26話 ユークの思惑
レジーナがアビーを迎えに闘技場へ行ったとき、既にディーン・クレア・サムの3人の姿はなかった。
ハリスの話によると、アビーの試合を見終わった後、3人は連れ戻される前に自主的に帰ったそうだ。
「やっぱりアビーは凄いわよね」
レジーナが褒めると、ハリスは目を輝かせて頷く。
「だろう!?
戦ってる姿はまるで女神だよ!」
「女神って・・・やめてよ気色の悪い」
「「アビー!」」
ハリスとレジーナが振り返れば、微妙な表情で苦笑いしているアビーの姿。
「アビー、おめでとう」
「3回戦突破おめでとう。
楽勝だったね」
「ありがとう、2人とも。
でも少しだけやっちゃったわ」
アビーが見せたのは左腕の痣だった。
太刀を食らったときに鎧で切り傷は防げたものの、衝撃が強くて痣になったようだ。
患部は青々としていて、見るからに痛そうだ。
「打ち身に良く効く薬があるよ。一緒に薬学の先生の所に行こうか。
メーデンはユークに・・・」
ハリスがアビーを誘い、キョロキョロと辺りを見回す。
「あれ?ユークは?」
「いないわね」
「もしかして、犯人を追ってから一度も帰って来てない?」
「犯人って何!?」
アビーがクワッと鬼を顔にして、レジーナの両肩を掴み顔を近づけた。
ものすごい迫力である。
隠すことでもないので、レジーナはたじたじで答えた。
「矢が飛んで来たのよ、私に向かって」
「怪我はないでしょうね!?」
「大丈夫よ、アダムが助けてくれたの。
それでユークが犯人を探しに行って・・・・、決闘が始まる前のことなんだけど・・・」
まだユークは姿を見せない。
もし、ユークに何かあったら。3人の脳裏に嫌な光景が浮かび、しかしアビーの手当も急がなければもっと酷いことになってしまう。
一息ついたハリスは、頷きながら提案する。
「とにかく、下手に動いたら僕たちも危険だ。
3人で一緒に先生の所へ行って、手当をしてもらってから探そう」
「でもユークが・・・。
一刻を争うかもしれないし・・・」
アビーは真っ青な顔で反論するが、ハリスはすぐに首を横に振った。
「例え今僕たちが加勢に行ったところで何ができる?
アビーは手負い、メーデンはほとんど戦えないし。
足手まといになるだけだよ」
「・・・なるほど」
「悪かったわね、戦力にならなくて」
拗ねるレジーナを、よしよしとアビーが少し笑いながら頭を撫でる。
「そうと決まったら行きましょう、ね?」
「ええ」
「うん」
しっかりと頷いたハリスとレジーナ。
3人は足早に研究塔へ向かう。
ユークは闘技場の一番高い場所で、風に吹かれながら一人ぽつんと立っていた。
試合が終わったため、辺りに人気は全くない。
もちろん、レジーナを襲ったであろう犯人の気配も既にない。
「・・・参りましたね」
「それはどういう意味だ?」
軽く飛んで屋根へ上って来たアダム。独り言に返事が返ってくるとは思わなかったユークは目を丸くして驚く。
「アダム」
「それは犯人が見つからなくて出た言葉か?」
「何をっ・・・」
「それとも、メーデンに矢が当たらなかったことに対する後悔か?」
試されていると直観的に感じたユークは、表情を変えないまま静かに口を開いた。
「どいういう意味です?
私が彼女を襲ったとでも?」
「違う。お前が、メーデンを襲わせたんだ。
今回だけじゃない。毒を盛ったのも、兵士に襲わせたのもお前だ。
そうだろう?」
有無を言わせぬ口調で問いを投げかけるのは確信があるから。
両者は見つめあい、お互い一歩も譲らない。
しかし先に視線を反らしたのはユークだった。
「・・・参りました。
貴方は本当になんでもご存じのようですね」
「何故殺す必要がある」
メーデンを殺そうとしたのは何故か。
そう問うたアダムに、ユークは焦った様子もなく淡々と答える。
「当たり前のことでしょう。
これ以上ディーンに悪影響を与えられては困るんです、私が」
アダムは頷きも否定もしない。
「私は貴方達とは違う。
カーマルゲートに入れたのは、学力があったからではなく、推薦をいただいたから。
その理由はもちろん、ディーンのお目付け役として」
ユークは、特別に頭が良いわけではなかった。
どんなに勉強しても、生まれ持った能力は変えられない。努力で埋められない差もある。
そしてユークは勉強に勉強を重ねても、15歳の時点ではカーマルゲートに入ることは難しいと言われていた。
そんなとき、降りかかってきたのは願ってもいないチャンス。
ディーンのお目付け役としての、推薦の話だ。
ユークは一歩も動かずに話を続ける。
「承った以上は、これは私がいただいた責務も同じ。
ですからディーンに、変な虫をつけるわけにはいかないのです。あの女のために身分を捨てるなどと言われてしまえば、私は出世を逃すも同然。
