14話 アダムの選択
月明りに照らされた彼女の顔色は青かった。
蜂蜜色の髪は白いシーツに広がり、紫の瞳は閉じられている。ゆっくりと規則的に膨らむ胸は呼吸が穏やかな証拠。
ベットの縁に座って彼女の髪を一房取るが、あっさりと手から滑り落ちて行った。
冷たくも心地よい風が部屋を吹き抜ける。
先ほど彼女の身に起こった事を思い出して眉をひそめた。
まるで何かに憑依されたかのように突然豹変した彼女は、息ができない様子でもがき苦しんでいた。
その時に引っ掻かれた傷は俺の左腕に残っている。
今は安らかに眠っているが、彼女に何が起こったのかは見当がつかない。
すぐにでも医者に連れて行きたかった。
しかしそれはできない。彼女は“人”ではないのだから。
初めて彼女を地下室に連れて行ったときのこと。
俺が名前を呼んでも彼女はわからないようだった。
レジーナ・ベルンハルト――――ジーンの1人娘。
たった4歳で身寄りをなくした彼女に頼れる人はおらず、生きるために選択した孤独。
自分の名前すら忘れるほどに、彼女は人と関わらず生きてきた。その苦労は想像もつかない。
カーマルゲートへやって来てさえ、メーデン・コストナーという別の人格を被っている。
彼女はまだ、自分を檻の中に閉じ込めたままだ。
俺はきっと、迷っていない。彼女の、レジーナの手助けをすることを。
憎い感情は既に沈静化してしまったと言えば嘘になる。
それでも―――――
俺の中に張り付く呪い。
前世でやり遂げられなかったことを成せと、魂が命じている。
運命から抗う気はない。彼女が犯罪者という運命を受け入れたように、俺も自分の運命から離れようとは思わない。
彼女のためにある命ならば、最期まで彼女のために生きよう。
それが例え、国を敵に回す行為であったとしても。
負けはしない、何があっても。
女性特有の白く滑らかな頬を撫でると、彼女は僅かに身じろぎをして絹が擦れる音が立つ。
近くにあるロウソクを吹き消すと、静かにその部屋を出て行った。
ゾクッと背筋に悪寒が走り目が覚めた。
目の前にあるのは見慣れない天井。月明りだけの暗い室内でもその広さは十分に理解できる。
ここはアダムの宿舎の寝室であるとメーデンは即座に分かった。
先ほどの出来事を思い出して吐き気を抑える。
脳みそがグルグルかき回されているような感覚。ほとんど記憶になかった父の鮮明な姿。その周りに居る見たこともない人達。
洞窟に似た場所で過ごしたため懐かしい記憶を思い出したのだろうと見当をつけ、メーデンは下半身をベットから下して立ち上がった。
おぼつかない足取りで部屋の中央まで来ると、夜目の利く目で辺りを見回す。
白い壁に茶色の家具で統一されて全体的にすっきりと纏められている寝室。ベットも男性3人は眠れる大きさだ。
そして勤勉なアダムらしいことに、寝室にも本棚が設置され本で埋め尽くされていた。
部屋に興味を無くしたメーデンの白い足が一歩、また一歩とゆっくりドアに向かう。
キー、と小さな音を立てて開いた扉の向こうは、また似たような空間だった。
いや、似ていても決定的に違うものがある。
それはソファで寝ているアダムの姿。
メーデンは彼の前まで静かにやってきて上から見下ろす。彼の瞳はまだ閉じられたままで、目を覚ます気配はない。
整っていながらもあどけない寝顔は、普段の無感情な彼とは少し違った雰囲気があった。
―――――殺すなら、今がチャンスだ。
メーデンの中に僅かな殺意が芽生える。
ここでアダムを殺してしまえば、自分の素性を知る人物はいなくなる。
メーデン・コストナーとして思い描いた新しい生活を、彼に怯えることなく続けることができるのだ。
しかし彼は自分に対して殺意を抱いていない。不利益を被るような真似も、まだされていない。
殺すべきか、殺すべきではないのか。
しばし迷った後、メーデンはソファに上に膝立ちしアダムの上に覆いかぶさった。
癖のない長い髪がハラリとアダムの胸元にかかり、馬乗りになった状態で両手が彼の首に回る。
ドクン、ドクン、と心臓の音が耳に響き、メーデンの呼吸が少し乱れる。
手に力を込めようとしたその時。
「何をしている」
アダムの目が開き、青い瞳がメーデンを見つめた。
「あら、起きたの?残念」
彼女はわざとらしく驚きながらも悪びれた様子は全くなく、形の良い唇でニィと妖しく笑う。
アダムの首に回った手はすぐに離し、ヒラヒラと横に振っておどけた。
「元気そうだな」
「お陰さまで」
メーデンは馬乗りになったまま乱れた髪を片手でかき上げる。
すると一瞬、何かの場面が頭の中に流れ込んできて、彼女は頭を横に振った。
アダムと、緋色の髪の女の子の姿。全くメーデンに見憶えのない子だ。
様子のおかしいメーデンに、アダムは目を細めつつ訊ねる。
「どうした」
「・・・なんでもない」
低めの声で返事をすると彼女は肩膝を上げてアダムの上から降りようとしたが、バランスを崩しソファの背もたれにしがみ付いてため息を吐く。
見たこともない物が鮮明に映し出される不思議な感覚。
今までに一度もそういうことはなかったが、これからも同じ事が続きそうな気がした。
