32話 マリウス王子来訪
レジーナは授業を終え、久しぶりに自分の宿舎へ変える途中。
考え事をしながら歩いていた所為だろう。道の真ん中で鞄を落としてしまい、辺りに教科書や紙が散乱してしまった。
運の悪いことに今日は風が強く、軽い紙類は簡単に飛ばされて行く。
そのひとつひとつを追いかける気力もなくレジーナが項垂れていた時。
風下の方で、飛んで行った紙を拾ってくれる男性が現れた。
「はい、どうぞ」
笑顔で差し出した紙を慌てて受け取り鞄へ乱暴に突っ込んだレジーナは、目の前にいる人物を凝視して片眉を顰める。
「・・・マリウス王子?」
「よくわかったねぇ!」
彼はカラカラと笑って手を叩いた。
わかるもなにも、面立ちがディーンそっくりだ。
ディーンの陽気で活発な雰囲気に儚さを足したような彼は、カーマルゲートの生徒らしからぬ軍服を着ている。
「あの・・・、はじめまして、メーデン・コストナーです」
「やっぱり君かぁ!
噂は聞いてるよ、僕はマリウス・イルダ・サイラス。
弟のディーンがいつもお世話になってるね」
「こちらこそ」
レジーナの手を握り握手をする彼は嬉しそうに笑って顔をまじまじと覗き込んだ。
「それにしても、相変わらずディーンの奴はメンクイだよねぇ」
容姿を褒められても「はぁ」としか返事の返しようのないレジーナ。
しかしマリウスはペラペラと話し続ける。
「ディーンの彼女が平民だって聞いたからどんな人なのか見たかったんだ。
でも惚れるはずだよね、こんなに美人なんだから。
カーマルゲートに入ったってことは頭もいいんだよね、眉目秀麗だなんて羨ましいよ」
「はぁ、どうも」
「君のご両親のお仕事は何を?」
「貴金属の加工をしてます」
ふーん、と自分で尋ねたのに興味無さそうにマリウスは返事をする。
そして彼はレジーナの足元にある本に視線を落とすと、身を屈めてそれを拾い彼女に手渡した。
「ありがとうございます」
「これ、前の聖書だよね。
確か去年に新調されたはずだけど・・・」
白い表紙の本は信仰の深いサイラスでは1人1冊持っている聖書。
今年の初めに新しいものが配られたのだが、レジーナの聖書は新品同様に綺麗だったため、そのまま以前のものを使い続けていたのだった。
以前の聖書が綺麗なままだということは、信仰が浅いか物を大切にしているかのどちらかだ。
信仰浅い人物と思われるのは癪なので、レジーナはとっさに愛想笑いした。
「大切にしてたからそのまま使ってるんです」
「そう、いいことだね」
マリウスはそんなレジーナの心中を知ってか知らずかニコリと笑って頷く。
「緑の聖書が欲しい?」
レジーナの表情が瞬時に固まる。
それは完璧な侮辱の言葉だった。
身分に厳しいサイラスにおいては、その身分によって所持する聖書の表紙の色が異なる。
平民は白、貴族は紫、そして王族は緑色の表紙の聖書を持っているのだ。
つまり、彼の言う緑の聖書が欲しいかという問いは、王族になりたいのか?という平民を見下した質問になる。
「結構です」
いろいろと思うところはあったが、色つきの聖書が欲しいわけではない。
答えはもちろん否。レジーナは即答で返事を返した。
すると突然大口を開けて笑い出した彼に、レジーナはきょとんとして首を傾げる。
「いや、ごめんごめん。ちょっとしたイジワルだよ。
僕たちはいつも権力に群がる蛆共にうんざりしてるからさ」
彼はなかなかに奥深い人だ、と彼女は思った。
言いたい事を歯に衣を着せず、率直に言葉にするのはディーンと同じだ。
でもきっと、マリウスはそれだけじゃない。頭の中できちんと計算して動いている。
「気を悪くしたらごめんね。
