29話 一寸先は
決闘、第4回戦。
最初に登場したのは、杖をついている女性とブラッド・ノイ。
順当に行けばノイが勝つだろう。
しかし両者ともコールが鳴っても動かず、観戦している生徒は困惑する。
クレアは歓喜に拳を振り上げた。
「そうよ!その調子よ!」
「うん、いいね」
ディーンも満足げに頷く。
このまま決着をつけずに2時間経てば、延期にすることができる。
そして一旦試合が始まってしまうと、終わるまでとても暇だった。延期待ちなので戦局は動かないのに2時間も座りっぱなしなのだ。
2試合目の終盤に差し掛かった時点で、すでに一同はぐでーんと体勢を崩している。
「・・・な・・・長い」
「まだ4時間も経ってないよ。
これが後半分も・・・、腰痛くなってきた・・・」
観客は減るかと思いきや、選手たちの不自然な行動にギャラリーは増えてさえ居た。決闘で剣を振らない試合など一大スクープである。
しかも、7人が7人とも戦わないのだから、何が起こったのか気になるのだろう。
暇な時間を持て余しながらも、彼らは決して闘技場を去ろうとはしなかった。
2試合目も終わり、3試合目。
登場したのはサーシャ・ウェラー1人のみ。つまりは、不戦勝である。
レジーナは眉間に眉を寄せた。
「1人亡くなってたものね」
「ウェラーは不戦勝かぁ。
次は、アビーの番だね」
ハリスの口調も、特に心配していないようでリラックスしている。
そしてついにアビーの登場だ。対戦相手はナタリー・フェンシー。
アビーが登場しても事態は変わらず一本調子で、アビーに注目していたのは最初だけ。
ウトウトと睡魔と闘っているのはクレアだ。
もしこの2人が戦えば、さぞかし白熱した試合が見られたことだろうと、口を開いたのはディーンだった。
「ねえ、2人が戦ったらどっちが勝つと思う?」
「「「アビー」」」
声が揃い、クスクスと笑い合うレジーナとクレア。
ハリスは自信満々に胸を張って言い放った。
「アビーが負けるわけないじゃん」
「だよねぇ。
ナタリー・フェンシーって狡賢いタイプだけど、剣は目を見張るほど上手いってわけでもないんだよね」
「そうなの?
ウェラーと仲悪いのは有名だけど・・・。
あとアダムのファンだってことも」
「そうそう、モテる男は辛いね」
ディーンはニヤリ顔でアダムの肩をバンッと叩いたが、アダムは全くの無反応でディーンが唇を尖らせる。
「無表情でも様になるよね、チクショウ」
「ディーン、落ち着いて」
「はーい」
レジーナに宥められると、今度はけろっと機嫌を良くするディーン。
アビーに視線を戻すと、彼女は腕時計とにらめっこしている。よほど暇なのか、終了時刻が待ち遠しいのか。
一方フェンシーは足元をじっと見つめたまま動かない。
「まだかなぁ・・・」
「後30分よ」
試合時間も終盤になると、晩秋の空に闇が降りはじめる。
辺りは薄暗くなり、だんだん視界が悪くなって来た。
「そろそろ動くわヨ」
突然シュシュの声が後ろから聞こえ、クレアは驚いて振り返った。
そのおかげでクレアは肝心の一瞬を見ずに済んだかもしれない。
アビーの首から上が無くなるのはあっという間だった。
叫んだのはハリスだったか。
そして続いて、女性特有の甲高い悲鳴が闘技場中に響き渡る。
剣が一筋の弧を描き、首が取れて地面に落ち、そして身体が崩れ落ちるまで。
まるでスローモーションのようにゆっくりと時間は流れた。それは一瞬のように短く、永遠のように長い時間。
ガシャンとアビーの鎧が音を立てて動かなると、広がる赤い血の海がやけに目につく。
もう彼女は確実に助からない。
誰もが決闘の終了に胸を躍らせた時に起こった、予想だにしないアビーの死。
「卑怯だぞ!!!」
ハリスは怒りのあまり顔を真っ赤にして、腰にさした剣に手をかけた。
慌ててディーンとユークが彼を羽交い締めにして抑える。
しかし彼らはハリスを咎めない。嫌というほど、気持ちはわかるのだ。
卑怯。
