37話 誘拐事件(2)
「あー!もう!見失っちゃったじゃない!」
頭を抱えてショックを受けるクレアに、ハリスは困ったような顔をしてひたすら謝る。
「ごめんごめん、ついお店に目が行っちゃって・・・」
途中までは順調だった。
ディーンとレジーナの後をこっそりつけたクレア・サム・ハリスは、買い物を楽しむ恋人を遠くから見守っていたのだ。
見守る、という名のやじ馬である。
しかし。
城下町の珍しさにハリスの注意が商品に向かってしまい、とうとう2人を見失ってしまったのだ。
見失ったのだと気づいた時には遅く、いくら探しても見つからない。
サムは苦笑し、クレアは嘆いた。
「仕方ないよ、戻ろう?
暗くなったら帰れなくなっちゃう」
「そうね・・・ええ、帰りましょう」
人もみるみるうちに少なくなっていく夕方、3人は諦めて元来た道を戻り始めた。
夕日が沈み切る前に王城の入口に辿り着く。
そして門を潜ろうとしたその時だった。
「クレア!?」
後ろから声が聞こえ、クレアたち3人が振り返る。
「ディーン?
どうしたの?メーデンは?
ディーン、すごい汗」
「そんなことどうでもいいんだ!
メーデンが!!」
切迫した雰囲気に3人の表情が強張り、ディーンの次の言葉を待った。
「メーデンが?」
「さ、攫われちゃって!!」
「「「はあああああ!?」」」
3人は声を合わせて驚きのあまり飛び上がる。
「とにかく敵の数が多くて・・・・、僕はなんとか防げたんだけどメーデンだけ連れてかれたんだ。
いくら探しても見つからないし・・・どうすればいいかわからなくて。
とりあえず軍に連絡を入れたほうがいいと思って戻って来たんだけど」
ディーンはできるだけ早口で伝える。
一番目に見て慌てているのはやはりクレアだった。
しかし、サムが今にも叫びだしそうなクレアの頭を片手鷲掴みすると、至って落ち着いた様子で口を開く。
「今から兵士動かしても夜じゃ探しようがないよ。見つかる可能性も低いし。
軍よりはアダムに相談した方が早いと思うんだ」
「確かに」
「行こう!」
ハリスが声をかけると4人は一斉に塔に向かって走り始めた。
ぜえぜえと肩で大きく息をしながら全速力で走る一同。
もちろん女性であるクレアは男3人について行くことができず、一番後ろを後を追うようにして走っている。
そして突然部屋に雪崩込んできた人々に、ユークやシュシュは何事かと目を丸くした。
「め・・・・め・・・・・」
息が乱れて上手く言葉が紡げないディーン。
一番最後にクレアが到着して、わなわな震える口を懸命に動かす。
「あ・・・・アダム!メーデン!っ・・・・・メーデンがっ!」
「何事だ」
「メーデンが攫われちゃったのーーー!!!」
渾身の力を込めて叫んだクレアに、ピシリと固まる空気。
息を整え、膝に手をつくディーンが申し訳なさそうに説明し始めた。
「大通りの、西の外れの路地で、囲まれたんだけど、メーデンだけ連れて行かれたんだ!
どうしよう、僕の所為で!」
今にも泣きだしそうなディーンに、このような事態でも落ち着き払ったアダム。
「慌てるな」
「無理だよ!君じゃあるまいし!」
「心配しなくても、その場で殺されたわけではないならまだ生きてるさ」
「そういう問題じゃなくて!!」
「アダムの言うとおりヨ。
アンタが慌てたところでどうにもならないデショ」
シュシュはむうっ、と口の形をへの字にしてアダムに賛同する。
「だいたいなんで外に出たのヨ。
こーんな大変なときなのに、ちょっとは警戒しなさいヨ」
「・・・・・」
ディーンは青い顔のまま俯く。
まあまあ、とマリウスがシュシュの小さな肩を叩いた。
「ディーンの話は後にして、今はメーデンをどうやって探すかが先決だよ。
もう外はこの暗さだし・・・」
皆揃って窓を見れば、すでに空の半分は闇に染まり始めている。
いくら松明を焚いてもやはり暗闇での捜索は限界があるのだ。
マリウスはアダムの方を見て尋ねる。
「君だったらどうする?アダム」
「夜のうちに軍を待機させて、日の出とともに捜索を開始する」
「それが無難ヨ」
うんうんと頷くシュシュだが、今すぐにでもメーデンを見つけ出したいディーンは首を何度も横に振る。
「ダメだよ!一刻を争うんだ!」
「心配しなくても向こうはまだメーデンに何もできない。
メーデンが誰なのか情報を持ってない限りは」
「そんなのわかんないじゃん!!