だとしたら、あまり喜ばしいことではない。現に今も、たった1場面を見ただけで身体に力が入らないほどのダメージを受けているのだから。
これは頭の中で作られた妄想なのか、それとも事実なのか。
それについてメーデンはあまり興味が無かった。
「レジーナ?」
はっと我に返り、上からアダムの腹を右手で叩く。バチンといい音が立ったが、彼はまったく表情を変えない。
「その名前で呼ばないで。
私はメーデン・コストナーよ」
「だが本当の名はレジーナ・ベルンハルトだろう」
「本物のメーデン・コストナーを殺した時にそんなもの捨てたわ。
少なくとも、私がカーマルゲートに居る以上は“メーデン”よ」
ふんっ、と機嫌悪そうに顔を逸らすメーデンの顔色は冴えない。
アダムは身体を捻ってメーデンの下から抜けると、ソファに膝立ちしている状態のメーデンを断りなく抱き上げた。
急に宙に浮いたメーデンは一瞬身体を硬直させたが、アダムは何もする気がなさそうだったので小さなため息とともに全身の力を抜く。
連れて行かれたのは先ほどの寝室のベット。
彼女を下ろすと、アダムは上にシーツをかけた。
「まだ調子が悪いんだろう」
さっさと寝ろ、と言うアダムに嫌そうに顔を歪めるメーデン。
「私自分の部屋に帰りたいんだけど」
「朝でもいいだろう」
「朝帰りなんて冗談じゃないわ。
誰かに見られたらなんて噂が立つか」
想像しただけで恐ろしいと、身ぶるいを起こしてメーデンは自分の身体を抱きしめる。
「地下道を通って研究塔から戻ればいい。
それより寝るんだ、顔色が悪い」
アダムの言葉にメーデンは少し沈黙した後、ぶすっとした顔のままシーツに潜り込んだ。
にょきっ、とシーツから手だけが顔を出したら、ヒラヒラと上下に揺する。
アダムに「出て行け」と言いたいらしい。
しかし、彼はその場に立ち止まったまま上から声をかける。
「レジーナ、明日は――――」
「メーデンよ」
「レジーナだ」
「違う!その名前は捨てたの!
私はメーデンよ!」
「お前はメーデンじゃない」
アダムの静かな反論に、メーデンはシーツを片手で薙ぎ払うと飛び起きてアダムの首に手をかけた。
彼女の紫の瞳が黄色に変わる。
ギリギリと白く細い指がアダムの皮膚に食い込んだ。
「アンタに何が分かるの!
生まれてすぐ父親に実験台にされた私の気持ちを、人に怯えながら暮らしてる私の立場を、貴族の跡取り息子に何が理解できるっていうの!?
同情するのは勝手だけど、これ以上私に関わらないで!!」
憐みの施しなどいらない。
優しさなど必要ない。
突然入り込んできたアダムの存在に、彼女は“恐怖”を感じていた。例え危害がなくても、例え前世の恋人であっても。
メーデンとしての生活では満たされないアイデンティティの行方も、アダムに向かうことはなかった。
今までの生き方を覆される存在。
経験したことのない“何か”を与えられる感覚に、心のどこかが拒否している。
アダムが与える“何か”に、彼女は怯えているのだ。
その原因をアダムは見透かしていた。
メーデンよりもずっと大きな手が、アダムの首に回った彼女の手の上に重なる。
「怖いんだろう、誰かに愛されることが」
彼女の黄色い瞳孔が「カッ!」と開き、さらに腕に力が入る。
しかしアダムは首を絞められているはずなのに全く平気な様子で、メーデンの表情に困惑が浮かび始めた。
「メーデンではないレジーナに向かうその感情が疎ましいか?
本当は思ってるんだろう?レジーナは誰にも愛されるべきではない犯罪者だと。
人を殺した罪悪感が、レジーナの感情を殺して臆病になってるんだろう?」
「っうるさい!!」
「犯罪者の父が憎い、そしてそれはレジーナも同じ。お前は、レジーナも裁かれるべきだと思ってるんだ。
例え死刑にならなくとも、孤独という形で。
だから誰かに存在を認められて愛されるのが怖いんだ」
メーデンは牙を剥き出しにしてアダムの首筋に噛みついた。
常人ならば血しぶきが立って絶命するところだが、ほとんど噛み痕は残らず血も少量しか出てこない。
彼女は困惑から涙目になり、首を横に振って後ずさる。
3歩目に至ったところでベットにぶつかり、足が絡まってベットの上に座り込んだ。
「嘘・・・」
「嘘じゃない」
「どうして・・・」
もっと早く気づくべきだった。
魔物の腕力で首を絞めても、アダムはビクともしなかったのだから。
「そんなことしたら・・・もう後戻りできない」
「わかってる」
「取り返しがつかないのよ」
「ああ」
メーデンは俯いて手で顔を覆った。
アダムはメーデンが思っている以上に錬金術を習得していた。
―――――自らの身体と、魔物を融合できるほどに。
ディーン・ベルンハルトと同じ禁忌を犯し、魔物を身体に宿し、メーデンと同じ道を選んだのだ。
貴族の跡取り息子としての輝かしい将来を捨て、国中からの期待を裏切ったアダム。
もう白を切り通すこともできない。
身体を魔物に変えてしまえば、元に戻すことはできないのだから。
アダムは歩み寄りメーデンの髪を優しく撫でる。
「バカよ・・・」
「お前が自分で自分の道を決めたように、俺も同じように自分で道を選んだだけだ」
ただそれだけだと言うアダムに、メーデンは彼の腕の中で静かに目を閉じた。