だもの。
作るのも骨が折れるけれど、使うのも大変よ」
「左右は何か関係が?」
「左は私、右はアダムなの。
だからイーベルは左よ。
まあ、平たく言えばグレーマンの目印ね」
イーベルは途端に目を輝かせた。
「まあ、素敵っ」
「捨てるのがもったいなかったから配っただけよ」
そうは言うものの、敵味方入り乱れるここでは仲間を見分ける唯一の手段。
また右と左どちらに身につけるかによって、誰に忠誠を誓ったかも簡単に判別できる。
「でも私に知り合いはいないに等しいわ。ほとんどアダムの知り合いで右耳につけてるの。
だから左につけているのは今のところイーベルだけよ」
「今日はなんて幸運な日なんでしょう」
赤い頬を両手で覆い身体を左右に揺するイーベルはとても年上には見えない。
レジーナは組んだ足を解いて立ちあがった。
「私の用事はそれだけよ。
―――――来たわね」
レジーナが言ってすぐに突如目の前に現れるのはアダム。
今まで書類を扱っていたのか、珍しくも眼鏡をかけている。
イーベルはすぐに立ち上がって軽く頭を下げた。
「迎えに来た。
レジーナがいないとディーンとクレアが煩い」
「はいはい、すぐに行くわ」
レジーナはクスクスと笑ってアダムの眼鏡を外すと、食むような口づけをして眼鏡を元の位置に戻した。
「ああ、わたくしも学生時代に戻りたいわ・・・!」
「ふふ、じゃあ行くわね」
「お気をつけて」
ひらひらと上品に手を振るイーベルに見守られて、2人は一瞬のうちにその場から消える。
1人部屋にぽつんと残されたイーベルは、近くにあるクッションを抱きかかえ、ソファの上で丸くなった。
「ジーン、貴方のご息女は貴方達と全く同じ道を歩んでるわ。
でも彼女のように無償の愛を手に入れたなら、貴方はもっと違う道を選んでたんじゃないかしら」