僕、世継ぎとして閉じ込められて育ったから、性格が屈折しちゃったんだよね」
「はあ・・・・。気にしてませんよ」
「そう?よかった」
性格もさることながら、ニコリと頬を上げる笑顔もディーンとは違う。
「まるで月ね・・・」
「月?」
心の中で思ったことがそのまま口に出てしまったらしいレジーナは慌てて口を閉ざした。
「どういう意味?」
しかしマリウスは追及の手を緩めず、観念したレジーナは申し訳なさそうに言う。
「ディーンの笑顔が太陽だとしたら、マリウス王子の笑顔は月のようだと思って。
失礼なこと言ってごめんなさい」
屈託のない光と、どこか影を持つ光。
その違いはまさにマリウスとディーンの違いを表しているようだ。
「ううん、面白いこと言うね、君。
でも表現が綺麗すぎるんじゃないかなぁ」
月ねぇと考えながらマリウスは口を開く。
「僕から言わせるとディーンは猪突猛進、僕はただの腹黒だよ」
自分で自分を腹黒と言うあたり本当にいい性格をしている。
何と返事をしていいかわからず、精一杯の愛想笑いを浮かべるレジーナ。
恋人の兄弟との対面になんとなく気まずい空気を感じ始めたころ、タイミングを計ったかのように白黒の物体が現れた。
「マリウスーー!!」
「げっ、もう見つかったか」
苦々しげに顔を歪めるマリウスの視線の先には、白黒のパラソルを持った不思議な格好をしているシュシュが居た。
相変わらずの黒ずくめにレジーナは苦笑して手を挙げる。
「シュシュ、久しぶりね」
「メーデン、久しぶりヨ。
会えてうれしい・・・ってそれどころじゃないのヨ」
シュシュはクルリとマリウスに向き直って眉尻を吊り上げた。
「アタシの目を盗んで抜け出すなんていい度胸してるヨ。
まったく、この忙しい時にやってくれるネ」
「ごめんごめん、シュシュ。
ちょっと挨拶に来ただけだからすぐに変えるよ」
マリウスは表情を崩すことなくいい笑顔で答えると、レジーナに向かって手を振った。
「じゃあ、メーデン、また機会があれば」
「バイビー」
シュシュに連れられてあっという間に行ってしまったマリウス。
レジーナはその後姿を見送ると、手元にある聖書を鞄の中に突っ込んだ。
神殿での集会が終わった後、イーベルに捕まったレジーナは彼女の研究室でお茶を飲んでいた。
すっかりこのツーショットはおなじみになっており、イーベルのレジーナ好きはカーマルゲートでは有名な話だ。
なにしろ、イーベルは極度の面喰い。
それに加えて元恋人であるジーンの娘ともなれば、イーベルのレジーナに対する視線は並々ならぬ熱さを含んでも仕方ないこと。
授業中でレジーナを絶賛したり、テストを満点にするなどのあからさまな贔屓も、イーベルの変人っぷりを知ってる生徒達は特にレジーナ自身を疑うに至らなかった。
また、生徒の間ではイーベルとレジーナの2人を“カーマルゲートの華”と呼び、一緒に居る2人を羨望の眼差しで見守っている。
美人が2人並べばその迫力は圧巻であり、彼らが言うには違う種類の魅力を持つ2人が一緒にいることでそれぞれの魅力がさらに引き立つとかなんとか。
イーベルはイスに座って本を読むレジーナを、頬を染めながらうっとりと見つめた。
「・・・完璧だわ」
「イーベルは私の顔がよほど好きなのね」
穴が空くほどジロジロと見つめられるのは珍しいことではない。
レジーナはクスリと笑いながら視線を落としたままページを捲った。
イーベルは嬉しそうにうふふと口元を手で覆って笑う。
「もちろんよ。
今じゃカーマルゲートで一番有名なのはレジーナ様だわ。
新しい“ドーラ姫”ね」
「ドーラ姫?」
「ご存じなくて?