その一言でフェンシーの行動を非難することができる。
しかしこれは決闘。そこにルールや哲学は存在しない。
フェンシーの一見戦いを放棄したような言動は、全て相手を油断させる手段であり作戦に過ぎない。
非難すべきは裏切ったフェンシーか。
油断したアビーか。
決闘を催した国か。
それとも混乱を招いた貴族か。
「アビー!!アビー!!」
ぐちゃぐちゃの顔で泣きながら叫ぶクレアを、レジーナはただ黙って抱きしめた。
宝石のような紫色の瞳も今は輝きを失い、横たわったアビーを見つめている。
レジーナの姿は周りから見れば呆然と突っ立っているようにしか見えないだろう。
驚愕に身体を強張らせて絶句しているのはディーンとユーク。
アビーは身体と頭を別々にゆっくりと会場の外に運ばれて行く。
彼女の姿が見えなくなり、残されたのは闘技場の中央にある赤い血溜まり。
「帰りましょう」
レジーナの言葉はその一言だけ。
感情の読み取れない、無表情な声色だった。
泣きながら眠ったクレアの目は酷く腫れている。
彼女の上に布団をかけながら、私はクレアの髪を撫でた。
アビーは幸せだっただろう。
クレアのような、とてもいい友人に恵まれたのだから。
私のようなまがい物ではなく、本当の友達というものに。
月明りの眩い深夜、私はいつものようにアダムの宿舎へ向かった。
肌に突き刺さるような北風を受けながら、2階の窓から入から侵入していつものようにシャワーを浴びる。
自分の着替えを棚から引っ張りだして着替えると、濡れた髪を拭きながら窓から見える月を見上げた。
アビーの死に心は痛まない。あんなにグロテスクな死を目撃したというのに。
皆は腫れもののように私を扱うけれど、涙すら出てこない。
「薄情だと思ってる?」
後ろにアダムの気配を感じて、私は独り言のように呟いた。
「悲しくはないのか?」
「悲しくないわね。
元々私には、親友なんていないんだから」
「普通は情が移る」
つまりアダムは私が異常と言いたいのか。
情なんて生きるために無用なもの。
カーマルゲートで必死に自分の居場所を維持しようとしていた私に、情など邪魔なものでしかなかった。
レジーナは、メーデンという人形を操っていただけなのだから。
「・・・悲しくないわ。ただ、腹が立つ。殺しを正当化した国にも、自分を守れない非力な生徒たちにも。
答えのない答えを、無理やり押し付けられてるみたいで。
結局誰が正しいの?何が間違ってたの?
アビーは何のために死んだの?何故死ななきゃいけなかったの?」
生まれながらに闇の中に放り込まれた私。
何と戦っているのか、漠然としたものが少しだけ見えて来た気がするのだ。
言葉にするのは難しいけれど、何か大きな大きな渦のようなもの。
虚偽の薄っぺらい大義名分が羅列する、けれども根本は誰かが信じて疑わない正義。
アビーは善良な市民だったけれど、飲み込まれて呆気なく死んだ。
きっとアビーだけじゃない、サイラス王国そのものも、何かに大きく覆われている。
理屈では語れない、何か。
ただ分かったのは、私はその“何か”に飲み込まれているということ。
それは生まれながらの運命。逆らうことはできない。
私に許された選択は2つ。逃げるか、戦うか。
「戦うのか?」
振り返るとすぐ目の前にアダムの姿があって、私は少しだけ口角を上げた。
「何千年もの長い時間を、逃げ回って生きるのはつまらないわ」
「レジーナの存在が知られれば、非難がお前に集中する。
人から軽蔑の視線を向けられることになる」
そんなことわかってる。
私は犯罪者ジーン・ベルンハルトの娘。
今までは存在が知られておらず、直接憎悪を向けられることはなかった。
だけど、皆の父に対する感情を間近で見るたびに、私に対するものだと捕えて恐れ続けて来た。知られたら私はあのように憎まれるのだと。
だから存在が知られないよう、私はずっと一人で生きて来た。
誰にも正体を明かさず、誰にも心を許さず、メーデンという人間になりきって。
