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灰色の鳥  作者: 伊川有子
Ⅰ章
15/73

15話 語られない歴史




何もない荒野。

黒いフード付きのマントを被った2人組が、枯れた大地を歩いていた。


生きているのはひび割れた地から顔を出す小さな雑草のみ。遠くを見渡しても山の頂上がほんの少し覗くだけで、この荒野がいかに広いかを思い知らせる。


「酷いところね」


メーデンはフードを脱いでため息を吐く。

呼吸をするたびに何か邪な物を吸いこんでいる気がして嫌な気分になった。


ここはサイラスの西側に位置する、“死の荒野”と呼ばれる場所。

ほとんど人の寄りつくことがないこの場所は、人間どころか植物すらほとんどいない不毛の大地である。


周りをぐるりと一望して、アダムはゆっくりと口を開いた。


「今は何もないが、300年前まではサイラスの中でもっとも栄えていた都市だったんだ」


「とてもそうには見えないけど」


「そうだな」


メーデンは片眉を上げて歩き出したアダムの背を追う。

スタスタと歩く彼の速さは足の長さに比例してメーデンよりも早い。


「ちょうどこの辺りだ」


足を止めたのは他となにも変わりない場所。


「それで、ここに授業を休んでまでわざわざ連れて来た理由は何?」


メーデンは腕を組んでアダムの青い瞳を見据えると、ヒールをカツカツと鳴らして話を急かした。

アダムは少しだけメーデンを見つめ返し、下に視線を落として話し始める。


「300年前、2つの大きな貴族が対立していた。

シィス家とヴァルモン家だ」


宗教にも身分にも厳格だったシィス家、対してヴァルモン家は非常に温厚で平民の支持をよく集めた人物だった。

そしてある時、ヴァルモン家の当主が国と交渉した。


“身分制度”を無くすべきである、と。


平民はこの案に絶大な支持と期待を寄せる。

周辺諸国と比べるとサイラスではどうしても身分に対する縛りが強い。自由に商売をすることも仕事や住む場所を選ぶことができない。


皆は自由に生きる未来を想像した。


しかし当然貴族は猛反対。特に大貴族であるシィス家は真っ向から抗議し、いろいろな手を使って阻止しようと試みた。


国民を味方につけたヴァルモン家と貴族を束ねるシィス家。このままでは国中を巻き込む大戦争になってしまう。

そこで国王は1つの妥協案を提示した。


メーデンは首を傾げる。


「妥協案?」


「ヴァルモン家が所有していたヴァルモン州のみに限定し、試験的に身分制度を廃止したんだ。

ただし、ヴァルモン州の周りをほぼ完全に封鎖して、州の中に限定して自由が認められた」


ヴァルモン州の人々は喜びに祝杯を上げた。

仕事を自由に選び、住みたい場所を選び。


しかし――――――


「それは長く続かなかった。

貧困に苦しむ人々が続出し、ヴァルモン州はスラム街と化した。

日常茶飯事に犯罪が起こる、サイラスで最も治安の悪い街になったんだ」


「どうして?」


「身分制度が、無かったからだ」


人による人の支配。まさにサイラスはその形を成している。

村は村長が束ね、町は町長が束ね、彼らに指示を出すのは州知事。州知事の上に居るのが貴族、そしてその上に国王。


どんなに小さな村でも、一人一人を上に居るものが把握・管理する。

仕事を与えられ生活に困ることはない。親を亡くしても親類の誰かが面倒を見る。


そして下の身分の者から搾取した財を、貴族は研究に投資するのだ。

研究は平民を通して行われるため、これも民の仕事として給料が支払われる。研究で得た技術や知識は富を生み、さらに生活は豊かになる。

それが、サイラスが研究大国だと言われる所以だった。


そこには貴族にも平民にもお互いにメリットがある。


貴族は大量の税金を取って財産を肥やすことができる。研究に投資し成功すればさらにその財を増やす。

その代わり平民には確実に仕事が与えられ、一定の生活を約束される。


1人当たりの平均寿命は約4000。

1人でも労働力を失えばとてつもない損失になるため、絶対に平民であっても酷い待遇を与えられることはない。また、貴族が研究に投資し成功することで自分たちの生活をさらに便利なものにすることができる。