現神官長の母上は外国人で元娼婦のドーラというお方。
そんな彼女が陛下に見染められて子を身ごもり、何ひとつ不自由ない生活を送ってますのよ」
「成り上がりってことね」
平民のメーデンという小娘がディーン王子に見染められて恋人となり、今では誰もが近寄りがたかったアダムら3人組と王族の双子とつるんでいる。
十分立派な成り上がりである。
これで万が一ディーンと結ばれでもすれば、待っているのは豪華で優美な王族の生活。
最も、これはあり得ないけれども。
なぜならレジーナは犯罪者の娘なのだから。
犯罪者と言えば、ジーンのことを思い出したレジーナは顔を上げてイーベルに尋ねる。
「イーベル、麻薬が流行ってることは知ってる?」
「ええ、もちろん。中毒の生徒も出ましたもの。
ジーン聖教団のことも耳にしましたわ」
イーベルはテーブルに肘をついて小さくため息を吐いた。
「あの人が生き返るなんてことあるかしら」
ポツリと呟いたレジーナの言葉も、イーベルの耳にはしっかりと届いていた。
彼女は少し考えた後、真面目な顔で話し始める。
「可能性は無きにしもあらず・・・かしら。
彼は錬金術とやらを扱うことができますし・・・、錬金術で人を蘇らせることができるかどうかは存じませんが・・・。
しかし確実に言えることは、ジーン・ベルンハルトの仲間であった人物がまだいる、ということですわね」
「殲滅したんじゃないの?」
少なくともレジーナは皆殺しであると噂を聞いた。
ジーンの親族・関係者・仲間はすべて国が闇に葬ったと。正義が勝利したのだと。
イーベルはゆっくりと首を横に振った。
「あの頃の内戦はずっと小規模な衝突が続いておりました。
混乱状態の中で完全に死亡を確認できず、曖昧な判断が下されることが多かったのですわ。
死んだかどうかわからない人物も、本当はまだ居ますのよ。
ただ、国が“死んだ”と判断したにすぎないのです」
それはつまり、国の一方的な主観による主張。
本当は死んだかどうかわからない・・・。死体が見つかっていない以上は、生きている可能性は大いにある。
「でもジーン・ベルンハルトは処刑されたんでしょ?」
「ええ、そうですわ。
ただし、死んだと見せかけて死なない方法もありますのよ。
例えば、首のここの部分に細い刃物を刺して仮死状態にする、とか」
イーベルが指さしたのは首の付け根と鎖骨の間の部分。
仮死状態から生き返る作戦はリスクが高く難しい。しかし可能性がゼロではないだろう。
錬金術、影武者、他にも可能性を考え始めるとキリがない。
「でも処刑は火あぶりでしたし、あの方が生きてる可能性は低いと思いますわ、わたくしは」
レジーナはそう、と頷いてカップを片手にどこか遠くを見つめる。
「もし生きてたらどうする?」
「さあ、何もできないと思いますわよ。
わたくし、貴女と違って非力ですもの」
「そうね」
確かに、とレジーナは同意して口角を上げた。
でもまあ、とイーベルは話を続ける。
「風も吹いているようですし、すぐに解決されるでしょう。
麻薬もだいぶ落ち着きましたし」
「風?」
「隠語ですの。
風とは暗躍部隊のことです。シュシュ・アーメイはご存じかしら?」
「ええ」
「シュシュ・アーメイ率いる暗躍部隊は7人の先鋭からなる組織です。
国の有事にしか動かない彼らが動くということは、おそらく何かありますわね」
そうそう、とイーベルは最後に付け加えた。
「あの方を捕えたのも、シュシュ・アーメイですのよ。
あの女だけは見くびってはなりません」
ジーン・ベルンハルトを捕まえたのが、シュシュ・アーメイ。
なるほど見くびれないわけだと、レジーナは納得して紅茶を一口飲んだ。