2話 初めての勉強会
「個別指導・・・?」
「はい、そうです」
タヌキのように目尻の下がったベラスケス校長は、にっこりと笑って頷いた。今年で5千と17歳を迎える彼は、見た目は若くとも年相応に物腰の柔らかい雰囲気を漂わせている。
放課後校長室へ呼び出しを受けてやって来たメーデンは、緊張していたのも束の間、“個別指導”という言葉に首を傾げて聞き返した。
校長は大きく頷く。
「私が・・・ですか?」
「もちろん。
このままでは留年どころか卒業も危ういでしょう?ですから、個別指導の教師を付けてマンツーマンの授業を設けるのです。
特例ですがね・・・さすがにこれだけ成績が悪いのに教師として放っておくのも忍びないものですから」
「は、はぁ・・」
思っていた内容と大分違ったため、メーデンはおずおずと返事を返す。初めて入った校長室に落ち着かない気持ちを無理やり宥め、浮かんだ疑問をそのまま校長に訊ねた。
「しかし個別指導の先生はどなたが?」
「実は去年に3名の先生が引退なされて、教師の数が足りていないのです。
そこで優秀な生徒に貴女の指導をお願いするつもりですよ」
「生徒・・・・」
絶対に嫌だとメーデンは思いっきり顔をしかめたが、そんな様子に気づかない校長はにこにこと笑顔で続ける。
「今期は優秀な生徒が非常に多い。王族の方が3名もいらっしゃいますし、チャンスだと思って頑張ってくださいね。
コストナーも今年は放課後を開けておくように」
生徒による個別指導の件は決定事項らしく、メーデンは反論する間もなく言い切られてしまった。
彼女は仕方ないかと半ば諦めてしっかりと頷く。
「わかりました。
ちなみにその生徒はどなたが?」
「そうですね、貴女と同学年のクレア・サイラス殿か、ひとつ上のアダム・クラーク殿辺りがよいでしょう」
クレア・サイレスかアダム・クラーク、つまり王族と貴族。メーデンの頭は真っ白になってしまった。
「個別指導ーーー!!?」
「声が大きいわよ、アビー」
気持はわかるけれど、とメーデンは自室のテーブルで紅茶を飲みながら肩をすくめた。
アビーはこれ以上開けないというほど大きく目を見開き、バンッ!と両手をテーブルに着いてメーデンに迫る。
「しかも相手がクレア・サイラスかアダム・クラークってどういうこと!!?」
「さあ、なんでこんなことになったのか私もさっぱり。
嫌だわ、放課後も勉強だなんて」
「何言ってるの!お近づきになれるなんて大大大チャンスじゃない!」
アビーは少女のようにキラキラした表情で拳を握りながら力説し始めた。
「クレア・サイラスと言ったらあたしたちの学年で首席合格したこの国の王弟の娘!
そしてアダム・クラークは言わずもがな、カーマルゲート始まって以来の天才と名高い“あの”アダム・クラークなのよ!?
剣を持てば一城を落とし、知を使えば一国が救われるって言うほどなのよ!?」
「大げさだわ。
彼もただの人間でしょう?」
チッチッチと舌打ちながら人差し指をヒラヒラと横に振るアビー。
「甘いわ。
サイラスでは身分が全てだけど、アダム・クラークは10歳で既に王城から注目を集めて、それ以降は王族並みの扱いを受けてるの。
つまり身分に関係なく欲しいくらいの人材なのよ。今までのサイラスの常識を覆すほどのね」
「うーん、そんなに凄い人には見えないけど・・・」
見てくれは美しい。輝く金の髪に宝石のような青い目。身長も手足の長さも筋肉の付き方も皆の理想そのもの。あまり容姿に頓着しないメーデンも認めるほどの美貌を彼は持っている。
しかし生徒たちが騒ぐのはあの容姿と貴族という身分によるものだと勝手に解釈していたメーデンは、いくら凄い人だと言われても実感が沸かない。
アビーはそのうち解ると言うが未だ納得がいかず。
メーデンはおもむろに立ちあがってクローゼットを開けると服を漁り始めた。
「まあ、性格の悪い人じゃないと嬉しいわ。アダム・クラークってなんだか近寄り難い雰囲気があるでしょ?
