31話 不穏な噂
久しぶりの放課後の部活動。
一同は同じテーブルに頭を突き合わせて、紙にかかれたある物体(?)を覗き込んでいた。
「う・・・馬?」
「いや、どう見てもタヌキだろう」
「私はシカに見えるわ」
「ブタじゃないの?」
うーん、と唸っている皆の視線の先には、何とも判別のつかないひとつの絵と思わしきものが。
この絵を描いた本人であるクレアは、赤くなった頬を膨らませて怒る。
「犬よ!!」
「クレア・・・どうやったら犬に見えるのかわかんないよ」
「なんだか僕恥ずかしくなってきた、弟として」
「誰にでも苦手なことの1つや2つあるさ!」
貶され励まされ、クレアはとうとう顔を手で覆ってしまった。
今日の部活動は絵描き。
それぞれで好きな物を描き、披露し合う遊びである。
しかし“絵”などという高等なものではなく、クレアのソレはもはやただのラクガキレベルだった。
ディーンは盛大に笑ってバシバシとクレアの背中を叩く。
「トップバッターは荷が重すぎたよね!
次は僕さ!見てくれよ、この芸術を!」
バン!と大きな音を立ててテーブルの中に出されたそれは、クレアに負けず劣らず意味不明な文様をしていた。
皆の眉間に再び皺が寄る。
「クレアを笑えるような絵じゃないな」
「酷いよ、アダム!
クレアよりずーっとずーっとマシじゃないか!」
「うーん・・・何かしら、これ」
レジーナも首を傾げて必死に考えるが、何を想像して描いたものなのか見当がつかず。それぞれ出てきた回答はどれも外れであり、痺れを切らしたディーンは急に立ち上がって紙を奪い取った。
「あー!もう!
ラクダだよラクダ!!
なんでわからないんだよ!」
「ソレでラクダを描いた気になってる君の方が分からないよ」
ハリスの突っ込みにうんうんと頷く一同。
理解者を得られなかったディーンは、慌てて話題を逸らし、皆にも絵を披露するよう促す。
「さあ、皆も出して!こうなったら弔い合戦だよ!」
「あら、サムの絵可愛い」
「ありがとう、メーデン」
サムの絵は可愛らしい猫。次に出したアダムは剣で、レジーナはカップ。そしてハリスはディーンの似顔絵だった。
最後に披露したのはユーク。
花瓶に生けた花を見事に描いたユークの絵は、素人が見てもとても上手いことがわかる。
それは美術館に飾られても遜色ないほど。
「す・・・すごい!」
「ユークったらこんな才能があったなんて・・・。全然知らなかったわ」
「それに比べたらディーンたち王族組は酷いね」
ハリスははっきり言うと、クレアは落ち込み、ディーンは憤慨して言い訳した。
「確かに・・・マリウス王子も絵がドへたくそだけど!
でもユークは上手いじゃないか!」
「なんでそこでユーク?」
レジーナが尋ねると、ディーンはさも当然とばかりにあっさりと言う。
「え?だってユークだって王族の血筋じゃないか。
厳密に言うと、僕の甥」
「「「えええええええ!?」」」
アダムとディーンとユーク本人以外の皆は、何故かクレアとサムも、一斉に驚いて大きな声を上げた。
「なんだい、クレアたちまで知らなかったのかい?」
「知らないわよ!
