月影の約束 ~見えない君を、ずっと探していた~
忘れてしまっても、消えないものがある。
名前も、記憶も、すべて失っても。
それでも人は、想いの在り処へ辿り着く。
これは――
約束を“思い出せなかった”彼が、
それでも約束を果たした物語。
どうしてここに来ているのか、最初はわからなかった。
気づけば、足が向いている。
見慣れたはずのない道を、懐かしいと感じながら歩いていた。
夜だけ。
決まって、月が満ちる夜だけだった。
コツ、コツ。
自分の足音だけが、やけに響く。
「……誰かいる?」
そう声に出しても、返事はない。
けれど――
何かがいる気がする。
視線を感じる。すぐ近くで、誰かがこちらを見ているような。
「……変だな」
苦笑する。
怖くはない。
むしろ、安心する。
理由もなく、ここに来ると落ち着く。
「俺、ここに来たことあるっけ」
記憶を辿っても、答えは出ない。
それでも、足は止まらない。
襖の前で、ふと立ち止まる。
――ここだ。
なぜか、そう思った。
手をかける。
けれど、開ける勇気が出ない。
その向こうに“何か大切なもの”がある気がして、同時に、“触れてはいけないもの”のような気もした。
「……また来るよ」
なぜか、そんな言葉がこぼれる。
誰に向けたのかも、わからないまま。
その夜も、何も見えなかった。
何も触れられなかった。
ただ――
帰り道、少しだけ胸が温かかった。
それが、何度も続いた。
何度も、何度も。
「……なんでだろうな」
ある夜、立ち止まる。
「忘れてる気がする」
大事なことを。
誰かを。
けれど思い出せない。
名前も、顔も、声も。
それでも、ここに来てしまう。
「……会いたいんだと思う」
誰かに。
理由もわからないまま。
そして――その夜。
月が、やけに明るかった。
コツ、コツ。
足音が、やけにはっきりしている。
空気が違う。
“いる”と、はっきりわかる。
「……そこにいるのか?」
声にした瞬間。
襖の向こうで、気配が揺れた。
「……見つけた」
その言葉は、自然と口から出た。
なぜか、ずっと探していた気がしたから。
襖の向こう。
そこに――
いた。
白い髪。小さな体。紅い瞳。
「……やっと、会えた」
涙が出そうになる。
理由なんて、どうでもよかった。
ただ、この子だとわかった。
「遅くなって、ごめん」
そう言うと、彼女は笑った。
「……遅いよ」
その声を聞いた瞬間。
胸の奥で、何かがほどける。
ああ。
ずっと、この声を探していた。
触れた手は、あたたかかった。
確かに、そこにあった。
「……あったかい」
彼女の言葉に、胸が締め付けられる。
もっと、触れていたいと思った。
もっと、話したいと思った。
けれど――
わかってしまった。
「長くはいられない」
自分が、ここに“長く存在できない”ことを。
どうしてかはわからない。
でも、確信だけがあった。
「最後に、会えてよかった」
本心だった。
ずっと探していたものに、やっと届いたから。
「約束、守れたね」
その言葉に、彼女がうなずく。
その仕草が、どうしようもなく愛おしかった。
体が、少しずつ軽くなる。
指先から、感覚が薄れていく。
「……もう、行くね」
本当は、行きたくない。
けれど、それは叶わないと知っている。
「またね、って言わないの?」
そう聞いたのは、縋るみたいな気持ちだった。
でも――
「ううん。もう大丈夫」
彼女は、笑った。
強く、やさしく。
「ちゃんと来てくれたから」
その一言で、すべてが報われる。
「ああ」
小さくうなずく。
もう、悔いはなかった。
「……ありがとう」
最後にそう伝える。
伝わったかは、わからない。
それでもいい。
届いていると、信じられたから。
消えていく。
月の光に溶けるように。
最後に見えたのは――
彼女の、少しだけ寂しそうで、でも満たされた笑顔だった。
どうしてここに来ていたのか。
最後まで、思い出せなかった。
でも――
ひとつだけ、確かなことがある。
「ちゃんと、見つけられた」
その事実だけが、静かに残っていた。
月は、何も語らない。
ただ、すべてを見届けていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
本編では語られなかった「彼の側」。
なぜ来ていたのか、なぜ安心していたのか――
その答えを、静かに描いた物語です。
覚えていなくても、想いは残る。
そしてそれは、ちゃんと届く。
ふたりが最後に交わしたのは、
「再会」ではなく「完結」でした。
そのぬくもりが、少しでも心に残れば嬉しいです。
※幼狐側の物語「月影の約束」もぜひご覧ください。