それより明日の服はどれにしよう」
「それよりって何よ、それよりって」
服をテーブルに広げ始め、あまり興味なさそうなメーデンにアビーは盛大な溜息を吐く。身分にあまり頓着せず貪欲なところは彼女の良さでもあり欠点でもある、と。
メーデンは紫の瞳を柔らかく細めて微笑んだ。
「問題なのは個別指導ではなくってファンの人達よね。彼に憧れてる人たちは多いはずよ。
落ちこぼれの私が個人的にお会いできるなんて知られたら、きっと嫉妬されるわ」
「そうね・・・危ないわね・・・確実に。
女の嫉妬は怖いわよ」
「ええ」
「クレア・サイラスも王族である以上、あまり関わるといい目では見られないでしょうね。アダム・クラークに至っては、貴族のお姉さま方が黙ってないでしょ。
しばらくの間は大人しくしていた方が賢明だわ」
メーデンは分かってると頷き、日が沈んだ景色を見て部屋のカーテンを閉める。
「あまり騒がれないといいんだけど・・・」
囁くような声は、アビーには聞こえないほど小さかった。
昼休みにカフェテラスで食事を取り終わったメーデンは、そのままテーブルに全教科のテストを広げた。
カーマルゲートでの落第点は60点未満。しかしメーデンの点数は、最高点が62点という悲惨っぷり。
見ていたアビーも思わず呻き声を上げる。
「・・・これはさすがに予想以上だわ」
「でしょ?」
「でしょ!じゃない!
卒業する気あるの!?」
ピシャリと大きな声で怒られ、メーデンは小さくなり上目遣いで恐る恐るアビーを見る。
「アビーったら先生みたい」
「言いたくもなるわよ!
これは才能うんぬんじゃなくて、もはややる気の問題ね」
テスト用紙の回答を確かめて見ると、半分ふざけているようにしか思えない回答ばかりが並んでいた。これは担当教師でなくとも言ってやりたくなる。
「それで、実技は何点だったの?」
「えっと、剣術が60点、弓術も60点、体術が29点、戦術が59点」
「剣と弓はお情け合格点ね・・・・。戦術の59点は嫌がらせか何かかしら・・・」
「いいじゃない、半分は単位もらえたんだもの」
「よくない!これは全部必修なの!必修!
本当は1こも単位落とせない教科なの!」
アビーが怖い、とメーデンはぶつぶつと小さな声で文句を言う。そんな様子にアビーが大きなため息を吐いた時、ざわざわと辺りが騒がしくなって来た。あの3人組がやって来たからだ。
女性特有の黄色い声が耳に響く。
「来た来た、3人組」
「毎日見てる顔なのに、相変わらず取り巻きの人たちは元気よね」
「そうね、ま、あの人たちの良さはメーデンにはちょっと分からないだろうね」
「・・・悪かったわね」
そういうアビーもあまりミーハーな性質ではなく、他の女生徒のように玉の輿狙いでカーマルゲートへ来たわけでもないので、ほとんど3人組を話題にすることはない。
周りの声がだんだん落ち着いてきた頃、テストの話題に戻そうとアビーが口を開きかけた。しかしそれは声になることなく、口を開けたまま固まる。
いつの間にか目の前に3人組のうちの1人、アダム・クラークが立っていたからだ。
「メーデン・コストナーだな」
硬質な声、威圧的な雰囲気。どこか他人を寄せ付けない存在感に、メーデンは眉間に皺を寄せて答える。
「そうですけど、私に何か御用ですか?」
「ベラスケス校長から頼まれたんだ、君の勉強を見るようにと」
「あー・・・」
周りの視線が刺さるように痛い。
ここままじゃマズイとアビーが両者の間に割って入り、無理やり笑顔を浮かべた。
「申し訳ありません、この子勉強だけじゃなくて人付き合いも苦手で」
「そうか。
木曜日の放課後、17研究室に来るように」
彼の麗しさにアビーは赤くなりながら一生懸命に首を縦に振る。
アダム・クラークは「それじゃ」とだけ言い残し、さっさと他の3人組の居るテーブルへ戻って行った。
しかしそのすぐ直後、メーデンとアビーは顔も知らない生徒たちにぐるりと囲われてしまう。逃げる場所などもちろんない。
物問いたげな皆の表情と嫉妬が混じった視線に、今度はアビーの顔色が真っ青になった。
