4話 史上最悪の犯罪者
木曜日の放課後、メーデンが研究室に入ると既にアダムが居た。
立ち止ったまま動く様子のない彼女にアダムが訊ねる。
「何をしている」
「ごめんなさい・・・」
申し訳なさそうに謝るメーデン。するとニヤニヤと不気味な笑いをしながら4人が部屋の中へ雪崩込んで来て、なんとなく事情が掴めたアダムは頭を抱えたまま大きなため息を吐いた。
「それで、何が聞きたいんだ?」
アダムの周りに集まったメーデン・アビー・ハリス、そしてクレア・サムの双子姉弟。
ぞんざいな言い方で尋ねられ、最初に質問したのはクレアだった。
「神殿での事件の犯人よ。
魔物なの?人間なの?」
「おそらく大型の魔物だろう」
即答したアダムに皆は顔を見合わせ、その後サムが興奮気味で身を乗り出した。
「もしかして魔物が捕まったり?」
「いや、目撃者すらいない。
ただ死体の抉れた2つの部分が紫に変色していた。あれは猛毒で間違いない」
猛毒、とアビーが真っ青な顔で繰り返す。
多くの大型の魔物は猛毒を持つ。掠めただけで死亡に至るその強力な毒は魔物の牙にある。
大型となればその凶暴性も通常の魔物とは比べ物にならないほどで、万が一カーマルゲートに潜り込んでいるとしたら創設以来の危機だ。
しかしアダムの話に納得のいかないメーデンは、僅かに顔を顰めながら反論する。
例え生徒を襲った正体が魔物だとわかったとしても、解決しない問題は山積みだからだ。
「でももし大型が居るとしたらすぐに見つかっているはずよ。大きいもの。
それに既に暴れてもっと大変な事になってるはず。
そもそもどうやってカーマルゲートに入り込んだっていうの?生徒だって無許可で出入りするのはとても難しいわ。大型だったらなおさら・・・・」
だよねぇ、とハリスも難しい顔をしてメーデンの意見に同意する。
「しかしあの猛毒を人工的に再現するのは無理だろう。牙の位置から考えても身長は15メートル前後。魔物の特徴に合う」
アダムは眉ひとつ動かさず無感動に答えた。
その冷静な物言いはまるで事件などどうでもいいかのように錯覚してしまう。それほどに感情表現が皆無。
そんな冷たい彼の態度も身分差も忘れ、やはり今の答えでは納得できないメーデンは物怖じせず言い返す。
「じゃあ15メートルもの巨体がどうやってカーマルゲートに入り込んだって言うの?
ここは王城の敷地内なの、警備が厳しいのは貴方も知ってるでしょう。大体、魔物が人里に下りて来て大人しくしてるとは思えないわ。犬や猫じゃないんだから」
「ああ、だから誰かが手引きしたとしか考えられない。
魔物を操る人間がいるか・・・・・、もしくは知恵ある魔物だったかのどちらかだ」
「なんだって!?」
素っ頓狂な声を上げたのはこの場の誰でもなかった。
声の主はドアの所に立っていたディーンだ。
「ディーン、勉強の邪魔になるからあれほど来るなと・・・」
「すみませんアダム、僕にはディーンは止められませんでした」
「ユーク、無理な頼みをしてすまなかった」
「いや、アダムに非はありませんよ」
まさかの5学年の3人組が揃ってしまった。
アビーは興奮してメーデンを肘で突く。
「メーデンメーデン、ユーク様だわ!ディーン様も!」
ユーク・ダグラス―――――現神官長の息子であり大貴族の出自。アダムとディーンほど背が高く顔立ちが整っているわけではないが中世的な顔立ちと紳士的な振る舞いで人気の高い人だった。
ユークは銀色の長い髪をなびかせながらディーンを呆れた表情で睨みつける。
「一応イスに縄でくくりつけておいたんですが、どうも彼には不十分だったようで・・・・・全く彼には脱力させられっぱなしです。
僕には荷が重かったようですね」
「ユークに無理なら他の者でも無理だ、心配するな。
こいつは動物的本能の塊のようなものだから」
「ねぇ、君たちさりげなく酷いこと言ってるよね?」
悪口だよね?と尋ねるディーンはちょっと涙目。ついでに興奮でアビーに肘で突かれまくっているメーデンも痛みで涙目である。
しかしディーンはメーデンの姿を視界で捕えると、ぱっと顔を輝かせて彼女に詰め寄った。その立ち直りの早さは天晴だ。
「やぁ、久しぶりだね、メーデン!」
「お久しぶりです」
「やだなぁ、敬語なんて使わないでよ。
ねぇねぇ、「ディーン」って呼んでみて」
「え、でも・・・」
「いいから!さ、早く!」
強引に促されてメーデンは言いにくそうに口を開く。
「でぃ・・・・・ディーン」
何故かガッツポーズしているディーン、頭を下げてアビーとハリスに自己紹介しているユーク。
だんだん収集がつかなくなってきて、アダムはひとつため息を吐くと少し大きめの声を出した。
「ディーン、ユーク、話しが進まないから黙っててくれ」
「そういえばアダム、知恵ある魔物だとか言っていたね!本当にそんな魔物が―――――うがっ!」
黙れと言われた傍から口を開くディーンに、サムは後ろから腕を回して彼の口を塞いだ。もごもご何かを叫んでいるらしいが何と言っているのかわからない。
やっと静かになったその場で、今度はハリスが質問をする。
「けれど知恵ある魔物だなんてあり得ないよ。魔物にあるのは殺衝動だけ・・・・有名な話だろう?」
「そうよ!それに人が魔物を操るだなんてもっとあり得ないわ!」
クレアがさらに付け加えて応酬をかける。
「1人だけ出来そうな人がいる」
「出来そうな人?そんなバカな・・・」
「以前、居ただろう。魔物と人間の実験を繰り返した人が」
あっさりとメーデンが名を口にする。
「ジーン・ベルンハルトでしょう?
