18.アナタの中の幸福
sideローゼル
ーーーその日はとても快晴で。
もう動く気力さえもないというのに、ベッドから降りて、外に出たいと思った。
アナタと最期に心地いい空気を目一杯吸いたかった。
だからエレノアに無理を言って、庭の木の下まで連れて行ってもらった。
木の幹に体を預け、座るエレノアに膝枕してもらいながら、エレノアを見つめる。
青空と春の新緑。
美しい自然を前にしてもなお、エレノアは雄大であり、目を引く存在だ。
黄金の瞳は年齢を重ねるごとに輝きと深みを増し、顔に刻まれていくシワ一つ一つが共に生きてきた証のようで、愛おしかった。
ふわりと暖かな風が吹き、エレノアのピンクゴールドの髪を揺らす。
いくつになっても、俺だけの聖女は綺麗だ。
太陽ではなく、彼女の眩しさに、俺は瞳を細めた。
エレノアと一緒になって、もう何十年になったのだろう。
最初は帝国の、みんなの聖女だった、エレノア。
けれど、俺だけの聖女になってくれて、結婚して。
子どもができて、エレノアや子どもたちを養う為にも、俺は帝国騎士団でますます働いた。
エレノアは帝都で有名な薬師に、俺は帝国騎士団総隊長になり、子どもを育てて。
子どもたちも巣立ち、自分たちも引退後は、のんびりと過ごそうと、帝都を離れ、南の田舎へと移住した。
ここでの生活もとてもよかった。
エレノアとたくさんの時間を過ごし、いろいろなことをした。
畑を作ったり、食器や家具を作ってみたり。
作ったもので、炊き出しをしたり。
彼女と共に作った庭は、今ではこの村のちょっとした観光スポットにまでなっている。
色とりどりの花々に小さな川。ベンチにブランコにテーブルまで。
ここはまるで小さな皇宮の庭だ、と笑い合った日々が今でも鮮明に思い浮かぶ。
彼女と俺は今日までずっと生きてきた。
ーーー俺は彼女に殺されたい。
今もこの願望は消えていない。
俺の最期は彼女がよかった。
きっとその願いは、もう叶う。
「…エレノア」
随分弱々しくなった声で、最愛の人の名前を呼ぶ。
「ありがとう」
それから柔らかくそう言った。
ふふ、と鈴の音を転がすような声が風に乗って、わずかに届く。
「…あいしています、エレノア」
眠たい。
すごく眠たい。
幸せなまどろみの中、俺は今日もまたエレノアに愛を伝えた。
ゆっくりと、静かに、世界が狭くなっていく。
そんな世界で、エレノアは柔らかく微笑んでいた。
音だけが聞こえる。
風のそよぐ音。小鳥のさえずり。川のせせらぎ。
優しい音が溢れる世界で、何よりも美しい声が聞こえた。
「私もよ、ローゼル」
俺だけの聖女は、最期にそう囁いた。
*****
sideエレノア
何十年も連れ添った、愛おしい人。
彼、ローゼルは穏やかに私の膝の上で息を引き取った。
つい1週間前の出来事を思い出し、また瞳に涙が溢れる。
私は今、ローゼルの葬儀を終え、1人で広く寂しくなった家を片付けていた。
ローゼルの書斎から必要なもの、不必要なものを取り出し、仕分けをしていく。
ここが終わったら、次は自分の場所も片付けるつもりだ。
子どもたちに迷惑をかけない為の生前整理というやつだ。
吸血鬼の最期はさまざまだ。
だが、私のような最愛の人の血を覚え、最愛の人の血によって生かされてきた吸血鬼たちは、皆一様に、最愛の人と共に逝くこと選ぶ。
何故なら彼らなくしては生きられないからだ。
最愛の人の血のみが使われたタブレットを用意し、生きながらえる…という方法もあるのだが、あまりそれをする吸血鬼はいなかった。
何十年もかけて、ローゼルに深く愛されてきた私にはもう、若かりし頃の渇きも抑えきれない本能もない。
ここ数十年は彼から必要最低限の血をもらい、穏やかに生きてきた。
私は22歳で死ぬ運命だった。
それなのに、ここまで生きられたのだ。
もう、十分だ。
全てを終わらせて、私もローゼルと共に逝く。
それが今の私の願いだった。
「…?」
書斎を片付ける手がある場所を見つけたことによって止まる。
私の目に入った場所は、机にある引き出しで、そこにはたくさんのノートが綺麗に片付けられていた。
奥から順に年季のある古いものから新しいものが並べられている。
