17話 蠱惑女術
5年生全員が集まった騒がしい講堂の中で、テストが戻って来たレジーナは両手を上げてアビーに抱きついた。
「やったわ、アビー!!単位取れたわ!!」
「え!?いくつ!!?」
「全部よ全部!!」
「ええええええ!!?」
大げさなほど大声を上げて驚くアビー。
全教科で合格点を貰えるのは、さすがにレジーナも予想外だった。
テストをよく見てみれば、ほとんど60点ギリギリである。
テスト用紙を眺め、レジーナはほうと溜息を吐いた。
「まさか全く勉強してなかった去年の再テストまで合格するなんて・・・」
「ま、まあ、なんとなく理由が想像できなくもないけど」
「なあにそれ」
「だって、カーマルゲートの教師たちに王子の恋人を落第させる勇気はないでしょ」
なるほど、ディーン効果か。
納得してレジーナは形の整った眉尻を下げる。
「先生たちも大変なのね」
「そうね。
でもそれだけじゃないかもよ?」
「どうして?」
「だってメーデン、貴女去年はアダムに勉強教えてもらってたじゃない」
ああ、とレジーナは苦笑する。
最初は真面目に勉強を行っていた個別指導も、お互いの正体が分かってからは錬金術習得のための時間に変わっていた。
木曜日の放課後が来るたびに本と睨めっこしているレジーナは、錬金術の文字を見ただけで嫌気がさすようになってしまったほどだ。
アビーはポンポンとレジーナの肩を叩いて励ます。
微妙そうな表情をしていたので、勉強がよっぽど辛かったのだと勘違いしたのだろう。
「よくがんばったわね。
偉いわ、メーデン」
「ありがとう、アビー」
がやがやしていた講堂も、全ての生徒にテストが返却されると次第に静まって行った。
そして校長であるベラスケス―――通称タヌキが教壇に上がったところで、生徒達は完全に口を閉ざす。
「皆さま、ごきげんよう。さて、今年はいくつか連絡をしなければなりません。
まず、5学年に上がるにあたって、授業が必修科目から選択科目へ完全移行します。それぞれが選択したバラバラの授業になりますので、教室を間違えることのないように気を付けてください。
それから、今年から課外活動に参加することになります。まだどこの部に所属するか決まっていない生徒は、1か月以内に決めて事務所まで届け出てください」
相変わらずの眠気を誘う声に、生徒達は少しうとうとしながら聞き流す。
ごほん、とベラスケス校長は咳払いをして次の連絡に移る。
「そして今年は運の良いことに、決闘が開催されることになりました」
キャーーーと喜びの悲鳴が上がり、レジーナは肩をビクつかせて驚いた。
こんなにテンションの上がっている生徒たちを見るのは初めてだと困惑する。
「そんなに嬉しいことなの?」
「まあまあ、聞きなさいって」
アビーに諭されてレジーナは再び校長の言葉に耳を傾けた。
「まず、説明しなくてはなりませんね。
決闘はトーナメント方式、剣のみの使用というルール以外に制約はありません。
希望者はすべて参加することができますが、途中での棄権や辞退は不可能です。
そして――――・・・」
それからは周りがうるさくて聞き取ることができず、レジーナはキンキン響く耳を軽く塞ぎながらアビーに大声で訊ねる。
「つまり、なんでもアリの剣術大会ってこと!?」
「そう!!
しかも優勝したら進路を優遇してもらえるのよ!!」
アビーも負けじと大声で返事を返した。
へぇ、とレジーナが呟いた言葉は、もちろん周りの騒音にかき消される。
カーマルゲートを卒業すれば大抵の生徒は国軍に入り、兵士としてキャリアをスタートさせる。
しかし優勝して優遇してもらえるのならば、いきなり政界へ入ることも過言ではない。つまり、皆よりも一足早く出世街道を突っ走ることができるワケだ。
もちろんそれには弊害がある。
まず、決闘に参加するならば途中で棄権することはできないということ。白旗の許されない戦いは、命を失う危険が高いということだった。
サムが以前言っていた“荒れる”とは、そういう意味なのだろう。
50年に一度の大会が今年行われるなど、出世に興味のないレジーナにとっては迷惑極まりない。
少しでも何かのきっかけがあれば素性がバレかねないのだから。
「まったく、面倒な・・・」
今年は今まで以上に大人しくしておいた方がよさそうだ。
「メーデン!!
こんなところさっさと出ましょう!