どういうこと!?」
「私は現陛下の孫にあたります。
父が陛下の息子なのですが、父の母親・・・僕の祖母が庶民の出なので、父が王族になることはありませんでした。
つまり、陛下と庶民の妾の息子――――それが僕の父です」
はあ、と複雑な家庭内事情に必死に頭を働かせる一同。
「妾の息子を王族にするわけにもいかず、しかし陛下の血を分けた子を庶民として育てるわけにもいかず、父はダグラス家の養子に入ったんです。
当時は陛下の嫡男がマリウス王子しかいらっしゃらなかったこともあって、ぞんざいに扱うわけにはいかなかったのですね」
後継ぎの問題もありますし、とユークはなんでもないように言う。
サムはなるほどと大きく頷いた。
「それでダグラス家に入った君のお父さんが現神官長まで上り詰めてるんだね。
すごいじゃないか」
「はい、父は努力の人でした。
ダグラス家の援助もありましたし」
どうやら彼の父親は秀才だったらしい。同じく秀才であるユークは、おそらく父親似だろう。
「ほらね!王族の絵下手説は成り立たないよ!」
「でも下手率高いよね」
「僕普通でよかった・・・ほんとに」
下手説を支持するハリスと心の底から安堵するサムに、クレアとディーンは不満気味だ。
「でも僕クレアほど下手じゃないよ!!」
「なんですって!?ディーンに言われたくないわよ!!」
「だって君の絵は動物にも見えないって!」
「ディーンこそ絵じゃなくてただの塊でしょ!?」
とうとう言い合いになってしまった2人に一同は頭を抱える。
鼻息荒く捲し立てるディーンとクレアは少々ムキになっているようで、2人を宥めようとレジーナが立ち上がって両者の間に割って入ろうとした。
「やめてよ、ただの絵じゃない」
しかし、レジーナはテーブルの脚にぶつかって前のめりに身体が倒れた。このままでは地面と衝突してしまう。
一瞬皆は息を飲んだが、アダムが倒れて来たレジーナをキャッチし、皆は一斉に肩を撫で下ろした。
「ナイスキャッチアダム」
「メーデンったらドジねぇ、一瞬ヒヤッとしたわよ」
ごめんなさい、と謝るレジーナ。
ところが何故かディーンはアダムをポカポカと叩いた。
「アダム!今メーデンの胸触っただろ!」
「当たったと言え」
「うわーん!!僕も触ったことないのにー!!」
事故とはいえ、アダムの腕にレジーナの胸が当たったことが気に食わなかったらしいディーンは泣きマネをしてアダムを何度も叩き続ける。
そんなアダムとディーンにハリスは呆れ顔。
「以前にも聞いたような会話だよね・・・」
「ああ・・・王様ゲームでアダムとメーデンが手を繋いだ時の・・」
未だ機嫌の直らないディーンに、メーデンは彼の肩に手を乗せて優しく微笑む。
「気にしないで、ディーン。
あのままアダムが掴まえてくれなかったら頭を打ってたかもしれないわ」
それにいつも触ってる――――だなんて口が裂けても言えないが。
事故だと言い聞かせればディーンはしぶしぶ納得してくれたようだ。
「事故・・・だしね」
「そうそう、事故よ」
「ただ腕に当たっただけだよね」
「当たっただけよ、それくらい気にしないの。
シュシュ・アーメイの鷲掴みに比べたら可愛いものよ」
「わ・・・わしづか・・・」
想像したディーンは真っ赤になって俯いた。
その時の皆の視線はとても冷たかった。
クレアは少し心配そうに口を開く。
「それにしてもドジよね、メーデン。
変な奴に引っかからないようにしないと――――いや、現在進行形で引っかかってるけど」
「それ誰のことだい?」
「最近不穏な噂もあるし、気をつけなきゃ」
ディーンを綺麗にスルーしたクレア。
レジーナは首を傾げてクレアに聞き返す。
「不穏な噂?」
「そう、今麻薬が流行ってるらしいのよ」
麻薬、と呟いてレジーナは皆を見回した。
彼らは既に知っていたらしく、重々しくうんうんと頷く。
「それと・・・これはまだ極秘事項なんだけど・・・」
「クレア」
言いかけたクレアを非難するアダムの低い声。
まるで何かを隠しているような雰囲気に、レジーナは無言でアダムを睨んだ。
「いいじゃない、いずれメーデンの耳にも入ることよ。
それにちゃんと危機感を持ってないと、本当に危険だわ」
「なんなの一体?」
痺れを切らしたレジーナが問うと、ため息を吐いたアダムが代わりに説明を始めた。
「麻薬が流行り始めたのは2週間ほど前から。カーマルゲートでも現在3名の中毒者が確認されてる。
国が危険視してるのは麻薬だけじゃなく、その密売組織にある」
「麻薬を売ってる奴らがヤバイってことね」
「そうよ!
