24話 抗議(2)
月が細く暗い夜。
アダムは濡れた髪を拭きながら、自分のベットに寝ている先客を見つけた。
長い髪を散らして服も着ずに横になっている彼女は儚げで美しく、この姿を見た者は彼女があの凶悪なジーン・ベルンハルトの娘であると決して思わないだろう。
魔物を宿す身でありながら、レジーナの纏うオーラは上品で清らか。口をきけばそのイメージは少し崩れるが、なんにせよ彼女の美しさはサンドラ・イーベルの御墨付きでもあった。
だらしのない今の姿でさえ、どこか神秘的に見えるのは散らばる無造作にちぎられた紙のおかげだろうか。
「・・・帰って来たのね」
「起きてたのか?」
「眠れなくて・・・。
ごめんなさい、今片付けるから・・・」
レジーナはむくりと起き上がり、散らばった紙を集め始めた。
「それより服を着ろ」
「あら、前に裸見たじゃない。
今更これくらいなんともないでしょ?」
からかうようにレジーナが言うのは、以前シャワー室にアダムが駆け込んだ時のことだ。
あの時は見事に布一枚も纏っていなかった。
それに比べたら今の格好は下着の上にキャミソールを着ているため、見られて恥ずかしい部分はきちんと隠されている。
しかしサイラスでは女性が夫以外の男の前で肌を見せるなど言語道断。
それ以前にベットを異性と共にすること自体が常識外れだ。
「着ろ」
「嫌よ、暑いもの」
「着ろ」
「・・・・・や」
可愛らしく拒んでもダメなものはダメで、結局アダムに押しつけられた服をレジーナはしぶしぶ着ることにした。
「ケチ」
「そういう問題じゃない。
もっと自覚を持て」
「女としての?」
そうだ、と凄むアダムは切実である。
男を弄ぶように挑発する一方で、彼女は女としての危機感がまるで皆無だった。
それはきっと、自身が魔物であり常人より強い故、何があっても大丈夫だという自信から来るもの。
隣にアダムが入って来たところで、レジーナは気づいた匂いに目を見開く。
「アダム・・・」
「どうした」
「血の匂いがするわ・・・」
匂いの出所は、もちろんアダム。
彼は構わずにベットに横になるが、レジーナは起きてアダムを上から見下ろした。
「宿舎の周りに見たことのない兵士が集まってた」
「また、兵士・・・」
きっと以前レジーナが襲われた時と同じ連中だ。それは間違いなく、アダムではなくメーデンを狙っている。
レジーナは顔を青くして震える唇を動かす。
「そんなに私、狙われてるの?
もしかして・・・」
「違う」
正体がバレたのではと言いかけたが、アダムが起き上がりすぐに否定した。
レジーナはアダムを見上げて眉を寄せる。
「じゃあ何故?」
「心配しなくていい、大したことじゃない」
まるで子供を宥めるかのように、レジーナの頭を撫でるアダム。
「バレたわけじゃないとしたら、ディーンとのことで嫉妬した誰かかしら」
「そのようなものだ。
いいから、もう寝るんだ」
アダムに腕に促されてレジーナは身体をベットに沈める。
しかし「ねぇ」と、レジーナはアダムの方へ身体の向きを変えた。
「もし私の正体がバレたらどうする?
バレて、カーマルゲートに居られなくなったら」
「レジーナはカーマルゲートに居たいのか?」
上から降って来たアダムの声に、彼女は首を横に振る。
カーマルゲートに未練があるわけではない。
もともとここは、自分の身を隠すために来た場所なのだから。
「ううん、別にそういうわけじゃないけど・・・」
ただ、国に追われることがどれほど大変なのかはなんとなくだが想像がつく。
アダムの少しゴツゴツした手がレジーナの頬を撫でた。
自然にレジーナは目を閉じる。
「そうなったら一緒に逃げることになるだけだ」
「一緒に来てくれるの?」
「レジーナ1人では心配だからな」
再び開いた紫の瞳がアダムの姿を捕えて優しく細まる。
「そう・・・。そんな生活も・・・悪くはないわね」
「そうか」
アダムの指に促されて、再びレジーナの瞳は閉じられた。
ディーンとサムとクレアは王族の住まう塔に上った。
カーマルゲートよりもさらに手の込んだ造りをしているこの塔は、3人が幼少期から過ごしてきた実家である。
鼻息荒くズンズンと上って行くクレアの決意は岩よりも固い。
「絶対決闘を中止にしてもらうんだから!」
「陛下には会えないと思うよ?