うるさくて耳がおかしくなりそうだわ!!」
レジーナは頷き、アビーと2人でさっさと講堂を後にした。
初めて受ける授業の数々。まるで1年生の時のような緊張と期待の連続は、刺激的であり退屈しなかった。
そしてレジーナがやって来た教室は、女性ばかりで異様な空気を放っている。静かに、できるだけ目立たないように端を通って一番後ろの席に座った。
アビーも取りたがらなかった“蠱惑女術”の授業だ。
始業時間になり、カツカツとヒールの音を鳴らしながら登場した女教師は、赤い瞳に黒髪を後ろに束ねた美しい女性だった。
美しさと言ってもいろいろなものがある。
レジーナを例えるならば上品で大ぶりな白百合だ。香りも存在感も強く、すれ違えば人々は振り返る。
彫刻のような整った身体に小さな顔の輪郭、少々ツンとした鼻や大きな目は女性が憧れる形そのもの。
一方、蠱惑女術の教師は女性の色気に溢れるタイプ。垂れた目に涙ボクロがいかにもな色気を醸し出し、仕草の一つ一つが挑発的で計算された動きをしていた。
教師は教壇に上り、パンパンと2回手叩く。
「さあ、授業を始めましょう。
紙とペンは仕舞ってください」
生徒は頭にハテナマークを浮かべながら紙とペンを言われるままに鞄へ戻した。
レジーナはどこかつまらなさそうな様子で、机に肘を付き外の景色を眺める。
教師はにこリと華やかに微笑んだ。
「わたくしの名前はサンドラ・イーベル、皆さんがいらっしゃるこの授業、蠱惑女術の教師です。
この授業では、女性に必要な知識と技術をお教えいたします」
男性は蠱惑女術を受けることはできない。
なぜなら、女性のための授業であるからだ。
女が活躍する場面、それはまさに“色仕掛け”である。
他国では女性が政治の場で活躍する事は稀であり、影の立役者としての役割を求められる。故に警戒心を解くために、女はスパイとして重宝される。
女に弱いのは全世界共通だ。男を垂らしこむというのは、最も安全かつ素早く敵国に潜り込む手段。その知識と技術をこの授業で学ぶらしい。
イーベルがそこまで説明し終わると、再び微笑んで教室中の生徒を右から左まで見渡した。
「今年もレベルが高くて結構。
この授業で最も必要なのは“美しさ”。それがあれば不要な知識や難しい事は何も必要ありませんの。
ですから単位を取るのに苦労する、ということはないでしょう」
レジーナは単位の話が始まると、視線をイーベルに戻して彼女の赤い瞳を見詰める。
そこでふと、彼女の顔をどこかで見たことのある気がしてきた。
垂れ下った目尻、涙ボクロ、ふっくらとした大きめの唇。やはりどこかで見たことがあるのだ。
廊下ですれ違ったとか、祈りの式典で見かけたとか、そういう“見た”ではなく。
そう、父親であるジーンの顔を脳に焼きつけられ、錯乱状態に陥って意識を失ったあの時―――――。
確かに、父と寄り添う彼女の姿をレジーナは“視た”のだ。
思い出した彼女は思考に耽る。あの場面の数々は、まったくの妄想ではなかったらしい。
現に今、以前視たサンドラ・イーベルの顔そのものがここにある。
カーマルゲートの教師、言いかえれば国に従事するイーベルならば、スパイとしてジーン・ベルンハルトの元に潜り込んでいたのかもしれない。
「ジーン・ベルンハルトとどのような関係が?」と尋ねたところで、怪訝な顔をされるだけだろう。
「メーデン・コストナー、そんなにわたくしの授業はつまらないかしら?」
レジーナははっと我に返り、慌てて立ち上がる。
「すみません」
クスクスと女性特有の厭な笑いが教室を包み込んだ。
レジーナは誰にも分からないようにため息を吐き頭を下げた。
しかし、イーベルは微笑んで首を横に振る。
「構いませんのよ。
そうね、貴女に教えることは特にありませんわ。
皆様」
いいですか、と念を押して生徒の顔をひとつひとつ見ながら話し始める。
「わたくしの授業は他とは違いますわ。
いい子にしていれば良し、テストの点数が高ければ良し、そういった俗な評価とは異なりますの。
美しい女性こそが、ここにおいては何より評価が高いのです。
その点については・・・」
イーベルがレジーナの顔や体を舐めるように見回して嬉しそうに続けた。
「メーデン・コストナーにはこの授業は必要ないかもしれませんわね。
美しさ、仕草、佇まい、全てが完璧なのです。
しかもディーン・サイラス王子の恋人ともなれば、私がその手管を見習いたいくらいですわね」
生徒の笑いが一気に収まり、レジーナに向かって嫉妬や陰険な視線が集まる。
レジーナは立ったまま空笑いを溢した。
男を落とすのに向いていると言われても、褒められているようで褒められた気がしない。
微笑んだ表情を崩さないままイーベルは再び手を叩いた。
「さあ、皆様注目してくださいな。