サイラス史上最悪の犯罪者、人体実験を繰り返した狂人」
「そうだ」
「でも彼は10年以上前に処刑されてる。彼の親族から研究成果、全てが国によって無に帰されたはずよ」
「しかし実験体になった魔物は生き残っていたかもしれない。
その魔物がカーマルゲートに入り込んだ可能性もある」
殺衝動に任せて暴れるだけの魔物も、知恵があるならば捜索の目を逃れることもできる分厄介だ。実験体であるならば、他にどんな力を持っているのか計り知れない。
それってとてつもなくやばいんじゃ、とサムは左頬を引きつらせて呟いた。
物ごころついた頃、既に私は人間ではなくなっていた。
暗い暗い洞窟の中で過ごした幼少期。隠れるように暮らしていた私が外の世界に出たのは、父親が洞窟に来なくなって1か月経ったときのこと。
初めて辿りついた村で、父親が国に捕えられたのだと知った。
犯罪者、村人はしきりに父のことをそう繰り返した。
私には何のことかさっぱりわからなかったけれど、これだけはわかった。
憎悪。
人々が父親に向ける感情は怒りや憎しみそのもの。私が娘だと知ると彼らはどういう反応をするか、それくらい子どもでも簡単に想像できる。
私は存在してはならないモノ。父の罪そのもの。
最悪の罪は何かと問われれば、人々は“錬金術”と答える。神から与えられたこの世界は、特別な力は存在してはならない。
神ではなく人が造り出すその膨大な力は神に対する冒涜。そして禁忌。
だから錬金術はその内実に触れるだけで死刑という重い刑が科される。
その罪を犯したのだ、あの人は。
あの男、ジーン・ベルンハルトは。
そして魔物と人体の融合実験で創り上げた唯一の成功作がこの私。
人でもあり、魔物でもある。
今回の事件もそれに類するものであることは簡単に想像できた。
そう、知恵のある魔物とは父親が完成させた実験体そのものなのだから。
自分以外にも成功作が居たのか、または別の者が作ったのかは知らないが、少なからず彼が関わっているのは間違いないであろう。
ちらつく父親の影に苛立ちが募る。
ただでさえ私の人生をめちゃくちゃにした父。
史上最悪の犯罪者の娘という身では、この国で暮らすのはあまりにも難しすぎた。
誰かに自分の存在を感づかれれば、待っているのは“死”。ジーン・ベルンハルトの血族は皆処刑される運命にあるのだから、娘となれば確実に殺されるであろう。
ましてや、魔物を身体に宿している身では、どういう処遇が待っているのか想像したくもない。
誰にも知られてはならない。誰も頼ることのできない日々。ずっと孤独で、不安と恐怖に駆られる日々を過ごしてきた。
身分制の強いサイラスは人が人を支配している。
住む場所も仕事も人によって管理されるため、そこに紛れ込むことは容易ではない。
だからやって来たのだ。カーマルゲートへ。
集まるのは顔も見たことのない他人。サイラス国で簡単に紛れ込むことができる唯一の場所であった。
私はカーマルゲートの試験に合格したメーデン・コストナーと入れ替わることに成功し、教師らを上手く欺いてカーマルゲートに入ることができた。
私は勉強なんてできる環境にはいなかったから、最初は授業の内容に微塵たりともついていくことができなかった。そうして落ちこぼれのメーデン・コストナーが完成したわけだ。
もちろん勉強を重ねた今は決して知識がないわけではない。授業にもついていける。
しかし頭角を現せば叩き潰されてしまうカーマルゲート。落ちこぼれの位置が一番目をつけられずに済んだので、今でもバカなフリを続けている。
―――――しかし。
この事件をきっかけに父親のことがバレたら。私がジーン・ベルンハルトの娘であり、魔物であると知られてしまったら。
間違いなく罪を被せられた上で、殺されてしまうだろう。
父親と同じ処刑という運命が待っているだろう。
冗談じゃない。
空が暗くなり雨が降り出したので、窓を閉めて壁に寄り掛かった。
足元にムカデがうろついていたので、乱暴に踏みつけるとピンヒールで抉り潰す。
やっと始まった新たな人生を、このままでは失ってしまう。ずっと欲しかった居場所を失ってしまう。
知られるわけにはいかない。誰にも。
絶対に生き延びてやる。
そう誓いながら自分で自分の腕を抱き締めた。