最初はよかったですよ、彼女も遊びだと言っていましたし。しかしいつまでたっても、ディーンは執着を止めない。
もしかしたらこれが・・・」
これが本当に、ディーンにとっての恋ならば。
例えどんな犠牲を払おうとも引き裂かねば、信用を失う結果になってしまう。
何故平民の女などを近づけたのかと、何故恋人などにしたのかと、責められるのはお目付け役のユークなのだ。
それだけではない。きっとディーン自身も恋から冷めたら後悔することになる。
どうして一時の感情に惑わされて、全てを捨ててしまったのだろうか、と。
取り返しのつかないことになる前に、ディーンからどうしてもレジーナを引き離す必要があった。
別れる気配がないのならば消すしかない。ユークはレジーナを殺す算段を立てて、実行に移した。
今のところ、どれも失敗に終わっているけれども。
「ですからね、アダム。
貴方もディーンの友人なら、ディーンのためにメーデンを始末するべきだとは思いませんか?」
アダムは何も言わなかった。
ユークはひとつ鼻を鳴らして彼から顔を背ける。
「わかっていますよ、裏切りだってことくらい。
メーデンは私の・・・友人でもあるのに」
友人として情が沸かないわけではない。
しかし、それでもユークは出世のために友人を捨てる裏切りを選択したのだ。
「メーデンを始末することについて」
アダムはそこで、初めて口を開いた。
「ディーンのためになるかどうかは別として、ユークのために警告しておく。
―――――やめろ」
3文字の言葉が、ユークの中でやたらと響く。
理解してもらえなかった悔しさからか、彼は整った顔を歪めて苦々しい声を出す。
「何故です?」
「もしメーデンを始末しそれがディーンに知られたら、それこそお前の人生の失脚だ。
ディーンは、おそらく怒るだけじゃ済まさないだろうから」
「バレなければ済むことです!
みんなのように!」
ユークは突然大声を出した。
怒るのではなく自分の意見を主張するために、細い声を精一杯に開く。
「今、カーマルゲートで起こっていることを考えれば、ただ巻き込まれたという言い訳ができる!
兵士に口止めすれば、国にだって殺人はバレないんです!」
「それは違う。
今までの殺害が証拠として挙げられなかったのは、生徒自らが動いて証言が取れなかったからだ。
しかしユーク、お前は人を使っただろう。
人は簡単に口を割る。どんなにお金を積んでも、だ」
アダムの口調がだんだん鋭くなり、彼の青い瞳が冷たくユークを射抜く。
ユークは身ぶるいを起こして顔を真っ青にした。
「今までのことは黙っておいてもいい。
ただし、これ以上メーデンを始末しようとするなら・・・わかるな」
背を向けて遠ざかるアダムに、ユークは苦し紛れの言葉を落とす。
「貴方も・・・メーデンに誑かされたのですか?」
アダムは足を止めて僅かに振り返った。
「さあな」
姿が見えなくなったアダム。
ユークはその場に座り込み、虚ろな目でずっと地面を見つめていた。
アビーの手当を済ませ闘技場に戻って来たレジーナらは、すぐにユークの姿を視界に捕えて走り出した。
「ユーク!よかった、無事だったのね!
まさか怪我はないでしょうね?」
「どこに居たの?心配してたのよ?」
アビーとレジーナから質問攻めに、ユークは申し訳なさそうに答える。
「すみません、少し友人と話しこんでしまって・・・」
「珍しいね。
まあいっか。皆無事だったし、帰ろうか」
ハリスが提案して、アビーは嬉しそうにうんうんと頷いた。
宿舎への帰路につきながら、ユークはアビーに頭を下げる。
「アビー、おめでとうございます。
試合、素晴らしかったですよ」
「ありがとう、ユーク。
あ!メーデンだめよ!そんなに端っこに居ちゃ!」
アビーに腕を引っ張られてハリスとユークの間に入れられたレジーナ。
やはり心配症であるアビーは、ぷりぷりと怒りながら説教をする。
「いつ矢が飛んでくるかわからないんだから!
ちゃんと気をつけないとね!」
「アビー、貴女は自分の心配をしなさいな」
今度はレジーナがアビーの腕を引っ張り、自分の隣まで連れて来て綺麗に微笑んだ。
「大切な身体なんだから、ね?」
「メーデン・・・」
じーんと目に涙をためてうるうるさせるアビーは勢いよくレジーナに抱きつく。
「まあ、アビーったら」
「メーデン!」
硬く抱き締め合う女の友情に、ハリスもユークも苦笑いするしかない。
「妬けるなぁ、いいなぁ」
「男の嫉妬は見苦しいですよ、ハリス」
「でもアビーとメーデンってば仲良すぎるんだもん」
「そうですね。まあ、親友ってやつなのでしょう」
「だよね」
まだまだ終わりそうにないアビーとレジーナの抱擁に、男2人はただ生暖かい目で見守っていた。