21話 王様ゲーム
レジーナは足を組んでため息を吐いた。
どこか調子の悪そうな彼女に、妖艶な笑みを浮かべたイーベルが小首を傾げて尋ねる。
「わたくしとのお茶はあまり気が乗らないかしら?」
「いいえ、そういうことではないわ」
にっこりと花のような笑みを浮かべたレジーナに、イーベルは頬を染めて恍惚の表情を作った。
度々招かれる彼女とのお茶会を重ねるうちに、イーベルはすっかりレジーナの虜になってしまったらしい。
「貴女をそんなに悩ませるなんて、・・・恋、かしら?」
「あら、そんなに面白いものではないわ」
「そう、残念」
でも、と少し身を乗り出して口角を上げるイーベル。
「ディーン王子との恋愛はいかがかしら?
こう・・・・心の奥から燃え盛るような、情熱はございませんの?」
恋に生きるイーベルはとても感情的である。
一方対象的に感情を消して生きてきたレジーナは、困ったように眉を八の字にして答える。
慕ってくれて従順なこの女を、レジーナは嫌いではなかった。
アダムが自分の正体を知っていることも、イーベルには包み隠さず話している。
「ないわ。もともと、アダムとの噂を無くすための付き合いだもの」
「まあ、それも素敵ではありませんか。
アダムと言えば・・・貴女は彼をどうするつもりですの?」
唐突な質問にレジーナは足を組み換えて首を横に振った。
「どうもしないわ。
彼も私をどうにかするつもりはないみたい」
彼がくれる愛情は温く、穏やかである。
頼めば欲しいものを持ってきてくれるし、助けを求めれば駆け付けてくれる。
しかし逆に、求めなければ何もなし。
2人きりになるのは勉強か、寝ている時だけ。それ以外は特に用がなければ一緒にいることはなかった。
たとえ2人でいても、恋人同士のような甘い雰囲気になることはない。
相変わらず意図の読めない人だと、レジーナは薄く笑った。
「でも、貴女に全てを捧げたんですもの。
彼は貴女をなんとも思っていないはずありませんわ」
「どうかしらね。
頼めばなんでもしてくれるし、嫌がることはしないけれど」
「素敵ですわ。
孤高の女性に全てを捧げ、全てを捨てた男性・・・」
うっとりとした表情で頬を染めるイーベルは、まるで夢見る少女のようで。
レジーナはクスクスと笑うと、紅茶を一口飲んで再びソーサーに戻した。
「イーベルが想像している事は何もないのよ」
「でも一緒の寝室で寝ているのでしょう?」
「アダムは起きないもの」
最初に見つかって以来何度かアダムが目を覚ました事はあった。
2回目に少し注意を受けたが、まったく改める気にはならなくて、それ以降は何も言われることなく勝手にベットを使用している。
安心と安全。
アダムの隣にはそれがあった。常に周囲に気を付けて緊張を強いられるレジーナにとって、唯一と言ってもいいほどの安らぎの空間である。
一度手にしたら離れられない。
アダムはそれをわかってて、わざと彼女に安心と安全を提供しているのだ。
そして少しづつ少しづつ、彼女の警戒心を解いている。
手を出さないのは恋心がないからではない。下心も、おそらくないわけではない。
誰より賢い彼は、彼女を自分の手元から離れないよう、綿密な策略を行っているだけなのだ。
気づけばおそらくレジーナは、彼以外に頼れなくなる。
アダム以上にレジーナを愛し、信頼でき、安心と安全を提供できる者などどこにもいないのだから。
彼らしい巧妙な罠である。
そう解釈したイーベルは、ニィっといやらしい笑いをする。
「報われませんわね」
小首を傾げるレジーナに、いいえ、とイーベルはにっこり笑った。
「わたくし、彼の気持ちがなんとなくわかってしまって・・・」
「私には全くわからないわ」
「そのうち思い知らされますわ」
離れようと思っても、離れられなくなる。
しかしその時まで、まだまだ時間はかかりそうだ。
それまでいろいろな我慢を強いられるアダムの涙ぐましい努力に、イーベルにとっては同情半分、ざまあみろという嫉妬と笑いが半分。
コンコンとノックの音にイーベルを返事を返せば、噂をすればなんとやら、珍しいことにアダムがイーベルの研究室へやって来た。