もちろん、貴族のようなリスクを背負うことなく。


サイラスは非常に豊かな国である。そして国だけでなく、国民一人一人の生活レベルは中心の国に匹敵するほど高かった。

カーマルゲートに平民が多いことはその証拠である。食べるので精いっぱいでは、勉強にお金が回らない。


また、サイラスには奴隷身分がないというのも大きな特徴の一つだ。

それだけサイラスでは人を“資源”として大切に扱われていた。


「要は、サイラスは国自体が大きな企業体系を成していたんだ。

身分制度が崩壊すれば、人は自由に移動して管理統制が利かなくなる。

仕事をもらえない人、親のいない子供。そう言った貧困層が出現してスラム街になった」


「社会保障はなかったの?」


「この国にはない。

病人や障害を持った人は上が管理して、その人にできる仕事を割り振りすることで十分な収入が得られるよう配慮していたから全く必要なかったんだ」


自由を得られる代わりに失ったものは大きかった。そして悲惨だった。


その辺りに死体や汚物が転がり、家を無くした人は路上で物乞いの生活。

逆に成功した人も居るには居たが、そんなものは限られたごく一部の人たちだけ。


人々は荒んでいった。街も、心も。


そしてかつての繁栄していたヴァルモン州は見る影もなくなっていった。


「身分制を廃止して80年後。

スラム化し汚染したこの地に疫病が流行った」


生きている人も死んでいる人も混ぜこぜになっているような不潔な場所。疫病がは流行るのは必然だった。

ヴァルモン州は封鎖されていたため外に逃げることは叶わない。


人は、全て死んだ。


「ヴァルモン家は困った。

まさか自分から言い出した身分制度廃止がこのような悲惨な結果を招くとは想像できなかったから。

このことが国民に知れたら、自分の地位と信頼を失ってしまう」


「それからどうなったの?」


「ヴァルモン州は封鎖されていて国民は中の様子を知らなかった。

だからヴァルモン家はこう言った。『ヴァルモンの民はジーン・ベルンハルトの実験台にされ、全て虐殺された』と」


一筋の風が吹き、その場に沈黙が訪れた。


ヴァルモン家は逃げた。自分の失脚を目の当たりにして、それを恐れて責任をジーン・ベルンハルトに擦り付けたのだ。


「もともと研究熱心だったジーンは、ちょうどそのころ噂になっていた人物だった。もしかしたら錬金術に手を染めているのではないか、と。

だから国民は簡単にヴァルモン家の嘘を信じた」


「じゃあ、ジーン・ベルンハルトの噂を利用したってこと?」


「そう、そしてその嘘を信じたのは貴族も同じだ。

ヴァルモン州に起こった事の顛末を知っているのは、政治家の中でもごく一部。この話題はタブーとして語られることはない」


それからジーン・ベルンハルトは逃亡し、本当の犯罪者になった。錬金術を使い、人を殺し、戦争を起こした。

錬金術に手を染めたきっかけがヴァルモン州の事件だったかどうかは分からない。

しかし、確実に彼を闇に落とすきっかけを与えたのは、このヴァルモン州の事件なのだ。


アダムは静かな口調で付けくわえる。


「ジーン・ベルンハルト、旧性ジーン・レイチェル・シィス、シィス家の次男だ」


「え?シィス家?」


メーデンは眉間に皺を寄せて繰り返す。


「そう、ジーンはシィス家の出身。結婚してベルンハルト家に婿養子に入ったため、名字が変わったんだ。

だが、シィス家には変わりない。彼が犯罪者として国に追われる身になり、シィス家とベルンハルト家は共に処刑されたが」


「つまり、ヴァルモンにとって最も都合のいい嘘だったってワケね。

黒い噂のあったジーン、そして敵対していたシィス家を滅ぼせるから」


「その通り。

ジーン・ベルンハルトの踏み外した道は、決して彼だけの責任ではない。国の闇そのものなんだ」


メーデンは少し考え込み、今までの話を反芻しながら口を開く。


「じゃあ私にもシィス家の血が流れてるってこと?

そもそもジーンの実の娘かどうか知らないんだけど」


“私の可愛い娘”、彼がそう言っていたから彼女は自分が彼の娘であることを信じて疑わなかった。

しかし今思えばその娘の意味は、自分の作り出した作品という意味だったのかもしれない。


ところが、アダムはすぐさま反論する。


「いや、血の繋がった親子で間違いはないだろう」


「どうして?」


「戸籍によるとレジーナ・ベルンハルトはジーン・ベルンハルトの認知した私生児だ。

それから、名前」


「名前?」


「“レーナ”は古代語で“娘”という意味。

だから“ジーン”の“レーナ”でレジーナ、ジーンの娘という意味になる」


「・・・名前が知られたら素性が一発でバレるわね・・・」


複雑そうな顔をするメーデンに、アダムは目を細めた。


「いいか、レジーナ。

今俺達が戦っているのは、ただのジーン・ベルンハルトの犯した犯罪の影ではない。

貴族たちが起こした、国の政治闘争なんだ。今も国の中で、静かに戦いは続いている」


決着のつくことのない、永遠の戦い。


国の在り方、人の生き方、そういったものに答えはない。

だから手探りで探していくしかない。多大な犠牲を払いながら、膨大な時間を費やしながら。


「・・・そしてここがヴァルモン州の中心、ジーン・ベルンハルトが処刑された場所だ」


アダムの話が終わると、メーデンは辺りを見回した。

何一つない荒野。地平線がグルリと一直線に周りを囲んでいる。それはとても不思議な光景。


メーデンは天を仰ぎ、雲ひとつない空を見て呟く。


「何もないから、自分がどこにいるか見失いそうだわ」


「・・・そうだな」


2人は無言のままその場に留まり、少し時間が経つと再び歩き出した。






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