気になって、一番奥のノートを手に取ってみると、表紙には〝日記〟と書かれていた。
…ローゼルの、日記。
気がつけば私はページをめくり、見慣れた愛おしい文字に目を走らせ始めていた。
最初の日記は騎士学校時代のもので、次が帝国騎士団時代のものだった。
何をしたか、何をすべきか淡々と書かれているそれに、ローゼルがどれほど努力してきたのか痛いほどわかった。
だが、ある日を境に少しずつ、その内容と共に、ある人物のことが書かれ始めた。
『エレノアは今日も優しい。だけど、どうか俺だけを見て欲しい』
そう書かれた文字に、胸がぎゅうと締め付けられる。
ローゼルが私に想いを寄せていたことは知っていたが、こんなにも前から私を想っていたとは全く知らなかった。
続く日記にも記され続けていた私への想い。
それは時間が過ぎるごとにどんどん溢れていった。
『俺だけのものにしたい』
『愛おしい。隠してしまいたい』
『誰にも笑いかけないで』
ローゼルらしい言葉の数々に、思わず口元が緩む。
そんな日記の中に、こんなことも記されていた。
私がローゼルの血を吸うきっかけとなったタブレットの消失に、ローゼルが関わっていた、と。
あの時、ローゼルは私がタブレットを探していると気づきながらも、私からタブレットを隠したらしいのだ。
『彼女にここまで堕ちてきて欲しかった』
あまりにも昔から変わらないローゼルに、つい笑ってしまった。
ーーーあの人らしい。
他の人から見れば少し重くて、怖いところがあるかもしれないローゼルの愛だけど、そんなローゼルの愛だからこそ、私は満たされた。
「会いたいわ…」
私からポツリと切実な願いが漏れる。
無表情だが、私にだけ向ける柔らかな表情で、いつものように愛を囁いて欲しい。
何十年も変わらず、宝石のような輝きを放つアメジストの瞳で、まっすぐと私を射抜いて欲しい。
たくさんあった日記もついに終わりを迎える。
寂しい気持ちを抱きながらも、私はゆっくりと最後のページをめくった。
するとそこには綺麗な白い便箋があり、〝エレノアへ〟と見慣れた文字で書かれていた。
ローゼルからの手紙だ。
震える指で、ゆっくりと丁寧に便箋から手紙を取り出す。
それから私はじっくりとそれを読み始めた。
どれほど私を愛していたか、感謝を抱いていたか、そんな内容の言葉がローゼルらしいもので淡々とだが、丁寧に並べられている。
ローゼルからの最期の手紙に、私はますますローゼルに会いたくなった。
…待っていてね、ローゼル。
生前整理が終わったら、私も逝くから。
そう思っていたのに。
『俺が死んでも、アナタには寿命の限り生きて欲しい』
そう書かれたローゼルからの言葉に、私は言葉を失った。
何を言っているのだ。
ローゼルのいない世界でどう生きろというのだ。
ローゼルに長い間満たされ続けた私は、そう簡単に禁断症状に陥らない。本能も年齢と共に落ち着き、ローゼルが死んで以来血を摂取していないが、特に変化はない。
だが、タブレットを受け付けない私では、長生きはできない。いずれ、禁断症状に陥るし、例え、陥らなくてももう生きるつもりはない。
ローゼルの最期の願いを、私はそうバッサリと切った。
しかし、ローゼルにはその願いを叶える為の準備があった。
『俺の血を使ったタブレットを10年分用意しました。それでどうか生きてください。俺はアナタに殺されたいけど、アナタには生きて欲しいんです』
「…っ」
若い頃と何も変わらないローゼルの言葉に、笑みと涙が溢れる。
『そして寿命を全うしたアナタを俺は迎えに行きます。そこからはずっとずっと一緒です』
脳裏にもういないはずのローゼルの柔らかい表情が鮮明に思い浮かぶ。
優しくて、まっすぐで、そしてわかりづらい人。
またこうして、私を生かすのね。
本当はアナタと逝きたかった。
けれど、最愛の人の願いなら、あともう少しだけ生きましょう。
「ちゃんと迎えに来てね、ローゼル」
書斎の窓から見える晴天に、優しく声をかける。
揺れる花々の向こうからローゼルが私に柔らかく笑った気がした。
【だからアナタに殺されたい。】end.
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