10話 対峙
ディーンと付き合うことになった翌日。
公衆の面前で告白したため噂が広まるのはあっという間。メーデンの元には代わる代わる人がやって来て、彼らは祝福の言葉を述べて行く。
しかし、クレアとサムは少し皆とは異なった反応を示した。
「メーデン、貴女本当にディーンなんかと付き合っていいの?
本当にいいの?」
授業の移動中、正気かと尋ねてくるクレアにメーデンはクスクスと笑う。
「ええ、もちろんよ」
「王子様という肩書きに騙されちゃダメ!
女たらしだし、不真面目だし!!」
「うんうん、どう考えても幸せにしてくれるタイプではないよね」
サムも思いっきり頷いて強く同意した。
ディーンの散々な言われようにメーデンとアビーは苦笑をもらす。
一般人からすればディーンは雲の上の人であるが、身内から見ればただの悪ガキらしい。
信じられない、とクレアは納得のいかない様子。
「しかも遊びのお付き合いだなんて!
確かにディーンは女慣れしてるから、楽しませてはくれると思うけど・・・・きっと苦労は絶えないわよ?」
メーデンは微笑んで頷く。
「いいのよ、自分で決めたことだから」
「でもっ・・・」
「クレア、メーデンが自分が決めたことなんだからいいじゃないか」
まだ何か言いたそうにしているクレアをサムが宥めた。しかしクレアはまだ言い足りないらしく、少し不満気な顔をして口を開く。
「ディーンにメーデンはもったいないわよ・・・」
「で、でも、私平民だし、成績悪いし」
「性格のことよ。
私の癒しがディーンなんかに取られるなんて・・・!」
くぅっと悔しがるクレアに、サムが苦笑して弁解する。
「ごめん、クレアちょっと変わってて・・・」
「変わってて悪かったわね!
メーデン、ディーンになにかされそうになったらすぐに私たちに言うのよ!
わかったわね!?」
クレアは非常に面倒見がよく親切な人だ。身分がなんであろうと分け隔てなく公平に接してくれる。
メーデンは微笑んで頷いた。
「アビー、できるだけディーンの魔の手からメーデンを守ってあげてね」
「ええ」
アビーは苦笑して頷く。
そこで次の教室へたどり着き、4人は一番前の列の席を陣取って教科書を開き始めた。
一方、ディーンの顔はだらしないほど垂れさがっていた。
頬はほんのり赤く染まり、ユークは冷やかな視線を送る。
「しまりのない顔ですね、ディーン」
「ユーク聞いてくれよ!ついに・・・!」
「もう20回以上聞いてます」
うんざり、と言った表情でユークは久しぶりに昼食を取っているアダムを見遣った。
彼は相変わらずの無表情で無関心っぷりを発揮している。
「アダムも聞いてくれよー、可愛いんだよメーデンがぁ」
ノロケにノロケまくるディーンの口は止まらない。
「絶対にもう嫌がらせなんてさせないんだ!
僕が守るんだから!
他の恋人は全て別れたよ、もちろん!」
「本気なのか?」
珍しくアダムが話に食いつき、ディーンは上機嫌で答える。
「もちろん、当たり前じゃないか!
メーデンは遊びのつもりなら付き合ってもいいって言うけど・・。
そのうち僕が本気にさせるからね!」
自信満々で言い放つディーン。
アダムは眉間に皺を寄せ、強く静かな口調で言った。
「・・・あの女は止めておいた方がいい」
まさかアダムの口から否定の言葉が出てくるとは思わず、ディーンの表情が一瞬固まる。
「なんでだよ!
まさか君もユークみたいに身分がどうのこうのって言うわけ!?」
「ディーン」
慌ててユークが宥めるが、ディーンの怒りは治まらず。
立ち上がってテーブルを叩いたものだから、カフェテラス中の視線が3人に集まる。
「身分身分身分て、どうして皆そればっかり・・!!
平民と恋人になって何が悪いんだよ!!