もちろん、用事があるのはイーベルではなくレジーナの方だ。
「やはりここか。
ディーンが心配して探してたぞ」
「そう、すぐに行くわ」
ではまた、と笑顔で去って行ったレジーナ。
取り残されたアダムに、イーベルはプッと噴き出して笑う。
「可哀そうに」
意味を悟ったアダムは額に青筋を浮かべたまま、無言で部屋を去って行った。
「どうしようどうしようどうしようどうしよう!!」
宿舎の中で玄関の前を行ったり来たりするディーンは落ち着きがない。
ユークは呆れたような声で彼を宥める。
「落ち着いてください、ディーン」
「でも、メーデンどこに行ったんだろう!」
「今アダムが探しに行ってくださってます。
大丈夫ですよ、彼女はバカじゃありませ・・・・バカですが、きっと大丈夫です」
「メーデーーーン!!」
墓穴を掘ったユークに、ますます落ち着きを無くすディーン。
言うまでもなく彼女はカーマルゲートいちの落ちこぼれだ。
レジーナ以外の一同はすでに宿舎に戻って来ている。
放課後すぐに集まったディーンたちは、何時まで経っても帰ってこないレジーナを心配して待っていた。
痺れを切らしたディーンはアダムを迎えに寄こしたほどだ。
「そんなに心配しなくても・・・」
「何言ってるんだ、こんなときに!
メーデンに何かあったらどうするんだい!?」
「そこまで大切なんですか?
別に他の女性でも・・・」
レジーナでなくとも代わりはいくらでもいる、という意味を含んだ物言いに、ディーンはムッと眉間に皺を寄せた。
「当たり前じゃないか。
メーデンじゃないと嫌なんだ」
「報われませんよ」
「そんなこと望んでないよ!
見返りとか、そんなものどうでもいいんだ!
ただ好きなだけなのに!」
「・・・・そうですか」
ユークは静かにそう返して、扉を見つめた。
その時ちょうどノックが聞こえ、ディーンは光の速さで扉を開ける。
待ちに待っていたレジーナの帰りに、彼は断りもなく抱きついた。
扉が開いた途端に突進してきた彼に、一歩後ろに下がって身体を支えるレジーナ。
「きゃっ!
ディーン?」
「おかえり!
よかったよ、無事で・・!」
「大げさね、ディーンったら」
「ところで、アダムが貴女を探しに行ったのですが・・・ご存じありませんか?」
ユークに尋ねられ、「あ」とレジーナは大きく開いた口を手で隠した。
「置いてきちゃった」
「まあまあ、アダムなら大丈夫でしょ。強いし。
さ、中に入って!」
ニコニコしたディーンに促されたところで、続いてアダムが帰って来た。
ごめんなさい、とレジーナは肩をすくめてアダムに上目遣いで謝る。
「つい、先急いじゃったわ。
探しに来てくれたのに置いて行って悪かったわね、アダム」
「あまり1人でウロウロするな」
アダムは怒ることなく注意し、ディーンもうんうんと賛同する。
「アダムの言うとおりだよ。
昨夜3人も犠牲者出たんだから。しかも結構ここから近いところで!」
「ええ、わかったわ。
部屋に入りましょう」
玄関を離れリビングへ入った4人に、アビー達は安堵の笑顔でレジーナを迎えた。
「よかった、メーデン。
無事だったのね!」
「ごめんなさい、心配かけて。
授業の後、急に教師に呼び出されたから」
抱き合うアビーとレジーナを引き剥がすかのごとく中に割り入ったのはハリス。
「わかった、仲いいのはわかったから」
「あら、嫉妬は見苦しいわよ、ハリス」
不敵な妖しい笑みを浮かべてアビーに再び抱きつくレジーナ。
ハリスは笑顔を引きつらせて彼女に問う。
「君ってそんなタイプだったっけ?」
「最近ハリスばっかりアビーを独占して・・・ずるいわ」
「メーデン・・・!」
拗ねたように言うレジーナに感動したらしいアビーは、レジーナを固く抱きしめた。
まあまあ、とハリスの肩を叩くのはサム。
「今日も皆無事だったからいいじゃないか。
お茶が入ったみたいだから、座って座って」
散り散りになっていた一同は一つのテーブルを囲んで集まると、ディーンは鼻歌を歌いながらいつものように紅茶を入れる。
「やっぱり3時のお茶は紅茶だよね」