だけれど、もう・・・。
「平気よ」
手を伸ばせばすぐにアダムの胸に当たり、1歩近寄ってアダムの腰に腕を回した。
「私にはアダムがいればそれでいい」
それ以外には望まないから。
富も、名声も、権力も、友人も、家族も。
アダムさえ居れば、不思議と何も怖いとは思わない。
まだ未完成だけど、私自身も力を手に入れた。
例え敵が国だろうが世界だろうが、逃げずにいられるのだ。
アダムさえ、いれば。
頬をギュッと押しつければ、じわりじわりと感じる彼の体温。
背中の腰の部分に回された手が優しくも辺りを撫で始めると、私はただ身を委ねて目をつむった。
背を這う手、耳を食まれた瞬間小さく身体が動き、耳元でクスリと彼の笑い声が聞こえる。
抵抗するつもりはない。
身体の奥底の芯が熱くなる、初めて生まれる感覚を何故か私は知っている気がした。
貪るような口付けは飢えた獣のよう。合わさる身体は押したり引いたりの波のよう。
仕草1つ1つが綺麗で、捕食者の目をしたアダムはまるで別人だった。
追悼の黒と神聖の白、両方の色を纏った生徒たちは、亡くなった生徒へ1本づつのロウソクを手向けることになっている。
普段神殿の奥にあるのは銅像だが、今日だけは大きな四角の形をした石碑。
それには決闘で亡くなった生徒の名前が書かれていた。
“アビー・ルミナス”
下の方にその名前を見つけたレジーナは少しだけ見つめると、手に持ったロウソクを空いている場所へそっと置く。
決闘により命を落とした者、総数16名。
今年度に謎の死を遂げた者、総数12名。
これだけの命を失って、果たして得たものはあったのだろうか。
レジーナは神殿の長いカーペットの上を歩きながら、芸術的で細やかな絵が描かれている天井を見上げた。
結局フェンシーの裏切りによって出場者たちの心はバラバラになり、4回戦後は延期待ちをすることなく戦うことになる。
優勝したのはサーシャ・ウェラー、しかし彼女は既にカーマルゲートを退学してしまった。
「こんなこと望んだわけじゃないのに」と苦笑いしていた彼女は、決して悪い人ではなかったようにレジーナは思う。
「メーデン、大丈夫?」
上を向いて涙を堪えていると思っているのだろう、クレアが心配そうにレジーナの顔を覗き込んだ。
「ええ」
少しだけ微笑む姿は逆に痛々しいと、クレアは切なそうに顔を歪めた。
この顔すら演技だとクレアが知ったら、何と言うだろうか。
レジーナは心の中で自嘲の笑みを浮かべながら、列が流れるままに足を進める。
神殿の扉をくぐって外に出ると、そこには既にディーンたちがレジーナとクレアを待っていた。
いつもは陽気なディーンも、着ている服の所為か、沈んだ周りの空気の所為か、今日はとても落ち着いて見える。
「大丈夫かい?2人とも」
「ええ、私は」
「大丈夫よ、ディーン」
クレアはレジーナに向かって悲しそうに視線を寄こした。
ディーンは眉尻を下げ、手を引いてさりげなくレジーナをエスコートする。
「追悼式は本当に簡素ですね。
死者が浮かばれればいいのですが・・・」
「大切なのは気持ちだよ、きっと」
声のトーンを下げて言うユークに、ハリスは祈るような気持ちで頷いた。
アビーの生涯はたった20年余と短かったけれど、たくさんの人に愛されて幸せだったと願いたい。
天に召されたのは悲しいけれど、せめて眠りが安らかであるように人々は祈り、天までの道を迷わぬようロウソクの灯りを贈る。
レジーナは柔らかく笑んだ。
「生まれ変わったら、今度はもっと平和な場所で生きられるといいわね」
「生まれ変わり?
メーデンは面白いことを言うね」
ディーンが話に食いつくと、すぐさまクレアが割り込む。
「あら、それってとても素敵だわメーデン」
最も、この修羅はアビーの選んだ人生。
残された者へのせめてもの救いだろうか。アビーが死を覚悟し決闘に臨んだということは。
アダムとサムが神殿から出てくると全員が揃い、一行は一緒に宿舎へと帰って行った。