「仕方ないのよ!メーデンがバカだから!」
とっさにアビーが指さしたのは、テーブルの上に散らばっているテストの数々。皆の視線はその点数に釘付けになり、何も言わずすごすごと去って行ってくれた。
「アビー・・・」
メーデンの責めるような声に、アビーはうっと言葉を詰まらせる。
「だって仕方ないじゃない?とっても説得力があったわ。
よかったわね、メーデン」
「嬉しくない」
テストをかき集め裏返しにひっくり返す。
これから起こる新しい生活に、目眩を感じて頭を押さえた。
あっという間に日々は過ぎ、木曜日の放課後。
メーデンは戦場に向かう兵士の気分で研究室のドアを開けた。
中を覗き込んだが、そこには空っぽの部屋のみ。長方形の大きな机に並べられた椅子には、誰も座っていなかった。
「何をしている、早く入ってくれ」
安堵したのも束の間、後ろから声をかけられてメーデンの肩がビクリと震える。
後ろを振り返れば、先日会ったアダム・クラークの姿があった。
金髪に凍るような青い瞳。
相変わらず威圧的な雰囲気を纏っていて、メーデンは急いで研究室の中へ入った。
「ごめんなさい、・・・どうぞ」
一応相手は貴族。平民のメーデンは嫌々ながらも敬わなくてはならない。
苦虫を噛み潰したような表情も、一瞬で真顔に戻して彼に道を開ける。
「教科書は」
「持って来ました。
えっと・・・アダム様?」
「呼び捨てでいい、敬語も必要ない」
「でも・・・」
「始めるぞ」
座ったアダムにメーデンも慌てて向かい側に着き、鞄から教科書やテスト用紙を広げた。
テストの点数を見たアダムは眉間の皺を3割増しにして低い声を出す。
「・・・これは酷いな」
言い返すこともなく、黙り込むメーデン。
それからはテストで間違えた個所のやり直しから真面目に勉強を始めた。
嫌がっていたメーデンもきちんと話を聞き、指示通りにノートを作って言われたことをまとめる。
そして勉強も終盤に差し掛かった時。
バーン!と乱暴な音を立てたドアから、茶髪に焦げ茶の瞳をした男性が文字通り飛び込んできた。
紫色の目をパチクリさせるメーデンに、彼は「あーーーーー!」と大きな声を上げて人差し指を向ける。
「アダムが女の子といちゃいちゃしてるーーー!!
やっぱりあの噂って本当だったんだ!!」
「邪魔だ、ディーン、出て行け」
アダムにディーンと呼ばれた彼は、まさにこの国の王子、ディーン・フォン・サイラスその人だ。3人組のうちの1人で、いつもニコニコしている印象がある。
「君がメーデン・コストナーと勉強してるって聞いて飛んで来たんだ。
やあ初めまして、君が4学年のメーデン・コストナーでしょ?あ、僕は5学年のディーン・サイラスだよ。ちなみにアダムの親友さ!
へぇ!やっぱり噂通りの美人だね!あ、成績悪いんだって?気にしない気にしない、勉強が全てじゃないからね!
わぁ、珍しい紫の瞳!」
両手を握ってブンブンと上下に振るディーンに、メーデンは固まったまま無理やり作った笑顔を向けた。
一方、アダムは呆れた顏で注意する。
「・・・ディーン、遊んでるわけじゃないんだ」
「分かってるよ、アダム。邪魔しないから。
メーデン、僕のことはディーンって呼んでね。
そうそう、アダムと2人きりみたいだったけど大丈夫だったかな?イヤラシイこととかされなかった?無事かい?」
「はあ、まあ・・・大丈夫です、ディーン王子」
「そんなに畏まらなくてもいいよお―――――ぐえっ」
アダムに首の根っこを掴まれたディーンは、蛙が潰れたような声を出してドアの外へ放り投げられる。自業自得だろうが、メーデンは冷や汗をかく。
「気にするな、続けよう」
「で、でも、あの人一応王子で・・・・、失礼な真似は・・・・」
“一応”を付ける辺り、メーデンも大概失礼である。
「アレを王族だと思うな」
「だけど・・・」
放り投げるまでしなくてもと続けようとしたが、研究室の外から「アダムのスケベーーー!!」というディーンの声が聞こえたので、メーデンも開いた口を閉じて無視をすることに。3人組とは関わるとロクでもなさそうだなぁと思いながらペンを動かすのだった。