「ディーン、僕がしますよ」
「いいよいいよ、ユークも座ってて」
やがてカップが全ての人に行き渡ると和やかなお茶会が始まるかと思われたが、ディーンは何か棒のようなものをもってそれを掲げる。
そして、彼はいつものいい笑顔で提案した。
「せっかくだからさ、今日はちょっと遊ぼうよ」
「なによ、今から課外活動するの?」
クレアは片眉を上げてディーンを見遣る。
「まあね。
アビーも最近修行ばっかりだったからたまにはいいじゃないか」
ね、とその笑顔に押し切られてしぶしぶ頷く皆。
それで?とサムは首を傾げた。
「ルールは?」
「簡単だよ、この棒を1人1本引いて、先が赤くなってる人が王様になるんだ」
とりあえずやってみようと、右周りの順番でそれぞれ棒を1本づつ引いた。
赤い棒はクレアが引いて、それ以外の棒には小さく数字が書いてある。
「数字は他の人には見えないようにね。
そしてクレア、君が番号を指名して命令するんだよ」
「例えばどんな?」
「んー、例えば1番が2番を1分間くすぐる・・・とか」
「何そのくだらない命令!」
「だからそれがゲームなんだって!!」
ぎゃーすぎゃーすと言い合いをするディーンとクレア。やっと言い合いが収まり、必死に考えた命令をクレアが口にした。
「じゃあ4番がバク天宙返りしてちょうだい」
「ハードル高いな!」
「うるさいわね!
4番は誰?」
僕だよ、と手を挙げたのはハリス。
彼はその場で立ち上がると、そのまま後にソファを超えてクルリと回った。
「意外と簡単だね」
「さすがハリス、運動神経がいいわ」
ありがと、と彼は爽やかにソファに戻り、ディーンは再び棒を集めて右回りに引かせて行った。
次に赤い棒を引いたのはサム。
彼はうーんと少々長く考えた後命令した。
「・・・じゃあ、3番が7番の恥ずかしい過去をばらす」
「うっ」
小さく呻いた7番はレジーナで3番はアビーである。仲の良い2人、お互いにネタは尽きないだろう。
アビーは輝かしい笑みで話し始めた。
「1年生の時よ、あたしがメーデンの宿舎に朝迎えに行った時、メーデンったら階段の一番上からすっ転んだの!
だけど無傷だったわ!
その時だったわね、初めてメーデンの下着を拝んだのは」
「アビー・・・」
恨みがましい目で見遣るレジーナ。
アダムは呆れていたような表情だったが、それ以外の皆は盛大に笑ってくれた。珍しいことにユークも少し笑っていた。
「次!次よ!」
レジーナは慌てて棒を集め、ディーンに突き出して次を促す。
そして引かれた赤い棒の持ち主はアダムだった。
ディーンは笑顔で催促する。
「さあさあ、命令するんだよ!アダム!」
「5番、1時間口を開かない」
それから1分後、口を閉じたまま涙目で棒をかき集めるディーンが居た。
皆はアダムを称賛する。
「さすがアダム」
「のどかで平和だね」
「ピンポイントでディーンを指名するところなんか、最高だわ」
見事に番号を当てられてしまったディーンは、アダムの命令で1時間の無言を強いられることになった。
本人は辛いだろうが、周りはおかしくて仕方ない。
ここで遊びは終わりにしようという流れになったが、無言で必死に次を促すディーンに負けて、最期の1回を行うことに。
そして次の回。
赤い棒はディーンに当たってしまい、クレアは頭を抱える。
「なんてこと!こんなことなら止めておけばよかった!」
「ロクな命令しなさそうだよね・・」
サムも遠い目をした。
ディーンは意気揚揚と紙にペンを走らせ、勢いよくそれを掲げる。
<1番と2番が1時間手を繋ぐ>
「あら、1番は私だわ。
2番は誰?」
「俺だ」
名乗りを上げるアダムにディーンは真っ青になって声を上げた。
「ダメーーーー!!!」
「ディーン、しゃべったらだめよ」
「あーーー!!やっぱりなし!
今の命令撤回するから!!ムゴッ!!」
ディーンの口を無理やり塞ぐサム。
レジーナはちょうど隣に居たアダムの腕に纏わりつく形で手を繋いだ。
ディーンの自業自得である。
それから2度とディーンが王様ゲームをやろうと言い出すことはなかった。