まずは、各国の女性の立場についての研究から始めましょう」
それから授業らしい授業が始まり、レジーナは終業時間になるとさっさと帰ろうとしたが・・・
「では、ここまでに致しましょう。
メーデン・コストナーはこの後残るように」
それはできないようだ。
誰も居なくなった教室で、イーベルとレジーナは2人きり。
居残りを食らった理由が分からないレジーナに、イーベルはごめんなさいねと謝った。
「前々から貴女とは話してみたいと思ってたの」
授業の時に見せる少し間の抜けた取っ付きやすい女性から、一気に真剣な表情になったイーベル。
その変わり様は、さすがこの授業の教師だと認めざるを得ないほどだ。
「それで、私に何の御用ですか、イーベル先生」
彼女は辺りを見回して誰もいないことを確認すると、レジーナの紫色の瞳を覗き込んで微笑む。
「ディーン王子に特定の恋人ができたって噂になった頃、貴女の素性について少し思うところがございましたの」
レジーナは内心では焦っていたが、顔には出さずに頭の中で考えていた。
確かに素性がバレるのはまずい。しかし彼女にどうこうする気がないならば、アダムもしかり、自分の身に危険が降りかかることはない。
彼女の意図を探らなければ。レジーナはイーベルの顔を見つめた。
「そう、考えていることを顔に出してはだめよ、合格ですわね」
「何のおつもりですか、先生」
満足そうなイーベルにレジーナは先を促した。
「ここだけの話ですわよ。
わたくし、昔ジーン・ベルンハルトと恋人でしたのよ。
だからすぐにわかりましたわ、貴女が彼の血縁者だと」
うふふと少女のように笑う彼女。レジーナは開いた口が塞がらず。
「あ・・・あの、何故私がジーン・ベルンハルトの関係者だと・・・」
イーベルは人差し指をレジーナの唇の前に持ってきて、彼女反射的に口を閉ざす。
「ディーン王子の心と射止めるということは簡単ではありませんの。たとえ美しい容姿に恵まれた、幼い頃から社交教育を受けたお姫様でも。
なのに平民が王子の恋人に選ばれた、それはよほど運がよかったのか、それとも平民のフリをした“別の人”ということですのよ」
レジーナは意味が分からず首を傾げる。
「どういうこと?」
「人の言動というものは、生まれ育ちによって大きく異なりますもの。例え平民が貴族のフリをしても、すぐにわかってしまうものなのです。
ですから、幼い頃からマナーについて厳しく叩きこまれている王族や貴族は、自然に礼儀作法に厳しく、また素養に欠けている者を生理的に嫌悪するものですの。
いくらディーン王子が自由に育ったとはいえ、物の持ち方から姿勢、歩き方まで躾けられた彼はやはり平民ではなく貴族の恋人を望みましたわ。それは身分という括りではなく、自然に」
しかし突然ディーンは平民の娘を恋人にした。
つまりは、レジーナに平民ではなく貴族の素養があったということだ。
少なくとも、マナーや礼義の違いでディーンに嫌悪感を抱かせない程度の。
「だけど、私は礼儀作法なんて習った覚えはないわ」
「それがありますの。
カーマルゲートへ入って貴族と接することで、貴女は自然に礼儀作法を学び、また自然に身に付けたのです。
その素養がおありだということは、幼少期に貴族の者に育てられたか、もしくは貴族の血筋で素養があったかのどちらか」
「それで何故、ジーン・ベルンハルトと関係が?」
「顔立ちがどことなく・・・似てますわ。
そっくりではありませんが、雰囲気が。座った時の姿勢とか、ペンの持ち方が非常に酷似してましたの」
イーベルはレジーナの顔を見てうっとりと頬を染めた。
「驚かせてしまってごめんなさいませ。
わたくし、あの方のご息女に会えるなんて嬉しくて嬉しくて」
非常に、不思議な感性を持つ女性だとレジーナは思った。
ジーンの娘に向けるのは、相手の女に対する嫉妬ではなくジーンの面影と懐かしさ。
レジーナは自分より少し背が低いイーベルの顔を両手で挟む。
すると、少しクラッと目眩がしたが、嬉しそうに微笑むイーベルと父親の姿が脳に焼き付いた。
どうやら、国のスパイでレジーナに取り入っているというわけではなさそうだ。
恋人だった・・・というのも嘘ではないらしい。
レジーナの奇怪な行動に首を傾げるイーベル。
「なんでもないわ、イーベル先生。
私の素性について黙っててもらえて感謝するわ」
「あら、とんでもない。
あの方のご息女を危険にさらすなんて・・・」
レジーナは微笑んでイーベルを抱きしめる。
「なんだか貴女が母親みたいに思えるの、不思議ね」
その言葉にイーベルは真っ赤になり、レジーナの腕の中で俯いた。
「わ、わたくしでよければいつでも相談に乗りますわよ。
いままで頼る人もいなくて大変だったでしょう」
レジーナは唇の口角を上げて綺麗に微笑んだ。