僕は身分と恋人になるんじゃない!ちゃんとその人を好きになって付き合うんだ!」
サイラス王国に強く根付く身分制度。
結婚は同じ身分の者に限られるわけではないため、王族と平民が結ばれることも可能である。
しかし、所詮紙の上での話。
平民が王族に嫁げばどんな目で見られるか、どんな目に合うかは想像に難くない。
また、2人の間に生まれた子供も白い目で見られるだろう。
だからこそ国民は暗黙の了解のうちに、あまりにも身分差が激しい者と婚姻しないのだ。
ディーンもサイラスの王子として、身分についてうんざりするほどいい聞かされてきた。
それでも彼はそれに納得できずにいる。
平民の女の子に恋をして、何が悪いと言うのか。
「悪くありませんよ、ディーン。
しかし貴方達が待ち受けている困難を思えば、本気の恋愛は止めておいたほうがよいと・・・」
「ユーク、僕は本気なんだ」
ディーンは真剣な顔で続ける。
「待ち受けてる困難がメーデンを襲うなら、それからも僕が彼女を守るよ」
「それでも止めておいたほうがいい」
珍しく譲らないアダムにディーンは苦い顔をした。
「アダム、君そんなに身分にうるさいやつだったっけ?」
「身分差のことを言ってるんじゃない」
「じゃあなんなんだ?」
「釣り合わないと言ってるんだ」
ディーンとユークは頭にハテナマークを付けて顔を見合わせた。
アダムはあまり他人に興味を示す人物ではない。今までもディーンの恋人について一切言及することもなかった。
そんな彼がディーンとメーデンは釣り合わないと言う。
「アダム、彼女になにか問題でもあるのですか?」
「いや」
即座にユークの言葉を否定するも、言葉の歯切れが悪い。
ディーンはむすっとした顔のままアダムの方を向く。
「メーデンに失礼だよ。
アダム、いくら親友の君の助言でも別れるつもりは全くないからね!」
きっぱりと言い切ったディーンに、そうか、とアダムは静かに一言だけ返事を返した。
ディーンとの噂が流れてから、アダムとの噂は綺麗さっぱり無くなり嫌がらせもピタリと止んだ。
どうやら“ディーンの恋愛関係にはお互い関与せず”という暗黙の了解はメーデンに対しても働いているようだ。
よって心配症のアビーもずっと一緒には居なくなって、独りで行動できる時間も増えた。
そしてやって来たのは願ってもないチャンスだ。
今日は月曜日の放課後。アダムが放課後の勉強会で、先週の木曜の振り替えに指定した日である。
メーデンはリトラバーの本を手に持って、放課後より30前に研究室へやって来た。
それを無造作に机の上に置くと、細く白い指でその表紙をなぞる。
これをアダムが見つけて錬金術の本だと気づけば全てが終わるはずだ、と。
メーデンは踵を返し扉を少し開け、廊下に人の気配がないことを確認して部屋を後にした。
――――しかし。
急いで研究塔の廊下を歩いて外へ向かっていた時、足音が聞こえてきてメーデンの足がピタリと止まる。
研究室に本を置いて出て行くところを見られるのはできるだけ避けたい。
しかしメーデンは隠れる暇がなく、仕方ないので歩くスピードを落とし平静を装う。
すると廊下で遭遇した人物。正確には人ではなく魔物だった。
サソリの形をした緑色の身体、黄色い瞳と鋭い瞳孔。身体をくねらせて蠢く巨大な生物――――――カンダランテである。
「マイリース・リトラバー・・・?
なんのつもり?」
メーデンは紫色の目を細めてカンダランテを見据える。
カンダランテに化けたリトラバーは、低くおぞましい声で言い放った。
『コロしてやる・・・コロして・・!!』
振りかざして叩き付けてきた尾。常人ならば潰されるところだが、メーデンはたった一歩横に移動しただけで避ける。
リトラバーは不満気に息を吐いた。
「バレる前に私を消す魂胆かしら・・・」
リトラバーの返事はない。
もともと失敗作であるカンダランテとの融合体。おそらく理性が殺衝動でかき消されているのだろう。
今の彼にあるのは、ただメーデンを殺したい欲望のみ。
メーデンは心の中で舌打ちをした。
もう少しで彼の正体を公に晒すことができたのに、と。
しかし悠長なことを考えている場合ではなさそうだ。今の彼の狙いは間違いなくメーデン。
『コロす!』
「ったく!」
再び頭から勢いよく突っ込んできたカンダランテを後ろに飛んで避ける。
ここから逃げて助けを呼ぶべきか、それともここで始末するべきか。
メーデンは攻撃をかわしながらしばらく悩んだ末、後者を選んだ。以前にカンダランテに遭遇した経歴を考えれば、2度もカンダランテを見たことを不審がる人も中にはいるだろう。