今すぐにでも兵士をかき集めて探すべきだよ!!」
だんだん口調が強くなっていくディーン。
険悪な雰囲気にクレアはもう既にボロ泣き、ハリスとサムは黙り込んで会話を聞くしかない。
「一軒一軒シラミつぶしに探せばいいじゃないか!」
「ただ粗捜ししても向こう側の警戒心を煽る。
できるだけ穏便に済ませた方が安全なんだ。
あまり事を荒立てると彼女の身に危険が及ぶ可能性が高い」
「でも・・・・!!」
納得できないが喉のところで言葉が詰まり、うまく言葉が出てこない。
ディーンは悔しそうに唇をかみしめた。
入り組んだ廊下を抜け、一番最初の景色は錆びれた町だった。
月は4分の1もないためかなり暗い。
吹きすさぶ風は呻くように鳴り、夜独特の静寂さがどこか不気味である。
そんな閑散とした通りを歩くのは男女2組。
1人の男は服の上からでも分かるほど鍛え上げられた肉体をしており、容姿は特に整っているわけではなく、どこにでも居そうなごく普通の男だ。
一方女は蜂蜜色の髪に紫色の瞳をしたレジーナである。
檻のある部屋を出て迷路のような廊下を抜け、無事に普通の道へ出ることができた。
もちろん、誰にも見つかることなく。
意外なことに、見張りは先ほどの3人しかいなかったらしい。
レジーナは辺りを見回したが王城は見えなかった。
王城は高台にある。城下町であればどこでも、北側を向けば必ず王城の塔が少し見えるはずなのだ。
見えないということはつまり、それだけカーマルゲートから離れているということ。
「一旦大通りに出る。
後はまっすぐ進むだけだ」
「ねえ、待って。
どうして私を助けるの?」
フォールは足を止めてレジーナを振り返った。
しかしすぐに前を向いて静かに歩き始める。
レジーナの疑問は至極当然だ。
ディーン目当てとはいえ、わざわざ危険を冒してレジーナを捕えたことには理由があるはず。
味方の人間を倒し、あまつさえ自分を助けたフォールの一連の行動は不可解である。
「・・・理由はない」
背を向けたまま答える彼に、レジーナは片眉を上げ続けて質問した。
「貴方ジーン聖教団の人なんでしょう?」
「それが分かっているのなら逃げることだな。
もう2度と護衛も付けずに街を歩くような真似はしないことだ」
「仲間さんたち倒してよかったの?」
「お前が気にすることじゃない」
「待って・・・!」
レジーナは焦ったような声を出し、彼に駆け寄って衣服の裾を掴んだ。
「ジーン・ベルンハルトはいるの!?」
「大きな声は出さないほうがいい、気付かれる」
「そんなことどうでもいいのよ。
質問に答えて。
ジーン聖教団にジーン・ベルンハルトはいるの?
彼の姿を見たことは?聞いたことはない?」
レジーナは睨みつけるようにフォールを見つめた。
彼はすぐに視線を反らして背を向けるとレジーナから離れる。
「知らないし、分からない。
そもそも俺はジーンを崇拝してなどいない、・・・・ただ国に恨みを持った人間」
「じゃあ何故ジーン聖教団を名乗っているの?
彼と関わりがあるからじゃないの?」
「さあな。下っ端には何も分からない。
あの場に居たのははただ、国を倒したいと強く願っていた者だ。
そして流れ着いたのがたまたまジーン聖教団だっただけ。
・・・・それだけだ」
雲が月を隠すと完全なる闇が訪れた。
温かい季節だが風が強く、ビュウビュウと木々が唸り始める。
そこでレジーナは風の変化に気がついた。
―――――雨の匂いがするのだ。
「どうした?」
彼女の足が急に止まり、フォールも立ち止ってレジーナを振り返る。
「なんでもない。
ここからは1人で行くわ。
貴方はもう付いてこなくていいから」
ジーン・ベルンハルトのことを知らないならばもう彼は用なし。
彼に触れて透視をしてみてもジーンと思しき人物の姿はない。
レジーナはそれだけ言い残すと歩調を速めて城へと急いだ。
おそらく今頃、半狂乱になっているディーンがいるだろうから。
それぞれの宿舎に行っても誰一人見つからなかったので、昼間に来た隠し部屋に戻ってきた。
もちろん見張り兵の目を盗んでこっそり忍び込んだのだ。
そして扉をくぐると、皆はまるで幽霊を見てしまったかのような顔でレジーナを見つめる。
「やだ、皆変な顔」
「メーデン!?」
「ええ、そうよ」
信じられない、といったディーンの表情にレジーナはクスリと笑う。
「メーデ・・!!」
「メーデーーーン!!」
うわあああん!と泣きながら抱きついてきたクレア。
先を越されたディーンは固まり、抱きつこうとしてタイミングを失った両手が宙に浮いている。
「メーデン、心配してたのヨ?」
前がクレアで塞がっているため、後ろからぎゅうっと抱きついてきたシュシュ。
レジーナは見事に2人に挟まれて苦笑を漏らした。
「よかったよ、何事もなくて」
「本当に、よく無事でしたね」
感情的な女性陣とは一線を引いて、マリウスとユークは控えめにレジーナの帰りを歓迎する。
「ええ。
最初に気がついたときは閉じ込められてたんだけど、見張りの人たちが仲間割れし始めて、その隙に逃げて来たのよ」
「どこに閉じ込められてたのかい?」
「さあ・・・よくわからないわ。今日はとても暗かったし。
やたら廊下が入り組んでたのは覚えてるんだけど・・・・」
ごめんなさい役に立てなくて、とレジーナが謝ると、ディーンは何度も何度も首を横に振った。
「いいんだ、君が無事なら、本当にそれだけで・・・・」
安堵のあまり泣きそうなディーン。
「無事でよかった・・・うん。
ごめん、メーデン。
今回の件は僕の所為だ。
僕の所為でメーデンを危険な目に合わせてしまったんだ」
「私は気にしてないわ、ディーン」
「でもっ・・・・!
僕は自分が自分を許せないんだ!」
大切な人を怖い目に合わせてしまった。
一歩間違えれば命を落とすような危険な目に。
ディーンの中に渦巻くのは、後悔。そして大切な人を守れなかった自分に対する怒りである。
レジーナは、何も言わずにただ微笑んだ。
それが全て「許す」と言っているようで、まるで寛大な彼女にディーンは再び目尻に涙を溜めて俯いた。
一同、嬉し泣きしながらディーンの頭をぐしゃぐしゃ撫でて笑い合う中、レジーナは1人離れたところに立っているアダムを見た。
一瞬だけ視線が交わり、またすぐに離れる。
それから再び2人の視線が重なることはなかった。