マリウス王子のところに行くのかい?」
「そうよ!」
あまりに血の気の多いクレアの様子に、すれ違った使用人たちは驚いて彼女を見ていた。
クレアはもともと感情豊かで表情にもよく出すが、ここまで怒りを露わにするのも珍しい。
「クレア、道間違ってるよ」
興奮のあまり道を間違えディーンに指摘されたクレアは、踵を返して再びズンズンと豪快に歩く。
塔の最上階は許可が無ければ立ち入ることができない、第一王子専用の空間であった。
階段の前で立つ2人の兵士たちに凄みを利かせたクレアは、彼らに向かって高圧的に口を開く。
「マリウス王子に用があるの、通しなさい!」
彼らは顔を見合わせると、無表情のまま返答する。
「ただいま王子は執務中でございます」
「いいから通しなさいっつってんのよ!」
ケンカ腰のクレアにディーンが苦笑しながら前へ出た。
「悪いけど君たち、マリウスに緊急の用があるって伝えてきてくれないかな」
「・・・かしこまりまして」
頭を下げる兵士の1人が階段を上り、ディーンの要望は聞き入れてもらえたらしい。
マリウス王子に会えるかどうかは、本人の判断次第だ。
しばらく経つと、先ほどの兵士が階段の上に現れ、1段1段降りながら口を開いた。
「許可が下りました、お通りください」
「よし、行くわよ!サム!ディーン!」
クレアは2人の腕を掴み、幅5メートル程の大きな階段を上り始める。
上りきって右側に進めば、マリウス王子の執務室はすぐそこにあった。
コンコンとノックを2回。
返事が返ってくる前に、クレアは勝手に扉を開けて中へ入った。
「やあ、久しぶりだね3人とも」
中に居る人物はペンを持ったままニコリと笑う。
ディーンにそっくりな面立ちだが、落ち着いた柔らかい雰囲気を持つマリウス王子。
「久しぶりね」
クレアは挨拶もそこそこに、マリウスの机の前に来て身を乗り出した。
「話しがあるの!
カーマルゲートの決闘のことで、よ!」
ああ、と思い出したように言うマリウスは頷く。
「僕も聞いてるよ、酷い状態なんだってね」
「そうよ!
だから中止してほしいの!」
「うーん・・・」
マリウスは腕組をして首を捻り、考える仕草をした。
少し静かな時間が流れる。
「・・・そうしたいのは山々なんだけどね」
「できないの!?」
「単刀直入に言えば、できない」
クレアはどうして!?と激しく責め立てた。
マリウス王子が気の毒になったサムは、まあまあ落ち着いて、といつものごとくクレアを宥める。
「何故カーマルゲートで決闘が行われると思う?」
「鋭気を養うためとか?」
「そうそう、そんな感じ。
卒業してこの世界に入る前に、自分の身を守る知識や危機感を養うためだ。
そんな生易しいものじゃないからね」
「だからってやりすぎよ!
人の命を失ってまでしなきゃいけないことなの?」
「うーん、どうだろうね。
でも以前のままのカーマルゲートだったらもっと死者が増えてたと思うよ?」
「どういうこと?」
サムは顔を険しくして尋ねる。
「だからさ、あんなにのほほんとした生徒たちがあのままこの世界に入って来てご覧?
話しにならないでしょ」
箱入りで育ったクレアたちの知らない政治の世界。
そこは日常的に暗殺の蔓延るドロドロしたところ。
学生気分では到底生き残ることができない。
「決闘が始まってから今まで出た生徒の犠牲者は12人。
その12人の命で、他の生徒は思い知らなきゃいけないんだ。
無くなる命あってこその生きる命アリってとこかな」
クレアは信じられないといった表情でギリギリと歯ぎしりをする。
言葉が上手く出てこないクレアに代わって、今度はディーンが訊ね始めた。
「でもあきらかに今期のはやり過ぎだよね」
「うん、そうだね」
あっさりと認めるマリウス。
「他国の間者でも入り込んでるんじゃないかい?」
「それはあり得なくもないね」
「どうしても中止できない?」
「できるとしたら・・・んー・・・やっぱり無理だね」
やはり出てきた返事は否。
そうか、とディーンは肩を落とした。
マリウスは眉を八の字にして謝る。
「ごめんね、決闘って法案で規定されてるものだから、変えるとなると王と議会の承認が必要なんだ。
今年中にはどう考えても間に合わないよ」
「そんな・・・」
クレアは愕然として、ひとつため息を吐いた。
「腹を括るしかないってワケね・・・」
「そうだね、でも悪いことばかりじゃないさ。
今カーマルゲートでは、誰もが自分の身を守る方法を学んでいるんだから」
「他に方法はなかったのかな・・・」
ぽつりと落とすように呟いた一言に、誰も返答を返すことはできなかった。
「どういうこと!?」
再び塔にクレアの金切り声が響き渡る。
「だから、カーマルゲートは危険だから、自宅謹慎・・・だってさ」
サムは遠い目をして明後日の方を見ていた。
ここに来てまさかの外出不許可。いわゆる軟禁というやつである。
ディーンもさすがにまずいと思ったのか、冷や汗を流しつつサムに尋ねた。
「それ誰の命令?」
「陛下」
大口を開けたクレアとディーンは全く同じ表情で固まる。
「2人とも口を閉じて。
いまさらだよね、今の今までカーマルゲートに居たのにさ」
「嘘だー!