迷いのなくなったメーデンの行動は速かった。
素早く身体を変形させるとカンダランテの喉に噛みつく。
長くうねったその身体はまさに蛇の形をしており、白の全身に描かれた金の模様が美しい魔物。
名を“ジュナー”という。
非常に有名で希少な魔物だ。
ジュナーが生まれて間もないメーデンと融合した魔物であり、メーデンの半身となる正体。
喉に噛みついたままグルグルとカンダランテの身体に巻き付き、頭を地面に抑え込んで牙を突き刺す。
ぎぃやああああああ″とこの世のものとは思えない叫び声をあげ、リトラバーはもがき苦しんだ。
ジュナーの口からは、普段のメーデンより澄んだ高い声が発せられる。
『貴方が失敗作であるかぎり、もうこの世に存在してはならない。
ジーン・ベルンハルトとどういう関係なのかは知らないけれど、これ以上貴方に振り回されるのは御免よ』
『お前も・・・こちら側の人間だろうっ』
リトラバーの絞り出すような声に、メーデンは動きを止めた。
『お前も・・・化け物、我々と同じ、なんだ!なの、に何故・・・殺そうとする・・!』
『貴方が私を殺そうとした理由と同じよ。
私にとって貴方の存在は邪魔なの』
冷たく突き放すメーデンの言葉に、リトラバーは死期を悟って抵抗を止めた。
「ブチッ」と食いちぎられる首からは緑色の液体が流れ、頭が身体から離れて転がって行く。
メーデンは人の姿に戻って、口周りに付着したカンダランテの体液を腕で拭った。
動かなくなった彼の姿を見て目を細める。
「私はまだ諦めない・・・・」
最後の最期まで。
メーデンはそれだけ言い残すと、誰かに見られる前にここから去ろうと踵を返した。
しかしその足は一歩も動かずに固まる。
目の前に見知った人物が居たからだ。
「・・・・見たのね」
口調は冷静だったが内心は動揺していた。
見られた、よりにもよって、あのジュナーの姿を。よりにもよって、この人に。
「もうすぐ勉強会の時間だろう、メーデン」
「そうね、アダム」
彼は驚いた様子もなく、相変わらずの無表情でつっ立っている。
メーデンは奥歯を噛みしめると、瞳を黄色に変え牙をむき出しにした。
「悪いけど、貴方にも死んでもらわないとね」
「・・・そうか」
メーデンはアダムに近づいて目の前まで来ると、彼を見上げながら首に手をかけた。
どうあがいても魔物のメーデンにアダムの力が敵うことはない。
ところがあまりの彼の無感情ぶりに不安と不信が募る。
「命乞いしないの?」
返答はない。
その変わりアダムの手がメーデンの手を捕えた。それは首に回ったメーデンの手を払うためではなく、ただ上から重ねただけの形だった。
メーデンの手から力が抜ける。
「・・・何のつもり?」
「何も覚えてないんだな」
それは問いかけるのではなく、独り言。
彼の瞳は恐怖の様子も懐疑の色もなく、ただ静かにメーデンを見つめる。
そこで初めて、メーデンの決意に揺らぎが生じた。
本当に彼を殺していいのだろうか。
自分と違って誰からも必要とされ愛されている彼。一方自分は、国中から疎まれている犯罪者の子。
アダムはメーデンの心情を読み取ったのか、力の入っていない彼女の腕を掴んで引っ張った。
「来い」
「ちょっと・・・どこに行くの!?」
返答はなく、彼は強引にメーデンを連れて行く。
最初は研究塔の地下に。そして見たこともない暗くて細い洞窟のような迷路を歩き始めた。2人の間に会話はなく、ひたすら進む。
埃の匂いと気配から、ほとんど誰も使っていないようだ。
やがて暗くて細い道の向こうに光が見え、階段を上ると地上に出た。
しかしメーデンは見たこともない場所で、身体を縮めて辺りを警戒する。
そしてすぐ傍にある家に堂々と入るが、これは何の家なのか粗方の想像はついた。豪華な装飾品、人のいない一軒家。おそらくアダム用の宿舎であろう。
さらにその家の奥の本棚の裏道・・・いわゆる隠し部屋へ入った。
ここは先ほどの細道と同じく地下にあって暗いため、なんとなく薄気味の悪い場所だ。
石造りの壁、古くも上品な赤いカーペットに黒塗りした木のテーブル。無造作に設置されたソファに、壁一面に広がる本棚。
そして懐かしさも感じた。メーデンが幼少期に隠れて過ごしていた洞窟にとても似ていたから。
いや、似ているどころではない。そっくりなのだ。
形も、色も、物も、そっくりそのままあの洞窟が移動したかのような・・・。
メーデンは慌てて本棚に並んだ一冊の本を開いた。錬金術の文字、そして父の名前。
「どうして父様の本が・・・。
アダム・・・?」
メーデンは本から目を離してアダムを見た。