それでそいつらが、“ジーン聖教団”って名乗ってるのよ!」
クレアは自分で言って怖かったのか、ブルリと身を震わせる。
一瞬だけレジーナの表情が固まったことに気づいたのは、おそらくアダムだけだろう。
“ジーン”とは間違いなくジーン・ベルンハルトのことで、彼となんらかの関係がある可能性が高い。
「まあ、名前だけで実際に奴の関係者だとは限らないし」
「歴史上の有名人は善悪に関わらずリスペクトされるからね」
「だといいんだけど・・・」
レジーナの耳にはもう会話が入ってくることはなく。
指先が僅かに震えていることに、誰かが気づくことはやはりなかった。
「どういうこと!?
今更あの人の名前が出てくるなんて!!」
宿舎の地下に入ったとたんレジーナは珍しくも声を荒げた。
後から降りて来て扉を閉めたアダムは彼女の肩を掴む。
「落ち着け、名前が出たからと言って本人だとは限らない」
「だからってあんまりよ!!
もう2度とあんなことはないと思ってたのに!!」
レジーナが言うのは魔物の事件の時のこと。
あの事件で父親の名前が挙がったとき、彼女がどれだけその名前に怯えていたのか知る者はただアダムのみ。
しかも今回は聖教団―――――組織である。
さらに麻薬を密売するだけの大きさと実力を持っている集団。
以前のように1人を始末して終わる、そんな簡単な話ではない。
腹が立つ。
レジーナの心情を表わすなら、その一言に尽きる。
自分を実験台にした父。娘の生きる道を閉ざした父。
ずっとずっと彼の名前とレジーナは共にあった。死してなお、レジーナにその名前は付き纏う。
払いたくても払えない闇。
切っても切れない血の絆。
やっと落着き真の居場所を手に入れたかと思えば、また父親の名前が出てくる。
もし・・・父が生きていれば・・・。
レジーナはそう思わずにはいられない。
「錬金術を使えば・・・死人を生き返らせることだってできるわ」
「禁忌だ」
「でも理論上は可能よ!!魔術でだって・・・・!!」
振り回されるのは御免なのに。
自分は自分だと割り切ってしまえば楽なのに。
レジーナにとって父親は、拭い去ることのできない大きな大きな存在。
混乱気味なレジーナに、アダムは彼女の顔を両手で挟んで額を合わせた。
「俺が一番最初に言ったことを覚えてるな」
息が合わさるほど近くで話すアダムに、レジーナは震えながら何度も頷く。
「カーマルゲートの抜け道は」
「・・・東の湖の洞窟」
「落ち合う場所は」
「ヴァルモン州の北の村の宿屋」
「銀行の鍵は」
「肌身離さず持ってる」
「連絡手段は?」
「・・・・・・・・・・・・犬笛?」
適当に答えたであろうレジーナの返答に、アダムはため息を吐いて訂正した。
「間接的な連絡は、とるな。
居場所が知られる可能性があるから。いいな?」
大人しく頷いたレジーナ。
アダムの言いたい意味は十分にわかった。
何も恐れる必要はないのだと、全て準備は整っているのだと彼はそう言いたかったのだ。
アダムには錬金術が、レジーナには魔術がある。
お金も、場所も、逃げ道も、何が起こってもいいように用意してある。
いざとなれば逃げてしまえばいい。
立ち向かう敵が来れば薙ぎ払えばいい。
2人には、その力があるのだから。
アダムは静かになったレジーナを抱きしめたまま優しく頭を撫でた。
されるがままのレジーナは身を委ねて目を閉じる。
安心した所為か、よほどの混乱が落ち着いたのか、レジーナは暖かい腕の中で意識を沈めた。
抱きかかえたアダムはソファに彼女の身体を横たえると、ローブを上にかけて顔にかかった髪を払う。
宝石のような紫色の瞳は閉じられ、先ほどの激情の影もない安らかな寝顔。
「あんな男のことなど、忘れてしまえばいい。
俺のことだけを考えていればいいのに」
呟いた独り言はまるで彼女に語りかけるよう。
そして同時に彼の願いでもでもあった。
レジーナの中から決して消えない存在。
サイラスにとっての“悪”であり“闇”そのものであるジーン・ベルンハルト。
アダムはレジーナの頬に指を滑らせ、さらに大きな力を手に入れるべく、本棚に近づいて錬金術の本に手をかけた。