あんまりじゃないか!」
「もしかして私たちが抗議に来た当てつけかしら?」
「かもね」
至って冷静なサムは小さく頷いてソファに座った。
外出が許されない以上、どうあがいても無駄である。なにせよ、命令を出したのはこの国の最高権力者なのだから。
「授業はどうするんだい?」
「レポートじゃないかな」
「いつまで閉じ込められるかわかる?」
「たぶん、カーマルゲートが落ち着くまで無理だよ」
「どうしましょう・・・、夏休みが終わったらすぐに3回戦なのに・・・・」
アビー・・・とクレアは項垂れる。
ディーンはパチンと指をならし、満面の笑みを浮かべて立ち上がった。
「よし、残念だけどこうなったら脱走するしかないね!」
「「はあああああ!?」」
クレアとサムのダブルサウンドがだたっ広い部屋に響く。
脱走―――――いかにもディーンらしい発想である。
「ディーン、顔が全然残念そうじゃないよ」
「仕方ないんだよ。
アビーの試合があるっていうのにこんなところでじっとしてられるかい?
秋には商祭もあるし、メーデンと一緒に買い物する約束してたんだ。
行かないわけにはいかないんだもん」
「もん、じゃないわよ、もん、じゃ」
クレアとてここから抜け出してカーマルゲートへ戻りたいはずだ。
もう一息だと、ディーンはさらに脱走の案を押した。
「ずーっと軟禁なんだよ?ずーっと。たぶん今年中は無理だね。
それに残してきたメーデンやアビーはどうするんだい?
皆僕たちが帰ってこなくて心細いんじゃないかな、こんな時だしさ」
「うっ・・・・・・・そうよね」
語尾にポツリと本音を漏らしたクレア。
しかし、おいおいとサムは焦った様子で反論を唱える。
「いくらなんでも陛下の命令を無視しちゃまずいって!」
「でも・・・」
「でも、じゃない!」
「サムは皆に何かあってもいいっていうの?」
「い、いや、そういうわけじゃなくて!」
「じゃあ僕たちは何があってもカーマルゲートに戻るべきだよね」
「う・・・・うん」
誘導尋問で首を縦に振らされたサム。
ディーンはいやらしいニヤリ笑いをしてガッツポーズを作った。
「よし、じゃあさっそくここから逃げ・・・」
「させないヨ」
気配も足音もなくディーンの横に現れた人物に、3人は驚きのあまり飛び退く。
黒くゴテゴテした奇妙な衣装に、室内なのに開かれた黒と白のパラソル。低い背に目の周りを黒くぬった独特の化粧。
黒の髪を肩の上で切りそろえ、黒ずくめの奇妙な格好をした女の子。
一目見ただけで忘れられないほど強烈である。
「シュシュ!?
なんで君が!?」
あまりにも目立つ格好をしているシュシュと呼ばれた彼女は、ニィと赤く塗りつぶされている唇を三日月の形にした。
「あんたたちの見張り役を仰せつかったのヨ」
「う、うわぁ・・・」
サムは冷や汗をかき盛大に顔を引きつらせた。
「暇なのね・・・」
ポツリと呟かれたクレアの言葉に、シュシュの額に青筋が浮かぶ。
「仕事がないってことは平和な証拠ヨ。
とにかくアタシが来た以上、ここから逃げられないから諦めてヨネ」
3人はそれぞれ真っ青な顔をしてコクコクと首を縦に振った。